本日は賛美礼拝です。賛美を通して、主が新しい恵みを注いでくださいますように。

【賛美とみことば】

詩 148,150

詩 34

詩 57

賛美とみことば by Heavens Gate on Mixcloud

スポンサーサイト
2014-07-21ひまわり_s

 これからは海と山の季節です。汗をいっぱい流して夏と遊ぶということは、憧れの夏のイメージですが、近年はどうでしょうか。あまり推奨されない過ごし方になっているようにも思います。暑さを避けて家に退避することが奨められます。文化というものは、人間をだんだん自然から遠ざけるのでしょうか。せめて子どもたちには、虫取り、川遊び等の夏であって欲しいと思います。

 さて世界には子どもたちがのどかに虫取りなどしていられない地域が沢山あります。シリヤ、イラク、ウクライナ、パレスチナ・・・。パレスチナの状況は深刻です。イスラエルとパレスチナは、もう50年以上戦争状態の中にあります。戦争が日常化しているのです。周りから見ればどんなにそれが異常な状態かと思いますが、当の両者にとってはそれはもう普通の状態になっているのではないでしょうか。今回は数人の子どもの殺害に端を発し、報復合戦がエスカレートし、最悪の地上戦にまで発展しています。数人の犠牲が、今や何百人の犠牲へと膨れ上がっています。報復の愚かしさと不毛さをいつもながらはっきりと示されているのですが、リーダーたちは矛を収めることをしません。その犠牲になるのは軍人よりも、一般の人々、特に弱い子どもたちなのです。一般のレベルでは、今まで仲良く近所付き合いをしていた人々が引き裂かれ、そしてそれ以上に悪いのは、両者の間に憎しみの種が蒔かれていくのです。その憎しみは自然発生的なものというよりも、為政者たちが作り出している人工的なものと言わなければなりません。リーダーたちの責任は重いですね。

 おそらくどの戦争も、一般民衆が始めるのではなく、一握りのリーダーたちが始めるのです。そしてそれに全部が巻き込まれることになります。リーダーたちの見識が死活の問題なのです。良いリーダーを得ることは国民一人一人の幸福につながるのです。残念ながら、今我が日本も悲しい程のリーダーの不毛ではないではないでしょうか。リーダーは国民一人一人の鑑でもあります。国民が良きリーダーを育てることができますように。
【聖書】

Ⅱコリント12・1~10

【説教】
「わたしの恵みはあなたに十分である」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:私の恵みはあなたに十分である by Heavens Gate on Mixcloud


2014-07-21toumorokosi.jpg

 先週は河原崎さんたちの洗礼式が皆さんの喜びの内に行われました。そしてそれはまた聖書が告げるように、天において大きな喜びが湧き起こる出来事でした。その大きさは私たち人間にはとても思いはかれない事ではないかと思います。というのも私たちの大小の判断は天の計りとは違うからです。天の計りは、一人の魂が神のもとに立ち返ることは、この世界に於ける最高の喜びであって、それは何者とも比べられない最大事であるという価値観です。私たちは、一人の魂は全世界よりも重いという、この計りが示す教訓と慰めをいつも忘れないようにしたいものです。

 しかしこのことばを、本当にその如く受け止め、信じることは何と難しいことでしょうか。私たちの前にある現実は、一人ひとりなど多数の中にもみ消され、それこそ砂粒の一つのような重さでしかないと思わせることに満ちているからです。だからこそ、聖書の示すこの計りをいつも取り出して、自分自身を見失わないようにするとともに、目の前に繰り広げられているあらゆる物事を計るようにしなければなりません。

 今、集団的自衛権をめぐって国会論戦が続けられていますが、閣議決定の当事者たちが見ているものは、とても国民一人とは思えません。安倍首相は、国民の生命と安全を守るためにと、お題目のように繰り返しますが、国民のという言葉は隠れ蓑であって、本音は民よりも、彼の考える得体の知れない国のことを意図していることは明らかです。国民一人ひとりは国への奉仕者に過ぎないという昔ながら国家観の持ち主なのでしょう。国民一人ひとりが大事だと思うなら、たとい自衛隊員一人の命であっても危険にさらすことを簡単に決断できるでしょうか。その責任は誰が負うのかとの問いに、まともに答えず逃げている首相はじめその内閣の面々は、先の悲劇的な戦争を無謀に始め、結局、誰も責任を負おうとしなかった無責任内閣の愚を繰り返すことは目に見えています。そんな無責任な政治家たちの暴走を許さないために、私たちも一人ひとりが、責任者として考えと行動する者となりますように。
【聖書】

箴言 4・1~13

【説教】
「あなたのすべての財産をかけて」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:あなたのすべての財産をかけて by Heavens Gate on Mixcloud



 本日は礼拝後、河原崎律さんと美和さんの洗礼式を行いました。おめでとうございます。

 天上と地上の神の家族にとって大きな喜びです。今日を境にいっそうの祝福とお守りがありますように。お祝いの食事会も開かれました。

senrai1.jpg

senrai2.jpg

senrai3

senrai4
↓アーティチョーク(山井さんの庭で)
tyoku.jpg

 梅雨明けの大雨の季節となりました。大型台風と重なっている今週は、災害から守られるように祈らなければなりません。激しく降り注ぐ雨にはすべてを洗い流されるような何か快感を覚えてしまいますが、しかしさらにそのレベルを超えるなら恐怖に変わりますね。

 エレミヤが日照りの時に主に祈ったことばは挑戦的です。「異国のむなしい神々の中で、大雨を降らせる者がいるでしょうか。それとも、天が夕立を降らせるでしょうか。私たちの神、主よ。それは、あなたではありませんか。私たちはあなたを待ち望みます。あなたがこれらすべてをなさるからです。」(エレミヤ14・22) ここには聖書の自然観、世界観がはっきりと示されているからです。ことに「天が夕立を降らせるでしょうか」のことばは何と私たちの常識にチャレンジしているでしょうか。私たちは皆、天から雨が降ってくると考えるし、気候現象が雨をつかさどっていると考えているからです。しかし水蒸気も雲も雨を降らせているのではなく、それはわたしだと天の神はおっしゃるのです。ヨブ記にも同じような断固とした宣言があります。「だれが・・・雨を降らせ、荒れ果てた廃墟の地を満ちたらせ、それに若草を生やすのか。雨に父があるか。露のしずくはだれが生んだか。氷はだれの胎から生まれ出たか。空の白い霜はだれが生んだか。」(ヨブ38・25-29) もちろん天の神こそ雨の父、そしてすべてのものの父だと宣言しているのです。

 私たちは時に常識的な自然科学理論に取り込まれ、そんなに単純化していいのかと遠慮がちですが、神はそんな私たちをあざ笑い、何の遠慮も妥協もありません。確かに神こそ、すべてのものの父であり、すべての事柄の第一原因であり、支配者であるからです。そして雨や霜以上に、人間一人ひとりこそ、この父の胎から生まれ出たのであり、その父の最愛の者なのです。その父がそれぞれの人生のわずかな細部からどんな大きなことに至るまで、すべてにおいて責任を持っていると保証してくださるならば、エレミヤの如く、私たちはすべてのことにおいてこの父を待ち望みつつ生きたいものですね。
【聖書】

Ⅱコリント 3・18

【説教】
「剣を取る者はみな剣で滅びます」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:剣を取る者はみな剣で滅びます by Heavens Gate on Mixcloud


↓山井さん宅のラベンダー
lavender.jpg

 7月を迎えました。今年も早や半年が過ぎて後半期に入ります。もう少しゆっくりにと願っても確実に時は刻まれていくのですね。非情のようでもありますが、人間の都合で長くなったり、短くなったりはしないという意味では、時は最も信頼できる基準としての役割を果たしているとも言えるでしょう。確かに私たちには時に厳しく見えようが変わらない基準というものが必要ですね。

 7月1日は、気が思い日になりました。朝日の声の欄には、この日は「憲法の命日」となったしまったという投稿が載っていました。衝撃的なタイトルですが、決して大げさではないでしょう。しかし国民全体的には今ひとつわかりにくく、危機感が共有されないまま、重大事が進行してしまったという状況ではないでしょうか。

 集団的自衛権容認の閣議決定が予定通りなされました。一部の政治家たちにはバンザイとの思いがあったとしても、さすがに内閣全体には、高揚感や満足感などないのではないでしょうか?というのも、こんな重大事がまともに議論されることなく、内輪の名ばかりの討議によって体裁をつくり、予定通りの結論を発表したのです。うまく行ったという思いとともに、さすがに国民をだましたという後ろめたさを自分たちも拭いきれずにいるのではないでしょうか? いやそんな良心の呵責など塗りつぶしているのでしょうか。何も言わないで、安倍首相の言いなりになっている内閣の責任は極めて重いといわなければなりません。

 イエス様を十字架つけるためのユダヤ人指導者たちの茶番会議のことが思い出されます。彼らは「これ以上まだ証人が必要でしょうか」と言って、自分たちの討議と死刑判決の正当性を主張したのです。安倍首相は本当に、責任は全部自分にあると自覚しているのでしょうか。この言葉を昨日の記者会見でこそもう一度堂々と繰り返すべきでした。しかし彼はそんなことを言わずに、今回の閣議決定は、今までの憲法遵守の精神と何も変わらないと言ったのです。堂々と憲法の精神を変えるものだと言えない彼に、一体どれだけの覚悟があるのでしょうか。