2013年9月29日礼拝

【聖書】
I 列王記11・1~13

【説教】
「二人の晩年、その慰めと教訓」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると音声が流れます)

二人の晩年、その慰めと教訓 by Heavens Gate on Mixcloud


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夕暮れ1

 秋分の日が過ぎました。雪国の私たちにとっては、秋分の日は冬に向かって時がスタートするように思えてしまいますから、出来たら先延ばししたい日ではないでしょうか。事実、既に随分日が短くなっていますが、この日を境にますますその速度が速まっていくことになります。とは言っても猛暑の夏が過ぎてようやく、これからの夕暮れから夜の時間の戸外は、春の夕暮れと共に、最も気持ちのいい季節です。

 冬を前にしたこの貴重な2ヶ月ほど、日々の忙しさから逃れ、戸外で祈り、瞑想することをお勧めします。ちょうど秋分の日の夕暮れ、私はたっぷり2時間ほど戸外で過ごしました。いつまでもそこにいたいような夜でした。改めて星をじっくり眺めました。そしてアブラハムのことを考えました。彼もまた同じ空を見上げたのだと思うと、私にも同じ神が語りかけてくださるように思えました。「あなたの子孫は空の星のようになる」と語りかけられたアブラハムへのその時の約束は、以来4000年を経ようとしていますが、確かに今も現在進行中の約束なのです。そしてその子孫の一人として自分も数えられ、今、この日本で星を見上げている恵みを思いました。

 アブラハムの見上げた空と大きく違っていることの一つは、飛行機が、点滅する擬似星のように、盛んに行き交かっていることです。飛行機の発明って果たしてどうなんだろう?とやはり考えてしまいます。文明の進歩を象徴する最先端物が悠久の自然の中で、莫大なエネルギーを消費しながら爆音を響かせているのです。いや調和していると言うべきでしょうか。

 もちろん文明の進歩を否定することは出来ません。神様にとっては、飛行機もロケットもさらにその先にあるものも織り込み済みでしょう。どのようにご覧になっておられるのでしょう。でも「よくやった」との手放しの評価ではないでしょう。やはり文明は常に功罪二面を抱えながら進むのは避けられないのでしょう。その中で罪の面をどうコントロールしていくかが問われています。よく言われるように節度ある進歩観、これが今日の課題ですね。
 10月19日(土)午後7時から、新井聖書教会で「ゴスペル・チャペルコンサート」が開かれます。

 出演は地元上越市のブラックゴスペル合唱団「JO.GRACE(グレース) GOSPEL CHOIR(ゴスペル クワイヤー)」の皆さんです。

↓2011年7月3日のコンサート(新井聖書教会)
ゴスペルコンサート

 2011年7月3日にも新井聖書教会で素晴らしいゴスペルを披露してくださいました。

 国内や米国で活躍するブラックゴスペル・コンダクターのブラザー・タイスケさんを指導者に迎えて、2005年に上越市で開かれたゴスペル教室から生まれ結成されました。

 ハートtoハートの楽しいコンサートにぜひおいでください。

◇とき 2013年10月19日(土) 午後7時~

◇ところ 新井聖書教会(妙高市柳井田町1-11-12)

◇入場無料
【聖書】
ピリピ4・11・12

【説教】
「人生の秋…三つの祈り」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると音声が流れます)

人生の秋…三つの祈り by Heavens Gate on Mixcloud


↓9月17日の矢代川。左側が決壊箇所
水害

 台風一過、爽やかな晴れの日が続き、秋らしい気配がいっそう深まってきました。くっきりとした山の稜線が、秋山に誘っているようです。

 今回の台風は、教会近くの矢代川に大きな影響を与えました。台風の進路をテレビで確認していると、京都や近畿地方の大雨の状況や、ちょうど台風の中心が熊谷市を通過中であることや、同じ熊谷市の早朝の突風のニュースが報じられていました。兄が熊谷市に住んでいるので、状況見舞いの電話をして、こちらは大丈夫だろうと安心していました。現に、こちらは風も雨もそれほど激しいものではありませんでした。ところが午後になって、矢代川が危険な状況なので、避難勧告が出されました。あれー? と思っている間に、それが避難指示に変わりました。警察や町内の方が回ってきて、有無を言わせず、早く北小に避難してくださいということでした。初めての経験でした。結局、翌朝の解除まで一晩は家に戻れない状況となりました。

 解除後の翌日、矢代川と、その堤防決壊現場を眺めました。矢代川は、近くの橋を毎日渡っているほどの身近な川です。ふだんはほとんど注意しないで通り過ぎていたものですが、改めてこの川を眺めました。そうするといろんなことが見えるものですね。決壊現場は緩やかではありますが蛇行したふくらみのあるところでした。そして取水口があり、確かに決壊しやすい弱点の部位と思われました。その他まだ目を転じると、蛇行やふくらみの箇所のいくつかも気になりました。

 河川管理、確かに大事な仕事ですね。この地域の決壊は約50年振りとのこと、ですから皆さんも50年前の改修で矢代川はほぼ大丈夫と思っていたのではないでしょうか。自然は侮れないものです。日ごろの点検や備えは、無駄のようでもいざと言う時は来るのですね。人生にもまた通ずる教訓です。私たちも、問題や弱点を気付きつつ、目をつむり、考えないようにしていることが多いものです。大丈夫だろうとの先送りが出来ない問題をしっかり見極める知恵と、またそれに対して具体的に行動する知恵を求めたいものです。
【聖書】

 詩篇90篇

【説教】

 「人生の秋への召し」

 早津 栄牧師

↓説教(クリックすると音が流れます)

説教:人生の秋への召し by Heavens Gate on Mixcloud

ツユクサ

 2020年のオリンピック東京開催決定の報が日本中を駆け巡りました。賛成派、消極派と二分されるでしょうが、大方は好意的に受け止められています。前回1964年の東京オリンピックが、戦後日本社会にとって、大きな歴史的な意義を刻んだと評されているように、7年後に控えたこの世界的なイベントも、21世紀前半の日本社会に、やはり決定的な影響を与えることになるだろうと言われています。

 賛否両論あるとは言え、この機会が、今いろんな課題の中で立ち止まり、模索している日本にとって、良い意味の刺激となって、より良い社会の形成に役立っていくことを期待したいと思います。特に震災復興が遅れている現実に、良い目標となるように、分けても、原発渦収束に向かって、英知が集中されるように、日本に与えられた7年のタイムリミットが、良い意味で生かされていくことを祈りたいと思います。

 タイムリミットがある、時間が区切られるということは、非情のようでもありますが、人間にとっては大きな恵みの面を持っていると言えるでしょう。際限なく時間があるならば、多分私たちの意識は物事に鈍感になり、計画性などというものとは無縁になり、物事は際限のない先送りとなるのではないでしょうか。もちろん、せかせかと時間に追われる様な人生を神は意図しておられないでしょうが、

 一方で時間に区切られるリズムの中で生きる環境を定められておられるのではないでしょうか。陽が昇りそして沈む中で生活するこの一日のリズムは、当たり前過ぎてほとんど意識しませんが、しかしこのリズムは人間の精神性をどれだけ保っていることでしょうか。一日のリズム以上に大きな意味を持っているのは、人の一生という時間の区切りです。まさにタイムリミットそのものですね。

 聖書には、「事の終わりは、その初めにまさり、・・・死の日は生まれる日にまさる」とありますが、物事の終わりを意識すること、そして終わりから現在を考えることを勧めます。それが現在を生かします。寿命は非情なものではなく、恵みとして定められたものと信じて、それまでの時を生かしたいものです。
【聖書】

 Iペテロ5・7 ルカ8・22・25

【説教】

 「あなたの思い煩いを、いっさい主にゆだねよ」

 早津 栄牧師


↓説教(クリックすると音声が流れます)

あなたの思い煩いを、いっさい主にゆだねよ by Heavens Gate on Mixcloud

ススキ2

 9月に入りましたが、不安定な夏の気候の遺物でしょうか、大きな竜巻発生のニュースに驚かされました。他国のものと思っていた竜巻が近年、日本でも頻発するようになりました。あちこちに起こる自然災害の報を聞きながら、改めて災害と隣り合わせの現実を考えさせられます。近年の国や行政を挙げての防災意識の高まりもこのような自然状況を反映しているのでしょう。「備えあれば憂いなし」と言われるように、人間が出来ることは限られているとは言え、自然と共存しながら危機意識は眠らせてしまわないようにしなければと思います。また同時に「明日はわが身」と、被災された方々を覚えたいと思います。

 自然災害に対する防災感覚以上に、聖書は人生に対する防災をテーマにしているともいえます。自然災害は私たちの人生を揺り動かします。災害は招かざる負たるものですが、そこに何がしかの正の意義があるとしたら、それは私たちに、人生は昨日も今日も同じではないと警告することではないでしょうか。太陽がいつものように変わりなく、毎日上って沈む恒常的な繰り返しの中で、私たちの感覚も、終わりを意識することが難しくなります。昨日も今日も同じだと、ただ日常生活を安穏と繰り返しがちです。

 ある意味でこの繰り返される恒常性は恵みでもありますが、聖書は私たちに、いつも終わりがあることを意識するように警告します。そしてその終わりとは、やがて神にお会いする日に備えよということです。聖書は、あなたの人生は岩の上に建てられた家か、それとも砂の上に建てられた家かと問いかけます。やがて必ず洪水がやってくる、その時、両者の運命は明らかであると。岩の上に家を建てるとは、神を認めて神のことばを土台にすること、すなわち神の御心を愛して生きることです。自分の欲のために生きることは砂上の家なのです。しかし何と簡単に砂の上に移ってしまい易いことでしょうか。自然に対する防災はどこまでいってもきりがないでしょう。しかし神の御心ははっきり聖書に啓示されていて、誰でもこの上に家を建てることができるのです。
【聖書】

 マタイ 4・4~20

【説教】

 「満ち足りることを学ぶ」

 早津 栄牧師

 ↓三角印をクリックすると声が流れます。

説教:満ち足りることを学ぶ by Heavens Gate on Mixcloud


バッタ2

 8月が終わります。猛暑報道が続いた8月でしたが、このところ気温は30度を越えずに落ち着くようになりました。特に朝は涼しくなりました。自然界も何となくほっとして夏の疲れを癒しているように見うけられます。私たちの心身もまた秋に向かって、うまくソフトランディングが出来ますようにと願います。

 キング牧師の歴史的な演説から50年を記念する報道が続きました。この公民権運動の栄光が、このようなかたちで改めて記憶されることは喜ばしいことです。それにしても、民主主義の先端を行くアメリカ社会がほんの50年前まで、このような恥ずべき人種差別政策が公然と行われていたことに驚きを覚えます。そしてその中で特にアフリカ系の人々がどんなに長く忍従と戦いの日々を強いられてきたことでしょうか。誇り高いアメリカの触れられたくない恥部ですが、しかしもちろんこれはアメリカ一人のものではなく、人類の本質を暴いている教訓です。

 私たち人間は何と差別感情を克服できないものでしょうか。このアメリカや、またアパルトヘイトをようやく廃した南アフリカ共和国に対して誰も石を投げることなど出来ません。今も世界中で止むことのないいろんなレベルの民族紛争もまた、差別意識が大きな役割を果たしているではないでしょうか。人類は、差別政策を克服しながら近代社会を造ってきたといえますが、しかし人間の差別感情は、法律によって克服できない厄介さを持っています。事実、公民権運動の勝利を記念するアメリカは依然として白人系優位の社会として、人々は有形無形の差別と戦っています。ある意味で公民権運動はどこまでも続く戦いでもあるのです。

 聖書は、この差別意識こそ、人間の最も醜い最大の罪として定義しています。これに比べたらある意味で殺人や窃盗など子どもの罪とさえ言えるのです。「俺はあいつとは違う。もっと立派で清い」という思いこそ、地獄の底から湧き上がってくる悪魔的な罪であり、人類を汚染する黒い水です。キング牧師の夢は、政治的戦い以上に、霊的な戦いを問いかけているのです。