雪の足跡

 朝晩の冷え込みは強いですが、日中は春の雪が舞うような風情となってきています。大風が周期的に吹きまくるのはありがたくないですが、これもまた季節が移り変わっている証拠なのでしょう。もう少し忍耐しつつ、「雨水」を指折り数えたいと思います。

 世界ではトランプ台風が依然として吹きまくって、当分収まる気配が見えません。マスコミにとっては視聴率向上の格好の材料となり、私たちの関心もどうしてもそこに行ってしまいますね。世界中を自分に注目させていることこそ、彼が成功している戦略なのかもしれません。踊りたくなくても皆が踊らされている状況でしょうか。今は日米首脳会談を目前にして、特に日本では緊張が高まっています。今まで相手にしたこともないような無頼の大統領とどう接したらいいのか頭を悩ませています。

 しかしこれまでの短期間で見えてきたことは、日本としてはますますアメリカ依存を強めることに変わりはないようです。異色の大統領が誕生したことで、日米関係が何か根本的に見直される好機かとも思いましたが、政権は現状維持と事なかれ主義を露骨に推し進めようとしているようです。必死で先ず、強い大統領の機嫌を損ねまいとしています。朝貢外交なる語がマスコミに頻繁に登場しています。アメリカへのポチ化は残念ながら強化されるようです。その例が、沖縄の民意の必死の抵抗にもかかわらず、辺野古沖の埋め立てがあっけなく再開されてしまったことです。アメリカの政権交代は、善き変化の好機と淡い期待をしましたが、政府にとっては強行の好機としか考えなかったのでしょう。本音は強い日本復活を悲願とする自民党とその中心にいる安倍首相にとって、全く矛盾した恥ずかしい二重構造と見えてしまいます。この世界は強い圧力を持つものが有利にことを進めるようです。強い者勝ちという現実が横行するとは言え、弱い者の権利を守ることこそ神の視点です。強さに取り入り、おもねる誘惑は強力ですが、弱さにつく謙遜と強さをこそ訓練されたいものです。
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↓金谷山からの遠望(米山ほか)
金谷山からの眺め

 2月を迎えました。まだまだ厳寒期ですが、何と言っても2月は希望の月ですね。季節が冬から春に入れ替わるからです。春を実感するのは確かに3月というべきかもしれませんが、しかし小さいわずかな春を告げるこの季節は、より味わい深いといえるのではないでしょうか。どんなに冬が猛威を振るっても、春の勝利が確実に近付いていることが明らかなこの月の味わいは、死と悪魔に対する信仰の勝利の確実性を喜ばしく告げている聖書の世界とも重なります。

 この喜ばしい春に向かう世界にとって、アメリカのトランプ大統領は春の嵐ならぬ冬の吹雪の如くと言ったらいいでしょうか。春の嵐は春を告げる喜ばしいものですが、彼の言動は冬へと逆戻りさせるような混乱をもたらしているからです。連日大統領令に振り回される世界の状況が報道されています。ほとんどの人にとって、彼の言動は、一体何を考えているのか、正気なのかと思われているのではないでしょうか。それが今世界のトップに立っているのですから影響は甚大ですね。フィクション映画を視ているようですが、フィクションではなく正気だとなると、この物語の結末はどうなるのでしょうか。

 彼にまつわって、また耳慣れない「アルタナティブ・ファクト」なる語が登場してきました。先に紹介した「ポスト・トゥルース」なる語と連なるものでしょう。どう訳したらいいのかその概念が今一つはっきりしませんが、「もう一方の事実」というふうに紹介されていました。一つの事実があるとしても見方によって逆に取れるというような意味でしょうか。確かにこれは物事の一般論ともいえますが、問題はどこから見るかということです。トランプ氏とその取り巻きは、自分達の独特の視点を採用して、その厚顔振りをはばからないようです。人は誰も自分の視点は避けられないものですが、それが高じれば、自分に都合のいい事実だけを作り出すことになります。アルタナティブ・ファクトが横行する世界、それは空恐ろしいですね。基準なくさ迷う世界にあって、神がご覧になるように見る視点を心して訓練したいものです。
2017-01-29妙高山々

 大寒を過ぎて今が一番の厳寒期でしょうか。東日本だけではなく西日本まで寒波が襲来して雪をもたらしています。でも回りは雪国らしい白銀の世界で、何となく落ち着いた気分にさせられます。考えてみれば、一年の中で風景が真っ白に変貌するこの季節は、どの季節以上に神秘的で、神の奇蹟の御手を覚えることができるのではないでしょうか。この貴重な神秘の世界を見れる雪国を幸いと考えましょう。

 今週は、多少相撲に興味のある人にとっては大きな歓喜の週となりました。稀勢の里の優勝と横綱昇進です。大げさかもしれませんが日本中が興奮したのではないでしょうか。私もテレビの前で感動の涙に浸り、幸せな夜となりました。くどくど解説する必要は無いでしょう。この人こそと期待され、何度もチャンスを手繰り寄せながら、しかしそのたびに何度も跳ね返され、悔しさと不評をなめてきました。その心中を誰も自分と重ねて応援してきたことでしょう。悲劇の主人公になるのかと思われた向きもありましたが、とうとう満願の成就となったのです。19年振りの日本人横綱の誕生でした。彼一人の願いではなく、国民全体の悲願でもありました。

 考えてみればこれほど応援された彼は、その分辛くもありましたが幸せ者ですね。長く辛い時期、気分が萎える時もあったでしょう。しかし彼は腐らず黙々と練習を積んだというのです。そんな彼に相撲の神様が微笑みました。もちろん相撲の神様は間違った表現ですが、言わんとするところを良しとしましょう。あるべき正当な報いだと、誰でも納得する結末を皆が喜んだのです。長々と書きましたが、この人生の物語に誰でも共感と励ましを覚えるでしょう。私たちもまたそれぞれ取り組んでいるものは異なりますが、何か何かと一人相撲を取っている者ではないでしょうか。それを見ていてくださる神がおられるということは大きな慰めです。もちろん見ているだけではなく正当に報いてくださるということが聖書の約束です。ですから辛い時も腐らず忍耐して、それぞの土俵で、神を見上げて忠実に日々のわざに励みたいものです。
雪

 先週の寒波は予報通りの大雪となりました。少しあわてましたが、昨年から、雪国にありながらまとまった雪を見ていなかったので、何か安心したような気分にもなりました。しかし今回は南の西日本でも同時に大雪になったということですから、やはり近年は冬も変調しているのでしょうか。そうとは言え、雪国の雪はごく自然な神の支配の証でもありますから、冬を嫌わず雪国を愛したいものですね。

 自然の変調以上に気になるのは、昨今の人間世界の変調とも言える姿ではないでしょうか。特にトランプ大統領の誕生は台風の目のようです。先ずどんな就任演説となるのかと世界は固唾を呑んで見つめています。何か怖いもの見たさといった興味もあいまって、今全世界の注目を集めています。アメリカの大統領は確かに世界で最も影響力のある重要人物ですが、一人の人物があまりにも注目を集めるのは、世界にとってはあまり穏やかな状況とは言えないのではないでしょうか。大げさかもしれませんが、ヒトラーの再来にならないように、アメリカの良識と世界のために祈らなければなりません。

 方や日本も今、天皇の退位をめぐって改めて天皇家に関心が寄せられています。日本の根幹でもある天皇制のあり方が注目されて、開かれた議論の場となるならば良い機会ではないでしょうか。現天皇は誠実な人柄であることがうかがえますが、宮中祭儀が連綿と盛んに行なわれている伝統のことを知らされると、私たちクリスチャンとしては複雑な気持ちですね。日本の根幹部分で得体の知れない偶像祭儀が依然として重んじられているということをどう考えたらいいのでしょうか。まったく日本の国の深い闇と言わなければなりません。この巨大な闇にどうやって対峙できるのかと考えてしまいますが、聖書においてはクリスチャン一人ひとりは王である祭司と定義されています。一体一人が何ができると考えてしまいますが、まことの神をこそ真の王として戴く者として、自分の置かれた場であくまでも正義と誠実を追求する者となり、まことの王、まことの光を証する者でありたいものです。
2017-01-18妙高山

 ちょうど1月の半ばを迎えます。ここまでほぼ雪の無い?冬となったことは意外ですが、大分得をした気分ですね。2月も半ばを過ぎればもう春に向かいますから、冬も後正味一ヶ月ということになります。もう先が見えてわずかな期間ならば、それを楽しみに、厳しい冬も歓迎したいと思います。

先回はポスト・トゥルースなる語に触れましたが、今回はまたその同類のフェイクについてです。この耳慣れないことばがマスコミに登場するようになりました。辞書によればこの意味は「偽造品」「作り事」「虚報」「でっち上げ」となっています。両語は共に、トランプ氏の登場と深く関っています。トランプ氏の大統領就任までカウントダウンとなり、今世界の関心はもっぱら彼の言説に集まっています。既に大統領選の時から彼はフェイクを平気で多用し、アメリカ社会を巻き込み、それが彼の命取りになるどころか、かえって人々を惹きつけ、何と勝利を手にしてしまったのです。そして今もまさにそのスタイルで盛んに発信し、回りはそれに振り回され、戦々恐々としているとさえいえる状況です。国民には相手にされないだろう、簡単に失脚するだろうとの大方の予想に反して、熱狂的支持者を集め、大統領に就任しようとしています。あってはならないことが現実となったということが多くの人の思いではないでしょうか。

 このトランプ氏が聖書に手を置いて、大統領就任の宣誓をするなんて、悪い冗談と思えてしまいます。聖書は言うまでもなく、うそを言うことを十戒において最大の道徳的罪として禁じています。もちろん人間は誰でも、ついうそをついてしまうことは避けられないほどの弱さを持つものですが、平気で、何か戦略的にうそを言うとなると、それは別問題です。神に対する大きな挑戦として必ず災いを刈り取ることになるでしょう。でもトランプ大統領の誕生をアメリカ社会が容認したことは、時代があえて神に挑戦しようとさえしているのかもしれません。どんな状況であろうと、フェイクに耳を傾けたり、市民権を与えることなく、神を恐れて、フェイス(真実)をこそ自らに養うようにしたいものです。