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【聖書】

伝道 11・7~12・14

【説教】
「私の時は御手の中にあります」

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↓オオハンゴウソウとススキ(池の平)
2018-09-15オオハンゴウソウとススキ

 大型台風の上陸に続いて、北海道は震度7の地震に見舞われました。大規模な山崩れにも驚きましたが、全道が停電によって光が全く失われた状態に陥ってしまったことに衝撃を受けました。東日本大震災の光景の再来のような印象を受けたのではないでしょうか。すべてが電気によって動いている今の世界にとって、電気の重要性をまた今さらながら知らされもしました。そしてこのところ相次いでいた自然災害ですが、今回は改めて災害と同居している危機感を、他人事ではないものとして感じさせられました。それはまた文明の力にあぐらをかかないようにとの教訓のようでもあります。聖書には「世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです」(Ⅰコリント7・31)という不思議なことばがありますが、私たちには常に用い過ぎる誘惑がありますね。

 今月は敬老の日を記念します。人生の秋を考えさせられる時でもあります。昔とは比べものにならない寿命の長寿化を迎え、誰も長い人生の秋と向き合わなければなりません。それはだんだん弱くなり、いろんなものを少しずつ失っていかざるを得ない時を過ごすということですから、ある意味で試練の季節でもあります。ですので年を取って行くことは誰にとっても簡単なことではなく危機の時です。これはまた小学校ならぬシニア学校に新しく入学して未知の課題を学んでいく期間とも言えるかもしれません。その課題とは先に言ったように、弱くなり、失うことを学ぶことが中心です。若い時は強くなり蓄え集めることが学びの課題だとしたら、今度はその逆を学ぶことになります。そんな学びに一体得ることなどあろうかと疑ってしまいますが、神が与えたこの学科には宝が隠されているといわなければなりません。強くなり力に満ちていた時には見えなかったものが、弱くなり、失ってこそ見えるものがあるのではないでしょうか。そしてそれこそ過ぎ去ってしまうこの世の富ではなく、いつまでも残る真に価値あるものなのです。失い、弱くなる先に宝があることに励まされて、それぞれの老年期を大事にしたいものです。
【聖書】

伝道 3・1~14

【説教】
「神の時に、時間を合わせて」

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予備




鳥

 超大型台風が四国・関西地方を直撃し日本海を北上しました。強風や高潮は50年に一度を更に超えるレベルを記録したとのことで関西地方に大きな傷跡を残しました。特に文明の粋の象徴であるような空港が麻痺し孤立状態になってしまった姿は、大自然の前に返って文明の弱さがさらけ出されたような対照を覚えました。どんなに備えたとしても想定外は超えられないという教訓でしょうか。ひるがえって、この大嵐の中、小さな鳥や昆虫たちはどうだったことでしょう。多分あまり大慌てすることもなく平然と? やり過ごしたのではないでしょうか。ある面、小さな小鳥たちの方が高度化した文明よりも強いのかもしれないと考えさせられることは、何か救われるような気持ちにもなるのではないでしょうか。

 聖書には「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養ってくださるのです」とあり、だから「心配するのはやめなさい」と続きます。ここには人間の文明世界を超えたもう一つの世界への招きがあります。もう一つの世界といっても二つの世界があるわけではありません。神が恵みによって支配しておられるただ一つの世界があるだけなのです。しかし私たちは文明世界にしっかりと軸足を置いていて、この真の世界をなかなか見ようとしません。文明世界は人間こそが物事を動かしているのだと錯覚させます。文明の進歩はこの錯覚をますます助長させてしまうのではないでしょうか。しかし幸か不幸か、この文明世界は想定外によって度々揺り動かされます。それは人間のおごりを戒めるもう一つの世界からのサインなのでしょう。そしてこのもう一つの神の世界には想定外はありません。なぜなら神はすべてのものを完全にご支配しておられるからです。私たちの人生も大小の想定外に揺り動かされます。その時はあわて打ちのめされますが、それは神の恵みの世界からの幸いな招きです。むずかしい時ほど、想定外のない神様の世界に鳥のように舞い上がり、その空気を一杯に吸い込んで力と平安を与えられたいものです。
【聖書】

詩編 90

【説教】
「今は恵みの時、今は救いの日」

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実り

 9月を迎えます。連日の猛暑で悩まされた今夏でしたが、夏が去るのはやはり寂しいですね。しかし自然界は着実に秋へと移行しています。異常な水不足で稲はどうなるのかと心配されましたが、気がつけば、もう立派に堂々と色づいて刈り入れを待つばかりになっている田んぼがあちこちに見受けられます。「地は主の恵みに満ちている」と詩篇にありますが、多少の異常や変動をもどっしりと受け止めながら進行する自然界はまさしく主の恵みを力強く証しているのではないでしょうか。

 この夏、孫たちと虫捕りと魚捕りをしました。こんな小さな遊びに嬉々とする小さな子どもの姿に、感性が若返るような楽しさを感じました。同時にほんの数日の命のようなはかない虫たちを捕獲するってどうなんだろうと気も引けました。確かに夏虫たちははかなさの代表のようですね。それだけでなく名前も知らない小さな昆虫たちがこの世界にどれだけ存在していることでしょうか。それは裏を返せば、こんな小さなはかないものを神様はどうしてこんなにも沢山創造したのだろうかという驚きでもあります。簡単に足で踏み潰されてしまうような虫たちを、数えられないほど際限もなく創造された神のエネルギーと情熱にはどんな意味があるのだろうかという不思議です。私たちは早計に何の意味もない割り切ってしまいがちですが、深遠な創造者なる神のことを思えば、きっと深いみこころがあるに違いないとまでは何となく感ずるのではないでしょうか。聖書には次のような主イエスの有名なことばがあります。「きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか」と。ここにはその深遠さの一端が示されているように思えます。どんなに小さなものも神の目には決してはかないものではないという保証でしょうか。小さな小さな虫たちはみな人間にこのメッセージを伝えるために存在しているのかもしれません。そう思えば移ろう物事に、はかなさよりも神の愛の励ましをこそ見たいものです。
【聖書】

ダニエル 4・1-18.24~37

【説教】

「国と個人のアイデンティティ」





すすき

 雨と共に猛暑が一段落し、朝晩は急に涼しくもなりました。確実に秋が近付いているのがわかります。さすがの猛暑でしたから、今年はことのほか秋を楽しみに待っている人も多いのではないでしょうか。とは言え夏好きな私には、少しずつ日が短くなっているのが寂しくもあります。半袖生活も後わずかかもしれません。貴重な夏の日がまだまだゆっくりと進んでいって欲しいと願ってしまいます。

 8月は戦争と平和を考え記念する月として思いを寄せていますが、戦後73年もを迎え、先回もこの欄で書いたように、戦中世代から戦後世代へと世代交代が進む中、貴重な教訓が少しずつ風化していくであろうことが危ぶまれています。その最たる例が自民党の改憲の動きでしょう。改憲勢力はこれまでもずっと機会をうかがっていたのですが、国民に浸透した平和憲法の厚い壁に阻まれて、先へ進むことが出来ずに来たのです。しかし今安倍政権がかつてないほど、改憲を前面に出しながらも、つぶれることなく、不思議なほどの支持率を保っていることに、戦後の平和主義に揺るぎが出始めているのではと思わずにはいられません。併せて、平成の現天皇の退位が目前です。昭和天皇は戦争の当事者であり、また戦後の新憲法による再出発の当事者であると言えども、やはり戦前の旧憲法の体現者としての自己を十分には克服し得なかったのではないでしょうか。しかし平成の明仁天皇は新憲法の申し子ともいうべき存在です。平和憲法に規定された象徴天皇制とはどのようなものなのか、天皇であるとはどのようであるべきなのかと、自らのアイデンティティと格闘した平成だったことでしょう。天皇のお言葉には、「憲法を守って」という語が度々見られます。そこには自らのアイデンティティは憲法と共にあるという思いが滲んでいるように思われます。皇室の良心とも言える天皇が去るということは、現平和憲法もまた一つの時代を終わることになるのかと不安を覚えます。この機に乗じて、重しが取れたように改憲の動きがエスカレートしないように目を見張って祈らなければなりません。
 
 濁川さんのお母さん、水口さんが今日91歳を迎えました。おめでとうございます。

2018-08-23 水口さん

【聖書】

マタイ 5.38~48

【説教】

「無条件の平和の前に襟を正して」

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暑い

 曇り空と雨の日が出現するようになり、深刻な水不足も少しづつ改善されているようです。先日農道を歩いていたら、田んぼ脇の用水路に水の音が快く響いていました。同時に干上がっていた田んぼもまたその水をうれしげにゴクゴクと飲み込んでいるようでした。普段はどんな小さな江川にも当たり前のように流れている水ですが、水の貴重さを改めて感じることのできた夏となりました。

 日本列島は異常な猛暑の中73回目の終戦記念を迎えました。原爆投下後の広島や長崎で、火傷を負った多くの人たちが息絶え絶えに「水をください」と言いながら息絶えて行った悲惨な状況が語り継がれています。何という多くの人々が、国の愚かな罪の犠牲となったことでしょうか。二度と繰り返してはならない惨事を改めて心に刻みたいと思います。しかし今日本は、戦後の平和主義が深刻な危機を迎えています。特に第二次安倍政権が誕生してからのこの6年の間、秘密保護法や集団的自衛権の容認に代表されるように、次々と平和主義が骨抜きにされる状況が進められてきているからです。秋には首相3戦がほぼ確実ですから、安倍政権がこれからさらに3年間延長されるなら、この状況は一体どのように加速されることになるのでしょうか。すでに防衛費の歯止めはゆるくなり、いいようにアメリカからの軍需品調達の圧力にさらされています。日米同盟の強化を錦の御旗のように掲げているこの政権にとって、それを跳ね返す力などないでしょう。またモリカケ国会で国民は一強のおごりによる露骨な嘘と不誠実な政治を見せつけられきたにもかかわらず、支持率が45パーセント程を保っているというのですから、今日本は戦後最悪の内閣状況を作り出しているともいえます。軌を一にするように親とも仰ぐアメリカも今、何をするか分からない最悪のトランプ政権です。こんな危ないアメリカとの同盟は一体どこに引っ張っていくことになるのでしょうか。戦後73年は今新しい危機の曲がり角にあります。目を覚まして、主の祝福を頂ける日本のために祈らなければなりません。
礼拝は古庄神学生の説教です。

【聖書】

ヨハネ 3.16~17

【説教】

「愛し続けている神」

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ヒルガオ

 先日、待ちに待った雨が降りました。一体何日ぶりの雨だったでしょうか。雨音に誰もが癒されたのではないでしょうか。もう少し激しく、長く降ってくれればと願いましたが、こちらではほんの半日弱の、しかも夕立とまでも行かないような穏やかな雨でした。それでも翌日からは、連日続いていた節水呼びかけ広報が止みましたので、妙高市は一息つくことが出来たのでしょう。自然の優しさというべきか、小さな恵みの大きさを覚えさせられました。

 一方日本は、被爆73年目の原爆の日を記念する週となりました。こちらの方はなかなか恵みの雨は降らず、厳しい日照りが続いていると言わざるを得ない状況ではないでしょうか。というのも、昨年は国連において、核兵器禁止条約が採択され、悲願の核兵器廃絶に向けて、ようやく大きな一歩が踏み出されようとした記念の年ともなりましたが、世界の指導的立場にある大国はこぞってこれに賛成せず、ようやくの機運に冷たい水をかけ続けているからです。そして唯一の被爆国である日本、核兵器廃絶を主導すべき立場にある我が日本も、アメリカの顔色をうかがって批准どころか賛成もしないというのですから、全く核兵器の闇は深いと言わざるを得ません。アメリカの核の傘に守られているという現実が、国際社会において何の意義ある発言も出来ず、手も足も出ない状況を作り出しているのです。ことは核廃絶問題一つに限りません。ことごとくアメリカに首根っこを押さえられているような行動しか出来ない悲しさがいたるところに露呈しています。沖縄の基地問題はその最たるもので、県民感情を踏みつけてアメリカの意向だけを見ています。戦後70年を経ながら未だ真の独立を成し遂げれていない悲しさではないでしょうか。政権は必死にこれを隠そうとして、ひたすらアメリカとの友好関係だと美化していますが、安保体制国家という戦後の国体の矛盾がもう隠しきれなくなっています。でもこの現実は政府一人ではなく国民全体が目を覚まして共有すべき矛盾です。この関係を改善できなければいつまでも戦後は終わりません。あきらめず真の平和な戦後のために祈りましょう。
2018-08-06 花

【聖書】

ルカ 12.49~59

【説教】

「戦争と小さな市民たちの罪」

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はす

 こんなにも雨が降らない日が連日続いて木々の葉にも枯葉が見えるようになりました。特にアジサイには全くの受難で、痛々しく悲鳴を上げています。普段はあまり歓迎されない雨ですが、今は皆が待ち焦がれています。連日の暑さですから、たとえどしゃ降りのような雨でも、その中をずぶぬれになりながら歩いてみたい気分です。聖書には日照りの中で祈ったエレミヤの言葉が次のように記されています。「天が夕立を降らせるでしょうか。私たちの神、主よ。それは、あなたではありませんか。」(エレミヤ14・22) 雨を降らせるのは雲だと思ってしまいますが、雨もまた雲頼みではないと襟を正され、エレミヤの祈りに重ねて、神を待ち望みたいものです。

 8月を迎えました。やはり今月は戦争の歴史を繰り返し取り出して教訓としたいものです。戦後70年以上を数えます。それと共に戦争の歴史が少しずつ薄れていくのは避けられません。しかしあまりにも大きな教訓でした。日本の歴史に於ける最大の教訓とも言えるのではないでしょうか。ですから決して決してこの教訓は風化させてはならないものです。戦争の愚かさは言うまでもありませんが、最大の教訓とは、悲劇をもたらしてしまった国家というものの危険性を示したことだと思えます。何と日本は国を挙げて狂人のような姿になってしまったことでしょうか。幹部の大量死刑執行で最近再びクローズアップされたオウムの如くのあきれた悪魔的な宗教国家ともなってしまったのです。情報統制、洗脳、そして強大な権力によって、国は国民を支配し、恐怖国家となっていきました。前近代の封建時代の話ではありません。つい70年前の、人間の進歩と発展の輝かしい時代であった20世紀に起こったのです。どんなに進歩の時代になったといえども、いかに人間は誤りやすいものでしょうか。そして権力を持つ国は御しがたいものでしょうか。今日本は一強の安倍政権が長期化し、権力の横暴が目に余るようになっています。毎年8月は、国民全体が愚かな国の罪と向き合い、国家権力の暴走を牽制する、反省と再生の月として記念されていきますようにと願うものです。
【聖書】IIサムエル 22.44~23・5

【説教】「ダビデの障害とローマ8・28」

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2018-07-29 百日紅S

 全く快晴の夏らしい日が続いています。普段なら喜べる夏ともいえますが、今年は日本列島全体が高温の危険にさらされていて、連日注意が呼びかけられています。雨の多い新潟でこんなにも雨が降らないのは何か気候帯が変わってしまったかのようです。聖書の舞台のイスラエルは雨季と乾季の地中海性気候で、乾季の時にはずっと晴天が続くということですが、高温多湿の日本にあって、そんな気候に憧れもしますが、しかし乾季の時は今の夏の如くと思えば、そう手放しというわけではなさそうです。今は暑気を一掃する激しいスコールのような雨に憧れますね。

 国会が閉幕し、自民党はまた何もなかったかのように総裁選に専念しそうです。ほぼ一年に渡ってモリカケ問題で自民一強の安倍政治の体質があぶり出され、大揺れに揺れた観がありましたが、今の状況は元の木阿弥のように波が収まってしまうかのようです。与党は、喉もと過ぎればのひたすらの時間稼ぎが功を奏したと胸をなでおろしているでしょうが、多くの人々は?この状況に何とも言えない虚しさを覚えさせられているのではないでしょうか。振り返れば森友文書がスクープされ、モリカケ問題が再びクローズアップされた時には、これで安倍首相の三選はないとほぼ確信しましたが、しかし事態はなかなか動きませんでした。政権のあからさまな不誠実な対応が日本中に知らされたにもかかわらず、内閣の辞職どころか、財務省の辞任にさえ追い込むことが出来なかったのは、圧倒的多数の1強政治の自信と打算に守られてのことでしょう。返す返すもこのような状況を作り出してしまった選挙結果の不可解さを恨めしく思います。しかし変わらないんだというあきらめに浸っているわけにはいきません。安倍三選がほぼ確実な今、これからの数年間の動向にいっそう注視しなければなりません。悲願とも言える憲法改悪に向かって政治生命をかけるということなのでしょう。全く迷惑な時代錯誤的な持論に国民全体が巻き込まれようとしています。しかし不安定な国民感情は楽観できません。いっそうの祈りをもって立ち向かいたいものです
【聖書】ローマ 8.18~30

【説教】「すべてを益として下さる神」

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↓高田公園西堀のハス
西堀1

 天気予報の暦は30度以上の日が判で押したように並んでいます。夏らしい夏そのものですが、熱中症の危険も連日のように繰り返されています。先日も小学生が1時間ほどの校外活動後に意識不明となり、そのまま亡くなってしまったとの痛ましい報道がありました。目に見えない暑さの危険と誰もが背中合わせのような怖さを改めて知らされました。暑くても、屋外で遊ぶのがいいと推奨され、そのように呑気に遊んでいた昔の暑さは近年とは違っていたのでしょうか。

 教団の60周年記念集会が持たれ、子どもを含めて150名ほどの盛会となりました。そこで改めて草創期からのこれまでの歩みを振り返る時となりました。戦後間もない5年後位に、私たちの母体となった、主にカナダからの宣教師たちがこの地にやって来ました。皆20代の若者たちでした。言葉を学び、まるで異文化と習慣のこの地に物質的文化ではなく、精神的な宗教を伝える困難を改めて思わされました。多分を年を取れば二の足を踏んでしまう難事業に、何の経験もない若者がただ信仰だけの情熱でやって来たのです。若者ゆえの向こう見ずさゆえに出来たことともいえないでしょうか。しかし主は彼らの一歩を祝福し、少しずつ実を結び60年の足跡を刻むこととなりました。彼らを助けた要因の一つが戦後の混乱期であったことは確かでしょう。人々は敗戦の痛手から、日本的なものよりも欧米的なものへの憧れを抱いていた時期でした。ですからこの時期、宣教師たちはおおむね日本中の何処においてもむしろ積極的にさえ受け入れられました。それゆえ田舎であってもその活動は助けられました。戦後は一時期空前のキリスト教ブームとさえなったのです。日本の地がみことばを受け入れるように備えられた神様の摂理の時でした。それから60年。歴史は少しづつ揺り返しを見せています。戦後政治の清算を掲げる今の安倍政権に象徴されるように、日本的なものへ回帰しようとしています。日本はまたもとの固い土壌に戻るのでしょうか。しかし草創期とは違った試練をもまた神の摂理と受け止めたいものです。
【聖書】

 ヤコブ 1.19~27

【説教】「新の宗教のしるし」

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↓タチアオイ
2018-07-08 タチアオイ

 毎年、梅雨明け前のこの時期、日本列島には多くの雨が降り、それが残念ながら災害をもたらすことがしばしばです。夏を呼び込む雨がまた災害をも呼び込んでしまうという二重性は、近年は以前よりも深まっているように思います。ことに今年は目を疑うような災害が西日本各地に広がりました。水の恐ろしさを改めて思い知ると共に、また山というものは意外にもろく崩れるものだなとも知らされました。自然界は実に微妙なバランスに上に成り立っているのだとの恐れをも覚えました。その中で甚大な被災をしながら、それでも命拾いしたことに感謝している謙遜な人々の姿に救われるような思いがしました。それらの人々を上よりの希望と力が優しく包み、復興のために立ち上がらせてくださるように祈りましょう。

 先週はまた忘れかけていたオウム事件が、教祖と幹部たちの死刑執行によって大きく取り上げられました。平和な日本を震撼させた未曾有のテロ事件が形上は終局を迎えようとしています。一般社会はありえない一過性の異常事件としてだんだん忘れて行くかもしれませんが、私たち宗教者にとっては後味の悪さをいつまでも残すことになりました。これはとんでもないカルト的宗教とは言え、宗教集団が引き起こした事件だからです。日本社会にはこれを機に改めて宗教の危険性が深く印象付けられることになり、無神論、無宗教の宗教風土が助長される結果になったのではないでしょうか。この事件が話題になる限り宗教者は肩身の狭い思いを抱かされ続けるでしょう。残念な事件ですが、私たちはそれを引き受けなければなりません。宗教とは本質的に社会制度や通念と一線を画し、それとの緊張関係の中に信仰的生命があるともいえるからです。それが反社会的な自己満足集団となって孤立したり、暴走してしまう可能性は否定できません。主は、真の宗教のあるべき姿を「地の塩、世の光」たることとして示されました。それは社会に対して内側から良い影響を与える姿です。社会との緊張関係が、このようなかたちで役割を果たしていけるように、私たちには絶えず謙遜な自己吟味が問われています。