↓教会にあるエゴの木の実です
2017-07-07 エゴの実

 7月に入ります。過ぎてみれば時はあっという間ですね。今年も早や下半期に入ります。いつもながらもう少しゆっくりであって欲しいと思いますが・・・。早速急に暑くなるとの予報ですが、夏が暑くなるのは自然なことなので、寒くなると言われるよりも、ほっとした気持ちです。しかし、ヨーロッパは異常高温とのことですので、近年は、何も心配せずに自然任せという有り方が不安にさらされてもいます。任せるべきことと、人間がすべきことの両方が問われているということでしょうか。

 社会的、政治的領域はこの両者のバランスが更に難しいといえるのではないでしょうか。為政者に任せるべき姿勢と、抗議と監視の声を上げるべきという両者です。為政者にすべて任せているなら何も波風は立たず、国は安泰のようですが、権力の独裁化が大きな悲劇を招くことは、今も続いている歴史の教訓です。

 人間の歴史は支配と被支配の関係の歴史、ことばを替えれば、国と民の歴史ともいえると思います。国は統治のための大きな権力を与えられています。それがいつの時代も民との間で悩ましい問題を引き起こします。為政者がどういう資質の人かによって幸、不幸が分かれます。為政者の誘惑の一つは、その権力を用いて自分の正義や信条を実現しようとすることです。トランプ氏、プーチン氏、そして習氏と、共に強い自己主張型のリーダーのようです。そして安倍首相もそんな政治家を自負しているのでしょう。国民もそんなリーダーを求めやすいかもしれませんが、でも多分これは国にとっては不幸です。というのもどんなに優れた人でも、その人の正義や信条は、一個人の独りよがりを免れえず、全体を代表するなどと言える人はいないからです。安倍首相の言動に安倍国を目差しているような迷惑と危うさを覚えるのは私だけでしょうか。彼の姿は私たちへの教訓です。ことに真面目で理想主義的な人ほど、謙遜に自らの限界と独善性をわきまえなければなりません。どんなにすぐれた人でも、またその正義をどんなに絶対的に確信していようと、それは神の正義には変わり得ないことを肝に銘じたいものです。
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梅雨2

 続いた晴れが一転して梅雨らしい曇り空が続いています。この季節を一番喜んでいるのはアジサイでしょうか。あちこちで今こそわが季節と存在感たっぷりです。ボリューム豊かな花と葉は多くの水があってこそなのでしょう。アジサイだけではなく、人類とこの地球にとって、雨もまたなくてはならないものですね。太陽の圧倒的な恵みとともに、雨の静かな恵みをも備えられた神様の知恵を思いながら、雨の季節をもまた喜び過ごしたいものです。今はまたちょうど一年の折り返し点です。前半の歩みを振り返り吟味しつつ、後半に備えたいと思います。

 紛糾した国会が閉幕しましたが、今の政権も折り返し地点にいるようですね。良い意味の折り返し点であるようにと願わずにはいられません。というのも現政権のこれまでの数年間は、国民の半分が危惧し、何度も立ち止まって慎重に審議してきた問題法案を次々と数の力によって成立させてきたからです。政権の圧倒的多数はいかんともしがたく、心配する民意はことごとく踏みにじられてきた感があります。しかしここに来て権力のおごりが招いた、無視できない問題が明るみに出て、圧倒的支持に揺らぎが出始めたからです。幸いな墓穴とでも言うべきですね。最初はいつものように、強権的に無視し、ひねりつぶせると思っていたようですが、今回の問題は首相自身の身辺に関わる失政ともいえる事態なので、注目度は日増しに大きくなり、政権にとってはシナリオ通りには行かず大きな打撃になりつつあるようです。あわてた政権は一転して今までになく殊勝とも言える反省会見を開き、事態を乗り切ろうと考えたようですが、多分見え透いた宣伝会見としか思われなかったのではないでしょうか。

 “信なくば立たず”と言われます。政治の中心にウソがあるならば人々はそれを見抜き信任されなくなるでしょう。これはまた私たちの人生に対する教訓です。人には見えなくとも隠れた心の真実こそ主は喜ばれると聖書は告げます。小さなウソに妥協しがちな自分を甘やかすことなく、人前ではなく、主の前での隠れた心の真実をこそ訓練したいものです。
↓エゴの花
2017-06-24ガクアジサイ

 こちらの梅雨入りの発表は未だのようですが、しばらくは晴れが続くようですから、過ごしやすい梅雨になるのでしょうか。今年も早や、冬から春へ、そして初夏へと移り変わっています。季節の流れを穏やかな気持ちで眺め、味わうことができるということは、人間にとっては最も基本的で素朴な幸せと思わされます。我が日本では戦後70年、このような平穏が続いて当たり前のようになっていますが、世界の状況を見れば、このような素朴な幸せさえ決して当たり前ではないのだと考えさせられます。

 先日北朝鮮宣教セミナーに参加しました。過激なミサイル発射で今世界の注目を集めていますが、私たちにとっては近くにあっても全くベールに包まれた遠い国と言わざるを得ないのが実情でしょう。このセミナーで、二人の脱北者の生々しい証を聞きましたが、それを聞きながら、信じられないような独裁国家がこの21世紀に厳然と存在していることが不思議でもあり、同時にこのような闇を打ち払えない世界と人間の無力がもどかしく、なかなか光が見えない状況に暗澹たる気持ちにさせられました。ISと言い、北朝鮮と言い、共にとても国とは言えない悪魔的国家が現出していることは、歴史の間違いとしか思えませんが、それが現実であることが空恐ろしいですね。人間も国も、このように成れるんだなという警告です。北朝鮮の状況を聞きながら、頭をたびたびよぎったことは我が日本の姿です。

 先に戦後70年、平和で穏やかだったと書きましたが、果たしてそれは確かで安泰なことだろうかとの不安と警告が重なりました。絶対揺るぐことはないと安心していた憲法、その改正を熱望している人々が相当数いることが不気味です。近年次々と国家強権化法案が通され、今また共謀罪法案が強行採決されようとしています。今国会では二学園の不透明問題の追及に対して、政府が権力を傘に平気でうそを言い、また圧力かけている姿を目の当たりにしています。他人事ではありませんね。人間も国も悪魔化することを空言としないで、目を覚まして、闇と悪との戦いに備えなければと思います。
アジサイ6

 九州が梅雨入りし、こちらももう時間の問題です。この季節の主役であるアジサイのつぼみがあちこちで顔を出し、ちらほらと色づき始めました。サクラに変わって今度は日本中がアジサイ一色になります。少し憂鬱なこの季節ですが、花期の長いアジサイは梅雨が終わるまでこの季節を慰めてくれるなくてはならない植物ですね。

 一方国会の方は、晴れない憂鬱が続いています。明白な権力の横暴を責めきれない少数野党に、気分は重く晴れません。一方の与党は、恐れ気もなく強弁を繰り返しています。何とかこの状況が打開できないものかとイライラが募りますが、決定打が打てません。しかしわずかの慰めは、与党の大臣たちにも生気が感じられないことです。首相や官房長官はいかにも虚勢を張ったような強弁ぶりですが、文科大臣などはまるで人格がないようなうつろな答弁を下を向いて繰り返しています。明らかに真実を言えない立場のゆえに心ならずもうそを言っているのだろうなあと感じさせます。この表情に未だ人間味と希望を感じます。真実が言える、感じたことを自由に言えるということは人間にとってまさに基本的人権ですね。それが今いえない圧力が与党全体と行政組織全体を重く覆っているのでしょう。上に逆らえないという組織内人間の負っている宿命的な弱さとは言え、しかし特に自民党内の何百人という議員たちの責任は重大です。もちろん公明党は更に言うに及ばずですが。今こそ意見を言うべき時なのに、何も言わないなんて、何のために国民を代表しているのでしょうか。いや彼らには与党の一員であることが大事なのでしょう。内閣どころか与党全体が総辞職に値するのではないでしょうか。

 さてこのことはまた私たち一人ひとりに帰ってきます。聖書も言うように私たちは他人の目のちりには厳しく敏感です。しかし自分の目の中の丸太には甘く鈍感です。だから世界は他人をあげつらって変わらないのでしょう。言うべき時に言う人間であるか、更にそれ以上に、その何倍も他の人に耳を傾ける謙遜な人間であるべきことを肝に銘じたいと思います。
【聖書】

エペソ 1・1~14


【説教】「神を宿す神秘」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます