【聖書】

エペソ 1・1~14


【説教】「神を宿す神秘」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます
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↓ヤマボウシ
2017-06-06 ヤマボウシ

 最高の5月が終わり、6月に入ります。梅雨の足音がすぐそこですが、田植えが終わった水田はこの雨を待っていることでしょう。先週は教会にとって大きな行事であるバザーが無事終了できました。始まりは強風で心配しましたが、少し曇がかかった空のせいでそれほど暑くもなく屋外も快適でした。なんと言っても、いつもながら搗き立てのもちが大人気でした。今年は今までの木製の臼に替わって、濁川兄が頂いて来た昭和13年製の石臼が活躍しました。もう80年も経ているのに完璧な状態であるのには驚かされます。これから先何年もこの臼で美味しいもちを味わえるでしょう。

 国会では森友学園問題に続いて、加計学園問題が追及されています。これほど疑問がもたれているのに、何ら問題ないと言い切る強弁を繰り返す政府の傲慢振りにストレスが増すばかりですが、その傲慢を許してしまっている一強の選挙結果が恨めし限りです。更にこのような傲慢な運営振りを見ながら依然として支持率が下がらないことに一層のやるせなさが募ります。民意の頼りなさと不思議さを思わされますが、この分では戦後70年の民主主義もどこへ行ってしまうのか分からない不安を感じてしまいます。白を黒と平気で言うようなトランプ大統領が、民主主義の元祖のようなアメリカで誕生するのですから、民主主義も常に危うさをはらんでいるのであり、一人ひとりの良心と理性が問われているということでしょう。

 幸いアメリカでは権力へのチェック機能が今のところ良く機能していることが救いですが、日本は心もとないですね。神ならぬお上の亡霊がまた日本で復活することがないように目を凝らさなければなりません。一人ひとりの良心と理性が問われていると言いましたが、人間の良心と理性こそ悪の砦として与えられている貴重なものですが、心の中心に何が据えられているかによって、そのレベルは劣化もしてしまいます。今週はペンテコステです。神の御霊が心の中心に宿って下さることによってのみ、私たちの良心は洗われ、真に神の声となり得るのです。内に住まう御霊様の声をいつも敏感に聞きつつ生活したいものです。
 5月28日に恒例の教会バザーが行われました。

2017-06-06バザー1

2017-06-06 バザー2

2017-06-06 バザー3
【聖書】

詩編46

【説教】「たとい地は替わり、揺れ動くとも」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます


↓エゴの木
2017-06-06エゴの木


 平場ではほぼ田植えが終了し、一面が水田風景となりました。近付く梅雨と共に日本全体が多湿になるような気がしてしまいますが、季節は確実に初夏ですね。先日のテレビで静岡の茶摘の様子が紹介さてていましたが、静岡ではこの時季、茶摘休みが一週間あったとのことでした。こちらでも田植え休みが一週間ほどあったことを思い出し、昔は今よりも自然との結びつきが強かったのだなと改めて思わされました。昨今の農業事情の変化を考えると、日本の水田風景も将来どうなるんだろうとも考えさせられますが、初夏へと移り行くこの季節に上手に適応しながら、神の造られた自然を楽しみたいと思います。

 国会では共謀罪法案が難なく衆院を通過してしまいました。機密保護法や安保法に続き、国民レベルでこれだけ多くの反対が表明されているにもかかわらず次々と強権的な法が通過してしまう自民一強政治が恨めしく、虚しさも覚えてしまいますが、あきらめて眠ってしまえば、国はまたブレーキ無しに誤った方向に向かってしまうかもしれませんから、目を覚まして祈らなければなりませんね。自然の規則正しい変化に比して、人間世界の変化はずっと早く、また予測不能なほどではないでしょうか。特に昨今の世界の変化には誰も何か意外感を覚えているのではないでしょうか。その意外感とは、良い方向というよりも何か悪い方向に向かっているように感じるからです。20世紀の合言葉は進歩と調和だったように思いますが、ここへ来てそれががたがたと崩れるような不気味さを覚えます。人間は教育の進歩とともに、ますます洗練されて理想的な人間世界になるのではないかという楽観的なヒューマニズム信仰が大きく挑戦されています。ポスト・トゥルース現象やフェイクニュースの横行はその象徴でもあるでしょう。偽りが真実になるなんて、有り得ないまさかの時代ですが、楽観できないとの警告です。不気味な闇の王が見え隠れしているようですが、正義と善と真実の神こそがこの世界のまことの王として支配しておられるということこそが私たちの希望です。
【聖書】

IIコリント 12・1~10

【説教】 「大いに喜んで弱さを」

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↓タニウツギ
2017-05-10タニウツギ

 日当たりのいいところではもうすっかりタニウツギが満開状態となりました。私にはこの植物が咲き出すと、それは夏の始まりを告げると同時に、最高の新緑の季節が終わってしまうようで、恨めしい存在に思えてしまうのですが、花の一つ一つをよく見ると美しいものですね。サクラと共にどこででも目にするありふれた植物ですが、一方のサクラは大いにめでられながら、こちらは私のような感想で遇されるとしてら何か申し訳ないようです。でも先日、この花が好きだと言う人たちの存在を知らされて、ほっとして救われたような気持ちにもなりました。確かに皆、称賛すべき神の作品ですね。

 さて国会では政府は今週にも共謀罪法案を可決しようとしています。ほとんどの国民にとってよく分からない法案であることは、肝心の法務大臣自身さえ、答弁できない姿を見れば明らかです。それなのにその成立を急ぐとは、一体その真の狙いは何なのかと怒りを覚えます。ただ一つ分かっていることは権力の介入が強化されるだろうということで、皆漠然とした不安を感じています。安保法の時もそうでしたが、いや問題ない、心配ないと、政府は安請け合い的な答弁しますが、その当事者自身も、権力の側から下りて一個人となった時に自らの首を締められるだろうという怖さを想像できていないのでしょう。国民全体が、いや大丈夫だろうと軽く受け止め、結果的に少しづつ権力の強化に寄与してしまうことが恐ろしいですね。国の力、そして権力というものは厄介なものです。権力はだんだん自己目的化して、都合の悪いものは排除しようする本質を持っています。だからこそ国といえども、いや国だからこそ、力は出来るだけ制限されるべきだと思えます。力がなければ手っ取り早く事が進められませんが、時間がかかってもその方が安心ではないでしょうか。これは国に限らず私たち一人ひとりをも吟味させます。

 聖書は、力は自分のためではなく、弱者に仕えるために与えられていることを心得よと教えます。利己的な罪人である人間一人ひとりにとって、まことに力は御しがたい魔物です。国も個人もその怖さを肝に銘じ続けたいものです。
 下記の日程で、恒例の「きょうかいバザー」を開きます。

 手作りのケーキ、パン、チヂミ、餅、焼きそば、ホットドックなども販売します。

 どなたでも来場できます。お気軽においでください。

バザー
 朴先生と韓国からのアルタイ宣教会の皆さんを迎えての礼拝となりました。

2017-05-14アルタイ1

2017-05-14アルタイ2

【聖書】

マタイ28・16~19

【説教】「“大宣教命令” 朴チャンス師」

↓朴先生とアルタイ宣教会のみなさんを迎えて *三角印をクリックすると声が流れます

↓ウワミズザクラ(妙高市松山周辺)
2017-05-10ウワミズザクラ

 南葉山からだんだん残雪が後退し、頂上まで緑が駆け上るようになりました。緑一色にもならんとする力強くすばらしい若葉の季節です。草や葉の色が基本的に緑色であるのはどのような神の知恵なのでしょうか。あまりにも慣れ親しんでいる木々や草の色ですが、神の完全な知恵が込められているのでしょう。普段厄介に思ってしまうありふれた草も、これまたこの地球においてどれだけなくてはならない存在なのかと思わされます。そうであれば草一つ一つにも隠れた意味があるようで何か暖かい気持ちにさせられるのではにでしょうか。

 注目されたフランスと韓国の大統領選が終わりました。両国とも課題山積で、選挙の熱狂はすぐ厳しい現実の試練へと移行していくことになるでしょう。これはもちろん今世界中のどの国も例外ではありません。その意味で指導者たちには大きな責任が託されることになりますから、彼らに神の助けがあるように祈らなければなりません。その指導者たちに求められていることは、高度な知恵であることはまちがいありませんが、それ以上に必要なことは国民を代表してその任に当たっているという謙遜さともいうべき知恵ではないでしょうか。ソロモンが即位した時、神に祈った第一の求めとは、民のために正しく治めることができるようにというこの謙遜な知恵でした。神はこの祈りを喜ばれ、ソロモンを大いに祝福し、助けられました。しかしいつの間にか権力は自己益、自己保存、自己主張へと変質してしまう危険をはらんでいます。良き出発が大きな幻滅の道を辿ってしまうのです。

 韓国の歴代大統領の多くもこの権力の誘惑に足をすくわれたといわれます。今気になっているのは日本の自民党政治と、その中心にいる安倍首相の姿です。支持率と安定多数を背景に憲法改正の持論を厚顔に主張し始めました。国会において丁寧に答えず、新聞を読めば分かると答える傲慢ぶりは、自己主張の政治をしているとしか思えません。日本は安倍国ではないと断固声を上げ、横暴な権力にいつの間にか引っ張られることのないように祈りたいものです。
【聖書】

詩編19

【説教】「その呼び声は全地に響き渡り」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

↓キクザキイチゲ(妙高市松山周辺)
2017-05-03キクザキイチゲ2

 5月を迎えます。高緯度地方では6月かもしれませんが、平均的な日本にあってはどれだけ賛美しても足らないようなベストシーズンではないでしょうか。柔らかい新緑、爽やかな風、次々と咲き出す花々、どれもみな心地よいものです。自然は時に厳しく怒るよな顔も見せますが、5月はどれもみな神の暖かい恵みを示すかのようです。このすばらしい季節、心ゆくばかりこの自然を抱きしめるべく、あるいは自然の懐に抱かれるべく味わい過ごしたいものです。

 聖書には、自然を題材にした教説が沢山です。そういう意味では自然界は人間にとっては偉大な教師としての役割を持って私たちを取り巻いていることになります。その様々な教えを集約している結論とは、詩篇19・1にある「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」という有名な宣言です。先に自然は偉大な教師といいましたが、もちろん自然自体が教師であるというのではなく、これを造られた背後にいらっしゃる創造者なる神こそ、この自然界を通して豊かに語っておられるのです。古来人間は、自然を畏敬し、この自然を母なる自然として宗教的な礼拝の対象としてきました。また自然と人間との一体に理想を求める汎神論と呼ばれる哲学思想も多くの人々から支持されてきました。それだけ皆、自然の美と神秘、そしてその力におのずと驚異と賛美をささげずにはおられなかったのです。

 しかし惜しむべきことは、このすばらしい自然の背後に、驚くべき知性とそして恵みと善に満ちた圧倒的な人格者を見ようとしないことです。聖書の論理は創造者なる神の存在はあまりにも明白ではないかというものですが、ここで人間はその明白さから目をそらそうとしてしまうのです。神なんかとても分かるもんじゃないという理屈を採用して、その結果、木や石や動物、そして自然自体を神として内なる宗教性を満たそうとします。しかしどんなに自然がすばらしいといっても、それはペットが与える慰め程度とも言えないでしょうか。人間の高度な宗教性が、人格なる神と出会うことが出来ますように。
【聖書】

IIコリント 4・7~5・9

【説教】「ですから、私たちは勇気を失いません」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます


*4月23日の説教は録音ミスのため、音声はありません
↓国道18号、道の駅あらい付近の八重桜
2017-04-30八重桜

 ピクニックを予定していた先週の日曜日、気になる天気はほぼ快晴ながらかなりの低温との予報でした。晴れても寒いのはピクニックにはいかにも興醒めですので、何とか1度でも2度でも温度が上がりますように、できれば南風が吹きますようにとひたすらそのことを祈っていましたが、当日の明け方、南風どころかけっこうな大雨の音に耳を疑いながら起こされました。南風どころか逆の答えに気分は恨めしく沈みました。でも朝から雨なら返って迷わされずに屋内と決められるではないかと、気持ちを切り替えて慰めました。ところが天気は意外と回復し、前向きな何人かの兄姉にも考えは修正され、礼拝の終わる頃には野外ピクニックを決断していました。結果的には気温も思ったほど寒くなく、無事ピクニックを終えることができました。神様これがあなたの導きですか、と釈然としない思いながら、神様のあわれみを覚えながら感謝の帰途となりました。天気相手は一筋縄には行かないものですが、神様相手もお前の思い通りではないよ、と改めて考えさせられた一日でもありました。

 今朝の新聞に、沖縄の埋め立て工事再開が大きく報じられていました。有無を言わさずの政府の姿勢が露骨に回り始めました。沖縄の人々に寄り添いなどとは単なる時間稼ぎだったのかと怒りを覚えますが、沖縄の人たちは何度裏切られてきたことでしょうか。天気には温かみがありますが、政府にはただ粛々といった冷たさしか感じられないでしょう。期せずして今村大臣の「東北でよかった」発言が、今度ばかりは政府としてもかばいようがなく辞任に追い込まれたことが報じられていましたが、首相や官房長官のただ一辺倒に繰り返す辺野古移設最善発言は「沖縄でよかった」と言っているに等しく、辞任の抗議も起きないのが寂しいですね。沖縄と対話しないで米国とばかり対話している政府はまた日本全体の醜い姿でもあります。日本全体が「沖縄でよかった」と無責任に追随してきた歴史、仕方ないと言ってきたあまりにも大きな山が、少しでも逆方向に動き出すように祈りたいものです。
↓教会のライラック
2017-04-21ライラック

 春の嵐が続いて、もう少し楽しみたいサクラが早く散ってしまったところも多かったことでしょう。でもサクラと大風が重なるのはこれまた春の自然なので良しとしなければなりませんね。貴重なサクラのシーズンが終わろうとしていますが、今度は新緑と共に様々な花々が一気に咲き出し、サクラの喪失感を十分補ってくれるのではないでしょうか。この春の美しさを見れば、神様のご性質が義であり、善であるとともに、美なるお方であることも疑うことは出来ません。

 この美しく調和の取れた自然界に比して、人間社会が美しく保たれるためにはなんという労力が必要なものなのかと、最近は考えさせられることが多いのではないでしょうか。二度の大戦の教訓を深刻に刻んで再出発した世界は、平和という価値観が切実なものとして共有され、それによって曲がりなりにも安定を築いてきたように思えますが、ここに来て安定の主役であったヨーロッパやアメリカに、全く予想もしなかったナショナリズムが台頭し、それが象徴するように、今世界の状況を表現するために、分断ということばが盛んに使われるようになっています。

 先日はシリヤの化学兵器使用に対する最大限の抗議であったとは言え、アメリカがまさかの大々的なミサイル攻撃を敢行しました。目にあまるアサド政権に対する牽制として、どこか溜飲を下げるような思いが生じたことも禁じ得ませんが、でも一方で冷静に考えれば、今まで慎重に封印されていた武力行使があっという間に解き放たれてしまった瞬間であったとも言えるのではないでしょうか。今ミサイルのような近代兵器が一たび発射されれば、一瞬にして大破壊がもたらされます。70年前の大戦の比ではありません。その武力映像を見ながら、武力戦争の戦慄を改めて覚えさせられました。今政府は新安保法制をまとめて時代に適応した安全保障体制を整備したとの高揚感の中にあるようですが、戦争の教訓を忘れた軽さを覚えずにいられません。国民全体が武力という一時の高揚感の誘惑を断じて拒否する冷静さを試されていることを覚えさせられます。
【聖書】

ルカ 24・1~12、36~53

【説教】「たわごとが歓喜のメッセージに」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

2017-04-16イースターS

 今年の春は少し天候が不順ですが、今私たちの地はちょうどサクラが満開です。日本ではあまりにも慣れ親しんだ風景でもありますが、でもこれは一年に一回きりの光景ですから、数えてみれば、長寿の人でさえ100回にも満たないのですから、貴重な風景でもありますね。約10日ほどの花期を過ぎれば、今度は来年までのほぼ一年間、万人に愛でられるこの時期とは対照的にほとんど目立たない木としてひっそりとたたずみます。風雨にさらされながらその場を動かずじっと耐える植物たちの忍耐は、これまた花期以上の称賛ものではないでしょうか。

 今年はちょうど桜の満開時にイースターを記念します。サクラに代表される春の自然界は、まさにいのちが爆発しているようです。聖書に、「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。・・・話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。しかし、その呼び声は全地に響き渡り」(詩篇19)とありますが、まさにこの春は神のメッセージが響き渡っているようではないでしょうか。そのメッセージとは、神は尽きないいのちに輝く世界を造られたということです。

 創世記には、神が創造のわざを終えてすべてのものを見られた時、「見よ。それは非常に良かった」と記されています。すべてが美しく完璧だったのです。その意味することは、そこには、死は一つもなかったということです。しかしこのいのちの世界に死が入ってきました。それは人間の罪の故ではありましたが、それは途中からの侵入物であり一時的なものに過ぎません。しかしこの死が今や我が物顔にこの世界を支配しているかのようです。死こそ元々からあったこの世界の動かすことの出来ない最強の支配者だというメッセージこそ、この世が作り出した最大のフェイクニュースです。全人類の罪の身代わりとなって十字架に死なれたイエス・キリストは、罪と死を滅ぼしてよみがえり、今やこの世界をもう一度、創世記以上のいのちの世界に取り戻して下さったのです。復活の主を見上げることによって、この世界を覆っている偽りのニュースに立ち向かいたいものです。
【聖書】

ルカ 10・25~37

【説教】 「良きサマリヤ人の世界」

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2017-04-08文化ホール周辺

 なかなか寒い日が続き、今か今かのサクラも今年は大分足踏みをしているようです。しかし開花を待つゆっくりな時間もまた味わい深いものです。サクラが満開になるころには、今度は時が早回りするように一気に春が進みますから、その頃は逆に時間の早さが恨めしくも思えますね。いずれにしてもいのちが輝く春はすばらしいの一言です。春を造られた神様は、私たち人類に一体どのようなメッセージを告げておられるのでしょうか。

 教会では復活を記念するイースターの前に、主キリストの十字架の死を記念する受難週を過ごします。輝かしいいのちの前に、キリストの受難があったことを改めて考えさせられるこの季節です。聖書の有名な句に「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネ12・24)とありますが、自然界のこのすばらしい春の背後にも、実は隠された神様の大きな犠牲とでもいうべき労苦が隠されていると見ることもできるのではないでしょうか。ちょうど豊かな作物の背後に、農夫の多くの労苦が隠されているように。この地球の美しい自然というドアをくぐって中をのぞいて見たら、何と神様が泥まみれになって、様々な汚染物や問題と格闘し、労苦しておられたというような絵をイメージしてみることもできるかもしれません。主キリストの十字架のお姿は、まさにこの泥まみれの農夫の姿と重ねることもできるでしょう。

 しかし十字架の苦しみの真の意味は、この自然界を支えておられるというよりも、私たち一人ひとりの人生と関わります。それは人間の苦しみ、病、そして失敗や罪を一身に背負って私たちの身代わりとなって苦しんでくださっているお姿です。泥まみれの神様、いや私たちの罪の罰を代わりにに引き受け十字架上で血まみれになっている神様を一体誰が想像できたでしょうか。人間は、人の不名誉や失敗、そして汚れからは遠ざかります。しかし神は人間の汚れと失敗の真ん中に降りて来られ、それを引き受け負って下さるのです。私を生かすために何という犠牲がささげられたことでしょうか。

2017-04-08岩崎雅子記念礼拝S

 本日は、天に召された岩崎雅子姉の記念礼拝です。

 主よりの慰めと、ご遺族をはじめ、主のからだ全体に豊かにありますように。

【聖書】

ローマ 14・7~9

【説教】「人生の意味と癒し」

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