2014年6月1日(日)午後0時30分から、恒例の「バザー」を、新井聖書教会で行います。

 竹の子ご飯、焼き鳥、コロッケパン、焼きそば、チヂミ、ケーキ、飲み物などの販売もあります。どなたでもおいでいただけます。売り切れ次第に終了します。

 くわしくは以下のちらしを御覧ください。

バザー
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【聖書】
マタイ 6・5~15

【説教】
「守るべき御国の憲法」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:守るべき御国の憲法 by Heavens Gate on Mixcloud


↓甘い香りを放つニセアカシアの花
ニセアカシア

 すっかり緑が深くなり、5月も終わろうとしています。私には一年で最高の5月と思えますので、終わって欲しくない、と寂しい思いがしてしまいますが、春夏秋冬の四季もまた神の創造の御業です。聖書には、すべての創造を終えた六日目に、お造りになったすべてのものを見られて、それは非常に良かった、と満足された様が書かれています。ということは5月ばかりではなく、すべての月がまた最高の傑作とされていることになります。であれば、この最高の芸術家と感動を共にするように、迎える6月もその如く、見、味わいたいものですね。

 また先週は、北海道に移住した中村夫妻が、思いがけず、ちょうど一年ぶりにこちらに来られ、再会できたことは懐かしいひと時でした。一年のブランクなど全く覚えず、昨日ぶりのような再会でしたが、中村夫妻にとっては、新天地で様々な出来事が一杯詰まった一年でもありました。でも元気に一年目を迎えられたことを感謝しつつ、共に北海道に思いを寄せ、ますます「住めば都」の祝福の地となるように祈りました。

 さて先週に引き続いて国の動きが気になります。集団的自衛権問題をめぐって、与党協議が始まりました。私には安倍首相、石波幹事長、そして高村副総裁の顔つきがますます陰険になるように思えてしまいます。どんなにソフトを装っても顔が引きつっていることを、本人たちも感じているのではないでしょうか。先日の朝日の社説に、安倍首相が、集団的自衛権宣伝のための国民向けの会見で、「国民の命を守る」と、21回言及したことが紹介されていました。入念に準備した、おじいちゃん、おばあちゃん、そして赤ちゃんを抱いた母親のパネルを掲げて、この人たちの命を守れなくていいのかと訴えたわけですが、社説はお涙ちょうだいのトリックと評しました。いまさらわざわざ言わなくても、戦後68年、現行の平和憲法こそ国民の命を守ってきたのです。集団的自衛権は、命を守どころか、国民の命を危険にさらすことを法制化するものです。その詭弁を何とかごまかそうとする彼らの顔が引きつるのも当然で、国民のまともな感覚が勝利するように祈りましょう。
【聖書】
ダニエル 4・13~27

【説教】
「国々は、あなたのものです」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:国々は、あなたのものです by Heavens Gate on Mixcloud


↓妙高市大洞原の菜の花
大洞原の菜の花

 先週は、母の日で恒例の男性による食事作りがなされました。竹の子汁とおにぎりというシンプルなメニューでしたが、それだけ竹の子汁とおにぎりの美味しさを十分味わいました。また今は山菜の季節、ワラビとゲンブキも添えられました。年にたった一回の楽しい食事作りですが、毎日毎回食事を作るお母さんたちは大変ですね。

 さて今日本は、昨年の秘密保護法に次いで、集団的自衛権容認問題をめぐって大きな山を迎えています。昨年、大きな反対にもかかわらず、自民党の数の力で押し通されて、多くの人が全くの悪法と危惧する秘密保護法が成立してしまいました。今回も安倍内閣は、国民の議論や反対を封じ込めるかのように、国会でさえも議論せず、内閣のみの閣議決定で、この重要問題の憲法解釈変更を通過させようとしています。この問題を考え政府に答申するために構成された「安保法制懇」の14人のメンバーは皆、安倍首相の考えに賛同するメンバーが集められているということですから、全く開いた口がふさがりません。

 既に初めから結論ありきの我田引水的な理論武装するために今まで話し合っていたというしかありません。国の最重要問題が、全く安倍さんの個人的私的諮問機関によって、権威付けられるように装われているに過ぎません。これからこの引け目を何とかうまく理由付けをして、そしてできるだけ国民にも説明したというふうな時間稼ぎと民主的手続きを踏んだというような装いを作りながら、少しでも早くこの憲法解釈を変更してしまいたいというのが本音でしょう。この暴挙を何とか留めたい、政治家たちと日本中の良識が結集して、少なくとも、真に保守的で健全な、良い意味の先送りが成されるようにと祈らなければなりません。皮肉なことですが、ここは公明党の絶対的な頑張りも期待しなければなりません。彼らにとっても党の死活に関わる問題でしょうから。国は時の政府のものではありません。まして安倍首相のものではありません。主がかつてネブカデネザル王に厳しくも訓練的に介入されたように、安倍首相にも主の摂理的介入がありますように。
【聖書】
エペソ 6・1~9

【説教】
「あなたを生んだ父と母を喜ばせよ」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:あなたを生んだ父と母を喜ばせよ by Heavens Gate on Mixcloud


↓男性の手による母の日食事会
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 今年のゴールデンウイークが終わりました。ほぼ晴天に恵まれた素晴らしい一週間となりました。しかし海の事故と、山の事故も多く報道されました。せっかくの自然が、災いの場所になってしまうことにいつもながら複雑な思いです。確か私たちの人生には危険が一杯ですね。祈りなくして一日たりとも過ごし得ないという信仰を新たにさせられます。一日一日は神の守りと恵みの貴重な贈り物なのですね。

 韓国船事故の報道が続いています。それだけ韓国社会だけではなく、世界中に大きな衝撃を与えたことをあらわしているでしょう。特に遺族の方々からは無念さと怒りが会社と共に政府に厳しく向けられています。また韓国社会全体も、国民全体の怒りと恥辱を晴らすために、血眼になって責任の所在を明らかにしようとしています。その中で、朴大統領が「無限の責任を感じる」と国民の前で表明したとのことですが、短いことばとは言え、大統領の胸中を察して余りあるのではないでしょうか。

 問題や事故が起こる度に責任問題が浮上します。確かにそれは明らかにされ、問題点が改善されていくためになくてはならないものですが、責任問題の議論にはいつもある違和感のようなものを感じさせられます。というのは誰がどこまで、責任を負うものなのだろうかという事柄は、きわめて複雑な問題であり、単純に線引きができないからです。ともすると、怒りを晴らすために、物事を単純化して、少数のスケープゴートを作り上げ、鬱憤を晴らそうとしてしまいます。そして自分は関係ないと割り切ってしまう傾向があるのではないでしょうか。会社も国も、少数のトップだけで動いているのではありません。全体が有機的につながっています。それはちょうど一つ一つの細胞が一人のからだを構成しているようです。トップに大きな責任があるとは言え、皆が何らかの形でそのトップとつながっています。これはまた人生の構図でもあります。誰かを非難する時、その向けられた手はまた、自分にも、向かっていることをいつも謙遜に受け留めたいと思います。
【聖書】

 創世記22.1~19

【説教】

 「モリヤの山に登る」

 早津 栄牧師

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:モリヤの山に登る by Heavens Gate on Mixcloud



たんぽぽ

 先週29日の聖書学園バザーは、心配した雨予報も一日ずれて、穏やかな暖かい天気に恵まれ盛会となりました。当教会のカレー作りも、精兵部隊?が集まり、11時に無事開店、午後一時には完売となり、164食分の新記録?となりました。味も好評で、収益約43,000円を学園に献金できました。また普段はあまり見慣れない、兄姉の厨房作業姿も新鮮でした。学園のバザー委員会では、バザー会場での各教会の出店での協力を願っていますので、今後は教会として何か出店できればいいなあとも思います。

 また先週に引き続いて、韓国船沈没事故報道に関わりますが、事故調査が進み、過積載の問題が指摘されています。いくつもの人災が重なったものと言えますが、その中でも、安全基準を無視しての過重積載が構造的な致命傷となったようです。客室増設と過重積載、これはともに会社の利益優先体質が招いたものであり、結果としてまことに取り返しのつかない大惨事となりました。韓国の会社に限らず、どの国でも、事故が起こるたびに指摘される原因の第一に挙げられるような共通した問題です。

 私たち日本にとっては、3年前の原発事故の教訓が代表でもあります。当事者にとっては、あの時、事故さえ起こらなかったなら、今まで通り平和裏に存続したものを、といった未練がましい思いや後悔が、何度も心に去来することでしょうが、しかし事故前には決して戻ることができない現実に向き合わなければなりません。

 それらはみな、今まではうまく隠れていたとはいえ、起こるべきして起こった事故なのです。いつか必ず起こるものなら、早いに越したことがない、しかし致命的ではなく、何とか小さな事故で済んだなら良かったのにと誰でも思うでしょうが、しかし小さな事故ならなお人間は目が覚めず、旧態依然の幣の上にあぐらをかく愚かな者でもあるのです。であれば、起こるべくして起こるものが、隠れている、しかもそれが長く続いているということほど恐ろしいものはありません。私たちの人生も、起こるべくして隠れているものを、しっかり見る目と、それを改める知恵を持つことができますように。