【聖書】
ローマ人への手紙 12・1~21

【説教】
「祝福の黄金率」

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説教 by Heavens Gate on Mixcloud

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妙高夕焼け

 大寒を過ぎてこの時季、しばらく暦と天気状況のにらめっこが続きますが、どか雪にならず、少しずつの降雪であるようにと願っています。帯広の中村兄と電話で話しました。温度はマイナス20度近いということですが、雪は何と5センチ位とのことでした。その上、道東地方は太平洋側に位置するので、日中は太陽がよく照るということです。それを聞きながら、北海道のイメージが少し変わりました。寒さは歓迎しかねますが、太陽は大きな魅力ですね。太陽に励まされながら、移住一年目の冬がクリアーできるようにと祈ります。

 オウム裁判のことがまたニュースとなっています。この事件からもう25年も経とうとしていますが、事件全体の多くは闇の中にあるようで、依然として日本社会に衝撃を与えています。平和な日本でよくもまあ、社会の転覆を図り、武装化さえ進めようした集団が、人目に触れずに拡大していったものだと誰でも驚かされました。狂気としかいえない事件でしたが、人間の闇と社会の闇に光を当て、このようなことが起こりうるということに目を開かせました。私たち宗教人にとっては残念なことですが、宗教の怖さと宗教への拒否感を日本中に印象付けることになりました。

 つくづくと人間の心というか、頭というか、その弱さともろさ、危険性を思わされます。何を信じ、どのような思想を持つか、人間とはまさに頭の産物ですね。そこに何を入れるかにかかっています。間違った思想の極端な思い込みほど怖いものはありません。多くの人は自分は宗教のような一つのものを信じていないから中立で健全だと思っているかもしれませんが、人が中立などということはありません。それは頭に何も入っていない空っぽ人間だと言っていることでもあります。何か何かが入っているのです。その入っているものに対する謙遜な検証がいつも問われます。クリスチャンは一つのものを信じています。それゆえ人一倍謙遜な検証態度が欠かせません。まことの教師である聖霊によって、理性と良心が絶えず訓練されますように。
【聖書】

 ルカ 19・9~14

【説教】

 新井聖書教会
 
 早津栄牧師

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こんな by Heavens Gate on Mixcloud

つらら

 大寒波の予報通り、寒い日が続き、また平地もいよいよ白銀の世界となりました。暦も大寒を迎えますのでこれが順当なのでしょう。これから2月の雨水までの正味一ヶ月が雪国そのものですね。先日、孫と一緒にしばらく雪の中で過ごしました。孫は大喜びで犬の如く雪と遊び、なかなか家に入ろうとしませんでした。雪に感情があるならば、子どもに愛される幸せを感じたひと時ではなかったでしょうか。私たち大人もまた、こんな子どものように雪と過ごせたら幸いですね。健康に留意しながら、でも雪国でしか味わえない雪の世界を楽しむ気持ちで、冬を乗り越えたいと思わされます。

 年が明けて、日本の政治状況は相変わらず大きなテーマが一杯です。名護市長選やまた、急に浮上した東京都知事選が大きな関心を集めています。また世界を見れば各地でデモが行われ、要求と要求がぶつかり合う状況が続きます。中でも心が痛むのは、アラブ世界の状況です。民主化が大きく前進し、花開くであろうと期待された「アラブの春」は、今大きく躓き足踏みし、それどころか後退しつつあるような姿が展開しています。改めて人間世界の複雑さを考えさせられます。こうなればいいのにという理想を共有しながら、そこに様々な利害や主張が立ちはだかり、それにたどり着くどころか、壊してしまうジグザグ道が続きます。そうなると理想への気持ちを持ち続けることは難しく、どこかで気持ちが切れてしまい易いでしょう。そこに悪が乗じて破壊勢力が台頭してしまいます。何百万もの難民の人たちの苦難がどこまで続くのだろうと無力感と共に心が痛みますが、気持ちを切らずに粘り強く前進して欲しいと祈らされます。

 私たちの人生の課題も、粘り強く前を向き続けることではないでしょうか。困難や失敗のために気持ちが切れてしまう誘惑がやってきます。人間である限りそれは避けられません。この時、前を向くか後退に身を任せるかいつも問われることになります。新しい年、躓きと後退を一方で計算しつつも、神の恵みによって、何度でも繰り返し、前を向いて立ち上がりたいものです。
【聖書】

 マタイ 7・7~11

【説教】

 「望みの主に導かれる冒険」

 早津栄牧師

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雪景色

 荒れるだろうとの天気予報に比して、穏やかな年末年始となりました。既に第2週を迎えていますが、ここまでまだ穏やかさが継続していることは大分得をしたような気分ですね。でも地球規模では北米やヨーロッパの大寒波の報も届いていますので、まだまだこれからと覚悟しつつ、冬本番を迎えたいと思います。

 新年の休みを過ぎてそれぞれはまた忙しい日常に突入したことと思いますが、その忙しさになし崩しにならないように、まだページがめくられたばかりの1月ですので、新年の願いや目標を、時間をとって考えたいものです。というのもやはり願いや目標なしには、たとい日々が忙しくて充実しているようでも、誰かに支配されているようで、自分の内からは主体的な生気が湧き上がりにくいからです。

 もちろん私たちクリスチャンは、主の御心だけが成るということを知っていますので、「御心のままに」という姿勢を大原則としていますが、これは何も考えずに無計画にということではありません。考えることと計画することは、「神のかたち」に造られた人間の本質的なあり方だといわなければなりません。ですので「御心のままに」という合言葉は、不活発な怠惰に組するものではありません。主を信頼しながら自分もまたそれに積極的に参加することが求められています。もちろん私たちは何も考えられず、創造的に立ち上がれないときがあります。そのときは静まって、それこそ御心のままに主が志を起こしてくださることを求めればいいのです。考えたり願うことが神のかたちである限り、主が必ず願いを起こさせてくださると信じます。

 人生には冒険の要素が欠かせません。ものごとが冒険になるためには、そこにわくわくした期待感がなければなりません。わくわくした期待感を持って生きるということはおとぎ話の世界ではなく、現実の人生への神の御心です。そしてそれは何らかの願いや計画、そして挑戦に付随するものです。この一年が神と共にそんな冒険の日々でありますように求めたいものです。
【聖書】

 詩篇62・1~12

【説教】

 望みの主に導かれて祝福の道を

 早津栄牧師

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山茶花

 新しい年2014年おめでとうございます。主の恵みによってまた尊い一年が加算されるであろうことを謹んで感謝したいと思います。確かに一日一日が繰り返されることさえも当たり前ではない恵みならば、一年はその365日分が込められているわけですから重いものですね。若い時はこのような感覚を覚えることもありませんでしたが、加齢とともに自然にそのような思いにさせられます。主がそのページを開かれ、そして与えてくださる一年ならば、それは確かに良い一年であり、恵みの一年に違いないことを信じて歩んで行きたいものです。

 AD2014年と改めてその年数を数えてみれば、主キリストがこの地上に救いのみわざを刻んでから既に2000年以上を経ることになります。聖書の歴史を振り返るならば、信仰の父と呼ばれるアブラハムは、約BC2000年に、すなわちキリストがこの地上を訪れる2000年前に、まだ見ぬキリスト、やがて救い主として来られるキリストを信仰によって仰ぎ固く信じました。 驚くべき信仰でした。

 一方私たちの場合はキリストを見てはいませんが、でも聖書という確かな歴史的記録によって、いわば過去を見ながら信じていることになります。そして共に2000年を刻んだことになります。軽率には言えませんが、神の摂理が大きく動くような意義深い年代に十分達していることを覚えながら、目を覚まして今の時を生きたいと思わされます。

 先のアブラハムの信仰に戻りますが、過去を見て信じている私たちよりも、まだ見ぬ未来を見る如くに信じた彼の信仰は、何倍も難しいことは明らかです。それゆえ彼は神によって信仰の父と呼ばれています。驚くべき信仰ですが、主は、アブラハムのように、わたしたちにもその如く信じて歩めと招きます。確かに見えるところにはよらないのですね。今見えるところの良し悪しが、これからの歩みを決定するのでもありません。

 そういう意味では未来は決して過去の延長ではありません。無から有を取り出す神こそが、未来の主であることを覚えて、新しい年も精一杯主に期待して歩みましょう。