【聖書】

ローマ 12・9~21

【説教】「平和をつくる人」

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暑い

 早や8月中旬です。暑い暑いと言うのも後わずかではないでしょうか。8月が過ぎると、今度は坂を転げ落ちるように冬に向かっていくように感じてしまいますので、この時季はいつも8月がずっと長く続きますようにと思います。残り少ない今年の夏を大切にしたいですね。

 72回目の終戦記念を迎えます。20世紀の世界にとって、そして何よりも日本にとっては決して忘れてはならない歴史の教訓です。多分日本の歴史が始まってからの最大の教訓とも言うべきものではないでしょうか。日本史が全部ここに集約したと言っても言い過ぎではないかもしれません。人間の愚かさと狂気、そして何よりも国家というものの恐ろしい性格があぶりだされた結果となりました。完全な敗北と無条件降伏は、日本を打ちのめすことになりましたが、これなくしては決して日本は曲りなりにも再生できなかったのではないでしょうか。

 神話がらみの天皇制国家、そしてそれを至上のものとして祭り上げ、利用する権力構造の危うさと欺瞞性に、初めて徹底的なメスが入れられることになりました。新憲法の制定と共に真の意味の民主主義が産声を上げ、よちよち歩きを始めたのです。それから70年、日本は奇跡的な経済復興によって国際社会に復帰し、敗北の屈辱を塗り替えることになりました。戦後の繁栄の中で日本は自信を取り戻しましたが、繁栄の陰で、戦争の教訓と戦争責任の問題は何となくうやむやのままにされ、もう自分たちはこの負の教訓を乗り越えたのだと思うようにもなったのではないでしょうか。新生日本と言いましたが、自分たちが戦争責任をうやむやにしたままなので、過去との決別が出来ず、それがずっと並存してきているのでしょう。そして今は揺り返しの動きが市民権を得て、歴史修正主義者たちが公然と発言をするようになりました。自分たちには義があったのだ、悪くなかったんだという動きです。もはや戦後ではないどころか、戦後は全く終わっていないのであり、戦前の亡霊が歩き続けているのです。国も国民も、戦争責任にしっかり向き合い続けることが、戦争を忘れないことですね。
【聖書】

エレミヤ 29・1~14


【説教】「バビロンにいるわたしの民へ」

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梅雨あけ

 雨が降ったり、時には寒いように感じる夜もあり、いま少し天気が不安定のようでしたが、ようやく梅雨明けとなりました。雪国にとっては貴重な夏ですね。最近は日が落ちてから農道を散歩します。今までは公園内を散歩していたのですが、木々があるせいか、こちらは暗くなると蚊に悩まされるのが問題でしたが、農道は見晴らしも風通しもよく蚊の心配もなく快適です。日が落ちてからの外気は25度位でしょうか。まことに気持ちよく至福のひと時です。

 8月はやはり終戦ということを覚えさせられます。私はもちろん戦後世代ですから、実際の記憶は皆無ですが、それでも70年前の戦争がどれだけ日本にとって、また世界にとってどんなに重要な意味と教訓を残したものであったかは、あまりにも自明なこととして叩き込まれています。戦争中の苦しみを経て、結果は完全な敗北であったわけですが、戦争が終わった時、国民は大きな安堵を持ってそれを受け入れ、平和をどんなに貴重なものとして噛み締めたことであろうかは、想像によって追体験できます。

 先日亡くなった沖縄の太田前知事の終戦体験がよく紹介されますが、彼は平和を、そしてそれを高らかに歌う日本国憲法を、どんなに大きな喜びと希望を持って抱きしめたかを繰り返し証言しました。そしてこの希望と確信は生涯ぶれることなく、彼の人生と政治的信条の土台でした。これは彼一人ではなく、大方の日本人の素朴な体験ではなかったでしょうか。決して決してもう戦争などしてはならないと、その思いは骨の髄まで染み込んだ日本人の財産ともいううべきものとなったのではないでしょうか。しかし70年以上を経て、戦中世代はだんだんこの世を去るにつれ、この教訓に満ちた歴史の財産を見直そうとする動きが顕在化しています。積極的平和主義という欺瞞に満ちたことばによって、大事な大事な宝を売ろうとしているのです。日本の身代を食いつぶす愚かな放蕩息子そのものです。戦争ごっこをしたがる幼児的国家に逆戻りすることがないように、しっかり目を覚ましていたいものです。
【聖書】

ダニエル 3・13~30


【説教】「異教社会の中で」

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アジサイ6

 未だこちらは梅雨明け宣言が出ないようですが、7月が終わろうとしています。暑い暑いと言って過ごすのも後一ヶ月足らずでしょうから、夏好きな私としてはこの暑さを惜しむように過ごしたいと思います。子どもたちも夏休みに入りました。それぞれにとってこの夏、何か良い思い出が出来れば幸いです。

 国会は閉会中審査がなされ、こちらも暑い二日間となりましたが、大方の予想通りとても爽やかな暑さとは言い難いものだったでしょう。結局二日間、言った、言わない、記憶にない、の押し問答に終始した観ですが、それでも現政権の苦しい事情が国民の目にさらされたことは意義があったのではないでしょうか。今までのおごった政権運営に対して厳しい国民の目が向けられました。少なくても現政権は、今までのように1強多数にあぐらをかくような自信は風前の灯のように不安定なものだと知らされていることでしょう。それにしても、一方の指摘に対して、記憶にない、覚えがない、と言う答弁が繰り返され、それがまかり通る国会とは何なんだろう、思わずにはいられません。はっきり分かっていることをそのまま言えないから、覚えがないと逃げているのでしょうが、しかし繰り返し語気を強めてさえ覚えがないという心理はどこから来るのだろうかと思ってしまいます。

 悲しいことに人間は明らかにおかしいことにも、だんだん慣れていってしまうものですね。そうなると一体何が正しいのか、同じ土俵で議論ができなくなってしまいます。今世界ではフェイクニュースの横行が問題になっています。もしかしてこれからの世界は、自分にとって都合のいいものが真実なのだという常識になっていってしまうのかとの危惧がよぎります。まさかと思いますが、悲しい人間の本性は楽観できないと肝に銘じたいと思います。ガンジーのモットーは、「世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないために」でした。彼のチャレンジは、今の時代にあってますます新鮮です。回りが基準ではなく、良心が基準、そんな生き方を訓練されたいものです。
鋳物で洲に憧れますね。
【聖書】

詩編 27・1~14


【説教】「悩みの日の隠れ場」

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梅雨5

 先週のお楽しみ会で子どもたちが水鉄砲ゲームに熱中し、びしょびしょになりながら楽しんでいる様子を見ました。気兼ねなく水に濡れるということもまた今日では貴重な自然体験ではないかと思えました。だんだん屋内化する現代にあってどんな形であれ、自然に触れる機会はますます貴重なことではないでしょうか。

 中国の人権活動家、劉氏のことを改めて知りました。拘束され人権を奪われた61歳の早過ぎる死が悼まれます。巨大なモンスターのような中国で、自由と人権、そして民主化を求めて一人戦い続けた巨星のごとき存在でした。中国の宝、いや人類の宝と言うべき人を中国は抹殺し、その記憶まで消し去ろうとしています。両者の対比は光と闇そのもののようです。朝日の天声人語に、「私には敵がいない」「最大の善意をもって政権の敵意に向き合い、愛によって憎しみを消し去ることができるように望んでいる」との劉氏のモットーとも言うべきことばが紹介されていましたが、信じがたいその志に全く打ちのめされる思いでした。全く理不尽なモンスターに一体どうしてそのような心境になれるのかと驚きですが、彼とてもたやすくこの精神を手に入れたのではないでしょう。でも苦しい戦いの中で、この境地に至った彼は人類に恒星の如く決して消えない確かな道筋を示し、そして今は勝利者としてこの世界を見つめています。中国の闇はこの大きな光の前にやがて退散していくことを信じたいと思います。

 方や私たち日本の状態はというと、生ぬるい湯にずっと浸かっているような恥ずかしい気持ちがしてしまいます。幸いにも70年間平和と繁栄を享受してきたわけですが、戦争という大きな試練を経たとは言え、人権や民主化は勝ち取ったと言うよりも上から与えられたものだと言われます。それゆえ真の意味で人権や平和が受肉せず、安倍政権に代表されるような先祖帰りの復古思想が気味悪く生き続けているというべきではないでしょうか。愛と平和と正義をわが身に受肉させることこそを求めて生きたいものです。
【聖書】

 箴言10・1~32


【説教】「正しいものはいつまでも動かされない」
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梅雨4

 早や30度を越す夏日が続くようになり、この分では梅雨明けからはどうなるのかと危ぶまれますが、でも夕方はそれでも涼しくなります。先日は暗くなってから教会後ろの小さな江川をのぞいて見ました。そうしたら期待通り10ほどのホタルの光を見ることができ、得をした気分になりました。暑さゆえに閉じこもってしまう誘惑と戦って、日の長い朝夕を生かせればと思います。

 国会の参考人質疑を見ました。記憶にありません等の相変わらずの歯がゆさですが、それでも国民の前に答弁の様子が放映されることは意義があることでしょう。これより格上の証人喚問の国会が実現することを祈りたいと思います。大方の見方は落ち着いた前川元次官に対して、何かを隠しているようなあやふやで不十分な政府答弁という印象ではなかったかと思います。答弁の様子を見ながら改めて「正しい者は力強い」と言う聖書のことばを考えさせられました。この思想は様々な表現によって特に旧約の箴言において繰り返されています。「正しい者はいつまでも語る」「正しい者は決して恥を見ない」「正しい者は死の中にものがれ場がある」等々です。

 これは聖書がが言うまでもなく、私たちの良心が納得し、また社会生活の経験が証することでもあります。それに対し偽りと不正は隠れてこそこそと歩まなければならない悲しい運命であることもよく知っています。しかし悲しいかな、私たち人間は、時に心ならずも正しい道からはずれて、弱々しく下を向いて歩いているような時があります。そんな時、更に悪いことに、その偽りや不正の正当化を図って、ぐずぐずと居直る悪循環に陥ってしまいます。もとより不完全な罪人である人間にとって、一点の曇りもない完全な正しい人などいません。ですから聖書で言う正しさとは現実的には、間違いや失敗を隠さず、できるだけ早くそれを改める生き方、すなわちいつも神の前に正直であろうとする態度に尽きます。正直は時に犠牲を伴います。しかし神と人の前でいつも顔を上げて歩めるように、嘘、偽りをこそ最大の敵として訓練したいものです。
山井姉宅で7月9日、毎年恒例のラベンダークラフト作りをしました。今年も素敵な作品ができました。

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【聖書】

詩編 51・1~17


【説教】「ああ、あなたは心の真実を喜ばれます」

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梅雨

 空梅雨かと楽観しましたが、梅雨前線が停滞し強い長雨が続きました。激しい雨音は汚れを洗い流すような爽快感がありますが、これがある時間を過ぎると恐怖感に変わります。竜巻のような大風に比べれば、大雨は未だ時間的余裕の伴った自然現象のようですが、今回の九州地方はそんな楽観を打ち消す災害となってしまい心が痛みます。復旧と回復のために、またなお続く雨の季節の無事を祈りましょう。

 この時季と重なった都議選は久々の大雨となりました。でもこちらのほうは明らかに恵みの雨と言うべきではないでしょうか。自民党にとっては予想外の洪水に大わらわということでしょうが、でも心ある党員は「雨降って地固まる」と受け取ってくれるのではないかと期待したいと思います。

 安倍政権になってからのこれまでの4年間、全く不思議なほどに次々と選挙で圧勝し、その数の力による横暴が目にあまるほどに露骨になってきたというのは、とても個人的な好き嫌いの評ではなく、ここに来て明らかに国民の多数に共有されてきたということではないでしょうか。それが今までの圧勝の勢いと自信を初めて粉々に打ち砕くことになりました。ようやくとの感でもありますが、この動きがさらに健全なものになっていくように祈りたいと思います。選挙前日の安倍首相の街頭演説でのやじの様子が繰り返し放映されますが、「安倍帰れ」「安倍辞めろ」との露骨な大コールが演説を妨害しました。今まででは有り得ない、予想もしなかった事態に首相は狼狽したことでしょう。

 この光景を見ながら、内心ほっとし喝采を送りました。日本にはこの自由があると思ったからです。中国では出来ませんね。でも今の政権のおごりに、このような自由さえ押さえつけかねない危うさを感じていました。政策云々ではなく、首相を中心とするその中枢の人たちの人間性が問われているのです。「できる政府」ではなく「正直で誠実な政府」をこそ戴きたいと思います。人間として信任されなかったら何も出来ませんね。果たして未だ政府は逃げようとしているようですが・・、当たり前の教訓を肝に銘じたいと思います。

【聖書】

ヨハネ 13・1~17


【説教】「洗足の愛に習って」

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↓教会にあるエゴの木の実です
2017-07-07 エゴの実

 7月に入ります。過ぎてみれば時はあっという間ですね。今年も早や下半期に入ります。いつもながらもう少しゆっくりであって欲しいと思いますが・・・。早速急に暑くなるとの予報ですが、夏が暑くなるのは自然なことなので、寒くなると言われるよりも、ほっとした気持ちです。しかし、ヨーロッパは異常高温とのことですので、近年は、何も心配せずに自然任せという有り方が不安にさらされてもいます。任せるべきことと、人間がすべきことの両方が問われているということでしょうか。

 社会的、政治的領域はこの両者のバランスが更に難しいといえるのではないでしょうか。為政者に任せるべき姿勢と、抗議と監視の声を上げるべきという両者です。為政者にすべて任せているなら何も波風は立たず、国は安泰のようですが、権力の独裁化が大きな悲劇を招くことは、今も続いている歴史の教訓です。

 人間の歴史は支配と被支配の関係の歴史、ことばを替えれば、国と民の歴史ともいえると思います。国は統治のための大きな権力を与えられています。それがいつの時代も民との間で悩ましい問題を引き起こします。為政者がどういう資質の人かによって幸、不幸が分かれます。為政者の誘惑の一つは、その権力を用いて自分の正義や信条を実現しようとすることです。トランプ氏、プーチン氏、そして習氏と、共に強い自己主張型のリーダーのようです。そして安倍首相もそんな政治家を自負しているのでしょう。国民もそんなリーダーを求めやすいかもしれませんが、でも多分これは国にとっては不幸です。というのもどんなに優れた人でも、その人の正義や信条は、一個人の独りよがりを免れえず、全体を代表するなどと言える人はいないからです。安倍首相の言動に安倍国を目差しているような迷惑と危うさを覚えるのは私だけでしょうか。彼の姿は私たちへの教訓です。ことに真面目で理想主義的な人ほど、謙遜に自らの限界と独善性をわきまえなければなりません。どんなにすぐれた人でも、またその正義をどんなに絶対的に確信していようと、それは神の正義には変わり得ないことを肝に銘じたいものです。
 教団教会全体の講壇交換で、富山教会の大内正先生を迎えての礼拝です。

 大内師は上越市出身で、昨年まで教団理事長として長く労されました。

2017-06-25大内正S

【聖書】

ローマ 12・1~2

【説教】 「捧げる祝福」 大内正師

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梅雨2

 続いた晴れが一転して梅雨らしい曇り空が続いています。この季節を一番喜んでいるのはアジサイでしょうか。あちこちで今こそわが季節と存在感たっぷりです。ボリューム豊かな花と葉は多くの水があってこそなのでしょう。アジサイだけではなく、人類とこの地球にとって、雨もまたなくてはならないものですね。太陽の圧倒的な恵みとともに、雨の静かな恵みをも備えられた神様の知恵を思いながら、雨の季節をもまた喜び過ごしたいものです。今はまたちょうど一年の折り返し点です。前半の歩みを振り返り吟味しつつ、後半に備えたいと思います。

 紛糾した国会が閉幕しましたが、今の政権も折り返し地点にいるようですね。良い意味の折り返し点であるようにと願わずにはいられません。というのも現政権のこれまでの数年間は、国民の半分が危惧し、何度も立ち止まって慎重に審議してきた問題法案を次々と数の力によって成立させてきたからです。政権の圧倒的多数はいかんともしがたく、心配する民意はことごとく踏みにじられてきた感があります。しかしここに来て権力のおごりが招いた、無視できない問題が明るみに出て、圧倒的支持に揺らぎが出始めたからです。幸いな墓穴とでも言うべきですね。最初はいつものように、強権的に無視し、ひねりつぶせると思っていたようですが、今回の問題は首相自身の身辺に関わる失政ともいえる事態なので、注目度は日増しに大きくなり、政権にとってはシナリオ通りには行かず大きな打撃になりつつあるようです。あわてた政権は一転して今までになく殊勝とも言える反省会見を開き、事態を乗り切ろうと考えたようですが、多分見え透いた宣伝会見としか思われなかったのではないでしょうか。

 “信なくば立たず”と言われます。政治の中心にウソがあるならば人々はそれを見抜き信任されなくなるでしょう。これはまた私たちの人生に対する教訓です。人には見えなくとも隠れた心の真実こそ主は喜ばれると聖書は告げます。小さなウソに妥協しがちな自分を甘やかすことなく、人前ではなく、主の前での隠れた心の真実をこそ訓練したいものです。
【聖書】

ハバクク 1・1~17


【説教】「もし遅くなっても、主を待て」

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↓エゴの花
2017-06-24ガクアジサイ

 こちらの梅雨入りの発表は未だのようですが、しばらくは晴れが続くようですから、過ごしやすい梅雨になるのでしょうか。今年も早や、冬から春へ、そして初夏へと移り変わっています。季節の流れを穏やかな気持ちで眺め、味わうことができるということは、人間にとっては最も基本的で素朴な幸せと思わされます。我が日本では戦後70年、このような平穏が続いて当たり前のようになっていますが、世界の状況を見れば、このような素朴な幸せさえ決して当たり前ではないのだと考えさせられます。

 先日北朝鮮宣教セミナーに参加しました。過激なミサイル発射で今世界の注目を集めていますが、私たちにとっては近くにあっても全くベールに包まれた遠い国と言わざるを得ないのが実情でしょう。このセミナーで、二人の脱北者の生々しい証を聞きましたが、それを聞きながら、信じられないような独裁国家がこの21世紀に厳然と存在していることが不思議でもあり、同時にこのような闇を打ち払えない世界と人間の無力がもどかしく、なかなか光が見えない状況に暗澹たる気持ちにさせられました。ISと言い、北朝鮮と言い、共にとても国とは言えない悪魔的国家が現出していることは、歴史の間違いとしか思えませんが、それが現実であることが空恐ろしいですね。人間も国も、このように成れるんだなという警告です。北朝鮮の状況を聞きながら、頭をたびたびよぎったことは我が日本の姿です。

 先に戦後70年、平和で穏やかだったと書きましたが、果たしてそれは確かで安泰なことだろうかとの不安と警告が重なりました。絶対揺るぐことはないと安心していた憲法、その改正を熱望している人々が相当数いることが不気味です。近年次々と国家強権化法案が通され、今また共謀罪法案が強行採決されようとしています。今国会では二学園の不透明問題の追及に対して、政府が権力を傘に平気でうそを言い、また圧力かけている姿を目の当たりにしています。他人事ではありませんね。人間も国も悪魔化することを空言としないで、目を覚まして、闇と悪との戦いに備えなければと思います。
【聖書】

エペソ 5・1~21


【説教】「主イエス・キリストを着なさい」

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