【聖書】

創世記 42・29~38

【説教】
「こんなことがみな、私にふりかかって来るのだ」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

こんなことがみな、私にふりかかって来るのだ by Heavens Gate on Mixcloud

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すすき_s

 8月が終わります。夏の終わりはちょうど太陽が中天から下方に向かって傾き、これからは冬に向かう斜陽の季節に思えてしまいます。実際、一年の半分どころかもう三分の二を過ぎることになりますので、これからは年の終わりまで駆け足という感がなくもありません。そのスピードがゆっくりでありますようにとは、いつもながらのこの時季の感慨です。夏から秋へと、それぞれの心身が適応してソフトランディングができますようにと願います。

 適応ということを考えると、いろいろ身につまされる例が沢山です。今月は特に広島市に大雨による土砂崩れよって大災害が発生し、その捜索が未だ依然として続いています。明るい休みの夏が一転して大きな災いに巻き込まれることになりました。これからどうしていいか分かりませんと答える人々の前途を思わされます。また先日は、福島県での自殺数が増大していることが報じられました。特に放射能禍の問題が長引き、生活再建の展望が描きにくい落胆が原因しているといわれます。私たちがその立場にあったらどうしているだろうと考えさせられます。

 先日はまたテレビでシベリヤ抑留者の苦難が紹介されました。約70万の人々が極寒のシベリヤに捕虜として強制連行され、約3年に及んで過酷な生活を強いられました。もう戦争が終わったにもかかわらず、30万もの人々がそこで余計にいのちを奪われることになったのです。戦争と国家の罪と矛盾を一身に背負って、非情な運命に翻弄され、最極限状況のストレスを背負わされた人々の物語でした。厳しく過酷な中にある人々のことを思いやると同時に、これらの人々の人生から励ましを学びたいと思います。厳しい試練の中にある人々は、希望の証人でもあるのです。人生は願わしくなくても様々なストレスがやって来ます。それにどのように適応していくかが人生の主要な課題と受け止めたいと思います。人生を捨ててあきらめてしまえば、待っている実を見ずに摘み取ることになるのです。試練の中でこそ、あわてず、急がず、あきらめず、主に身を任せる術を学びたいものです。
【聖書】

マタイ 6・19~33

【説教】
「宝を天に」

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説教:宝を天に by Heavens Gate on Mixcloud

 夏のピークを過ぎて残暑の候となりました。猛暑と大雨が同居した不思議な夏でした。改めて気候の安定は人間生活のもっとも重要で基本的な土台であると思わされます。異常や変動が報じられる昨今ですが、それ以上に、神はそれこそ膨大な歳月を安定した気候で、この地球と人類を守られているという恵みを忘れないようにしたいと思います。

 今日の新聞の声の欄に、夏休みを2週間位に短縮して欲しいという投稿がありました。その理由は、最近の猛暑では、戸外でなかなか遊びにくく、とかく家の中でごろごろと過ごさざるを得ないゆえのストレスと、また夏休みの課題、特に自由研究が子ども一人では手に負えず、親掛かりとならざるを得ないストレスが挙げられていました。確かに共感できる点でもありますね。でも子どもにとっては、長い休みは何もしなくても無条件に願わしいものであるでしょう。2週間に短縮されないように、そして夏の良い思い出ができますように願わされます。

↓カリガネソウ(フリー画像)
カリガネソウ

 私たち雪国にとって夏はことのほか貴重です。夏ができるだけ長く続き、そして良い夏の記憶が刻まれますようにと思わされます。先日私は、カリガネソウという植物に出会い、記憶に刻みました。植物好きな人には珍しくないかもしれませんが、私はその花を初めて見ました。小さなうす紫色の可憐な花が、葉先から糸に結ばれて飛び散るように咲いていました。それはその植物本体のイメージからはまるでアンバランスでした。花期でなければ誰もその植物に注目しないで通り過ぎるでしょう。茎も葉っぱも平凡以下のただのノッポの雑草としか見えません。でもカリガネソウに限らず、自然界にはこのような例は無数ともいえるのではないでしょうか。改めて神の知恵とみわざの妙を思わされました。何の変哲もない平凡なもの、いやどちらかといえば道ふさぎの雑草としか見えない外見から、予想もつかない味わい深い花をつけているのです。神の御わざは外見では計れません。また人目に見えず進行しています。それぞれ人生に重ねて、教訓と励ましとしたいものです。
【聖書】

哀歌 3・1~45

【説教】
「人生と国家の再生と希望」

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説教:「人生と国家の再生と希望」 by Heavens Gate on Mixcloud

↓いもり池の睡蓮
睡蓮S

 大型台風が通過して、このところ少し暑さが一段楽したようです。暦の上ではすでに立秋を過ぎました。実感としてはまるで場違いな暦のようですが、何となく秋の気配も感じられるようでもあります。それでもこの8月は、まだまだ夏らしい気候であることを願います。

 穏やかな夏を破るものは台風等の自然災害だけではありません。イスラエルやイラクの中東では戦争の災禍が多くの人々の平和な生活を奪っています。大きな破壊を目にしながら、国レベルの争いには、それを留めるべき有効な手段がなく、皆がただ見守らざるを得ないような無力感ともどかしさを感じています。国レベルの争いとは何という災厄でしょう。最大級の犯罪と言わなければなりません。

 1945年の8月は、日本人にとってどのような夏だったでしょうか。今、日本人の多くはその場に居合わせない戦後世代となりつつあります。でも伝え聞くところによるなら、厳しい敗戦という絶望的な試練の中にありながら、もう戦争は終わったのだという安堵感が人々の心に癒しと希望を与えもしたといわれます。それは戦後世代の私たちにも共感できる感慨ではないでしょうか。

 歴史を振り返れば、4年間の戦争が終わっただけではありません。日本は20世紀に入ると同時に、日清、日露、そして第一次世界戦争の当事者として戦時体制の中にありました。ですから、1945年まで、ほぼ半世紀も戦争に明け暮れていたのです。その8月は、太平洋戦争が終わっただけではなく、長い長い戦争に終止符が打たれた時でもありました。そしてもう決して戦争なんてしないぞという思いと決意が、国民の間に共有された時でもあったでしょう。平和憲法はその思いが結集された象徴です。ですから新憲法は、押し付けだなどという議論を超えて、最もよく国民の思いを表現した総意だと言えないでしょうか。人間の歴史は、愚かさと恥の歴史でもあります。そしてそれは残念ながらこれからも繰り返される可能性があるのです。ですからこの8月は、愚かさと恥を繰り返して心に刻まなければならないのです。
【聖書】

マタイ5・9~16

【説教】

「目を覚まして、正義と平和を」

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説教:目を覚まして、正義と平和を by Heavens Gate on Mixcloud

↓稲の穂が出て、花が咲き始めました
2014-08-10出穂

 暑さを避けて家の中、というあり方が夏の定番の過ごし方になってしまうのも仕方ないと思える連日の猛暑ですが、それでも夏休みの子どもたちが、自転車に乗って路上に登場するのを見ると頼もしく、エールを送りたい気持ちになります。子どもたちの姿はいろんな意味で希望ですね。

 さて私たち日本にあっては、8月は愚かな戦争を記憶する月でもあります。戦後70年を数えようとして、戦争の記憶が風化していくことも危惧されています。皆が戦後世代となることも目前です。平和ボケしてしまった私たちは、今の平和を当たり前と無感覚になり、それと同時に戦争の危機についても想像力が働かなくなっていくものではないでしょうか。政府が盛んに口にする、積極的平和主義なるものも、平和ボケの産物でないことを祈らなければなりません。そのような中で、ヒロシマとナガサキの平和宣言、そしてフクシマの脱原発宣言を、私たちは日本の良心として、また拠って立つ砦でしてしっかりと耳を傾けると同時に、この宣言がトーンダウンすることなく、そしてこの灯火の光がいよいよ高く掲げられるように見守り、声を上げなければなりません。

 安倍首相が掲げる戦後レジュームからの脱却、慰安婦問題の再検証、そして新しい教科書作り等の動きは、早く戦争を忘れよう、すなわち負けてしまった戦争のことなどいつまでも引きずっていないで、日本人としての自信を取り戻そうということであり、まさに軽薄で危険な平和ボケの産物と思えてなりません。決して決して忘れてはならないものこそ、その敗戦であり、それが愚かな指導者たち、すなわち政治家たちによって引き起こされた人工的な大惨事であったということです。そしてそれを引き起こした彼らの精神構造こそ、安倍首相等が取り戻そうとしている、美化された日本的なものと重なるのであり、愚かな自信であったと言うべきではないでしょうか。私たちは見たくないものこそしっかりと見、悔い改め続けなければなりません。それこそ指導者たちのいや日本人全体の愚かさ失敗であり、欲望と罪なのです。
【聖書】

マタイ 5・13

【説教】
「私の口には、いつも、主への賛美がある」

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説教:私の口には、いつも、主への賛美がある by Heavens Gate on Mixcloud


↓山井さん宅のタイム
タイム

 正式な梅雨明け宣言がようやく出されました。でも猛暑の方がそれを待ちきれずに一足早く来たようです。死に至るほどの熱中症の報道が連日続きますので、なかなかあなどれない恐さなのだと改めて覚えさせられます。暑さと上手に付き合って、それでも良い汗を流す夏でありたいと願わされます。何か一つでも夏にふさわしいチャレンジができるといいですね。

 先週に引き続いて、特にパレスチナの状況に心が痛みます。私たちクリスチャンにとっては、そこは聖書の舞台でもありますので特別な関心の的です。平和の君であられる主イエスが歩まれた地、そして究極的な平和が実現するようにと人々に説かれた地が、皮肉にももう半世紀以上も戦いが続き、世界の不安定の発信地にもなっている状況をどう考えたらいいのか、思いは複雑です。

 第三者的に考えれば、双方が即時武器を収めて停戦すべきことが何をおいても最優先事と思えますが、互いに徹底抗戦と言い合っている様を見ると、人間の愚かさにやりきれない思いにさせられるでしょう。一発の砲弾の先に、一瞬にしてどれだけの破壊がなされることでしょうか。何よりも人命が紙屑のようにいとも簡単に失われている現実があるのです。人命より重いものは無いというまともな感覚があれば、とてもできない殺人行為なのです。それを簡単に行ってしまう戦争は何と非人間的なことでしょうか。しかし戦争はそのことを無感覚にしてしまいます。大量殺人を犯す戦争ほど糾弾されるべきものはありません。

 しかし人間は何者かに狂わされるかのようにして、21世紀の今もこれを克服できず、それ以上に国々は戦争準備を熱心にしているような始末なのです。人が殺人を犯すならそれを取り締まる法律があり、人々を守るべく警察が機能します。しかし国が大量殺人である戦争を始めた場合、それを取り締まり制御できる警察は現実には存在しません。国家がいちばん権力を持ち、それを越える権力は存在しないからです。ですから国は誰にも制御できない魔物にもなりうるのです。国は重々自らをわきまえなければならないし、国民はどんなに知恵深くなければならないでしょうか。