本日は教団教会全体の講壇交換です。当講壇は、呉羽キリスト教会(富山市)の一重実先生です。先生はクリスチャンホームで生まれ、高校は独立学園で学ばれました。
 早津師は美園教会(長岡市)です。諸教会の講壇が祝されますように。

【聖書】

ヨハネ 3・16

【説教】
「あなたは愛されている」

↓一重実先生の説教(呉羽キリスト教会)*三角印をクリックすると声が流れます

説教:あなたは愛されている by Heavensgate on Mixcloud

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かえるS

 梅雨入りしてうっとうしいですが、それでもこの時季の曇り空は、夏の暑さに備えて一休みしているような落ち着いた風情もあります。植物たちが最も生き生きしている時です。雨、考えてみれば不思議ですね。あまりにも当然な自然現象と慣れっこになっていますが、太陽と並んでこの地球の生命のすべてを支えている母ともいえる存在です。誰が雨を生んだのでしょうか。「(一体誰が雨を降らせるのでしょうか。)それとも、天が夕立を降らせるでしょうか。私たちの神、主よ。それは、あなたではありませんか。」とのエレミヤ書のことば(14・22)は、私たちの大事な自然観です。

 沖縄の慰霊の日がテレビ中継されました。県民の思いを翁長知事が代弁します。その抑制されたことばの中に沖縄の人たちの思いが凝縮されているように思えました。一方の安倍首相の挨拶は通りいっぺんの儀礼的なものでした。この二人の対象がまた今の日本の状況を象徴しているとも言えるでしょう。沖縄の人たちの思いは、もう戦争も基地もこりごりだという、実体験に裏づけされた文字通り、血がにじみ出るような確信でしょう。それは70年経とうがぶれることのない知恵というべきです。

 しかし一方の現政府はどうでしょうか。70年も経ってもう戦後は終わったのだ、憲法の縛りもそろそろ解いて、少しは戦争のできる国にしようというものではないでしょうか。悲惨な戦争の体験者から見れば、それはまるで戦争ごっこに憧れる子どものような軽い軽い姿に映るのではないでしょうか。すべての政治家は沖縄に住むべきだ、そしてまた福島に住むべきだ、その上で考えよ。また、安保法制の政治家たちには、自分が先ず国民を代表して戦地に行って後方支援に当るべしと言いたいですね。これは政治家だけではなく、私たち一人ひとりにも問われている警告です。戦争も基地もこりごり、原発もこりごりとは、悲惨な歴史から学んだ人類の叡智でしょう。どんなに時間が経ってもここから迷い出てはならないのです。軽い若者政治家たちと、机上の空論が日本を誤らせることがないように、真の知恵に耳を傾け続けたいものです。
【聖書】

ヨブ 30・16~31

【説教】
「神の愛の深さ、広さを知る旅」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:神の愛の深さ、広さを知る旅 by Heavensgate on Mixcloud

2015-06-20あじさいS

 未だわが新潟県の梅雨入りが正式には発表されていないようです。天気予報も結構晴れマークが続いていますから、判断が難しいのでしょう。空梅雨状況で今年は推移するのでしょうか。喜んでいいのか微妙ですが、アジサイはあちこちで規則正しく咲き出して、今の季節を告げています。葉と花がともに圧倒的なボリュームのこの花は、明らかに多雨地方の植物ですね。しかしうっとうしいこの季節にどんなに爽やかさを届けてくれていることでしょうか。(※この原稿と前後して、19日に梅雨入りが発表されました)

 さて今年の折り返し点となるこの6月と続く夏までの季節は、日本社会にとっても大事な暑い夏となります。安保法案の山場を迎えるからです。政府と自民党は夏の終わりまでには、何とか法案成立へと突き進みたい考えでしょう。これだけ疑問視され、憲法学者の大半が憲法違反だと異を唱えているのに、政府には期待できないとしても、自民党や公明党内から良識の声が聞こえてこないのはいかにも残念です。良心を売ってしまっているような翼賛議員たちには厳しいツケが払わされますように。

 つくづく今こそ、政治家たちの資質を考えさせられます。彼らがやはり、国をリードするのですから、賢明な人材が輩出するように、それは国民全体の質が問われていることでもありますね。今朝の新聞に作家の森村誠一氏の投書がまた載っていました。彼は有名人であるにもかかわらず、一市民として、新聞の小さな共通欄にさかんに投書をしています。その謙遜な姿に教えられていますが、今日の欄で、「国の存立と国民の権利に関わる明白な危険とは、最高責任者である」と訴えています。最高責任者である首相に再考を促しているのでしょう。政府は「国の存立危機」とは他国の攻撃であるとさかんに危機を煽り立てているわけですが、彼は危険は外国ではなく、戦争を仮定する自国の政治家たちにこそあると返しているのです。そして戦争は、敵に殺される前に、国家によって人生が破壊されることだと定義しています。本質を見抜いた至言ではないでしょうか。、戦争を仮定する国家と政治家を作り出してはいけないのですね。
【聖書】

ローマ 8・26~39

【説教】
「愛されている者たちの道」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教;愛されている者たちの道 by Heavensgate on Mixcloud


20150607バザー

 先週は6月恒例の教会バザーが無事終了しました。前日の土曜まで雨模様の天気が続き、なかなか回復しないで気がもめましたが、日曜は何日ぶりかの快晴となり天気のことを気にせず、教会の庭で楽しく過ごすことができました。翌月曜には関東甲信地方の梅雨入りが発表されましたので、梅雨前のぎりぎりのタイミングであったことも感謝でした。色づいたアジサイがあちこちで目に入るようになり、いよいよ雨の季節ですね。アジサイだけではなく植物たちはこの季節を喜び迎えていることでしょう。私たちもまた雨の風情を楽しみたいものですね。

 安保法制をめぐる国会審議が政府の思うようには進展していないことを喜びたいと思います。とは言え、そんなことは織り込み済みと耳を貸さず、結局は数の力で法案成立を強行することがないようになお楽観はできません。法案に憲法を合わせるように解釈を検討したという防衛相の発言の波紋が広がって、自ら墓穴を掘ったようですが、そんな本音は誰の目にも明らかだったでしょう。彼らの本音は憲法を変えたいのですから、憲法があっても、目の上のこぶのように厄介視していることは明らかであり、憲法尊重と擁護の義務をはなから軽蔑していると言わざるを得ません。そんな政府が憲法を改正するというのですから、その憲法は更に政府の都合にいいように改変されるに決まっています。

 でも今回の一連の政府の動きによって幸いともいえる事態は、憲法への関心が広く国民に広がったことです。中でも、憲法とは為政権力を縛るものであるという基本精神が大きくクローズアップされて、私たちの目が開かれつつあることです。憲法99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣,国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と為政者側への義務を明確に規定しています。憲法記念日に当っての天皇の談話が、憲法を尊重して職務に励みたいという文言だったと思いますが、“憲法を尊重して”の一言に、現状を憂える天皇の心を見たように思いました。憲法を体現しようとしている天皇の姿にエールを送りたいと思います。
【聖書】

詩篇 77

【説教】
「待ち望め、主を。雄々しくあれ」

↓早津栄牧師の説教(三角印をクリックすると声が流れます)

説教:待ち望め、主を。雄々しくあれ by Heavensgate on Mixcloud

雨

 沖縄や九州が梅雨入り、ようやく雨の気配の曇り空が現れるようになりました。快晴続きで今年の梅雨はどうなるのだろうかと、不安にもなりましたが、梅雨入りもどうやら平年通りということなので、何となくほっとさせられます。雨はあまり歓迎したくありませんが、雨が降らず旱魃被害が進む地域にとっては、水はそれこそ何ものにも勝る命そのものであることを思えば、雨もまた絶対的な恵みですね。雨の季節を嫌わず、恵みの季節として過ごしたいものです。

 先週は口永良部島で大規模な火山爆発があり、日本列島は火山の活動期に入っているとの評もありました。このように人間には支配できない自然活動や災害を、時に強く見せつけられることがあります。旱魃や災害時は、この地球がただ単純な恵みばかりを示してはいないと考えさせられる時でもありますが、しかしそれでもこの地球は生命を育む命の星として、圧倒的な恵みのバランスを示していることに異論は無いでしょう。

 この自然界のバランスと比して考えさせられるのは、やはり人間世界の営みのアンバランスというかルール違反の横行です。暴力、殺人、戦争といった悪が、この世界のバランスを崩しています。自然界は放っておいても、私たちの目には、自らの強力な恵みの自浄作用といったものが働いて、いのちの星として機能しているようですが、人間世界は放っておくと悲しいかなあちこちに破れと乱れが横行するようです。軍備、安保といった問題はそんな世界に対する唯一現実的な備えなのかもしれません。核廃絶がいいに違いないと皆思いながら、でも相手が信じられない、そのために自ら率先して放棄することが出来ません。元凶はすべて不信にあるといえますね。いや、人間性に巣食っている悪を正当に計算しているからでしょうか。聖書は人間の根幹にある罪と悪を誰よりも厳しく計算しています。しかし「人を見たらドロボーと思え」理論に組しません。悪と不信を征するのは善と信頼であると教えます。「善をもって悪に」は、おとぎの国の理論ではなく、この現実の世界へのチャレンジなのです。