【聖書】
創世記 42・29~38

【説教】
「こんなことがみな、私にふりかかって来るのだ」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

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つぼみ

 温かい天気が続きました。サクラの便りがあちこちから聞かれるようになりました。少しずつ色づく自然の変化が楽しみです。松山の梅も咲き始めました。一方で招かれざる花粉症もやって来ました。こちらも昨今では確実な春の便りと言うべきでしょうか。涙と鼻水に妨害されないということは、普段は気付かない大きな恵みなのですね。

 ヨーロッパではクリミヤのロシアへの併合が確実となり、エジプトやシリヤがかすんでしまうような新たな世界の問題となっています。冷戦時代に逆戻りしたようなロシアの振る舞いに、世界は当惑しています。西側が厳しくドロボーと最大級の非難で、良識に訴えても、こちらはどこ吹く風の体では何の効き目もありません。世界中が歯がゆく思っているのではないでしょうか。盗人にも3分の理?とも言うべき、ドロボーの論理に世界はどう向き合ったらいいのか頭を抱えています。

 私たちは改めて、この世界には未だドロボーの論理が通用するのだなという現実を見せ付けられて驚いています。ドロボーの論理とは力の論理でもあります。力のある者が弱い者や無抵抗な者を従えて自分の利を通すことが過去においてまかり通ってきました。列強による植民地競争とその果てがつい前世紀の世界大戦という結末でした。人類はその後の冷戦時代を克服して、その反省と教訓の基に、自由と平等、そして正義の世界観を学び、共有しつつあったのではないかと思いますが、ここに来てそれが崩れ去るような危機を前にしています。確かに人類の歴史は、力は正義なりを地で行っている様な歩みを繰り返してきました。力を持っているものが平和を乱してきたのです。経済力によって台頭著しい最近の中国もそのような不安を世界にもたらしているのではないでしょうか。人類は、力はむしろ正義の敵なのだという認識を警告とすべきなのだと思います。力は簡単にドロボーの正義となってしまうのです。私たちの人生も同じです。金力や権力ではなく、ただ神の前での正義を追い求めることができますように。
 塚田ツグー・真理子宣教師を迎えての礼拝です。感謝します。

 ご一家は、インドネシア、西カリマンタンでの聖書翻訳宣教のために遣わされて、今日まで3期目の働きを終えて、この4月から4期目の働きに出発されます。続いて翻訳の前進と主の守りと祝福を祈りましょう。

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【聖書】
Iサムエル記 14・6~23

【説教】
「ヨナタンが信じたように」

↓塚田真理子師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

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フキノトウ

 ようやく温度が上がり始めました。先日は関東地方に春一番の大嵐も吹き、日本列島のサクラ開花第1号も報じられました。多分これからは一気に北上が進むことになるのでしょう。先日、雪道がようやく開けられたので、楽しみにしていた松山の梅を見に行きましたが、残念ながら蕾はまだまだの固さのようでした。今年もここ近年の傾向のように、サクラと梅がほぼ一緒になるのかもしれません。

 先日はまたうれしい驚きと感動がありました。「百万人の福音」に、何と、政治学者のカン・サンジュンさんのスペシャルインタビューが載っていたからです。カン氏については皆さんも何度もテレビ・新聞等で目にしているのではないでしょうか。マスコミに登場する最も有名な知識人の一人であり、最近は「悩む力」や「心」等の著書でも知られています。在日二世としての出自のゆえに、苦労と葛藤の青春時代、また30代を過ごされたようですが、40代後半ぐらいから注目されるようになったのではないでしょうか。東大教授を退官され、何とこの春からキリスト教主義の聖学院大学の学長になられるということです。驚きました。聖学院に迎えられるということは、当然クリスチャンであるということです。

 かねてより、テレビや新聞等でカンさんの思想や人となりについて好感を持っていました。そしてこんな人がクリスチャンであればどんなに良かろうかと思っていました。実際彼の思想にキリスト教的なシンパシーを感じていましたから、さも有りなんと納得させられもしました。聖学院は良い先生を迎えたという思いです。一人聖学院だけではなく、日本のキリスト教会全体にとって大きな朗報として受け止められるでしょう。彼には、世俗の一般社会に通ずる学者としての知名度から、クリスチャンとしての発信が大いに期待されることになります。とはいえ、信仰的立場が明確にされたことで、難しい立場も背負うことになります。彼の思想と歩みがますます堅実に主の栄光を表すものでありますように、祈りとエールを送りたいと思います。
【聖書】
IIサムエル記 12・1~15

【説教】
「そんなことをした男は死刑だ」

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白鳥

 先日10日は聖書学院の卒業式でしたが雪の中でした。学院に向かう途中、柿崎線の田んぼには、沢山の白鳥の群れが出現し、極寒の冬に戻ったような雪を楽しんでいるようでした。それでもいよいよ今週は温度が上がるようです。松山の梅はどんなだろうと楽しみです。

 11日は東北震災の3周年を記念する報道が続きました。改めてこの時期の寒さとの戦いであったことも知らされました。広範囲の大災害ゆえ、復興はなかなか進みません。人々の暮らしと地域のあり方が深く関わっているため、計画の青写真を描く段階で足踏みが続き、具体的な予算執行にまで至れない状態とのことです。確かに人の住む町は物を作るように大量生産はできません。時間との戦いでもありますが、でもただコンクリートで物を造るような粗雑なものでないようにと願わされます。

 さらに深刻なことは福島県の状況です。放射線禍が深く覆っているからです。3年前、日本中が福島第一原発の事故映像に釘付けになりました。でも多分その時点では、国民の多くはそれほど深刻に受け止めていなかったのではないでしょうか。原発の安全神話とともに、私たち国民のほとんどは原発に関して無知であったからです。私もその時点で、きっと福島は速やかにうるわしい地に再生するだろうといったような文章を書きました。しかし今の現状を見れば、無知の故の楽観であったことは明らかです。

 と同時に国民は原発について大きく目を開かれました。今はもう誰も安全だとは思っていないでしょう。どんなに政府が情報を制限しようが、もうその危険な実態と廃棄物処理のほとんど絶望的とも言える難題は隠しようがありません。それなのに政府は、喉もと過ぎればの如く、再稼動しようとしています。電力会社と政府の無責任な先送り感覚は、一般の国民からは大きくずれています。新聞に、「総理、福島に別荘どうぞ」という意の川柳がありましたが、その通りですね。4年目の震災復興と共に、憲法解釈問題、原発問題に、国民の良識が反映されて、健全な前進の年となるように祈りましょう。
【聖書】

 マルコ 14.1~9

【説教】

 少ししか赦されない者は

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ふきのとう


 例年3月第1週にもたれる教会総会が終わりました。空を見上げる1、2月が終わって、これからは空を見上げることもなくなります。未だ気温は冬と綱引きをしているようですが、日一日と明るくなっています。春の爆発の前の微妙な変化も楽しみたいと思います。

 この喜ばしい春に、またオリンピックが終わったばかりの黒海沿岸では、いきなり冷戦のような状況が生じています。エジプトの動乱、シリヤの内戦が収まらぬうちに、また新たにウクライナ問題が世界の火種になっています。実に人間社会は複雑ですね。争いの種は至るところに蒔かれているのであり、何かの拍子にすぐにも発火してしまう危険と同居しています。文明が進歩し、歴史の教訓を積み重ねても、人間性というものはあまり進歩しないものなのですね。

 一方私たちの国に目を向けても例外ではありません。集団的自衛権の行使に向けて着々と進んでいるようであり、戦争放棄の縛りを無くそうとしています。平和を築くのは長く続く至難の業ですが、戦争はたった一日でできてしまうのではないでしょうか。政治的な問題だけでなく、昨今はいかにも簡単に殺人がなされているような事件が報じられています。最近の通り魔事件や、男子高校生による女子中学生の殺害など、何食わぬ顔をして殺人をしているような空恐ろしさを感じてしまいます。

 確かに私たちの戦うべきは人間性なのですね。聖書を開くと、人類の歴史が始まったばかりの冒頭、いきなり殺人事件が報じられます。人類の先祖アダムの長男カインが弟アベルを殺すという、それこそ前代未聞のような事件です。ここを読む時、誰でも人間は一体このようなことができるものかと驚き、聖書は変だと思ってしまいます。しかし冒頭、いきなり殺人事件を記す聖書は、寝言を言っているのではありません。人間はこのような者だと、原罪を抱える人間性の闇を冷静に見つめて警告しているのです。私たちは、外側の国と戦う以上に、自らと互いの罪の闇と戦わなければならないのです。
【聖書】
ヨハネ 17・1~26

【説教】
「彼らはあなたのものです」

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雪解け

 3月を迎えます。今週はようやく暖かくなって、雪解けが進むことと思います。今年は小雪の割には気温の低い状態が続き、なかなか雪が融けませんでした。そのためでしょうか。農道や間道の除雪は手付かずで、なかなか足を踏み込めません。これからは少しずつ歩ける道が拡大し、楽しみな野山に近づくことができるでしょう。

 先週は、一人の青年が、歩道にて車を暴走させ、多くの人たちを巻き込む無差別殺人未遂事件が報道されました。その青年の詳細はわかりませんが、仕事がうまく行かず人生の躓きが大きな要因のようです。社会での居場所を得れない孤独や絶望、そして怒りがこのような自暴自棄的な事件につながったと思われます。

 少し前の農薬混入事件も似たような構造を持っているのではないでしょうか。他人事とは思えず、身につまされます。最近はよくこのような事件が報道されるようになっているように思います。個人の問題であるとともに、今日の社会のもたらしている悲劇ともいえるのではないでしょうか。文化の進歩と発展とともに、幸福がより平等に享受される社会がもたらされるのではないかと、私たちは漠然と楽観していたと思いますが、現実はそのようではないようです。

 成熟社会の先端をいっている欧米や日本で格差が増大しつつあるともいわれます。文明の進歩がユートピアをもたらすだろうという合言葉は、ここに来て大きく躓いているのが現実と言わなければなりません。近代社会の発展の原理であった、競争と効率が人間の疎外をもたらし、その行き着く社会を警告されているのでしょう。

 分析は簡単でも、これにどう対処すべきかは簡単ではありません。人間が取り戻されること、人間が安心して居場所を得れるために、常に人間は逆の原理に向き合わなければならないのでしょう。聖書は既に3000年前から隣人愛こそ社会の原理と明確に掲げています。この指針が色あせることはありません。人間社会の危険は今も昔も変わらないのですね。私たちはまず、小さな一人の居場所を尊重する愛を学ぶ者でありたいと思わされます。