【聖書】

イザヤ書 30・15

【説教】
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもって」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:「何も思い煩わないで」 by Heavens Gate on Mixcloud

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金木犀

 先日は恒例の秋の信徒会祭りが催され、各教会の賛美を楽しみに味わいました。賛美を聞くと同時に教団の信徒の皆さんの顔を一年振りに見るときでもあります。これはある意味で賛美以上の?貴重な恵みです。一年の間にも色々なことがあります。それを経ながらまた互いに、主のからだに連なる一人ひとりとして歩んでいる姿を見ることは大きな励ましであり喜びです。顔を見る、顔を合わせるということは、とても単純なことでもありますが、人間にとってもっとも基本的で重要な交わりです。普段私たちはそれぞれの教会で週ごとに礼拝に集いますが、それはまた互いに顔を合わせている貴重な励ましの時でもあります。顔を見る、顔を見せるということは、どうでもいい単純なことに思えてしまいますが、もしかしてそれがある時は最大の奉仕をしている場合もあるのです。ですから日々の同じような繰り返しの日常の中にあって、人々と会って顔を見るときをぞんざいにしないように自戒したいものですね。

 顔を見るということに関しては、拉致被害者の家族の皆さんはそれこそその一時のために長い戦いを強いられています。今回の北朝鮮による被害者の再調査の約束は、ようやく大きな進展の期待をもたらしましたが、9月に至って、またのらりくらりの空約束のような返答をしたことは何とも言えない失望や虚しさを感じさせることになりました。

 国を相手にすることがこんなにも難しいことなのかと、改めて国とは何か、そして国家のもたらす罪の大きさを思わずにはいられません。個人ならば警察も裁判所も正当な圧力をかけることができるでしょう。でも国家はまるで治外法権に守られているかのように、誰も手出しができないもどかしさを覚えます。ですから改めて国家の魔物性に警戒しなければなりません。国が誤っても、その強大な権力をもって自分を正当化し、誰もそれをいさめることができなくなってしまうのです。ですから普段が、誤り始める前が大事ですね。でもあきらめずこの魔物のような相手が打ち砕かれるように、彼らの戦いを共に励ましたいものです。
 9月20日に足場が外れ、教会の外観リニューアル工事が終了しました。

 それに伴い公式サイトのトップ画像を入れ替えました。

 以前の写真と比べますと、ペンキの色合いが若干代わり、鮮やかになりました。概ね好評のようです。

↓リニューアル完了
外観リニューアル
↓リニューアル前
リニューアル前
↓工事中
2014-09-16足場あり_s


【聖書】

イザヤ書 30・15

【説教】
「わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:わたしの思いは by Heavens Gate on Mixcloud

20140914コスモス

 北海道の大雪山がすでに初冠雪と報じられました。早や北海道は冬の使者かと、北の地の短い秋を思いました。同時に当方もうかうかしてはいられないと後ろを追いかけられているような気がしてしまいます。でも今は快適な戸外です。冬の前のこの良い季節を神様からの貴重なプレゼントとして喜びたいものです。

 朝日新聞の誤報問題が連日取り上げられています。思いのほかのバッシングに思えなくもありませんが、ここは特に全国民への知識の発信源としての責任の自覚を新たにして、謙虚にジャーナリズムの原点に立つ時として再出発をして欲しいと思います。やはり油断や慣れ、さらにはプライドやおごりはいつも警戒しなければなりませんね。

 しかし今回の失態で、右派が勢いづいて、問題の本質までかき消されてしまわないように見守らなければなりません。でも同時に、ある意味で報道には誤報が付きものでもあるでしょう。失敗を恐れて、自由な批判的精神が萎縮してしまわないようにも注意させられます。とにかくマスコミの影響は絶大です。悪く言えば最大の洗脳機関ともいえるものでしょう。ですから受け手である私たち自身も、常にその情報の正邪の可能性を踏まえて検討できるように、健全な知恵と知識を磨いていく責任がありますね。

 先の大戦において、国を挙げて戦争翼賛体制となったことは、洗脳の苦い苦い経験です。そしてこれは決して過去の話ではなく、またどこか遠くの非民主的国家の話でもないことを覚えていたいものです。先の秘密保護法の制定に、戦前の情報統制の危険を重ねて警鐘する識者は沢山です。健全な知恵と知識、そしてまた健全な批判的精神といいましたが、これは至難の業ですね。私たちの知ることは限られ、それだけではなく、どうしても自分の好みによって偏向してしまうことは避けられません。知っていると確信していることが、真っ赤なウソであったり、自分が都合よく選択している知識である可能性があるのです。ですから自分はもう知っているとあぐらをかくことなく、謙虚に心と知識を反省し続けたいものです。
【聖書】

イザヤ書 46・1~13

【説教】
「あなたが年をとっても、わたしは背負う」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:あなたが年をとっても by Heavens Gate on Mixcloud

2014-09-12稲刈り

 落ち着いた秋の気配が日増しに深まっていくようです。気温が低下すると共に空気も乾燥して戸外は爽やかです。秋のよさは春とまた違って甲乙が付けがたいですね。

 さて先週からのテニスの錦織選手の活躍に目が離せなくなりました。ベスト8のフィーバーも何のその、次はベスト4、そして何と世界ナンバーワンのジョコビッチ選手を破り、決勝に進出する快進撃でした。特にジョコビッチ戦は、世界ナンバーワンを完全に圧倒していました。こんなプレーができるなら向かうところ敵無し、と思わせるほどの充実振りでした。優勝はぐっと近付いたと誰もが期待したことでしょう。

 ところが重圧と緊張に前日は眠れなかったというのですから、無理もありませんね。登場した彼の顔は明らかに疲れ、緊張しているようでした。残念ながら決勝はジョコビッチ戦とは打って変わって精彩を欠きました。試合後のインタビューに、自分を見失い、迷走のゲームだったと本人の胸中が明かされていました。ああ準決勝のようなプレーができたらと悔やまれますが、本人が一番悔しかったことでしょう。前代未聞の歴史的快挙である優勝の感動を彼と共に共有することができませんでしたが、しかし多くの人に十分過ぎる感動を与えました。日本人選手がテニスの世界で決勝の舞台に立つなどということは夢のまた夢でした。それを他の選手と比べたら頭一つ分も低い、平均的な日本の青年が、体格差を感じさせない圧倒的なプレーで、常識を覆したのです。

 テニス一色で力が入ってしまいましたが、感動は覚めやりません。同時にこんなにも多くの人々を感動させるスポーツ選手を羨ましくも思いました。彼らは選ばれたヒーローであり、自分は何もないと卑下してしまいますが、しかしすべての人は人生という舞台のプレーヤーでもあります。誰にも注目されない地味な舞台のようですが、ただお一人、神様はいつも熱くご覧になっているのです。人に喜ばれることも願わしいことですが、私たちは先ず何よりもこの神様に感動していただくようなプレーができますようにと志を持って歩みたいものです。
【聖書】

イザヤ書 30・1~5、15~18

【説教】
「幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:「幸いなことよ。」 by Heavens Gate on Mixcloud

 9月と共に政治の世界でも内閣改造が成され、安倍内閣の後半に向けての新しい出発が図られました。焦点の幹事長人事は谷垣前総裁ということで、大きなサプライズとなりました。安倍首相の勢力保持のために側近が選ばれるのではないかというのが大方の予想でしたから、意外な驚きだったでしょう。谷垣氏は自民党の中にあって多分、首相とは対極の穏健リベラル派の代表ですから、首相の懐の深さを示すような味な人事に好感を持った人も多いかもしれません。でも今までも歯がゆいくらい何も言えず、鳴りを潜めていたリベラル派が、これでますます首相側に取り込まれてしまうことにないようにと願います。単純には喜べない思いはぬぐえません。でもともあれ、谷垣氏が存在感を示してアジア関係の修復が図られるなら幸いです。引き続いて政治のバランスのために祈らなければなりません。

ツユクサ

 さて9月に入って、私たちそれぞれも、秋から冬へと今年の残り四半期に向かって再出発の時でもあります。朝晩が涼しくなり、これからは戸外がちょうど良い気候になります。散歩しながら神と交わるには最適です。夏の疲れの回復と共に主よりの新しい力が与えられることを求めて、忙しい中でもそのような時間を持つことをお勧めします。

 聖書にはいつも「主を待ち望め」と繰り返されています。特に詩篇にはこのことばが満ち満ちてこだましています。これは聖書の最も基本的なメッセージです。またイザヤ書の「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる」との有名なみことばは多くの人に暗唱されています。この思想は人間の考えと対極にあります。私たちは自分で自らを鼓舞するように力を奮い立たせなければならないと考えるからです。しかしどうしても鼓舞し得ず、何もできずたたずむ時もあるのです。しかし力は神のものであり、神から来るならば、私たちには希望と力の新しい世界がいつも開かれています。弱さを恐れず、弱さを覚える時こそ主を待ち望み、主の力を見せていただきたいものです。