2017-04-16イースターS

 今年の春は少し天候が不順ですが、今私たちの地はちょうどサクラが満開です。日本ではあまりにも慣れ親しんだ風景でもありますが、でもこれは一年に一回きりの光景ですから、数えてみれば、長寿の人でさえ100回にも満たないのですから、貴重な風景でもありますね。約10日ほどの花期を過ぎれば、今度は来年までのほぼ一年間、万人に愛でられるこの時期とは対照的にほとんど目立たない木としてひっそりとたたずみます。風雨にさらされながらその場を動かずじっと耐える植物たちの忍耐は、これまた花期以上の称賛ものではないでしょうか。

 今年はちょうど桜の満開時にイースターを記念します。サクラに代表される春の自然界は、まさにいのちが爆発しているようです。聖書に、「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。・・・話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。しかし、その呼び声は全地に響き渡り」(詩篇19)とありますが、まさにこの春は神のメッセージが響き渡っているようではないでしょうか。そのメッセージとは、神は尽きないいのちに輝く世界を造られたということです。

 創世記には、神が創造のわざを終えてすべてのものを見られた時、「見よ。それは非常に良かった」と記されています。すべてが美しく完璧だったのです。その意味することは、そこには、死は一つもなかったということです。しかしこのいのちの世界に死が入ってきました。それは人間の罪の故ではありましたが、それは途中からの侵入物であり一時的なものに過ぎません。しかしこの死が今や我が物顔にこの世界を支配しているかのようです。死こそ元々からあったこの世界の動かすことの出来ない最強の支配者だというメッセージこそ、この世が作り出した最大のフェイクニュースです。全人類の罪の身代わりとなって十字架に死なれたイエス・キリストは、罪と死を滅ぼしてよみがえり、今やこの世界をもう一度、創世記以上のいのちの世界に取り戻して下さったのです。復活の主を見上げることによって、この世界を覆っている偽りのニュースに立ち向かいたいものです。
スポンサーサイト
2017-04-08文化ホール周辺

 なかなか寒い日が続き、今か今かのサクラも今年は大分足踏みをしているようです。しかし開花を待つゆっくりな時間もまた味わい深いものです。サクラが満開になるころには、今度は時が早回りするように一気に春が進みますから、その頃は逆に時間の早さが恨めしくも思えますね。いずれにしてもいのちが輝く春はすばらしいの一言です。春を造られた神様は、私たち人類に一体どのようなメッセージを告げておられるのでしょうか。

 教会では復活を記念するイースターの前に、主キリストの十字架の死を記念する受難週を過ごします。輝かしいいのちの前に、キリストの受難があったことを改めて考えさせられるこの季節です。聖書の有名な句に「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネ12・24)とありますが、自然界のこのすばらしい春の背後にも、実は隠された神様の大きな犠牲とでもいうべき労苦が隠されていると見ることもできるのではないでしょうか。ちょうど豊かな作物の背後に、農夫の多くの労苦が隠されているように。この地球の美しい自然というドアをくぐって中をのぞいて見たら、何と神様が泥まみれになって、様々な汚染物や問題と格闘し、労苦しておられたというような絵をイメージしてみることもできるかもしれません。主キリストの十字架のお姿は、まさにこの泥まみれの農夫の姿と重ねることもできるでしょう。

 しかし十字架の苦しみの真の意味は、この自然界を支えておられるというよりも、私たち一人ひとりの人生と関わります。それは人間の苦しみ、病、そして失敗や罪を一身に背負って私たちの身代わりとなって苦しんでくださっているお姿です。泥まみれの神様、いや私たちの罪の罰を代わりにに引き受け十字架上で血まみれになっている神様を一体誰が想像できたでしょうか。人間は、人の不名誉や失敗、そして汚れからは遠ざかります。しかし神は人間の汚れと失敗の真ん中に降りて来られ、それを引き受け負って下さるのです。私を生かすために何という犠牲がささげられたことでしょうか。
↓斐太遺跡「天神堂」カタクリ
2017-04-08 天神堂

 4月を迎えます。サクラの便りがあちこちから聞かれるでしょう。こちらは、早くても未だ二週間後とは言え、日当たりのいいところでは急速につぼみがふくらんでいるのではないでしょうか。部屋から見える少し遠くのサクラを、望遠鏡でチェックするのが最近の楽しみになっています。

 今年のサクラを待ちながら雅子姉は天に旅立ちました。教会には昨年の満開のサクラの中で微笑んでいる雅子姉のすばらしい写真が飾られていますが、地上にあってはもうそれを再現することはできなくなりました。でも聖書によると、その何倍にもまさる天のパラダイスに移されたことが告げられていますから、それを信じて姉の召天に慰めを覚えるとともに、私たちもまた天の故郷への憧れをかき立てられたいと思います。
つくづくと人の一生は不思議なものですね。人類の歴史が始まって以来どれだけの人々がこの地上にその足跡を刻み、そして地上を去っていったことでしょうか。その無数の数を思うと、ともするとその中の一人の一生など、無数の中の一点にも満たないように思えて、いかにもはかないものと思えてしまいます。確かにこの感覚は自然とも言えますね。

 聖書を知るまでは私たちもこのはかなさから抜け出ることは出来ませんでした。しかし聖書は何と違った世界を示してくれたことでしょうか。一人ひとりが全世界よりも重い価値を持つ者として神によって造られたことと、そしてそれゆえにその一人が80年で死に飲み込まれて終わるようなものではなく、永遠の存在であると示されたのです。確かに全世界よりも重い存在であるなら、世界が滅びてもなお一人ひとりは生き続けるものとして意図されているのです。聖書には驚くべき二人の人生の結末が書かれています。エノクとエリヤです。彼らは生きながらにして天に上っていったのです。これは聖書における真珠のようなところですね。地上の80年は終わりではなく、天につながっていること、いや天に羽ばたいて凱旋することを示しているのです。それぞれしっかりとこの結末を夢見、憧れながら、地上の生を雄々しく歩みたいものです。
↓観桜会の順便が進む高田公園
2017-03-25ぼんぼり

 今週20日、教団総会のために長岡まで行きましたが、外の田園風景はもうどこもすっかり雪が消えて、晴れやかな早春の暖かさでした。こちらの松山もとうとう駐車場が空いて、ほとんど自由に公園を歩き回れるまでになりました。冬の運動不足の解消と共に少しでも待ちに待った春の中を歩ければ幸いですね。

 今、国会では共謀罪法案が提出されようとしています。弁護士会やペンクラブ等、各方面から、内面の自由や基本的人権が犯されてしまうと危惧されて反対が表明されている法案です。素人の私たちにはなおのことその全体をつかむことは困難です。当の法務大臣すらもほとんど肝心なところが答弁できない醜態がさらされ続けていますが、そんな法案をなぜ急いで成立させようとしているのでしょうか。国民が不安を抱くのは当然であり、全く無責任としか言いようがありません。

 安保関連法案のときも、戦争法案になりうるとの危惧にたいして、断じて国民に危害が及ぶことなどないと軽く保証し、逆に国民を守るための法案であることを強調した安倍首相や政府の姿と重なります。国は国民全体の運命を左右する莫大な責任を有しています。その選択は重大な影響をもたらします。であればなおのこと時間がかかっても慎重に審議し、意に沿わなくても逆戻りしなければならないでしょう。それは不名誉ではなく健全さの証拠だと思います。でも大丈夫、大丈夫と言って先に進める自信と軽さが不安です。組織というものは大きくなればなるほど責任が不明確になります。豊洲移転をめぐって都庁全体の無責任体質が浮かび上がっていますが、それはまた国と重なります。先の大戦が結局誰も責任を取らずズルズルと泥沼化していったことが最たる例ですが、今日の原子力行政もまたそれを地で行っている悲しい教訓ではないでしょうか。責任とは重く悩ましい問題です。国は国民の総意でもありますから、誰かになすり付けて自分は関係ないということはできません。責任を問う時、自分の内にある無責任体質も問われていることを覚えて襟を正したいものです。
ume49.jpg

 早や3月も半ばを過ぎました。今年は雪が少なかったとは言え、期待したほどには温度は上がらず、これまでは「春は名のみの」という歌詞そのもののようではなかったでしょうか。でもいよいよ春本番ですね。そして今は卒業式が終わり入学式を待つシーズンです。サクラを待ちながら過ごすこの時期は何となく私たちにも華やいだ気持ちが伝わってきます。しかし今の閉塞感のある世界に乗り出す彼らの前途を思うと、少し複雑ですね。

 今もっぱらマスコミの話題となっている森友学園の教育観は、混乱した世界の日本版といえなくもありません。70年前に克服した、教育勅語の世界観の再教育を目指すことが、この学園の校是のようだと知らされて、愕然とさせられました。ああ未だこのような人が日本にいるのだなという驚きですが、その学校があわや認可寸前であったということは、籠池理事長一人ではなく、これに賛同する似たような人々の存在あってのことなのでしょう。この学園問題をきっかけとして、安倍首相夫人を始め、稲田大臣やそのほか、政権の中枢ともいえる人々があぶり出されました。その思想の中心にいる人こそ安倍首相そのものであることは誰にも周知のことでしょう。このような世界観を持っている人々を自分の下に集めて、先祖帰りのような悲願の憲法改悪を推し進めようとしています。

 森友学園は驚きでしたが、これを契機に改めて安倍首相とその取り巻き、ひいては今の自民党政権の本質が日本中に知らされることになったともいえますから、大きな牽制となることを願わずにはいられません。しかし平気でウソをいい、答弁が破綻していながら、当の大臣が更迭されそうにない今の政権の自信振りを見ると、焼け石に水の感は否めません。つくづく選挙の大勝利と高い支持率を与えている我が国民を恨めしく思います。すでにトランプ氏、そして籠池氏、稲田氏・・・、ありえない変な人が権力を持ち、時代を動かすことも想定外とは言えません。日本の上に真に安心できる政治家が起こされるように、そしてすべての支配の上に更に高くいます主の支配の栄光こそがあがめられますように。