【聖書】

ローマ 14・1~9

【説教】

「もし死ぬなら、主のために死ぬのです」
↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:「もし死ぬなら、主のために死ぬのです」 by Heavens Gate on Mixcloud


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桜アップ

 先週のイースター、天気回りが少しずれて、心配した雨から守られ、ピクニック日和となりました。松山のサクラもちょうど満開でした。これからいよいよ新緑のグラデーションが進みます。本当にこのまま止めておきたい季節ですね。2014年の春の真っ盛りです。いつも繰り返す春とは言え、それでも人の一生が80年程だとするなら、80回だけ春を観ていることになります。そう考えると貴重な得がたい一回分となります。そしてまたそれぞれの人生は同じ春を繰り返すこともありません。

 韓国船の沈没事故が連日報道されています。まことに痛ましい惨事ですが、ことに大きな教訓となっているのは、いくつも重なった人災事故という性質でしょう。事故にはいつも多少の人災的要素が避けられないとしても、今回はあまりのお粗末が露呈されました。海の専門家である船長はじめ乗組員たちが、守るべき無力な子どもたちを後回しにして、自分たちが真っ先に脱出して自分の命を救ったのです。どこでもありえる悲しい自己保存の醜態ですが、それを知らされる私たち一人ひとりも厳しく問いかけられる思いです。韓国社会にも大きな衝撃を与え、船会社と船員たち一部の人々の行動とは言え、国全体のレベルに重ねて、ある韓国紙が、自分たちは三流国家だったんだと嘆いたとのことですが、その無念さが伝わってきます。

 この教訓は他人事ではありません。いざという時の行動は何と難しいことでしょうか。それと同時にいざという時こそ、本質が試されることがわかります。そういう意味では、人生とはいざという時に備えて日々を生きているともいえます。あるいはいざという時をいつも意識していることが、日々のより良い生き方につながるということでしょうか。聖書は私たちに生きるということは常に自分のいのちを投げ出す準備をしていることだと教えます。それを、「自分のいのち愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります」と教えます。重い挑戦ですが、死んでこそ生きるという招きに従いつつ、日々自分を訓練したいものです。


 今日は主イエス・キリストの復活を記念するイースターです。

 復活のいのちの力と希望がそれぞれに新しく注がれますように。

 礼拝後、陣場霊園に移動して墓前礼拝、そして松山でピクニックをしました。

↓墓前礼拝
 墓前礼拝

集合写真

墓

みそ汁

ピクニック

桜

↓イースターエッグ
イースターエッグ
【聖書】
IIコリント 15・51~52

【説教】
「生きることはキリスト、死ぬことも益です」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

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花いかだ

 今私たちの妙高地域は、一面がサクラで覆われて日本の春の真っ只中です。まことに素晴らしい時ですね。一方で、これが約10日間ほどで散ってしまうことを思うととても残念でもあります。季節がもし4、5月のままで固定するとしたらどんなにいいだろうかといつもながら考えてしまいますが、果たしてどうでしょうか。常夏の国と言われる地域は地球上に存在していますが、それよりも常春の国の方が数倍慕わしいように思えます。でもこれはなさそうですね。天国と重なるような未だ見ぬ永遠の憧れの国というべきでしょうか。

 でも先に言ったように、季節がずっとサクラが満開の状態の、4月20日頃で固定するとしたなら、どういう味わいを感ずることになるのでしょうか。想像するに、多分春の素晴らしい高揚感と感慨は減じてしまうのではないでしょうか。変化がなくずっと同じままであるということは、たといそれがどんなに素晴らしくても、感動が薄れていってしまうでしょう。悲しいマンネリとでもいう状態の犠牲になってしまうようです。と考えるといつも同じであるということは、たといそれが良い状態であっても、必ずしも祝福とはいえないということでもあります。神の御心は全部はわからないとしても、四季の変化を定め、中でも冬の季節を置かれました。願わしくない冬が、春の喜びを何倍にもしているのでしょう。冬の意義は、冬そのものの季節よりも、次に来るものを待ち望ませるという面が大きいのかもしれません。

 これはまた私たちの人生にも通ずる原理かもしれません。人生もまた、少、青、壮、老と四季を刻んでいるともいえます。人生が万年青年ならばよかろうものをと思いますが、多分それは祝福ではないのでしょう。弱さをまとい、衰えるからこそ、私たちはその先にある次を待ち望むのではないでしょうか。今日は主の復活を記念するイースターです。復活こそ人生の先にある最後の答えです。人生の四季はこの先にある真の祝福をこそ待ち望ませるための舞台です。ことに冬のような時こそがその憧れを何倍にもしてくれますように。
【聖書】
ルカ 23・13~48

【説教】
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

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↓妙高市文化ホールの桜
新井桜1
↓観音平のカタクリ
katakuri.jpg


 いよいよサクラがこちらでも本番を迎えました。同時に様々な植物もまさに踊り出します。幸いな誘惑に満ちた季節ですね。年度初めの忙しい中かもしれませんが、少しでも春と遊んで癒されますようにと願います。

 入学式、入社式の4月でもありました。各方面でフレッシュマンがスタートを切ったことでしょう。昨今の社会情勢を考えると、特に若い人々の職業人生というか、社会人生というものが多難なように思いますが、願わくは、少しずつ基礎が積み上げられて、その上に良い家が出来上がるような人生でありますようにと思わされます。確かにそんな人生こそすべての人の願って止まないものですね。しかし果たして、自分はどうなんだろうとおぼつかない思いにさせられる人生の理想でもありますね。

 先日トヨタの入社式の様子が報じられましたが、その中で、新入社員を前に社長が、とにかく3年はがむしゃらに働いてみて欲しい、そうすればおのずと先が見えてくるものだ、というように語ったメッセージが紹介されていましたが、共感を覚える人も多いのではないでしょうか。昔からの「石の上にも三年」との格言にも通ずる真理でしょうか。不安や失敗、そして自分はこの仕事は合っているんだろうか、という葛藤と無縁な人はいないでしょう。別の道が度々、頭をかすめるかもしれません。しかし先人の知恵は、今少し忍耐してこの道を続けよということであり、それこそがどちらにしても次の道に通じているというものではないでしょうか。平凡かもしれませんが、多くの人たちが学んできた真理ではないでしょうか。

 聖書の基本的なメッセージもまた、今あるところ、今置かれたところに主を認めよ、というものです。計画性は大事だとは言っても、人間は厳密には一年先さえ読めないものです。であれば、今というところから学び、今を生かすことこそ私たちのできる最善でもあります。未来が不安になる時、未来に続く今をこそ力強く導いておられる主に信頼して、今を一歩一歩忠実に歩みたいものです。
【聖書】
伝道者 7・1~9

【説教】
「顔の曇りによって心は良くなる」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:顔の曇りによって心は良くなる by Heavens Gate on Mixcloud

kobushi1

 4月に入りました。一年で一番の季節を迎えます。一日一日の変化が楽しみです。平地では雪がすっかり消えました。同時に次の変化が速まっているようです。日当たりの良いところではコブシが咲き始めました。こうなると変化はあっという間ですね。早く新緑をと願いながら、でもあまり早く春が行ってしまわないようにとも思います。新しい出発の4月でもあります。春がその出発を祝福し応援してくれますように。しかし試練の中にある人もまた多いでしょう。でもその中ある人々にこそ、春からの癒しと希望がもたらされますようにと願います。

 STAP細胞問題がずっと話題になっています。厳しい判断が下されて当の小保方さんは、歓呼された時の人から、一転、厳しいブーイングの中にあります。彼女にとって、まさに春は名のみの冬のようかもしれません。論じられていることはきわめて専門的な領域なので、専門家をもってしても真偽の行方はこれから未だ一年もかかるということです。専門領域はわからないとしても、私たちにとっても現代のガリレオ裁判のよう注目させられることではないでしょうか。

 とどのつまりは、何が真理なのか、真理はどちらなのかということになるでしょう。そして最終的には真理自らが証しするということでしょうか。真理ならば、どんなに攻撃されようが、また当座はどんなに劣勢であっても、それをかき消すことはできないという原理の前に、私たちはいつも謙虚でありたいと思います。しかし人間の歴史は、最近注目された冤罪裁判のように、ある意味で無数の汚点を刻んでいるとも言えます。それは悲しいかな、厳正な真理判断の場に、人間の都合や利益が介入して、歪曲や捏造が成されてしまうからです。人間の本性は、普段は真理を愛すると言いながら、自分の利害がからむような時には、巧妙に口をふさいでしまう闇を持っているからです。聖書が言うように、人間は真理よりも罪を愛する者なのですね。自分の闇を厳しく見つめて、真理を愛する細い道を選び取れますように。
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