【聖書】
ヘブル12・1~13

【説教】
「祝福は動かず」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:祝福は動かず by Heavens Gate on Mixcloud


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2013-12-29雪景色1

 2013年が終わります。年が終わるからといっても人生の日々はそのまま継続していくのですから、ことさら区切る必要もなさそうですが、でもやはり、区切りをつけて記念することは、人生の点検と精神のリフレッシュのために大きな意義があると言えるでしょう。最も基本的な区切りは、朝夕の一日一日のサイクルですが、これもまた不思議な、多分計り知れない神の恵みに満ちた知恵なのでしょう。

 さてこの一年はどうだったでしょうか。世界を見れば様々な課題があり、不幸な現実があります。一日を感謝して終わるという、ささやかな平安さえ保証されない現実の中に置かれている人々があることを忘れないようにしたいと思います。日本社会の注目点としては、安倍政権の一年を象徴するような秘密保護法の成立でした。でもある意味で、目の前で繰り広げられた強行劇は、国民の多くに大きな危機意識をもたらし、反面教師の役割を演ずることにもなりました。愚かな道に踏み誤ることがないように、いよいよ目を覚まして、これからを期したいと思います。

 一方私たちは自分の一年をどう眺めるでしょうか。神様は国以上に、何よりも一人ひとりの人生に関心を持って導いていてくださることを感謝したいと思います。その神様の導きに関して、聖書が繰り返して教えていることは、神の恵みとあわれみは尽きることがないということです。この絶対的な保証に照らして、それぞれが一年のそのすべての道に慰めを覚えるようにと祈ります。

 伝道の書が言うように、その道には順境と逆境が織り合わされていることでしょう。それはどんな人にも何らかの試練が添えられているということです。この世にある限り、誰も試練の学科を卒業することはありません。神の子たちにとってそれは必須科目だからです。神に愛されたノア、アブラハム、モーセ、ダビデ等、これら代表的な聖徒たちの生涯はその慰めに満ちた例証です。すべては希望に至る練られた品性のためです。人生の歩みのすべてが希望につながっていることを、年の終りに改めて確認したいものです。
礼拝

クリスマス礼拝

1.聖書 朗読 ルカ2・1~16

2.賛美 「いざもろとも主を」

3.祈り

4.賛美(クリスマスソング)
 ○「世界ではじめのクリスマス」
 ○「インマヌエル 麗しい御名」
 ○「きよしこの夜」

5.教会員賛美
 ○「み使いのたたえ歌う」
 ○「馬ぶねのかたえに」
 ○「オー・ホーリーナイト」

6.クリスマス劇 「不思議な鐘」
 ハンドベル演奏

7.クリスマス・メッセージ
 「最高のささげもの」

8.教会員賛美 「静まって知れ」

 キャンドル・サービス

 ○「諸人こぞりて」
 ○「きよしこの夜」
 ○祝祷(祈り)

↓クリスマス礼拝(三角印をクリックすると音声が流れます)

早津牧之 by Heavens Gate on Mixcloud



↓クリスマス劇「不思議な鐘」
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↓ハンドベル演奏
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↓オカリナ演奏と料理
料理

↓リコーダー演奏
リコーダー

クリスマス

 クリスマスおめでとうございます。そこに込められた永遠のメッセージを今朝また改めて記念したいと思います。

 個人的なことですが、私もまた平均的な日本人としてクリスマスが何でおめでたいのか全くわかりませんでした。知っていたのはイエス・キリストの誕生日というぐらいで、何もつながりませんでした。ところが今からもう40年以上も前、高2の時、ちょうど12月25日が日曜日だったのですが、私は初めて思い切って教会の礼拝に出席しました。クリスチャンでもない部外者が、クリスマスの時はそれでも誰でも行っていい日のように思えたからです。

 今から思えば全く神の恵みですが、この日が私にとって生涯最良の日となりました。そこで何が起こったのか。もちろん目に見えない神に直接出会ったわけではありません。しかし神を信じる人々に出会ったのです。世界にはこういう人々がいるのだということが、平均的な無神論者の私には新鮮な驚きでした。神を信じる人々がいる、そして教会のような世界がある、ということは、もしかして神が本当にいるのかもしれないと考え始めました。暖かい希望の光が差し込むようでした。

 もし神がいるのなら、この世界もまた自分の人生も、ただ偶然に翻弄されている虚しいものではないはずだと思えたからです。その日から教会に通い、説教を聴き、そして聖書を学び始めました。3ヶ月、そして6ヶ月と経った時、その希望は確信に変わりました。「目からうろこ」という言葉通り、大げさに言えば人生観が180度変わりました。バンザイと叫びたい感動でした。と同時に、よくもまあ、神を知らずにこれまで生きてきたものだというような、あきれた驚きも一緒でした。そして、やっぱりそうだったんだ、偶然なんて堪えがたい、神がいて欲しいという心の願いは、真理の叫びだったのだと納得することになりました。「神なんかいるものか」との声があちこちから聞こえてきます。しかし「神がいて欲しい」こそ、万人の正直な願いではないでしょうか。これこそ、神が叫ばしめている確かな道案内であり、裏切られることはないと信じています。
【聖書】

 I ペテロ2・11~25

【説教】

 「その足跡に習うようにと」

 早津栄牧師

↓説教(三角印をクリックすると音声が流れます)

説教:I ペテロ2・11-11 by Heavens Gate on Mixcloud

2013-12-14残り柿

 天気がめまぐるしく変わりますが、まだ降雪までの気温の低下に至らないようで、荒天の中にも意外と太陽が覗く日々に少し戸惑いますね。クリスマスが目前ですので、ちょうど良い穏やかなホワイトクリスマスを期待している人も多いのではないでしょうか。

 このところ全国的な関心の的であった、秘密保護法案が強行採決され、残念ながら、最早法案ではなく、保護法として施行されることになりました。法律制定によって、万事休すとマインドコントロールされることなく、いっそうの危機意識と共に希望を持って、廃案と是正のために祈り注視し続けなければなりません。でも希望は、少し時機を失してしまったとは言え、国民の多くが反対のために立ち上がったことです。政権に予想以上の動揺を与えていることは確かでしょう。それゆえ安倍首相が記者会見で、反省を口にしたのではないでしょうか。でもあまり信用できない二枚舌的な反省弁に、本質を見誤らないように、むしろ戦いの始まりと備えなければなりませんね。


 先週はまたマンデラ元大統領の死去のニュースが世界中を駆け巡りました。マスコミでも改めてその生涯と業績を紹介する特集が続きました。遠い南アフリカのことなので、わが国ではこれまではそれほど取り上げられることがなかったのではと思いますが、今回の報道で多くの人が改めてマンデラ氏を知ることになったのではないでしょうか。特に政治権力の矛盾と戦ったその不屈の生涯はまさに人類の奇蹟とたたえられるにふさわしいものでしょう。権力の矛盾を体現している共産主義陣営の指導者たちまでが賞賛の弔辞を送っていることは驚きですが、立場を超えて、その生涯とその闘争のあり方が人類普遍の道徳性に訴えるからでしょう。

 丁度わが国の秘密保護法案の嵐の中で、届けられたこのニュースは、社会運動に対する大きな希望と共に、その渦中の人間に対して大きな反省とコントロールを与えるものです。闘争のための闘争にあらず、平和と建徳のためにという大理想は、この世界と人類に対して、越えることのできないほどの永遠の見本と光を与えています。
【聖書】
イザヤ52・13~53・6

【説教】
「悲しみの人、病の人、救い主」
早津栄牧師

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:悲しみの人、病の人、救い主 by Heavens Gate on Mixcloud


2013-12-04柿

 良くない天気予報のわりには、このところけっこう日が照って、得をしたような日が続いています。年内12月はこんな調子で穏やかに推移してくれるなら、降雪期間がそれだけ縮められるのでありがたいですね。

 天気の穏やかに比して、国会は穏やかではありません。秘密保護法案が参院において強行採決されようとしているからです。先回も書きましたが、新聞の論調と各界の反応は、この法案に対する不安と反対が圧倒的です。修正賛成派さえ、採決を急ぐことに疑問と反対の声を上げています。これだけ問題視されているのに、なお自民党が採決しようとするなら、それこそ完全に民意を無視しての狂気の沙汰と言わざるを得ません。倍返しならぬ100倍返しを願ったとしても当面選挙は数年先ですから、その間になおこの政権は今の道を突き進むであろうと思うと、やりきれない思いです。鍵を握るのは政権幹部であり、与党議員なのです。少なくとも慎重審議のために声を上げる人々の声さえ聞こえてこないのはどうしたことでしょう。若手もさることながら、ここは経験のある年配議員の出番だと思うのですが、期待される良識派も安倍首相の顔色を見ているだけなのでしょうか。

 これから憲法改正さえ危惧される中にあって、国民全体が正念場でもあります。今法案の問題意識が共有されて、国民力が成長していくことを祈らなければなりません。つくづく政治の難しさも考えさせられます。往々にして国民全体の思いよりも時の政治権力というものが重大な決定をしていくからです。あるいは巨大化していく国家の中にあっては、どうしても国民の思いが専門の政治家任せになってしまうということです。その結果先の大戦のように、後になって権力の暴走を嘆くことになります。権力を持つ政治家の資質のために祈らなければなりません。それと同時に政治家を生み、育てる国民力とでもいうもののレベルが成長していくべきなのでしょう。

 巨大な国家の中にあっては、自分ひとりが一体何になると考えてしまいますが、でも神の前ではいつも自分の価値観が問われていることを覚えたいと思います。
 12月15日(日)午後1時30分から「クリスマス子ども会」、12月22日(日)午前10時30分から「クリスマスの集い」を開きます。どなたでも参加できます。

クリスマス2004

クリスマス003

【聖書】
Iペテロ1・24~25

【説教】
「幼子となられた神」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:幼子となられた神 by Heavens Gate on Mixcloud

枯葉

 2日間大風が吹いて、木々の紅葉の大半が吹き飛ばされてしまいました。色のない世界に変わって、木々も裸になってしまいましたが、それでも既にコブシの木には花芽がいくつもついて春の準備をしています。いよいよ冬ですが、忍耐と厳しい季節にあってこそ、神の暖かい恵みのしるしを捜したいものですね。

 化け物のような秘密保護法案なるものが、衆院を通過し、成立は時間の問題のようです。これだけ各界から心配の声が上げられているのに法案成立に突き進んでいる姿、また意を尽くしたと真面目にインタビューに答えている政権幹部の人たちには全くあきれてしまいます。流れに流されて、声を上げられずに良心の痛みを感じているのではないかと、特に心ある与党議員の心中を察したくなりますが、いやそういう人はもう自民党にはいないのでしょうか。安倍人気の影でただ黙っているという人材しかいないなら、まさにその政党はもう小さなムラ社会ということでしょう。自民党内からすっかり反原発の声が聞こえなくなっているのも寂しい限りです。若手に代わって、小泉老人がさかんに叫んでいますが、喜んでいいのか・・・複雑です。

 でもいつもながらただ政治家を嘆くだけなら、それはそのまま私たちにも返ってくる問題です。誰も「良心に恥じず」を合言葉にしたいと願いつつ、大きな流れは私たちの良心を飲み込みます。少しずつ流され、その流れはますます大きくなって力を増していってしまいます。そして私たちは良心を眠らせ自己防衛をしてしまうのです。確かにいつも自分から始めなければなりませんね。原発問題を初め、昨今のいくつかの右傾化法案は日本人一人ひとりの試金石です。聖書が言う「狭い門から入り、細い道を歩め」とのメッセージは、大衆受けしないからこそ、人生のあらゆる状況に語られた真理ではないでしょうか。世の流れを吟味せよ、そして良心を訓練せよとの永遠のガイドです。愛という広い心と、真理という狭い道、この二つをいつも問い続けて歩みたいものです。