【聖書】

 1コリント 13・1~13

【説教】

 「一番すぐれているのは愛です」

【おわび】

 録音に失敗したため、今回は音声をアップロードできませんでした。
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2014-10-25 紅葉

 10月も下旬となりました。今のところ未だ気温がそれほど下がらず、ちょうどいい陽気が続いて気持ちのいい戸外です。やがて冬になり、自由に戸外を歩き回ることができなることを思えば、これからは特に貴重な晩秋ですね。クマが冬を前に沢山食べて脂肪の蓄積をするように、私たちはクマとは逆に、冬の運動不足に備えて、逆に脂肪を搾る時かもしれません。ともあれ、動いたり、歩いたりできる健康も神の賜物です。すべてのことに感謝しつつ、秋を造られた神様をほめたたえたいと思います。

 女性閣僚の辞任が相次いで、順調だった安倍政権に思わぬ落とし穴となっているようですが、改めてまた政治にまつわる金の問題が国民の目にさらされることになりました。詳細は良く分かりませんが、一見するところ、小渕氏自身は、選挙資金に素人っぽく、その未熟さが足元をさらわれることになったようですが、政治と金の、一般人には良く分からない闇の部分がありそうだとは大方の印象ではないでしょうか。いつの世にも権力と金は御しにくい難問ですね。

 お金の問題は、政治家だけのものではありません。人間も世の中もお金をめぐって回っているような本質を持っているといわざるを得ません。主イエスが人々の前に公に登場しようとする時、先ず、悪魔の誘惑とひそかに戦った場面が聖書に記されています。悪魔の主要な誘惑とは、人々の求めるもの、すなわち富や物質的豊かさを与えるなら、人々は喜んでお前に従うだろうというものでした。しかし主は、「人はパンだけで生きるのではない」と答えて、この誘惑を退けられました。いつの時代も富を与えよと人々は叫びます。それに答えるのが良い政治家とみなされます。安倍政権が進める原発再稼動も、政府主導のカジノ誘致も、なりふり構わずの露骨な経済至上主義のようです。でもこれは一人安倍政権のえげつなさと責めることはできません。国民の質がまた政治の質と言われます。お金より大切なものがあると、本当に信じ、その如く生きているかということが、私たちに問われている質でもあります。
【聖書】

ピリピ 4・6-7

【説教】
「人生の実りを求めて」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:人生の実りを求めて by Heavens Gate on Mixcloud

2014-10-25 紅葉

 ドウダンツツジ、マユミ、そしてサクラやケヤキの葉の紅葉が始まりました。松山の公園のニシキギはもう見事に真っ赤になっていました。このきれいな季節で止まってほしいと思いますが、これはまた人間の思いを越えた神様の知恵があるのでしょう。

 素晴らしい春の5月と秋の10月が、ずっと繰り返されるとしたらさぞ良かろうとも思いますが、果たしでどうなんでしょうか。夏があり、冬があるゆえに春と秋もまたよりいっそう輝いていることも明らかですね。いつも同じではなく、物事が変化していくことを、神の知恵に満ちたプレゼントとして受け止めたいと思います。

 ノーベル平和賞のことが話題になりました。有り得ないだろうと思っていた、日本国憲法9条が受賞の可能性有りと急に取りざたされるようになり、もしかしてと期待も掻き立てられましたが、今回は見送られたということのようです。でも世界的な話題に上ったということは、大きな意義のあることだったでしょう。

 今日の新聞の政治漫画は、マララさんの平和賞受賞に祝福を送る安倍首相の風刺画でしたが、確かに、首相には胸をなでおろす受賞報告だったのではないでしょうか。9条をめぐっては、国民の多くが支持しているとは言え、考え方が二分されます。特に政治的な見解は真理と偽りというふうに単純には線引きが難しいものですから、多用な意見の可能性を排除しないように気をつけるべきと言われます。

 今回の朝日の誤報問題をめぐって問われていることの本質もここにあると指摘されています。自ら正しいと信ずるところを主張するあまり、他の意見を排除し、公平に扱うことをおろそかにしているのではないかという問題です。確かにこれはジャーナリズムのジレンマでしょう。正しいと信じ主張しなければならないと確信している問題に、反対意見を公平に扱うことは至難の業です。これはジャーナリズムの世界だけはなく、日常のありふれた問題でもありますね。自分と違う意見や人を敵として排除してしまう誘惑は強力です。真理は譲れない、しかしそれ以上に尊いのは愛ではないかと、謙虚に自戒したいと思います。
2014.10.12 賛美礼拝
【賛美とみことば】

詩119・89-105

詩145

早津栄牧師

↓賛美礼拝の模様

賛美礼拝 2014年10月12日 by Heavens Gate on Mixcloud



柿

 紅葉が始まります。南葉山は未だほとんど変化が見られませんが、これからは一気に進むのではないでしょうか。きれいな秋を願いつつ、しかし願わくは暖かい陽気が紅葉の進度を遅らせて欲しいと、冬を前にする私たちの思いは複雑ですね。

 イスラム国の脅威が世界規模で広がっています。過激なテロ集団が、支持を集めること自体、あってはならないおかしなことですが、普通の論理が通じないようなもどかしさを誰もが覚えているのではないでしょうか。

 先日はNHKのニュース番組に、やはりイスラムの過激な破壊集団に加わった日本人青年の単独インタビューが、顔も声もそのままで長く映しだされたのには驚きました。その青年が何の悪びれる様子もなく、自分の戦闘経験を何か得々と話している姿に愕然とさせられました。このような青年が日本でも、さらに出てくる可能性は十分あると識者も評していましたが、本当にやりきれない思いがしました。当の青年は、別にイスラムに共鳴したわけでもなく、また思想的に弱者解放を目指したわけでもなく、ただ戦時状態の中で自分を試したかったというのです。この青年の背景はよく分かりませんが、まるで子どものような短絡的な戦闘願望とでもいうものを表現していたことに衝撃を受けました。

 また同じ時に北大の学生が、何か就職先の一つのようにシリアに渡ろうとしていたことも報じられました。知識があってもまだ未熟で世間知らずの若者に悪魔の魔の手が露骨に伸ばされています。

 もちろんいつの時代も若者は未熟で未経験で危なっかしいものです。この時代には、判別できない誘惑とわなが沢山転がっていると言わなければなりません。さらに今のネット時代は、良くも悪くも様々な知識や情報が特に若者たちを取り巻いています。攻撃しているといった方がいいかもしれません。その中でどうやって身を守るかは誰にとっても至難の業ですね。何でも有りで可とする価値観の多様化している現代、大人もまた揺れ動いています。聖書が灯台となりうるように、祈りと大きなチャレンジを覚えさせられます。
【聖書】

イザヤ書 30・15

【説教】
「わたしは全能の神である」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:「わたしは全能の神である」 by Heavens Gate on Mixcloud

↓ムラサキシキブ
2014-10-01紫式部S

 9月が終わり10月を迎えました。いよいよ秋本番です。災害が相次いでいる近年ですから、穏やかな10月となりますように祈らされます。日が短くなるのが何とも残念ですが、何とか秋の夜長を有効利用したいものです。それでも地球上には、高緯度地方のように夜の時間が私たちの倍近くにもなるところがあるというのですから、そこに住む人々に頭が下がります。またどんなに厳しくともそこに住む人々には「住めば都」というのですから、やはり神の造られたこの地球は奥深く素晴らしいですね。

 秋の住んだ空気はくっきりと山々を浮かび上がらせます。山への憧れがかき立てられる季節でもあります。先日の御嶽山のように、特に高い山は危険と背中合わせのようでもありますが、山への憧れは人類にとって世界共通で普遍的です。私が神学校の時に特別講義のために米国から来日したバートン博士は、講義を終えてから憧れの富士山を登山しました。ところがそこで帰らぬ人となってしまったのです。まさにモーセのように山に登って、そこで息を引き取ることになったのですが、その最期はどんなだったかと想像してみます。人間的には異国の地での思いもしなかった残念な死ですが、そこで先生と神様だけの人知れず幸いな物語があったのではないかと。

 詩篇121篇には「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか」との有名な句があります。聖書においても高い山は、そのはるか高くにいます神と結びついた神の御住まいをイメージさせるものです。山に向かって目を上げるとは、山そのものよりも、当然神を意識しての呼びかけなのです。そしてその答えは、「私の助けは、(確かにその高きにいます)天地を造られた主から来る」と続きます。これは、助けは外から、高くにいます全能の主から確かにやって来ると告げるのです。これは人類に対する最大の福音ではないでしょうか。自分がどんなに行き詰っても、助けは私以外の外側からやって来るなら、何もできずとも嘆かずとも良いということです。秋の山を度々見上げて、大いなる神の助けを憧れ待ち望みたいものです。