元旦は午前11時から元旦礼拝があります。

 また、3日(日)の新年礼拝をもって新年度の主日礼拝がスタートします。

 ともに新年の始まりを記念し、主の祝福を求めましょう。
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2015-12-27礼拝S

 本日は2015年最後の主日礼拝でした。一年の守りを心から感謝し、主に導かれる新しい年を展望しましょう。

 礼拝後は感謝の食事会を行いました。

2015-12-27ごちそう3S

【聖書】

詩篇103

【説教】
「あなたの通られた跡には、あぶらがしたたっています」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

説教:あなたの通られた跡には… by Heavens Gate on Mixcloud


2015-12-20 16夕焼け

 雪のないクリスマスを過ぎて、続いて穏やかな年末となっています。温暖化は楽観できないとしてもやはり暖冬はありがたいと思ってしまいます。この分では正月に鮫尾城に登れるかもしれません。雪の無い雪国は興醒めかもしれませんが、雪に追われずに静かに年末年始を過ごせることは恵みでしょう。もっとも雪が無い分、気持ちが外に向いて活動的になってしまうかもしれません・・・。

 2015年が終わります。いつも年の終わりは感慨深いものです。一年の歩みを振り返り、思いを巡らすことは、動物の中で人間だけがすることでしょう。それは人生そのもので、神様と会話するような意義深いものだと思います。私たちの人生は神とともにあり、神の目的にしたがって神が造っておられる人生でもあると信じていますが、それぞれにとって、果たしてこの一年はどのように思えるでしょうか。神を知った私たちにとって、人生観と思考の中心にはいつも神が置かれています。神が支配しておられる、すべての事柄は神の永遠の計画と摂理のうちにあるということは、聖書の隅々に満ちているメッセージです。この思想に私たちはどれだけ慰めを与えられていることでしょうか。しかし問題は神の支配が手に取るようにははっきり見えないことです。ここに人生観の葛藤があります。私たちの目には、神の御手など見えず、人間こそが前面に出てすべてを動かしているかの如くに見えます。

 神の支配は長いロープのようかもしれません。そのロープによって確かに神と繋がれているのですが、ロープが長い分、そのずっと先にある神が見えず、自分が何の制限もなく自由に動き回っているように思えるのです。長いロープは神の永遠の知恵なのでしょう。これによって人間の自由に最大限の尊重を払いながら働いておられるのです。ロープの長さはまた神の忍耐と恵みの長さでもあります。やがてこれが短くなって神をはっきり見える時を迎えます。それまでこの自由を不信仰と放縦に変えることなく、先にある主の御手をしっかり見続けて歩みたいものです。
2015-12-27 クリスマス礼拝1S

↓クリスマス礼拝の模様
↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

2015年クリスマス礼拝 by Heavens Gate on Mixcloud



クリスマス


2015-12-27 クリスマス礼拝2S

2015-12-27クリスマス礼拝3S

20151220クリスマス礼拝4S

 本日はよくいらっしゃいました。毎年めぐってくるクリスマスですが、改めて皆さんと共に記念したいと思います。2000年前あまりにも驚くべきことが起こりました。この世界の造り主、万物の支配者である神様ご自身が人間となってこの世界にお出でになったというのです。「まあ、物語としてはよくある話ではないか」と、誰でも思うかもしれません。私もその一人でした。でもそんなこと誰もまともに本気にしてはいないだろうと・・・・。ところが驚いたことに、教会とクリスチャンたちはこれを心から信じているということが分かりました。どうかしているんじゃないかという気持ちでしたが、でも幸いなことにそれで終わりませんでした。少しずつ聖書を学びました。そして今では頭がおかしいと言われる一人になりました。しかし驚くべきことに、同じように頭のおかしい人々の流れが2000年以上に渡ってわたって途切れることなく、今も世界中に生まれているのです。聖書にも、歴史上の世界帝国は皆滅び、移り変わっても、キリストの国は世界の全土に満ちて滅びることがないと、預言されています。そしてその如く、キリストの国は、今も広がり続けているのです。それは一体何なんだろうと・・・、クリスマスから始まるイエスキリストという人のことを、興味を持って考えていただければ幸いです。

 「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」等で、キリスト教信仰を証ししたドストエフスキーは、若い時、皇帝反逆罪で死刑を宣告されました。銃口が掲げられた銃殺されようとするその瞬間、皇帝の慈悲によって、劇的に恩赦が宣告され、シベリヤ流刑となるのです。死の淵を覗いて生還したその瞬間から、人生は彼にとって、はかり知れないほど貴重なものとなりました。シベリヤへ向かう列車に乗る時、一人の敬虔な女性から聖書をもらいます。それは収容所で読むことのできる唯一の書物でした。彼はそれを熟読します。そして10年後、彼は不動のクリスチャンとして流刑生活から帰ってくるのです。彼の有名なことばは次のことばです。「キリストは真理ではないと私に証明する人がいたら・・・そのときは、私は真理よりもむしろキリストと共にあることを望むだろう」と。

 このクリスマスシーズン、人となられたイエス・キリスト、まことの神の神なる方が、お一人ひとりに近付いてご自身を知らせてくださいますようにと願います。
【聖書】

ルカ 1.26~38、46-55

【説教】
「幼子の王の国」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

説教:幼子の王の国 by Heavens Gate on Mixcloud


紅葉

 今のところ穏やかな12月となっています。予報通り暖冬の気配で、大分得をしたような気分です。柿崎線沿線ではこのところあまり白鳥を見ていませんが、彼らも少し勝手が違うと感じているのでしょうか。温暖化のことを考えれば複雑ですが、この時期の暖かさはありがたいですね。落ち葉を踏んで散歩できる空間がいつまで残されるでしょうか。

 落ち葉を踏んで散歩などと言うと、少し後ろめたさも覚えます。というのもそれはまさに穏やかで平和のイメージだからです。この2015年、世界も日本も平和のことを深く考えさせられました。特に中東、アフリカ、ヨーロッパでテロが頻発し、世界中がそれに巻き込まれるような状況が発生してしまっているからです。遠い日本も不穏な世界情勢に触発されるように安保体制を強化しようとしています。その前線にある沖縄では、基地をめぐって深刻な対立が生じています。沖縄は今、とてものどかな平和気分ではありえないでしょう。ああ主よ。孤軍奮闘している翁長知事を、支え、励まし、力づけてください・・・・。

 また内戦やテロだけではなく、今日の世界は、経済競争の嵐の中に巻き込まれて、のどかなどという情景は遠い昔の観があるのではないでしょうか。ある意味でこちらの方が深刻な戦争とさえ言えないでしょうか。儲けを追い求めざるを得ないために、企業はブラック化し、国も社会も余裕を失って、その中で人間は、精神的・肉体的に以前よりも追いつめられているとも言えるでしょう。進歩発展を目差しているのですが、何かが間違っているのでしょうか。今月はクリスマスを記念しています。主イエスは、平和の君としてこの世界に来られました。主イエスの平和とはどのようにもたらされるのでしょうか。多分それは今世界が従っている進歩発展の原理とは違うのでしょう。個人も社会も、しばし立ち止まって、本当に休む必要があるのではないでしょうか。それこそ散歩のペースにスローダウンし、主イエスの平和のみことばに耳を傾ける季節でありたいと思います。
2015-12-12MPEC.jpg

 英語クラブのMPEC月例講座で、早津牧師が「クリスマスについての話」というタイトルで講話をしました。

 自身のキリスト教との出会い、神の存在などについて話し、「クリスマスは、キリストの誕生を神様に感謝する日です」と話しました。

 講話の後は、英語絵本を読んだり、キャンドルサービス、プレゼント交換などを行いました。

2015-12-12キャンドルサービス

 当日の講座の内容は、「Yoshy's World」に紹介されています。

↓Yoshy's World
http://mpec.blog.fc2.com/blog-entry-1761.html

↓MPEC月例講座での「クリスマスについての話」

MPECクリスマス講座 by Heavens Gate on Mixcloud


【聖書】

ルカ 1.26~55

【説教】
「主は、私に大いなることを」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

説教:主は、私に大いなることを by Heavens Gate on Mixcloud


↓鵜の浜温泉のイルミネーション
イルミ

 12月に入り、2015年も残り一月です。私たちの都合によらず、時間が規則正しく過ぎていくことは、何か驚きでもあります。でも人間の都合で遅くなったり、早くなったりしないことは恵みなのでしょう。そういう意味では万人に公平です。どんな有力者も時間は操作できません。神の時間なのですね。一年の終わりはまた同時にそれぞれに分け与えられた神の時間を覚えさせられる時でもあります。恵みを数えながら、また神の御旨を問いながら歩みたいと思います。

 時間は万人に公平だと言いました。確かに時間の長さは公平ですが、しかしまた一面ではこの公平な時間もその中身を見れば、不公平が侵入しているとも言わざるを得ません。順境の時間とまた逆境の時間があります。しかしこの順境と逆境が自然な人生の営みの中で起こるならばある意味で神の領域ですから万人に公平だといえますが、しかし問題はこれが人為的に引き起こされる場合です。今、難民として追われ、不自由と欠乏の中で過ごさなければならないその辛苦の時間はとても公平な時間とはいえないでしょう。世界温暖化会議のことが報じられていますが、ここでもまた、本来公平であるべき自然が、人為的な原因によって分断されてしまい、ある地域はその負の影響を他よりも多く受けるようになってしまっている問題が指摘されています。温暖化とテロが深く関わっているとも報じられていました。温暖化が不公平と格差をもたらし、それがテロの温床ともなったというのです。

 不公平と格差という言葉は、今世界にあふれています。文明の進歩と共に格差がより大きくなっているのは皮肉なことです。進歩というものは、自然的な営みよりも、人為的な競争原理がもたらしているからでもあるでしょう。突き詰めると、富の追求が自然を破壊し、そして格差を増大させているのです。さらにその元にあるのは国のエゴや強者のエゴです。持てる者の責任は本当に大きいと言わなければなりません。どんなレベルではあれ、私たちは、持てる者のエゴの陥っていないか謙遜に吟味し自戒したいものです。