【聖書】

ローマ 12.17~18

【説教】
「神が味方と思えない時こそ」

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稲穂S

 8月が終わります。8月の終わりは、太陽が中天を過ぎてこれから沈み始める最後の瞬間のように思えてしまいますので、あまり歓迎したくありません。雪国の多くの人にとっての共通の感慨ではないでしょうか。しかしこれからは過ごしやすい季節に入ります。秋党の人にとっては待ちに待った季節ですね。恵みの秋を発見すべく9月へと旅をしたいと思います。

 いつも書くことですが、この地球上には様々な気候環境があります。厳しい環境の中で生活している人々も相当数にのぼるわけですが、その人々にとっては、温帯地方はまさに乳と蜜の流れる国ではないでしょうか。そんな地に生を受けていることをどういったらいいのでしょうか。慣れっこになってしまいがちな不満が恥ずかしくなります。アフリカから来た家族の日本滞在記というテレビ番組がありましたが、その人々が興奮していかにも幸せそうに見つめている日本の景色がありました。彼らの視線は林立する高層ビルを驚いて眺めて上に向けられていたのではなく、とうとうと水をたたえて流れている都会の中の川に向けられていました。豊かな水量の川を、彼らがいかにも幸せそうに眺めていたのが印象的でした。ごくごく基本的な水さえ自由にならない地が沢山あるのですね。

 ある意味で不公平なこの世界と人間の状況ですが、これをどう考えたらいいでしょうか。確かで不公平でおかしいじゃないかと考えることが出来ますが、しかし聖書には、神が一人ひとりをそれぞれのところに置かれたと書かれています。気候も環境も一様ではありません。自然環境以上にに重大な要素は、人間としての出生の条件や環境です。どんなに神様を弁護しようとしても、そこにもまた不公平を否定することは出来ないでしょう。ある意味で不公平の責任は神にあるのです。しかし不公平なとんでもない神と断じて人生をのろうことは早計です。責任が神にあるということは、それを引き受けるもっと大きな自信の計画がおありなのでしょう。それこそ、置かれたところで、それぞれを生かし輝かそうとする神の強い意志ではないでしょうか。
【聖書】

ルカ 6.27~38

【説教】
「あなたの敵を愛しなさい」

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稲穂2S

 お盆が過ぎました。お盆を過ぎると季節は一気に秋、そして冬に向かって駆け下りるように感じてしまいますがどうでしょうか。何か夏の記念にと、私は一念発起して猪野山南葉に登りました。登山といっても、ここは林道から1時間足らずで登れます。鮫ヶ尾城ハイキングにちょっと毛が生えた程度ですが、息切れ症状が出てからすっかり登山を敬遠していた私にとってはもう10年振り位の立派な登山でした。登頂に成功?して林道に戻った時にはなんともいえない爽やかな達成感でした。そして暗くなった林道を降っていると、今度は車の前を大きな物体が悠然と横切りました。丸々太ったイノシシでした。イノシシとの遭遇は初めてでしたので、これまた自然からのプレゼントで、私にとっては二つの大きな夏の思い出となりました。

 今年の夏はまた安保法案への危機感から戦後史の本を何冊か集中して読んだことも思い出です。無知と無関心を恥じました。学校の日本史も現代史に行くまでで時間切れとなってしまうようで、平均的には私たちはあまりにも現代史を知りませんね。あるいは何か意図的に遠ざけられているようにも思えてしまいます。ことに戦争に至る歩みとその後の現代史は、私たち日本人には広く深く共有されなければなりません。このことがあまりにも自明な常識として国民皆に共有され浸透するなら、政治家が都合よく歴史を解釈したり利用することもコントロールされるでしょう。

 9条と平和憲法は今正念場です。戦後70年は、皮肉にも9条否定の復古的な安倍政権のお陰で、平和憲法は国民的な関心となっています。戦争経験世代がどんどん減って、平和ボケと揶揄される世代に移行している中にあって、今日本は改めてこの遺産と向き合うようにされています。これは日本がこれからも何度も何度も向き合い、確認すべき、神からのプレゼントとも言うべき遺産ではないでしょうか。総じて国民全体の反応は落ち着いて心強いものだと励まされています。9条なんて子どもじみた幻想だと言う人たちに勝って、9条こそ現実的だという人々と世界が広がっていくように祈りましょう。
【聖書】

ローマ 12.1~21

【説教】
「平和をつくる人」

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夕暮れの稲穂

 日中の猛暑にもかかわらず、立秋と共に朝方の空気に突然冷涼感を覚えました。まるでアンバランスでしたが、自然の規則正しさを改めて思わされました。と同時にまだまだ涼しさは早いぞと、招からざる客を歓迎したくない気分でもあります。でも心身共に自然の変化に適応、順応して四季を味方に出来るなら幸いですね。今朝の新聞に、少年少女の自殺率が9月1日がダントツで2番目が8月31日というショッキングな統計が報じられていました。夏休みの終わりと明けが辛いのですね。さもありなんとも思えますが、これほどだとは衝撃でした。小さな胸を痛めている姿が身につまされます。既に子どものうちから何か人生と社会の重圧がのしかかっているのでしょう。おおらかに楽に生きていければいいものをと思いますが、それが難しい社会なのですね。

 適応、順応と言いましたが、こちらの順応の方は断じて願い下げです。原発、基地、戦争化です。4年前の原発事故を軽く忘れ、まるであざ笑うかのごとく、皮肉にも月命日の11日にこれまで止まっていた原発の第一号が再稼動されました。安保法案が注目を集める中、政府も会社もあっという間に、いとも簡単に一歩を踏み出してしまいました。反対の民意が明らかなのに、そして誰も責任を取れないことが明らかなのに、踏み出したということは、70年前の戦争決断にも通ずる無責任な軽さといわれるべきでしょう。

 まあ一歩を踏み出して様子を見ればいいではないか、問題はないだろう、そのうち慣れて気にしなくなるだろうと軽く考えるのでしょうか。確かに未来のことが分からない人間の決断には、ある軽さが伴うことは避けられません。しかしそれでも人生と歴史の教訓は、決して踏み出してはいけない一歩のあることを示しています。聖書もまた誘惑に対しては、決して近付いてはならない、断固として避けて通れと警告します。自分は大丈夫だと言える人はいないからです。安保法案も、決して踏み出してはならない9条の砦から、一歩気軽に踏み出す軽さが明らかです。軽い火遊びを断じて許すまじ!
【聖書】

イザヤ 30.1~18

【説教】
「平和は二心を許さず」

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セミS

 猛暑が続いています。昔は熱中症など聞いたことがないのにといぶかっていた私も、もう疑わざるを得ない状況になっています。アフリカやブラジル等の低緯度地方の人々はどのように暑さと付き合っているのでしょうか。彼らの知恵を学びたいですね。とは言え、それでも暑さをあまり恐れすぎず、上手に付き合って夏を喜びたいものです。この暑い日中、ハイキングスタイルの人々を時々窓から見かけますが、楽しくほほえましい気分になりますね。

 広島、長崎の原爆投下と終戦記念がやってきます。敗戦記念と言うべきですね。いや私には「終戦」も「敗戦」も、いまひとついい表現には思えません。もっとぴったりな表現がないでしょうか。言いたいことは、国家の罪を断固として心に刻み、記念するようなぴったりな表現ですが・・。それは国民と国家にとって受け入れがたい屈辱であっても、それを否定したり減じたりすることは断じて許すまじとしたいからです。一方、中国は「抗日戦争勝利70年」の軍事パレードを、各国首脳を招いて大々的に行おうとしていますが、これまたとても時代錯誤のナンセンスに思えてしまいます。勝ち負けという考え方自体が戦争を肯定しているように思えるからです。戦争という巨大な悪と罪の前では、人間は皆その大きな罪に加担している敗者とも言うべきではないでしょうか。

 日本のことに戻りますが、苦い敗戦とともに戦後の新しい歩みが始まりました。国民は新憲法にその新しさを託したと言えるでしょう。憲法前文には、「日本国民は・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し・・この憲法を確定する」と謳われています。これは日本が学んだ教訓を凝縮したもので、憲法の至宝とも言える部分です。ところが自民党の改憲草案ではこれは丸ごと削除されています。命ともいうべきものを抜き去った改憲案は、後は推して知るべしという代物です。安倍翼賛体制の自民党は70年前の大きな犠牲と教訓に泥を塗っているのです。戦前回帰的な古い自民政府に、新しい国民が勝利することが出来ますように。
【聖書】

ローマ 12.1~21

【説教】
「人と国の生きる道」

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↓高田公園の蓮
2015-07-29蓮

 暑い日が続いています。暑いのが苦手な人には申し訳ありませんが、寒いのが苦手な私には、夏の暑さは苦になりません。暑い暑いという日ができるだけ長く続くようにと思ってしまいます。昨今は異常気象化が盛んに言われますが、暑さ寒さも含めて、この地球を生命の星として創造し、そしてその環境をずっと守り続けておられる神の叡智の偉大さは気が遠くなるほどですね。酸素、水、そして太陽等、これらは皆私たちを生かしているものですが、一体これはどこから生まれたのでしょうか。慣れっこになり当たり前と思っているこの自然は、実は毎日毎日神の恵みの贈り物として差し出されているものだと思えば、ただただ神をほめたたえずにはいられません。

 慣れっこになっているといえば、昨今の政治情勢にもそのような軽さを覚えるのではないでしょうか。政府は戦後70年の節目で新しい安保法制を提案しようとしています。戦争を抑止する平和法案だとアピールしますが、70年続いた平和憲法の大転換と危惧されています。ちょっとだけの転換だと言い繕うのですが、そこにある本音は、いつまでも戦争放棄なんて時代に合わないと言っていることは見え見えではないでしょうか。私は戦争世代ではありませんが、70年前、多くの人々がどんな思いでこの平和憲法を歓迎したかは、多くの証言によって十分伝わってきます。もう戦争は決して、という思いは新生日本の命ともいえるものだと思います。それを簡単に変更しようとするその精神が身の程知らずのばか者と思えます。

 同じことは原発再稼動についても見られます。もう原発はこりごりという思いが、ことに犠牲の当事者となった人々の叫びです。戦争も原発も犠牲の当事者の人々こそ、第一の発言者であり、真理の体現者であり、その人々の声こそすべてに優先されなければならないものでしょう。政府は一年も経たない内に再稼動を言い出しました。憲法の方は70年経ったとはいえ、原発の一年と同じ精神構造ですはないでしょうか。状況がどんなに変化しても変えてはいけないものがあるのですね。それを今国民全体が問われていることを覚えたいと思います。