【聖書】

ローマ 8・26-30

【説教】
「すべて益となるを我らは知る」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:すべて益となるを by Heavens Gate on Mixcloud

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2014-11-10 はっぱ

 平均気温がだんだん下がって、天気予報欄には10度前後が並ぶようになりました。今朝の新聞には、小林一茶が故郷、北信濃の11月を、冬枯れに向かう寂しい季節だと表現したと紹介されていましたが、まさにこちらの雪国の実感そのままだと思いますが、それだけでは11月に申し訳ない気もしますから、晩秋の11月にも敬意を表したいですね。先週も触れた白鳥ですが、柿崎線沿線の田んぼには、さらに数を増してところどころに群れを作っていました。冬に向かう寂しい季節を、賑わし元気付けてくれているかのようで楽しい気分になりました。

 12月の選挙に向かい、各党の政策が発表されました。どれも経済政策が最重要の課題のようです。特に我が日本は、失われた経済成長を必死になって取り戻そうとしています。政府にとってはそれが至上命令のようです。しかし限られた資源を分け合い共存しなければならない人類にとって、各国が経済成長を競うような価値観はもう無理があって、大きく修正しなければならないときでしょう。しかし失速した経済で自信を失った日本は、経済成長こそ日本の生きる道と、ますますこの価値観に縛られ、追い求めているようです。

 連日、経済、経済と聞かされる私たちも、この価値観に洪水のようにさらされています。国も人間もお金で計られるような居心地の悪さと不安を覚えるのではないでしょうか。しかし聖書は、富や金銭に対して一貫して抑制的です。富や金銭を追い求めることがあらゆる悪の根であり、その結果、非常な苦痛を刈り取ることになると警告されています(Ⅰテモテ6・10)。このような事例は沢山です。金銭は必要なものであっても、それが第一のものになる時、祝福ではなく大きな災いをもたらすことになるのです。聖書はさらに、「人はパンだけで生きるのではなく」と人間が食べるべきまことのパンに招きます。経済的不安は、ますますお金に私たちの注意を向けさせますが、このような時代であるからこそ、まことのパンを求め、またそのことを証しする者であるようにとチャレンジされています。
【聖書】

ローマ 8・26-39

【説教】
「恵みに追いかけられる幸い」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:「恵みに追いかけられる幸い」 by Heavens Gate on Mixcloud

↓高田公園の紅葉
高田公園の紅葉

 いよいよ気温が15度を下回る日が多くなって、外に出るのがおっくうになってきました。一日でも多く小春日和のプレゼントがありますようにと願わされます。また先日の木枯らしで木々の葉があっという間に振り落とされてしまいました。樹木にとってはこれで安心して雪を迎えられるというところでしょうか。しかしモミジの葉はしっかりと留まって、まだまだ楽しめます。イチョウとポプラも見事な黄色でその存在感は今が圧倒的です。

 先週の柿崎線の田んぼには、白鳥の数がさらに増していました。何とか遠ざけようとしても冬はやってくるのですね。であれば冬を楽しもうと頭を転換した方が良さそうです。白鳥は冬の使者ですが、彼らの姿は冬の憂鬱を示しているというよりも、雪と寒さの中で嬉々としているイメージではないでしょうか。彼らの姿にあやかりたいですね。

 国会は突然、衆議院解散ということになり、政治の世界は騒然とし出しました。何で今解散なのかということが大方の人々の思いではないでしょうか。消費税増税延期のために民意を問うということがその中心的大義だということですが、狐につままれたような印象です。マスコミも指摘するように、民意を問うならもっと重要な問題をこそ問わなければならないのに、そこはできるだけ波風を立てないように、国民の目から隠すように進めながら、それと比べたら全く人受けのするテーマで、今選挙をしようとするのは、自分たちが勝つための方便だとほとんどの人には見抜かれているでしょう。そんな見え透いた魂胆を持ちながら、取って付けたような大義をいかにも大事と大真面目に説明している首相や政治って何だろうと思ってしまいますが、結局は国民のためよりも自分たちを守りたいのでしょう。でもこれは政治の世界だけではなく、人間は皆、有利な点を宣伝し不利を隠すものですね。本能的に有利な点だけを強調してしまうのです。それが営業や政治の常道だといわれようが、それでも私たちは、不利もオープンにして議論を尽くすような、そんなあり方に敬意を払い、それを目指したいですね。
【聖書】

詩篇 127篇

【説教】
「人生の実りを求めて」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:主の恵みは、眠っている間に by Heavens Gate on Mixcloud

↓妙高市文化ホール周辺の紅葉
2014-11-10 ベンチS

 立冬を過ぎて最後の晩秋を迎えていますが、これまでのところ、気温は意外と温暖に推移して、平地の紅葉がまだまだ楽しめそうなことはありがたいですね。一日でも長く葉が残りますようにと願います。また雪に閉じ込められないうちに少しでも多く戸外を歩ければとも思います。

 さて今週は、安倍首相と中国の習近平主席との首脳会談が実現しました。テレビで見る限り、習主席はニコリともしない表情で終始していたようですね。内容の詳細は分かりませんが、さぞ両方ともお疲れの時間になったのではと想像します。全く儀礼的な時間だったのかと思ってしまいますが、それでも二年振り以上に二人が会談したことは前進だったとマスコミは評しています。つくづくと利害関係が複雑に入り乱れ絡んでいる国際社会における国家間の外交は骨が折れそうだと、政治家や官僚達に同情してしまいます。拉致問題をめぐる北朝鮮の態度、クリミヤ併合のロシアや海洋進出の中国の論理、また最近の中国船団の傍若無人とも言える密漁の姿などは、国際社会は一筋縄ではいかない基準や論理で動いているように思えて、やりきれなさを覚えてしまいますが、ある意味でそれだからこそ、正義と善に堅く立つ人々と国が求められているといえるでしょう。

 このような国家間の問題は、私たちの人生とも全く共通しています。争いは冷静にコントロールされなければさらに争いを生みます。人間にとって相手と同じように振舞うという誘惑は強いものです。相手がこうだから自分もというあり方は、当座の自己満足と引き換えに、何と高い損失を招いてしまうことになるでしょうか。それを焚きつけている目に見えない悪魔的存在がいることを私たちクリスチャンは知っています。聖書には国と個人の二重基準はありません。個人には正義が要求されるが、国には正義以上に力の論理が優先されるのだなどということはありません。国もただ正義によってのみ立つのです。私たちの愛する祖国が、国際社会の誘惑に負けず、正義と平和においてぶれることのない国づくりをし続けるように祈りたいものです。
【聖書】

マタイ 20・1~16

【説教】
「恵みという革命」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:恵みという革命 by Heavens Gate on Mixcloud

↓あらい道の駅のポプラ並木
2014-11-10 ポプラ

 先週は松山にて、恒例の収穫感謝ピクニックでした。午後から雨との予報でしたので、2時位まで雨が落ちませんようにと祈りつつでしたが、ハレルヤとなりました。雲に追いかけられながらも、2時近くまで紅葉の公園を楽しむことができました。それに空模様は全く怪しげでしたが、陽気はとても暖かで気持ちのいい戸外でした。もうこの時季では、20度の戸外は格別に貴重ですね。教会に帰ってきたとたんにどしゃ降りの大雨となったのには驚きました。神様の憐れみを感じた大感謝の午後でもありました。

 同じく先週の午前の礼拝では、500年前の宗教改革を記念しました。一般の人々にとっては、世界史の授業に出てきた過去の懐かしい歴史用語かもしれませんが、クリスチャンにとっては、今もそこから水を汲まなければならない、尽きることのない清水が湧き出ている永遠の泉です。この出来事の大きな意義は、何といっても、聖書が人々の目の前に持ち出されたことにあります。中世時代を通じて聖書は、一部の人々にしか読むことのできない学問書のようなものになっていました。一般の人はおろか、教会の司祭たちさえ読んでいなかったのです。その結果、教会は聖書の最も基本的な教えから逸脱し、人間の考えに基づいた様々な奇怪な迷信的要素が入り込んで、主従が逆転している有様でした。よく言えば、子どもじみた漫画的な宗教になり、悪く言えば奇怪な迷信で素朴な人々をがんじがらめに洗脳していたのです。

 歴史は繰り返すと言われます。ちょうど聖書に書いてある1世紀のユダヤ教の愚かさの再来でもありました。その指導者である律法学者やパリサイ人は、十戒という単純明快な基本的教えの回りに、人間が考え出した600もの規則を増し加えて、それで何重にも取り巻いて、この瑣末な規則の方が大事だという本末転倒振りで、それを人々に要求して苦しめていたのです。人間の教えが神の心を駆逐してしまうということが、繰り返される歴史なのです。教会はいつも謙遜に自らがパリサイ人化しないように、人間の教えを吟味排除して、聖書から神の心を学びたいものです。
【聖書】

エペソ 2・1~10

【説教】
「恵みのみ、信仰のみ、キリストのみ」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教2014年11月2日 by Heavens Gate on Mixcloud

↓妙高市立図書館
2014-11-10 文化ホール

 11月に入りました。冬を前にことのほか貴重な一月です。妙高、火打が何度か白くなって冬の到来を告げています。でも平地では今が紅葉の見所ですね。先日は近くの知人宅の庭に、親子のクマが三匹も現れ、柿の木に上り、実を皆食べ尽くしてしまったとの話題で持ちきりとなりました。危険警報とは裏腹に、何となくのどかで楽しげな気分になってしまいます。人間には獲られず木の上にそのままになっている柿を多く目にしますが、それらが効率良くクマの食料になればいいなと思いますが・・・。

 さて10月の終わりは宗教改革の記念日でもあります。1517年10月31日の、ドイツにおいてマルチン・ルターが、当時のローマ教会に対して、公開質問状を提示した日を記念しています。一修道士でもあったルターが提出した当時の教会に対する素朴な疑問と質問は、多くの共鳴者を得て、瞬く間にヨーロッパ中に飛び火して、1500年間の教会の歴史を揺るがすことになりました。そしてこれを機に、教会は二分されて、ローマ教会(カトリック)に対してプロテスタント教会を生み出すことになりました。二分されたことは残念なことですが、通らなければならなかった歴史的必然であったともいえるでしょう。

 宗教や信仰は、単なるクラブのようなものとは違って、一つのものに対する忠誠と献身を要求し、それを生み出します。一つのものを最高の真理と信じる、それは当然なあり方でもあります。クリスチャンは、何よりも主とその教えを第一としてそれを愛するものです。でも気をつけないとそこに危険なわなも隠されています。それは主義主張を愛するあまり、回りが見えなくなる危険です。回りとは人間一人ひとりの感情や思いとも言えるでしょう。主を愛するとは、信条を愛するのではなく、隣人を愛することによって測られるという尺度を、宗教人はことにしっかり持っていなければなりません。イスラム国に見られる狂態ぶりは、宗教のわなを示すものであり、このわなを回避させるものこそ、真の愛とは何かと謙遜に考え続けることなのです。