【聖書】

詩篇37・5,23

【説教】
「イスラエル家の罪と再生の物語」

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九州雪

 楽観していた冬ですが、今回は大荒れとなり、西日本にしわ寄せが行ったようです。南に雪が降るのは楽しいことではないかと、ついニュース報道で顔がゆるんでしまうのですが、今回はそのレベルを超えて、20万以上の世帯が断水するという地震並みの災害になってしまいました。それでも雪は洪水や地震のように、一瞬にして命に関わるような被害をもたらさない分、付き合いやすい自然といえるかもしれません。雪国という言葉から、何か詩情や温かみが伝わってくるのもそういう一面からではないでしょうか。やはりふるさと雪国を愛したいですね。新年1月ももう終わり、春待ちの希望の2月を迎えます。日がだんだん長くなることを実感し、冬が終わる2月は、3月よりも楽しみな月に思えます。早く進んで欲しいと思う反面、いやゆっくり進んで欲しいとも思う不思議な月ですね。皆さんはどうでしょうか。

 今朝の「天声人語」は、「言葉を友人に持ちたい」というコラムでした。新聞社が、大切にしている言葉とそのエピソードを募ったら1万6千超も寄せられたというのです。いかに多くの人が言葉に触れ、言葉に出会い、それから慰めや力をまた感動を経験しているかを物語っています。そういう意味では本当に言葉は不思議なものですね。ある意味でこのコラムの如く、目に見える友人以上の存在だといえるでしょう。このことは私たちクリスチャンにはすぐ聖書のいろんな場面と結びつくでしょう。使徒ヨハネは、主イエスのことを、「ことば」と言い換えて紹介しましたし、黙示録では、主イエスの名は「神のことば」と呼ばれています。聖書には主イエスの語ることばそのものがいのちであるという思想が満ちていて、その如く「神のことば」は「いのちのパン」とも言い換えられています。まさに人間とは、言葉を食して生きる存在なのだと聖書は初めから告げているのですね。それだけ力を持っていることばは反面、人間を殺してしまうこともあるのです。どういう言葉を聞き何を語るかが問われます。この一年、先ずいのちのパンである神のことばを聞き、これこそがそれぞれにとって第一の友人となりますように。
【聖書】

ルカ18・1~8

【説教】
「祈りの答えはどのように」

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吹雪

 大型低気圧のために日本列島は大荒れとなりましたが、私たちの地域は依然として迂回されているようでありがたくも少し不安でもありますね。2年前でしたでしょうか、北海道で車が雪に閉じ込められて亡くなってしまうという痛ましい事故がありましたが、雪に慣れた地域においてさえこのような事故が起こるのですから、自然はあなどりがたいものですね。また慣れるということに潜む危険も考えさせられます。雪道を歩くなどということはこちら雪国人には初歩の初歩ですが、それとても油断禁物ですね。年を取ればなおのこと気をつけなければと思います。

 スキーバスの悲惨な転落事故のことが連日報道されています。こちらは慣れというべきか無謀というべきなのか複雑です。多くの将来ある若い命が奪われてしまったことは、ご家族だけでなく社会にとっても無念というほかありません。事故原因が明らかになるにつれ、ずさんな人災そのものであったことが否定できませんから、なおさら怒りや無念さがつのります。しかし直接的には運転手が悪い、会社が悪いということですが、実態を知れば会社も運転手たちも追いつめられていたことがわかります。経済の縮小、競争の激化によって、効率と安さ優先を際限なく求められていた姿が浮かび上がります。その渦中にあってこれはおかしいと立ち止まり、軌道修正をすることはどんなに難しいことでしょうか。その結果が取り返しのつかない惨事となります。政府も業界も社会全体も大きな警告を受けるわけですが、これがまたいつの間にか、利益優先効率優先の社会となっていくのですね。

 ここまで来ると一人誰かの責任ではなく、社会全体、一人ひとりが関わっていることになります。本当に懲りない私たちなのですね。その最たる例が原発です。今は全く元の木阿弥で、政府も経済界も積極的に再稼動の提言と推進をしようとしているのですから、どういう人種なのかと思えてしまいます。人間と社会は常に安易に流れるのですね。その責任を共有する者として、何が正しいことかと立ち止まり、少しでも逆方向に歩める人間でありたいものです。
【聖書】

I サムエル記 1.1~28

【説教】
「ハンナの祈りに習って」

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2016-01-13跳ね馬大橋

 少ないながらようやく冬らしい白銀の世界になりつつあります。大雪は大変ですが、冷たい雨がよく降るよりも、さらさらの雪が降ってくれた方が風情があり、また活動もしやすいのではないでしょうか。改めて白く覆われる世界は幻想的で美しいと思わされました。様々な色の美しい季節を造るとともに、真っ白い世界をも造り出す神様はただただ驚きというほかありません。そこに込められたメッセージはとても思いはかることはできませんが、罪や汚れを雪よりも白くすると歌う賛美歌は、一つの大きな意味をとらえているように思います。確かに黒ずんで汚れた様々なものがすべて白く覆われる世界は心が洗われるようです。一瞬にしてこのような世界を造り出す神様は、人間の罪をこそ、キリストのあがないによって、全く跡形もなく洗ってくださることを信じるように、励ましてくださるのではないでしょうか。

 今世界は様々な問題で渦巻いています。それはまた人間の罪の汚れによってびっしりと汚染されている姿でもあります。国連初め国際社会はこの解決のために翻弄されていますが、とても一筋縄ではいかず、どれだけ時間がかかるだろうかと予想せざるを得ないでしょう。それが一晩で別世界を造り出す雪を降らせるように、神の御手が働くなら何と幸いでしょうか。でも神の御手と支配を信じる私たちにとってこれは夢物語ではありません。特に聖書の詩篇には神の支配と栄光がこの世界の隅々にまで明らかに現されますようにとの祈りに満ちています。ですのでこの祈りは様々な課題で苦しんでいる2016年のために私たちが熱心にささげなければならない切実なまた希望の祈りでもあります。問題が大きければ大きいほどそれは神様の出番ではないでしょうか。

 神を待ち望むのは個人の領域だけではなく、国と世界のためも同じであると信じます。日本も今、オキナワと安保法制、そして改憲問題で今年は昨年以上の大きな山場を迎えています。決して人間が勝ち誇らないために、そして権力が間違った選択をしないように、へりくだって熱心に、神の支配と栄光が現わされるように祈り求めましょう。
【聖書】

詩篇37・5、23

【説教】
「あなたの重荷を主にゆだねよ」

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 今年の暦は正月を過ぎて、あっという間にあわただしい日常に戻ったという感じでしょうか。それでも雪の無い穏やかな正月となりました。この先が少し不安でもありますが、今のところ厳しい冬にはなりそうもないのではと思えます。それでも2月中旬までは冬本番の厳寒期ですから、これからの一週一週は気が抜けませんね。

 気候の穏やかさとは対照的に、世界を見渡せば正月早々波乱の幕開けとなっています。昨年来の中東情勢に加え、イランとサウジアラビアの反目が決定的となり新たな火種がまた一つ加わりました。これがさらに中東全体に拡大するのではと危惧されて、ただでさえ収束が難しいシリヤ情勢がいっそうその解決が遠のくだろいうとさえ言われています。ボートで危険な海を命がけで国外に脱出せざるを得ない膨大な人々の姿を見ると、果たしてこれが21世紀の世界の姿だと誰が想像したでしょうか。残念ながらつくづく、人間と未来を楽観できないことを改めて警告される思いです。

 聖書には世界の終末時代のことが預言されています。そこには「戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょう・・・民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります」(マタイ24章)との内容が書かれています。長く平和な歩みを経験してきた日本人の私には当初、主イエスの預言と言えども、これは何かありそうもないものと思えて、文学的表現として片付けようとしていたのですが、残念ながら今日ではもう誰もそのような読み方をしないでしょう。別世界のことや他人事ではなく、正に文字通りの現実となっています。この預言は人間の現実に厳しく向き合わせるものですが、しかしだからといって悲観的な宿命論に陥ることから守られなければなりません。だからこそ一方で主は平和をつくる者の幸いに招くのです。悪と敵対という堕落の力は強大です。この罪と戦うことが個人にとっても国にとっても課せられている使命です。日本も今岐路にあります。2016年、人類と世界にとっていっそう切実となっているこの使命のために祈りましょう。
 1月3日の説教は、録音ミスのため、収録できませんでした。
 2016年明けましておめでとうございます。年の初めはやはりおごそかな気持ちにさせられるのではないでしょうか。そのおごそかさの由来は、与えられれている命へのおそれから来るのではないでしょうか。

 ある意味でどの年末年始も、一年365日のサイクルで同じように繰り返され、規則正しく機械的でさえあります。そのため、ともすると当たり前の繰り返しという感覚が育ってしまいます。しかし少し静まって考えれば、そうではないことに気付くでしょう。誰も本当は、明日終わるかもしれない命を抱えながら生きています。人間は誰一人、当たり前の一年を保証できものではありません。であれば、この新しい日々は特別なものです。まさにかけがえのない日々ということなのですが、この感覚は残念ながらすぐ忘れられていく傾向にあります。だからこそ、一年の初めはしっかりとこの感覚を取り戻したいと思います。聖書にも、「自分の日を正しく数えることを教えてください」という祈りをささげながら生きるべきことが人生の知恵であると教えられています。かけがえのない日々、時は縮まっている、という感覚は、人生の日々をぞんざいにはせず、少しでも聖なるものとすることを助けてくれるでしょう。

 人生を聖なるものとするとは、とても畏れ多い言い方ですが、聖書では、「聖」という言葉は「神のもの」という意味です。これもまた慰めに満ちています。小さな私たちの人生を、神は「わたしのもの」と言ってくださるのです。私たちは自分の人生なんて小さなつまらないものと、みなしてしまうものですが、神はそれぞれの人生に何という栄光を与えてくれていることでしょうか。神のものである限り、2016年も、それぞれの人生に目的をお持ちです。これからの一年は神の目的が実現していく旅路です。神の目的に励まされて一年の歩みができるとは何と幸いでしょう。ともあれ、新年は私たちの思いがおごそかに引き上げられる機会です。もちろん神は人生のいろんな折に導きを与え語りかけてくださるのですが、年の初めはその特別な時です。それぞれに去来する思いを大事にし、神の声を聞きたいものです。
2016.01.01 元旦礼拝
 2016年1月1日、元旦礼拝のもようです。

新年礼拝 by Heavens Gate on Mixcloud