【聖書】

I テサロニケ 5.16~18

【説教】
「絶えず祈りなさい」

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説教:絶えず祈りなさい by Heavens Gate on Mixcloud


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↓高田公園
2015-10-21イチョウ


 不思議なくらい晴れの日が続いて、本当に爽やかで暖かい秋の日がプレゼントされています。一年中こんな天候であったならと、つい思ってしまいますが、神様の知恵は、奥深いと言うべきか、冬も嵐も送られるのですね。その意味や目的は、とてもつぶさには知り得ないものですが、常に気温が20度少しで固定されて穏やかな小春日和が続くとしたら、それに慣れてしまい、恵みの味わいともいうべきものを感じなくなってしまうのではないでしょうか。物事が変化するということは、恵みへの感受性を眠らせないでそれを刺激するための神の知恵なのでしょう。

 刺激ということでは、フォルクスワーゲンや大手業者の偽装行為で、世界と日本に大きな衝撃が走りました。誰も世界一、二の優良企業であるフォルクスワーゲン社の悪質な排ガス偽装には耳を疑うほど驚かされたのではないでしょうか。クリーンだ安全だと眠らされていた社会が、大きな刺激で揺り動かされました。と同時に人間の営みの相も変わらないお粗末さや低次元さに、やりきれない悲しさと幻滅感を覚えるのではないでしょうか。世界一の企業がこれでは、後は押して知るべしというような後味の悪さです。突き詰めれば何のことはない、幼児がつくようなウソで、大失態へと発展したのです。いい大人が、しかも最高の経営陣と目されている人々が、子どものような罪で泥にまみれたのです。

 人類はどんなに進歩先端の21世紀になろうが、人間性はほとんど変わらず、幼児のようなものなのですね。でもこのような事件は、人間と社会に対する反面教師です。発展進歩していると、高をくくって、安心している人間に対して、自分の内側と足元を見るようにという警告です。他人事ではありません。表面的にはうまく行き成功しているようでも、私たちの人生は内側にひびや腐敗を抱えているものです。何事もなく推移しているようでも、隠れたままでいることはないと警告されます。人は騙せても神はあなどられる方ではありません。人生の原則は神が見ておられる見えない部分こそ、へりくだって誠実に歩むことだと自戒したいと思います。
 今日は礼拝後、松山水辺ふれあい公園に移動して「収穫感謝ピクニック」を行いました。

 何種類ものキノコが入った「きのこ汁」を作り、秋晴れの下、おいしくいただきました。

2015-10-18 松山にて

2015-10-18きのこ汁
【聖書】

申命記 33.1~5.26-29

【説教】
「しあわせなイスラエルよ。だれがあなたのようであろう 」

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説教:しあさわなイスラエルよ。 by Heavens Gate on Mixcloud

2015-10-08コンサート1

 このところの天気予報では、日中の最高気温が20度ほどが下がっています。20度が暖かい快適さの下の目安のように思えますから、これからは20度になる日々は貴重な恵みの日々ということになるでしょう。でもありがたいことに安定して晴れマークが続いています。素晴らしい秋のプレゼントですね。柿と栗を十分味わいました。栗は食べるのが厄介ですが、秋を逃すまいと小さな山栗を必死で食べました。

 先日のコンサートで、オンギジャンイの皆さんを送迎した時、道沿いにはどこにも柿がたわわに実っていました。今日本では、この柿はほとんど食べられず、地に落ちるか鳥のえさですと言ったら、皆が異口同音に、「エー、もったいない」と驚いた反応が返ってきました。日本でもそんなふうに思われたら柿は幸せですね。

 爽やかなオンギジャンイのコンサートが終わりました。今回は2度目でしたので、交わりの中で彼らのことをもう少し詳しく知るようになりました。キリスト教国の韓国からやって来るのですから,彼らには,大教会や諸団体がバックについていると思っていました。ところが意外にも全くそうではないということでした。青年たちが自発的にこの働きを始めたというのです。そしてこの働きは特に日本の教会において受け入れられ、日本ツアーが続いて20年にもなろうとしているのです。青年たちは働きながらこの活動に参加しています。ツアーは約一ヶ月に及びますから、これに参加するためには仕事をやめたり、参加が可能なアルバイト的な仕事について、経済的にも犠牲を払いながらこの奉仕に加わっています。若い彼らは主に仕えようとしているのですね。それは彼らの美しいハーモニーの賛美以上に十分私たちに伝わってきたのではないでしょうか。

 それゆえ彼らは愛され、また励ましの存在として用いられているのでしょう。「宣教しようとやってきた私たちは、返って皆さんから愛をいただいています」と言う団長さんの証しもまた彼らがそれにふさわしいグループの故でしょう。私たちもまた神様に用いられる小さな一人ひとりであるべく、幼子のような信仰を神にささげたいと祈らされます。
ススキ

 10月に入って爽やかな秋らしい天候が続いています。もう一週間もすれば近くの山も紅葉が始まるのではないでしょうか。先日は瓢湖に早くも冬の使者、白鳥が飛来したとのニュースがありました。うれしいようなうれしくないような複雑な気持ちですが、いずれにしても冬を前にした貴重な貴重な一月ですね。一日一日を味わいたいと思います。

 ノーベル賞発表の季節を迎え、これまた早くも日本人受賞の報が届けられました。細菌研究者の大村智教授とのことですが、日本人の多くにとっては初めて知らされた学者ではないでしょうか。膨大な土を採取し続け、その中から宝のような菌を発見し、有用な医薬品開発につながり、多くの病人に希望をもたらしました。つくづくいろんな人がいるものだなあと思わされます。多くの人にとっては興味も関心もない事柄が、ある人にとっては興味の関心となり、人生の決定的な出会いとなります。そしてその人を通してその領域に光が当てられます。いろんな人がいるということは、私たちクリスチャンには、それだけそのような無数の特徴ある広がりを持ち、一人ひとりを創造された創造主なる神様の無限とも言える広大な知恵に感動するのではないでしょうか。もちろん人間の努力や業績は尊いものですが、しかしそれ以前の土台となるものこそ、人間一人を特別な個性と賜物を持って造られた、神様の手になる作品としての人間の素晴らしさであると聖書は告げます。

 そしてこのことは偉大な業績を上げる少数の選ばれた人のみに適用されることではありません。すべての人間一人ひとりが特別な賜物を持った神の作品です。例外はなく、皆が二人といない神の特別な傑作と聖書は教えます。なんという慰めと励ましでしょうか。人から評価されることはうれしいことですが、賞を受ける受けないは問題ではなく、一人ひとりにはそれぞれ特別に耕すべき畑があります。それが何かよく分からず、またいつまでも不毛のような畑と思ってしまうかもしれませんが、誰の畑にも神様の宝が隠され備えられていることを信じて、小事を喜び感謝しつつ歩みたいものです。
2015-10-08コンサート1

 韓国のゴスペル・コーラスグループ「オンギジャンイ」のチャペル・コンサートが10月8日午後7時から、新井聖書教会で行われました。洗練されたハーモニーに込められた言葉は、真摯な主への信仰と、喜びと愛に満ち溢れていました。

2015-10-08コンサート2

 メンバーは1987年、賛美を通じて主のことを知らせ、伝導させていこうという願いとビジョンにより、結成されました。その素晴らしい歌声は海外でも広がり、日本でも毎年コンサートツアーを行っています。団員は20期生までおり、厳しいオーディションの中から選ばれた団員は、音楽的な技術もさることながら、真摯な主への信仰と献身の姿勢をもって奉仕に臨んでいます。

↓盛り上がったアンコール
2015-10-08コンサート3

↓オンギジャンイ公式サイト
http://ongijani.web.fc2.com/
クリスマス
チャペル・コンサート
 本日の礼拝は、聖書学院専任教師の朴宣教師による説教でした。

↓朴宣教師と早津牧師
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【聖書】

エペソ 2・10

【説教】
「私は誰でしょう/Who am I? 」

↓朴宣教師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

説教;私は誰でしょう by Heavens Gate on Mixcloud


ブドウ

 早や10月です。冬を前にした貴重な秋の真ん中ですね。長期予報によると、今年は暖かい秋で冬は遅くなるだろうとのありがたい見通しでしたので、その如くの秋になりますように期待したいと思います。

 先日は二日間好天に恵まれ、西脇兄の指導の下、聖書学院本館屋根のペンキ塗りができました。一日目は波板状の広い屋根に悪戦苦闘しましたが、二日目には大分要領もつかみ、けっこう快調に進めることが出来ました。錆びて汚れた屋根が、だんだんきれいなブルーに生まれ変わっていく様は、とても気持ちがよく、何か誇らしい快感でした。約二ヶ月前、本館屋根に上って錆びが広がった広大な屋根を目にした時、膨大な作業を連想して、とても手に負えないと戦意喪失してしまった時のことを思うと、夢のような感謝です。これもすべては、プロの西脇兄が屋根に上って、「いやで来ますよ」と言ってくれた一言によっています。萎えた私の気持ちが一気に逆方向に向かったのです。神様の恵みですね。

 人生のいろんな場面で、同じように出来る、出来ないで葛藤することがあります。出来ないと思うと更に否定的になり、私たちは無理の材料をいっぱい集めるようになります。そしてできないというところに留まっていた方が、楽で居心地がいいようにも思えます。しかしこれは往々にして私たちの人生にありがちな負の誘惑とでも呼べるもので、消極的な失敗のパターンになり易いのではないでしょうか。出来る、出来ないの別れ目では、先ず出来るという方向でみこころを求めることが大切のように思います。そしてその場合、一人の励ましがどんなに状況を変えることがあるでしょうか。一人では出来ませんが、もう一人の励ましがあれば、それはただの二人ではなく何人分ともなるのです。教会は二人三人が、主の名において集まるところといわれます。多数でなくても、二人三人が励まし合えれば主が共にいて何倍にもしてくださるのです。ですから私たちはいろんな場面で、できるならいつも一人の励まし手となりたいものです。