【聖書】

マタイ7・12~21

【説教】
「狭い門、細い道」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:狭い門、細い道 by Heavensgate on Mixcloud

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 今年もとうとう「雨水」を迎えます。私たち雪国にとっては待ちに待った暦日ではないでしょうか。天気予報も予想では雪マークであったものが、近付いてみると雨に変わっています。春の力が冬を追い越すようになったのでしょう。テレビでは東京の降雪を報じていました。これもまた雪国には吉報で、冬の終わりを告げるものでしょう。冬に向かう11月末の気分と、春に向かう2月のこの季節はなんと言う対照感でしょうか。冬に申し訳なく思ってしまいますが、浮き立つ気持ちは抑えられませんね。

 「冬来たりなば春遠からじ」と言われます。冬の中でも春を待つ希望をうたったもので、誰もかくあるべしと共感するでしょう。自然界の四季はまさにこの歌の如く規則正しく春の到来を約束しますが、私たちの人生とこの世界の現象はもう少し複雑ですね。長い冬があり、また、一体この冬が終わるんだろうかと思えるようなときもあるからです。冬の次には必ず春が来ると、自然界のように保証されているならどんなに良かろうかと思いますが、果たして人生にそんな公式は証明できるんだろうかと思えます。

 再三触れているように、期待した「アラブの春」は残念ながら今は昔の観で、中東は冬に逆戻りしているようです。沖縄の基地問題ももう70年も続いているのです。あちこちに長い冬の現実が行く手をふさいでいるようです。

 聖書は私たちに何を告げているでしょうか。夏と冬、四季を造られたのは神であると宣言します。この自然界はただの自然現象を示しているだけではなく、神からのメッセージを内に豊かに含んでいるものなのです。そしてこの自然が明らかに告げているものとは、神の恵みと憐れみです。それはまた自然以上に人生の現実にこそ示されるものだと伝えたいのです。自然界に春を造っているのが神の恵みであるとすれば、同じ神は人生にこそ春を造られると信じるべきではないでしょうか。「涙を喜びに」「嘆きを踊りに」とは聖書の有名なメッセージです。確かに自然界の冬と春には、神をあくまでも待ち望めという希望のメッセージが込められているのです。
【聖書】

ピリピ3・1~14

【説教】
「主よ終わりまで」

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説教:主よ終わりまで by Heavensgate on Mixcloud


 先週は快晴の立春でしたが、今週は思わぬ寒波でかなりの降雪でした。未だ冬だぞと言っているようです。それでも寒波は二日で終わり、春の陽気に入れ替わりました。久しぶりの雪片付けで、心と体は冬モードになりました。この緊張感は雪国ならではの感覚ではないでしょうか。雪のないところは楽でいいだろうと思う反面、しかし南国の人たちにはこの感覚は味わえないでしょうから、やせ我慢ではなく、何か得がたい貴重な経験を与えられているのではないでしょうか。

 文明の発展と共に、人間と自然がだんだん遊離する傾向が増していきますが、しかし雪国の冬は自然が圧倒的に迫ってくる時でもあります。自然に戻される恵みとでもいえるでしょうか。ですから雪国にとっては、雪は大きな財産ですね。雪国に雪が無くなったらそれこそ興ざめです。ふるさと雪国をもっともっと喜び自慢?したいとも思います。

 しかし今、世界では平和なふるさとを追われる人たちが沢山です。シリヤでは400万近くもの人たちふるさとを追われ難民となっています。国民の2割以上にも当るのです。ウクライナ東部でもまたふるさとが戦火によって破壊され、パレスチナの人々に至ってはここが自分たちのふるさとだと主張さえできないでいます。人間の争いが原因で自然とふるさとが破壊されているのです。

 我が日本も無縁ではありません。沖縄の人たちのふるさとはアメリカと日本の犠牲になっているのではないでしょうか。そして福島の人たちもまた大事なふるさとが原発によって大きく破壊されています。それなのに、国と電力会社は原発をやめようとしないで、再稼動を急いでいます。会社と国の都合優先です。沖縄でも民意よりも国とアメリカ優先のようです。平和なふるさとは、当たり前ではないのですね。痛んでいる人々の無念さを少しでも共有したいと思います。また平和なふるさとが、明日にも破壊されることがどこでも起こりうると目を覚ましていなければなりません。そしてそれを壊すのは、一部の過激な人々というのではなく、私たち一人ひとりに潜んでいる欲望であり都合であることを肝に銘じたいと思います。
【聖書】

IIテモテ4・1-8

【説教】
「私が世を去る時は来ました」

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説教:私が世を去る時は来ました by Heavensgate on Mixcloud

 これを書いている今日はちょうど立春で、何と今年は春らしい青空となっています。一昔前なら、この時季は最も厳寒期で、春ということばなど全く似つかわしくないと思えたものですが、このところは温暖化の影響でしょうか、すでに1月から雨が降ることもあって、2月にさえ春を実感できるようでもあります。逆から言えば、立春ということばは今日の気候にあっては、少し価値が下がってしまったともいえなくもありません。厳しい冬の中にあって春を待ち望むという風情が減じていることでもあるからです。それでも春が早く来るのはありがたいですね。やはり風情よりも現実の実利を選択してしまいます。今年は春を長く味わえるのでしょうか。であれば大きなプレゼントですね。いずれにしても、新年も第二の月に入りました。春の気配に励まされながら、始まったばかりのこの一年に望みを広げたいものです。

 しかし春を迎える北半球は、先回も書いたとおり、依然としてテロと内戦、そして民族、国家の紛争の闇が覆って、収束に向かうどころか、冷たい冬に閉ざされているかのごとくです。家とふるさとを追われる多くの人たちの姿が映し出されています。平和な日本にあっては他人事のように想像力が鈍ってしまいますが、胸が痛みます。状況を見る限り、解決には気の遠くなるような長い時間が予想されるだけではなく、果たして平和を取り戻せるのだろうかとさえ思えるほどです。

 人類にとって何と平和は高価なものでしょうか。と考えれば日本の平和も当たり前のものではなく、壊れやすいガラスのようなものだと自戒しなければなりません。テロの脅威によって、積極的平和主義なるものこそが有効な対処法だと、今大きな誘惑にさらされている時といえるかもしれませんが、ここはしっかり立ち止まって、「剣を取る者はみな剣で滅びます」との主イエスの警告に耳を傾けなければなりません。一時の自己満足と引き換えに、武器の後にはどれだけの破壊が残ることでしょうか。武器の誘惑ほど高くつくものはないというべきでしょう。平和は、武器無しの長い継続的な努力に立ち続ける覚悟を求めているのではないでしょうか。
【聖書】

エステル42・1-17

【説教】
「いつもこの時のためと心得て」

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雪景色

 新年ももう一月が終わります。同時に私たち雪国にとっては春に近付く2月を迎えます。日が少しずつ長くなって、冬から春に移り変わる2月は、3月以上に希望の月ではないでしょうか。2月の一日一日の経過は、どの季節よりも楽しみで、貴重な一日のように思えます。この2月を主からの賜物として一日一日を、忍耐と希望をささげて歩みたいものです。

 春に向かう希望の季節といいましたが、世界はイスラム国に象徴される嵐に翻弄されています。特に中東地域は内戦が続いて、その渦中にある人々にとっては春を喜ぶことさえできない状況でしょう。70年も平和が続いている日本にあって、そのような地域と国々のことを想像することは難しく、ニュースを見てもどこか遠くの出来事として、私たちの日々の平和に戻ってしまいがちです。昔なら知らずに済んでいたことも、グローバル世界の今はほとんど同時的に知ることさえできます。知るということはまた責任を課されることでもあります。一体何ができるんだろうかと無力感を覚えますが、少なくてもこれらの人々と地域のことを心に覚えたいと思います。同時に戦後70年の平和についても、慣れっこになることなく、貴重な恵みとして、その遺産を学び、守り続けるようにしなければなりませんね。

 今私たちと世界の関心は否が応でもイスラム世界に向けられるようになっっています。このことは不幸中の幸いともいえるでしょう。中東からアフリカにまで及ぶ広い世界がイスラム圏です。こんなに広い地域と多くの人々がその文化の中に生きているのに、世界はどちらかと言えば、政治と経済の強者である欧米中心の見方と論理で動いていて、イスラム世界は片隅に追いやられ、それだけではなく、その強い宗教性のゆえに困ったものだと扱ってきたのではないでしょうか。関心を持たず、知ろうとしなかったのです。それがまた誤解や偏見を招き、争いの火種を作ってきたともいえるでしょう。キリスト教も欧米の論理の中にあったと反省しなければならないでしょう。今こそイスラムの人々のことを知り理解することが私たちの責任ですね。