【聖書】

IIサムエル 16・1~14

【説教】
「主が命じられたのだから」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:主が命じられたのだから by Heavensgate on Mixcloud


スポンサーサイト
↓陣場霊園での墓前礼拝
2015-04-19陣場霊園での墓前礼拝S

 先週の大風で、未だ大丈夫だろうと楽観していた多くのサクラもあっという間に散らされてしまい、地味な葉桜状態となってしまいました。恨めしい春の嵐と言うべきでしょうか。特にこの4月は例年にないほど、日照時間の少ない天候だったとのことです。何となく春を満喫できないような欲求不満の4月になってしまった感がありますが、でもいっそう風香る5月への期待は高まりますね。

 今朝の新聞の一面は、「安保法制自公協議決着」でした。茶番に思えるような虚しさとともに、来るべきものがきたという思いでもあります。自民党の安保法制の狙いは、自衛隊の海外派遣の縛りをできるだけ解くことにあると言われます。積極的平和主義という美名の下、普通に武力行使のできる国を目指しているのでしょう。社民党の福島元党首が国会で、与党案を戦争法案と断じたことに対して、自民党が神経質に批判するのも、本当は彼らの後ろめたさの裏返しなのではないでしょうか。一体彼らは何を目指しているのでしょうか。素朴な国民感情からはどんどん遊離して、自民党政治をしているとしか見えません。それなのに自民党が大勝してしまうとは・・・?

 C.S.ルイスは、「国家とは、この世に於ける人間の平凡な幸福を促進しかつ保護するためにのみ存在している」と、国家の存在理由を明確に解説していますが、地球の裏側まで行って積極的に武力行使をすることが、一人ひとりの国民の素朴な平和と幸福を実現することになるのでしょうか。そこには一人の人間の人権や幸福を飛び越えて、国家の方が大事で、上位にあるという旧憲法のような価値観があるのでしょう。私たちの言い分は「国よ。お前は余計なことをするな。自分の分をわきまえて真に成すべきことに専念せよ」ということです。

 政治が国民の手から離れて、大勝した自民党政治屋がどんどん一人歩きしていくような怒りと虚しさを覚えますが、でもあきらめることはそれに加担することですね。国よりも一個人こそがその上にあると言うならば、そのような覚悟を持った一人であることが私たちにも厳しく問われていますね。
【聖書】

ヘブル 5・1~10

【説教】
「しかし、わたしの願うようにではなく」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:しかし、わたしの願うように… by Heavensgate on Mixcloud


観桜会S

 サクラは未だあちこちで満開状態です。天候が寒く不順な分、それが幸いしているのでしょうか。でもやはりサクラの淡いピンクは青空の下でこそ映えて見えますから、曇り空はサクラには受難でしょうか。もう少しでサクラが終わってしまうのは残念ですが、でも木々の芽吹きとともにこれからが春本番ですのでまだまだ楽しみは続きますね。

 今朝の新聞を見て私は感動で涙が出てしまい、心の中で何度も歓声を上げました。何を言っているかお分かりでしょう。原発再稼動差し止めの仮処分判決が出されたことです。規制委の認定に従って粛々?と再稼動を進めると、ただ判で押したように答える政府に対して、どれだけの人が怒りと虚しさを覚えていたことでしょうか。これは全く、オキナワの粛々と同じ構図でした。しかし何と、樋口英明裁判長は、現時点での再稼動は全く非合理的、そして憲法の精神に反すると明確に断じたのです。司法界のことは分かりません。しかし進退をかけるような勇気ある判決であったのではないでしょうか。司法こそ国民にとっての最後の砦、そして良心であるべきです。しかしその実は残念ながら、最後は政府の意向を追認するような現状であることを、私たちは多く見てきたのではないでしょうか。しかし地裁の一裁判官が、上級の組織を尻目?に堂々と自らが合理的で良心的であると信ずるところを公にしたのです。異論も出るでしょう。風当たりが強まるかも知れません。しかしこのような一人の裁判官によって、動かないとあきらめかけていた現状維持の深い闇に大きな穴が開けられたのです。この樋口裁判官が、ちょうど一年前、大飯原発再稼動差し止めの判決文で日本中を感動させたその人であることを知りました。なるほどと納得しました。心からエールを送りたいと思います。

 でも願わくは、今回はもう一人の別の裁判官であったならなお素晴らしいですね。今回の教訓は樋口判事を英雄にすることではありません。一人の人間の良心的行動がどんなに多くの人を勇気付け鼓舞することでしょうか。たった一人でも自らの良心に従って行動する、そうありたいですね。
【聖書】

ヘブル 11・8~16

【説教】
「死ねば、豊かに実を結びます」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:死ねば、豊かに実を結びます by Heavensgate on Mixcloud

↓妙高市神宮寺(かわら亭近く)の桜
神宮寺の桜s

 新しい門出の入学式を祝福するようにこちらではサクラが本番となりました。低地から高地へとできるだけ長く花の期間が楽しめますようにと願います。毎年繰り返されるとは言え、一年に一度の10日間ほどですから確かに貴重な時ですね。サクラの開花前線は、冬に閉ざされていた世界から春の喜びの爆発の鐘を日本中でいっせいに鳴らしているようです。星野富弘さんの詩に、「満開の桜の花に埋まって、湧き上がってくる感動をおさえきれず、その花をむしゃむしゃ食べてしまった」という内容のものがありますが、春の感動が私たちにも伝わってくるようです。とは言え、入学、就職とともにこの4月はすぐに忙しさの中に投げ入れられるような季節でもあります。さまざまなストレスから自分を守るために、少しでも自然の中に身を置くことができれば幸いです。

 またサクラの話題に戻りますが、日本中からめでられるサクラはある意味で多くの木々の中でも最も幸せ者というべきかもしれません。これほど自己をアピールし、存在感のあるものはほかに比べられないでしょう。でもこのサクラと言えども10日間ほどの盛りの時を過ぎれば、どうでしょうか。私の目には全く目立たない地味な樹木になってしまいます。特に花期があまりにも華やかであるだけに、そのアンバランスが際立っているように思えてなりません。この10日間を過ぎてしまえば、一体どれだけの人がしげしげと眺めるでしょうか。それでも日本中にいっせいに注目される時を持つのですから十分というべきかもしれません。でも自然界にはそれこそ無数の植物や生物が存在しています。そしてその中には誰の目にも留まらないものもどんなに多いことでしょうか。

 でも神様はこれら多くのものをこの世界に配置しておられます。その存在価値は? と考えてしまいますが、彼らにとっては余計なお世話なのでしょう。ただ神の前だけで咲いているのですね。誰かに見てもらえるということは幸せです。誰に見られなくても、でも神様は愛といつくしみの目をもって、一人ひとりをつぶさに見て下さっているのです。
【聖書】

Iコリント 15・12~26、50~58

【説教】
「約束の国を目ざして」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:約束の国を目ざして by Heavensgate on Mixcloud

↓高田公園の桜
桜S

 しばらく暖かい春の陽気が続き4月を迎えました。今年も早や四分の一が過ぎたわけですが、社会の多くは4月年度なので、春とともに新しいスタート感の方が強いですね。自然もこれからがスタートの如く、日一日と変化が進みますので目が離せません。柳が緑になり、コブシ系の花はもう咲き出しました。ちょうど良く伸びて食べごろのフキノトウもあちこちで見かけます。いろんな種類の小鳥たちも目にするようになりました。そしてこちらではいよいよサクラが本番となりますね。

 あらためて春を造られた神様をほめたたえずにはいられません。ちょうど今週はイースターを記念します。「死はいのちに飲まれてしまった」と聖書は復活のメッセージを告げますが、まさにこの春は冬の世界を飲み込んで、いのちの勝利を宣言しているようですね。いつもながら、このいのちの力強さを見れなかった過去の自分は、いかに盲目だったのかと思わされます。毎年繰り返すこのいのちの春を見ても、サクラが数日で散ってしまうように、物事のはかなさに捕らえられ、結局はみな死に向かっていくのだという世界観に支配されていたのです。

 クリスチャンになって分かったことは、これこそ最大の誤解であり、まさに死に至る知識だったということです。でもこの闇は何と深いことでしょう。やがて皆死んでいく、死がすべての終わりだというこの知識は、誰も疑わず絶対のこととしています。つくづく人間の知識って何だろうとも考えさせられます。感じることや見えるだけの世界で決めてはならないのですね。聖書は神を知ることが知識の初めと宣言しますが、万物の創造者にして、すべてのものにいのちを与え、生かし支配しておられる永遠の神を知らずには、物事をさかさまに、あるいは終わりから断片的に見ているようなものなのです。そしてこの神が死もなく終わりもなく永遠に生きておられるお方であるならば、死の世界を造られるなんてことがあるでしょうか。神様は皆が無くなってしまって、自分一人だけが残る世界など興味がないのです。皆が神と共に生きる世界をこそ求めておられるのです。