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【聖書】
ヨハネ 1・1~18

【説教】
「インマヌエルの光と愛」

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2018-12-09 ツリー

 先日は気温が20度を超えて、12月としては記録的な温かさになったとのことです。温かさは大歓迎ですが、雪国にとっては悩ましい問題でもあります。冬囲いが終わり、タイヤ交換も済んだでしょうから、もう雪を待つばかりですね。木々もほとんどが落葉して殺風景な無色になりつつありますから、きれいな白い世界に変わるのも悪くはないのではないでしょうか。

 クリスマスシーズンを迎えます。2000年前、この地球は、宇宙万物を創造された、この地球の真の王の王なる方の来訪を受けました。神が人間となられて見える姿で、イエス・キリストとしてご自身を現されたのです。この驚くべき歴史は、この地球と人類の鍵を握っています。しかし当時の世界にあって、この決定的な出来事を神の来訪として受け止めた人々はわずかでした。それ以来2000年を経ていますが、その状況はあまり変わっていません。イエス・キリストの名前とクリスマスは確かに広く知られているとは言えますが、歴史的な事件ではなく、宗教的神話的物語として受け止められています。神話と歴史は大違いです。神話ならばある意味で受け入れやすいでしょう。それは別に決断を迫られるわけでもなく、自分なりに恣意的に解釈してお話として受け入れればいいからです。しかし本当の事実・歴史となると人生を左右する決断を迫られます。

 聖書によれば、この世界がよって立つ決定的な歴史は二つです。イエス・キリストの来訪と天地創造です。しかし残念ながら、人類はこの二つを、最大の神話としてソフト化しています。共にこれらは不都合な真実となっているようです。人類にとっては神なんかいては困るということでしょうか。その結果、代りに多くの神話が作り出され、中には作った神話を歴史的事実とするような逆転現象も生まれることになります。秋篠宮のごくまっとうな大嘗祭発言が問題になるのも、天皇家の神話を事実として保存しようとする勢力がいるからでもあるでしょう。真の歴史は光をもたらしますが、作られた神話は闇をいっそう深めてしまいます。真の歴史としてのクリスマスが、この世界にまことの光をもたらしてくれますように。
↓チャペルクリスマス会
チャペルクリスマス


↓クリスマス子ども会
クリスマス

【聖書】
ヨハネ 1・1~18

【説教】
「光の国の王の来訪」

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シクラメン
落ち葉2

 先日は南葉山の中腹まで雪が降りてきましたが、今は気温がゆるんで頂上付近に後退しています。これを繰り返しながら、やがてもう後退しない冬に覆われることでしょう。また先日は二日続きで、柿崎線沿線とバイパス沿線の田んぼで、のどかそうな白鳥の大群を目にしました。暖冬と言われる今冬は彼らにとっても恵みの冬になるのでしょうか。いずれにしても冬の使者の到来で、私たちも前を向いて冬モードですね。

 ゴーン事件解明の進展状況が連日報道されています。少なくとも今年いっぱいはマスコミの主要なテーマになるのではないでしょうか。沖縄の基地問題、北方領土問題等の重要課題がひしめいている中ですが、世間の関心は分かりやすいこの金銭汚職に集中するのではないでしょうか。今朝の新聞には、ゴーン氏もケリー氏も容疑を否認しているとありました。当然の戦略と言えば当然かもしれませんが、このような事件でいつも繰り返される構図です。フランスもまた自国の利益の掛かった重大事である故にどう出るでしょうか。私たちが当然と思うような裁きの決着に至るかはまったく分からないともいえますね。

 でも先回も書いたように、庶民の感覚からは気の遠くなるような高額な報酬をずっと何年も得ていること自体が、私には現代社会の大きな矛盾に思えます。その陰でコストカッターとして、リストラで多くの人々や下請け企業を切り捨ててきたと非難されるのも当然な感覚ではないでしょうか。彼の報酬に、多くの人々の犠牲を踏み台にした「血の報酬」という聖書の表現を当てはめることは言い過ぎでしょうか。成功者と自他共に自負する彼にとって、莫大な報酬は自分の当然の価値と思ったのでしょう。

 今回の事件は資本主義社会の中で社会全体が狂い始めた金銭感覚に、それでもメスを入れることになった教訓ではないでしょうか。他人事ではありません。恐るべきは、エゴを甘やかし、そのために狂ってしまう正義や道徳感覚です。社会には基準はありません。ただ正義と真実の源である、神を恐れて歩むことだけが、私たちを死のエゴから守り、正義の細い道を歩かせるのです。
【聖書】
マタイ 4・1~11

【説教】
「この世の神学と対決して」

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ゴーン

 今朝は大毛無山まで雪が降りてきました。季節として順当で、むしろ今年は遅いくらいなのでしょうが、いよいよという感がします。でも暖冬予報なので、何か気分的に余裕があるのではないでしょうか。平地はまだまだ紅葉が楽しめます。去り行く秋を、少しでも追いかけられれば幸いです。

 日産のゴーン会長逮捕のニュースが駆け巡り、世界中の関心を集めることになりました。超一流のカリスマ経営者として広く認知されていただけに、その失脚の落差に衝撃が走っています。詳細はまだ解明されていませんので、現時点での評価は不正確をまぬかれませんが、でもこれまでの報道で、中心部分はほぼ捕らえられているのではないでしょうか。

 このような大ニュースとなるのは、彼が尊敬さえ集めていた成功者であるからです。このようないわゆる大型スキャンダルは、この世界ではそれほど珍しいことではなく、かなりの頻度で私たちの世界では波のように繰り返されます。そしてそれが大物であればあるほど、皮肉にも人類への大きな教訓となることは喜ぶべきなのでしょうか。

 このようなスキャンダルのたびに身につまされることは、人間とはなんとありふれた小さな罪で失脚してしまうものかということです。今回の彼の事件も専門的な経営者としての高度な罪?と言うよりも、ある意味で小さな子どもが犯してしまうような罪と失敗に沈んだということです。巨人ゴーンは、まるで見る影も無く、小さな子どもにも劣る姿をさらしたのです。年収10億とも20億ともいわれる大富豪が、その上なお小さな私欲をかいているような見苦しさに、誰もが大きな幻滅を覚えたのではないでしょうか。

 でも誰も彼を笑うことはできないでしょう。ところ変われば、そして機会や立場を得るなら、私たちもまた皆このような欲望や罪から自由ではないでしょう。大人も小人も、教養人も無教養な人も区別はありません。私たちは皆、巧妙で強力な罪の誘惑の前では、無防備な裸の子どもに過ぎません。富も地位も勝者のしるしではありません。神を恐れて、人生の最大の敵である罪と戦って身をきよく守ることこそ、真の勝者と肝に銘じたいものです。
【聖書】
マタイ 6・19~24

【説教】
「光の国の憲法」

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↓雪化粧した南葉山(11月24日)
2018-11-24 地頭方

 記録的な暖かい日が続いて得をした気分です。また既に暖冬予報も発表されていて、冬に向かう雪国の私たちにはやはりうれしくなってしまいますが、このところの異常気候傾向を知らされていますから、本当のところは喜んでいいのだろうかと、微妙なブレーキもかかりますね。近年は地球環境に関する不安材料が増していますが、それでも私たちの希望と祈りは、「地は主の恵みに満ちている」との賛美にあるごとく、人間の失敗や破壊の営みにもかかわらず、それを遥かに高くあわれみ深く覆ってくださる、神の恵みの支配が整然と行われますようにということです。

自然ばかりではなく近年の世界は、正義や公正、共存という土台が揺らいで、露骨な自己主張と利益追求の波に翻弄されています。正しくあるべきという理想的価値観は、利益追求の現実的価値観の前に劣勢に立たされています。20世紀の2度の大戦の悲劇と教訓から学んで、平和で共存的な民主主義的理想を掲げて、曲がりなりにもここまで順調に歩を進めてきたとも思えますが、ここに来て何か突然に揺るぎ始めた観があります。

 自然界の異常気象もさることながら、人間社会も異常気象化しつつあるのかと不安を覚えさせられます。人類の進歩と理想を信じる進化論的な世界観にとって、この逆戻りともいえる現象は衝撃かもしれませんが、一方でこの事態は、聖書を知る者たちにとっては、改めて聖書の人間観、世界観に注目させることにもなっています。

 聖書は罪人としての人間の本性は、最初の人間アダムから現代人まで変わらず同じだと言います。いわゆる進化論的なモデルである無教育な原始人と、教育によって洗練された21世紀人の道徳性は変わらないというのです。いやもしかすると、技術的文明は私たちの道徳性を弱めているかもしれないのです。そういう意味では世界中が揺らいでいるかに見える逆戻り現象は、人類に謙遜を呼びかける警告です。文明によって神を乗り越えたと豪語する傾向にある現代社会は、厳然として存在している聖なる神の支配を踏み倒せば、どんな過去以上の破壊をも招いてしまうのです。
【聖書】
マタイ 5・1~16

【説教】
「闇の時代の光と塩」

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 今、里の秋が本番で、あちこちの庭が私たちの目を楽しませてくれます。教会の庭ではモミジとマユミが紅葉を競っています。紅葉の王者はだんぜんさまざまなモミジだと思いますが、普段はあまり注目されないありふれたマユミの紅葉はそれに勝るとも劣らないと思えます。又普段は厄介者のウルシもこの季節は野山の主役です。神様が造られた世界の幸いな逆転と言うべきでしょうか。

 一方、今世界中で起こっている逆転現象はどう見るべきでしょうか。トランプ現象に代表される、今までの政治的社会的価値観の逆転です。アメリカはちょうど今中間選挙が終わって、その逆転現象に評価が下されようとしています。大方の予想は旧新の価値観が拮抗するだろうとのことです。下品で粗野と思えるトランプ人気がそれ程ダウンすることなく、依然として拮抗するほどの勢いであるということは、驚きではありますが今の世界の価値観を映し出しているのでしょう。

 先週も書きましたが、共存と平和の理想的価値よりも、露骨な自国利益第一の現実的価値が遠慮なく歓迎されようとしています。その結果、平和と共存が崩れ、敵意と分断がそれに替わろうとしています。そして今のところこの傾向に歯止めをかけれないほど、今までの価値観は劣勢に立たされています。敵意と分断をあおる手法で大統領の座をつかんだ彼はこれからもこの手法で自らの人気を保とうとするでしょう。そしてこの手法は今、魅力的な手段として、世界中の政治家達を取り込んでいます。悲しいかな人間の罪人としての本性は、敵意と分断の痛快さに引き寄せられます。聖書の表現を使うなら、それは美味しい食べ物のように腹の奥に下っていくのです。しかしそれは致命的な毒に変わり、やがて死をもたらします。敵意と分断に1パーセントも良きものはありません。これは悪魔の手法なのです。悪魔はこの手法によってどれだけ対人関係と国家関係に死をもたらしてきたことでしょうか。今は、個人としても人類としても、この食べ物を決して食べないという自制と知恵が試されている時ではないでしょうか。

【聖書】
ルカ 14・25~35

【説教】
「自分自身のうちに塩気を保ちなさい」

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2018-11-05 文化ホール

  11月を迎えます。紅葉がだんだん下に降りてきて、これからの紅葉狩りは山ではなく、平地のどこでも、またそれぞれの庭で、居ながらにして秋を楽しむ一月になります。こちら雪国では冬囲いにその秋が閉じ込められてしまうことが残念でもありますが、願わくは、穏やかな晩秋が12月まで延長して欲しいですね。

 今、この美しい紅葉は日本だけではなく、地球の大部分を覆って、平和な秋の真ん中にありますが、世界の社会的状況は誰も想像しなかったほど混乱しているのではないでしょうか。世界は、20世紀の大戦の悲劇と混乱を乗り越えて、文明の進歩と勝利の半世紀を刻んできました。その平和と進歩がますます安定化に向かうのではないかと予想した21世紀の昨今、大きなブレーキが掛かっているようです。平和と共存の象徴的実験として迎えられたEUは、ギクシャクし出し、民主主義の理想をリードしてきたアメリカは、予想もしなかったトランプ大統領の誕生によって、今までの理想をあざ笑うような逆方向の政策を露骨に推し進めようとしています。そしてこれに呼応するように世界のあちこちに、自国第一主義のナショナリズム政権が誕生しています。平和と共存という合言葉は、分断と対立に替わってしまうような勢いです。

 素朴な感想としては、有り得ないようなことが起こっていると驚いてしまうのではないでしょうか。いやアリエールでしょうという洗剤の宣伝は、化学現象ではなく、社会現象としてまさかの現実になっているようです。聖書の不思議なことば、「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった」というノアの時代への評価の言が、改めて去来します。いつも創世記のこの箇所を読む時、果たして人類はそんなに悪くなれるものなのかと半信半疑でしたが、今はこれが空言ではい現実味を帯びたことばとして気になります。人類の現実を楽観視するなという、神からの永遠の警告と受け止めて、このような時代にあって御国の光の子らとして、神の揺るがない基準を証ししたいものです。
【聖書】
ピりピ 3・1~21

【説教】
「現代と永遠の福音」

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2018-10-26 カキ

 先週の松山でのピクニックは小春日和に恵まれて、美味しいきのこ汁と共に、最高のご馳走でした。今は窓から見上げる南葉山が、中腹から上は見た目にも色が変わり始めました。これがだんだん下に降りて来るこれからは、暖かく穏やかな秋の日は貴重なプレゼントですね。

 今週は宗教改革を記念します。1517年10月の、ルターが最初に挙げた抗議を記念して、昨年が丁度500年目の節目でした。これは教会が、カトリックとプロテスタントに分かれた負の歴史でもありますから、これを500年も経ながらなお毎年記念するのは、いつまでもそれにこだわっているようで何か否定的な感じがしてしまうかもしれませんが、負の面を越えた宝をこそ記念するためです。毎年繰り返し復習していますが、これは聖書の福音の再発見、再確認の歴史でした。聖書の中心メッセージである福音とは何か、それはキリスト教が拠って立っている土台です。その福音とは、人が救われるのは何によるのか、を告げるものです。十字架上で成してくださったキリストの身代わりの犠牲、あがないによってのみ、が答えです。キリスト教会は主イエスの十字架以来、2000年に渡ってこれを宣べ伝えてきました。そしてこれからもこの福音を宣べ伝えるために存在しています。言葉としては単純ですが、その意味を自分のこととして受け留めるにはわかりにくいメッセージですね。それはこの福音を信じたクリスチャン一人ひとりが誰よりも感じていることでしょう。まず何を救いと考えるかは一人ひとりによってまちまちです。そして時代はその時代特有のいわゆる魅力的な福音を作り出して人々をその中に招こうとしています。聖書自身がつまずきの福音と言う如く、分かりにくく、表面的には全く見栄えのしないメッセージを、唯一の永遠の福音として宣べ伝えることは、本質的に大きな圧力にさらされています。人好きのする福音への改変と変容の誘惑にクリスチャン達はいつもさらされています。でも新しい福音はありません。ただ一つのこの古い福音を、日々新しいものとして生きることこそ、私たちに問われている宗教改革ですね。
【聖書】

Ⅱテモテ4・1~8

【説教】
「ただキリストだけを持って」

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↓大田切渓谷(燕温泉)
2018-10-26 大田切渓谷

 気温が20度を下回り始めました。冬に比べればまだまだ十分な温度ですが、今までの暖かさになれた体には寒さが敏感に感じられるのではないでしょうか。これからは一度の上がり下がりが気になる季節になります。今は、たった1度が地球環境の危機を招くとも盛んに言われている時代ですが、人間の営みの功罪もさることながら、その1度を支配し導いておられる神をこそ恐れつつ歩みたいものです。

 変化し深まり行く秋は、年齢を刻んでいく人生の秋とも重なります。春がいのちの喜びを語っているとしたなら、秋のメッセージはなんでしょうか。葉がどんどん散って寂しくなる秋は、いのちが終わりに向かうことを自然に連想させますから、春に比べればどうしても否定的なメッセージを受け取ってしまうかもしれませんが、しかし良い意味で感傷と思索の季節ではないでしょうか。活動に向かう春夏に比べ、秋は自然に静かな内省に向かいます。四季を定めた神様は自然界を通してこのような効用をも込められたのではないでしょうか。内省や思索というと固いイメージですが、人間にとっては多分、死活的な要素ではないでしょうか。考えることが人間と他の動物とを区別していると言えるでしょう。

 聖書は、生と死、人生の意味や目的を考えさせられることは人間にとってはいのちそのものだと励まします。速いスピードで変化する現代文化は私たちから立ち止まって考える時間をどんどん奪っているようです。何もしないで考えている時間は、非生産的な時間で、その分、自分が置いていかれるような不安感さえ覚えさせられてしまいます。忙しく立ち働いてストレスを溜め込んでいたマルタに向かって、主は、座ってみことばに聞き入っていた姉妹マリヤの姿から教えられました。現代の基準からしたなら、その有り方は最も非生産的でしたが、主はその姿こそ人生の最善事と推奨されました。忙しさが充実といのちの証明ではありません。何もしないでじっとすることを恐れないで、主の前に静まって、人生についての幸いな思索の秋となりますように。
【聖書】

ルカ18・9~14

【説教】
「神の国の賞レース」

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秋

 2度の大型台風が過ぎて、ようやく落ち着いた10月になるのでしょうか。山々がくっきりと浮かび上がり、そして木々が少しづつ色づき始めています。春の5月と秋の10月は甲乙つけがたいですね。このところ自然現象の猛威化に翻弄されていますが、長い穏やかな秋となりますように願わされます。

 ノーベル賞の話題に隠れてしまいましたが、9月末はうれしいことがありました。沖縄知事選において、辺野古基地反対の民意が大きく示されたことです。どうしたわけか選挙の度に、自民の強さのいぶかるばかりの現象に失望していましたが、沖縄では普通の良心が守られたと言うべき戦いになったのではないでしょうか。全く良心もかけらもないように暴力的に埋め立てを続ける政府の姿に、怒りと無力感を募らせていた現状に、それでも大きな抵抗を示すことが出来たのではと思います。それにどう答えるか、それこそ現政権の良心が問われていますね。あまり期待できないとは言え、それでも今までと同じ対応をするなら、石が叫び出す日本でありますようにと願わされます。そういう意味では日本全体の良心も問われているのですね。

 良心といえば、加計理事長の会見に、また日本中があきれたのではないでしょうか。日本全体に向かって、まったく身に覚えがありませんと、再度の白々しい会見を演出したのです。一体どういうツラでこういう会見ができるのだろうとは、多くの人の普通の感覚ではないでしょうか。先の学園事務長の全くとぼけた子どもじみた会見にもただただ驚きましたが、こんなことが公にまかり通っていることが異常ですね。しかしあまりにも平然とこのような異常が繰り返されると、異常振りに無感覚にされていってしまうようです。しかし、トランプ、プーチン、習、そして我が安倍氏と、権力者は皆、国を盾に平気でうそを戦略として使うようですね。うそがまかり通ったなら、世界も人生も土台を失って滅びます。フェイクニュースが市民権を得て、今世界中がうそに慣れる社会になりつつあります。神はあなどられるお方ではないことを覚えて、神の前の良心をこそ第一に訓練したいものです。
【聖書】

Ⅰコリント9・23~27

【説教】
「賞を得るように走りなさい」

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