【聖書】

ルカ 10・25~37

【説教】
「良きサマリヤ人とともに」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:20150329 by Heavensgate on Mixcloud

スポンサーサイト
 春分を過ぎて思わぬ寒波の到来で3日間も居座りました。サクラの開花便りとはアンバランスで興醒めのようでしたが、春をいっそう引き立てようということかもしれません。膨大な花粉も3日間は封じ込められて一息つくことができました。

 期待と喜びの春ですが、沖縄では試練と憂鬱の春というべきです。基地移転工事をめぐって、決定的な対立を迎えています。昨年はいくつかの選挙で沖縄の人たちの覚悟が示されたというべきだと思いますが、その思いはまたも踏みにじられようとしています。ここに来て、今までは無関心で通り過ぎてしまっていた本土の多くの人たちも何とかしてあげなくてはという思いに駆られているのではないでしょうか。しかし政府の態度はいっこうに腰を挙げようとはしていないばかりか、今まで通りの事なかれ主義を通そうとしているようです。確かに戦後70年の矛盾が積もり積もって今日に至っているので、その矛盾は簡単には解決できるものではないでしょう。

 現政権にとって、そんな難しい問題に手をつけるなどということは、尻込みしたくなるのも無理からぬこととも想像してしまいますが、会いもしない、話もしないで、ただ自分たちの主張を強硬に通そうとして対抗処置を取るなどと言って正当化している姿は、悲しいかな権力を笠に着た弱い者いじめそのものであり、強いアメリカの顔色を伺っているだけの卑屈な姿と映ります。簡単な解決はないでしょう。だからこそせめてよく話を聞き、その思いを受け止め、理解し共有するようにすることが第一の責任ですが、これができないのですね。ああ誰か骨のある政治家はいないものかと思いますが、特に自民党内は自分を守ろうとするイエスマンばかりのようです。この見苦しい姿は他人事ではありません。そのまま私たちに返ってくる皮肉です。強い者ではなく弱い立場の人と、そして自分に敵対する人たちにこそ耳を傾ける、そんな骨のある人は憧れですね。主イエスは、弱い者と共に歩まれ、そして敵対する者のために祈られました。その足跡に少しでも倣いたいと願わされます。
【聖書】

Iコリント 3・9~17

【説教】
「聖霊の宮としての栄光のからだ」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:聖霊の宮としての栄光のからだ by Heavensgate on Mixcloud

雀

 3月も半ばを過ぎて春分を迎えます。9月の秋分は、これからだんだん日が短くなる時なので憂鬱さが伴いますが、春分は喜びの春の名実のスタートを画します。昨今は花粉の憂鬱がこの時季の広い現象になっていますが、それでも戸外の変化は大きな楽しみですね。外を見るとスズメたちが盛んに飛び回っています。スズメは殺風景な冬にも、冬枯れの木々の中で、けなげに私たちを励ましてくれる頼もしい存在ですが、冬を越した今の彼らは、やはりうれしそうで活発です。そのうれしそうな彼らを見ると、人間世界とのギャップも感じてしまいます。

 スズメに関する、聖書の有名な一節は、最も小さく価値の低いようなスズメの一羽さえ、神に覚えられ、守られ、忘れられてはいないというみことばです。果たしてそうなのかと思えるほどの神の保証ですが、でもこれが本当であって欲しい、そんな世界でこそあってほしいと私たちの憧れを刺激します。このみことばとともにスズメたちを見れば、確かに彼らは人間世界の悩みをよそにさえずっているようです。教会でよく歌っている「ごらん木の上の鳥」という賛美には、彼らの姿を歌って“蒔かず刈らず争わず将来を労せず”という一節がありますが、確かに彼らは全くその如くのようだと言えるのではないでしょうか。

 人間世界を見れば先日、クリミヤ併合をめぐってプーチン大統領の核兵器準備の爆弾発言が報道されたばかりです。世界中があきれ驚きましたが、ある意味で核保有国の汚い本音を代弁したとも言えるでしょう。あちこちで紛争があり、大戦前の世界の状態に逆戻りしつつあるような感が大げさとは思えない今日の状況は、やはりスズメたちとは違った人間の業とでも言うべきものを考えさせずにはおきません。やはり欲望と競争が、人間世界をのどかな鳥たちの世界と区別しているのでしょう。欲望と競争にさらされ続けている人間世界に聖書のみことばは全く無縁、無力に思えますが、しかし聖書は欲望と競争を手放せない私たちに厳しくチャレンジしています。
【聖書】

箴言 14・12~35

【説教】
「人生と国の祝福の原理」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:人生と国の祝福の原理 by Heavensgate on Mixcloud

ベンチ

 久しぶりの寒波で除雪車も出動しました。冬が最後の挨拶にやって来たのでしょうか。春の嵐ということばがありますが、何となくロマンチックで歓迎すべきイメージを持っていましたが、最近はのどかなイメージが取り去られて身も蓋もないただの無粋な大風のようになってしまっているようです。風という爽やかな言葉自体もまた、イメージダウンの受難の昨今となっているのではないでしょうか。

 東日本大震災から4年を数えます。4年前の3月11日の天候を何となく思い出すことができます。もう雪の無かった雲り空だったように思います。押し寄せる津波のテレビ画面はまるで映画のようで、現実から遠い世界のように楽観的に観ていたことも思い出します。しかし深刻な現実が次第に明らかになりました。そして原発の爆発・・・。有り得ないことがまさにこの日本で起こったのです。今この教訓を生かすべくさかんに防災が叫ばれています。自然災害としての地震と津波の教訓もさることながら、我が日本に与えられた最大の教訓とは原発の問題だったと言うべきではないでしょうか。しかしこの教訓はまるで生かされようとはしていません。政府と電力会社は原発再稼動をもう当然のように進めようとしています。千載一遇の最大の教訓がこんなにも軽くあしらわれているのです。

 繰り返し教えられても決して悟らない、箴言が繰り返して描いている愚か者そのものと重なってしまいます。脱原発こそ、世界に先駆けて行うべき日本の使命として立ち上がるべき教訓なのに、原発輸出に官民挙げてというのですから、開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。遠くで見ていたドイツがいち早く脱原発を宣言して政策の一大転換に舵を切ったことは驚きですが、当然と言えば当然で、世界のリーダーにふさわしいでしょう。この日本の体たらくは、丁度70年前、敗戦の一大教訓から平和憲法の下に再出発を図り、その実績を営々として築き挙げてきたわが国の誇るべき選択を、今変更しようとしている政府の姿とも重なります。世界のリーダーになるなどとは悲しいかな愚か者の思い上がりですね。
【聖書】

詩篇 119 89~116

【説教】
「みことばによって望みを抱く」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教: by Heavensgate on Mixcloud



南天

 確実に春の日差しを感じられるようになりました。日も長くなってきてうれしいですね。温暖化でこの頃は正味2ヶ月の冬に短縮されているようですが、それでも春は待ち遠しいものです。しかし高緯度地方は4月位までまだまだ暗い長い夜が続くというのですから、その忍耐と適応に頭が下がります。しかも北欧やカナダといったこれらの地域に大勢の人々が住んでいるのですから驚きでもあります。大げさに言えば、一年の半分が冬のような地域なのです。でも多分はっきり言えることは、これらの人々は冬を友としているということでしょう。そうでなければ長い冬と、また人生の半分が冬であるような環境とともに生きていくことができないでしょう。深い教訓がありますね。忍耐と適応、更にそれを楽しむまでに至る可能性があるかもしれないとは幸いなチャレンジではないでしょうか。

 政治家たちの企業献金問題が相次いで報じられて留まるところがない観です。その度に政治家たちが釈明に追われるいつも繰り返される政治光景です。こちらは悪い適応ですね。すっきりと企業献金を廃止してしまえば余計な問題に悩まされずに良いものをと思えますが、廃止できずにいる長年来の悪弊です。因習の中にいる当の政治家たちにとっては、法には触れていない、悪い事はしていない、枝葉のようなことで難癖をつけるなというという心境のようですが、外から見る感覚とずれがあります。そのうち波が収まるのを待って、この改革を放置するばっかりに、また問題が繰り返されます。先の小渕大臣の大事件?もいつの間にかマスコミから消えてしまっています。

 「そんなに悪いことはしていない」という感覚は、政治家ばかりではなく、私たち人生に付きまとってくる厄介な感情です。正当な場合もあるでしょう。しかしこの感覚は、とかく自分を正当化して甘やかしてしまう常套手段です。厳しいかもしれませんが、聖書の基準は、先ずこの感覚を疑って、神の光の中に置くことです。いつも一切の自己弁護を放棄して、先ず神の光のもとに自分をゆだねるように訓練することが、幸いな祝福の道と教えられています。
【聖書】

マタイ7・6~14

【説教】
「細い道は祝福の広い道」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:「細い道は祝福の広い道」 by Heavensgate on Mixcloud

 3月に入ります。暦の上だけではない文字通り春の月ですね。松山の梅が数輪開いていました。年輪を重ねるにつれて、冬を越したという感慨が深まるように思います。柿崎線沿線では、雪が沢山あった時にはなかなか見つけられなかった白鳥も、田んぼに土が現れだすと共に、大きな群れがまた見えるようになりました。多分、北への旅立ちが近付いているのでしょう。それに備えて沢山エサを食べながら、少しずつ緊張が増している時でしょうか。戦火で傷ついた中東とウクライナの大地にも春がやって来ます。自然を楽しめる真の春がやって来るように願わされます。

 我が日本では痛ましい事件が報じられています。13歳の少年が、多分何人かの少年たちによって切り殺されたのです。全容が明らかになるのも時間の問題でしょう。少年たちによる残酷な事件に日本中が衝撃を受けています。この事件だけではなく、少し前には少女による殺人も報じられました。少年少女のような低年齢者によるこのような残酷な事件が少なからず伝えられることに、誰もが驚き、一体どうなってしまったんだろうかと思ってしまいます。改めて人間というものの悲しさ、無知、そして間違ってしまう危なっかしさ、空恐ろしさを思わずにはいられません。動物世界は弱肉強食と言われますが、彼らの姿は生存のための自然な営みであって、残酷性と言うべきものではないでしょう。しかし人間は一体何者になってしまうのでしょうか。

 あってはならない衝撃的な事件ですが、しかし人間性への深い反省を迫られます。一部の例外者と片付けることはできません。聖書は人間性の内にある深い闇、罪の現実をある意味であきれるほどに描いています。預言者エレミヤは「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう」(17・9)と私たちの楽観を戒めます。未経験な若者たちはあまりにもこの深い闇に無防備で、その犠牲者でもあるのです。彼らを教え導く人がいなければなりません。単なる道徳ではなく、聖なる神の律法と基準を、この闇を打ち破るものとしてもたらすことが祈りであり責任でもあります。