【聖書】

ルツ記 2・1~23

【説教】
「何も見えないとき」

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妙高山

 2月が終わります。このところは雪マークが続きますが、窓から眺める雪はすっかりなごり雪の風情です。近付く春の力が冬に勝るようになってきました。先日、松山の梅はどうなったかと、未だ車では入れませんでしたから遠くから眺めてみました。冬枯れの世界に、その周辺はピンク色になり、またサクラのつぼみも頼もしげに膨らんで、皆たくましく空を見上げていました。今年のサクラが楽しみ、早く来い!という気持ちと、いやゆっくり来てほしいという気持ちの両方です。

 春と共に何となく追いかけられるようなせわしさを感じてしまいますが、日本も世界も忙しい年であることは間違いないですね。中東の解決、アメリカ大統領選、そして日本は参院選を迎えます。激しく揺れ動いている世界情勢の中で、世界中に不安や危機感というようなものが伝染しています。その中でトランプ現象に象徴されるようなマインドが広がっているのではないでしょうか。全く反知性的な言動が堂々と成され、それがひんしゅくを買うどころか喝采されています。まさかあんな人が、よもや相手にもされないだろうと思われた人物が、依然として勢いづいているというのですから、もしかして・・・と想像すると空恐ろしいですね。

 これは他人事ではありません。このトランプ現象と日本の改憲現象はどこか繋がっているように思えてしまいます。日本の良心的な知性が70年間守ってきた憲法の精神を、あれよという間に解釈で変えてしまったのです。その砦であった内閣法制局が、ほとんど抵抗せずに簡単に政府の言いなりになってしまったことは、国民への裏切りです。東大法学部出身の優秀な官僚が知性よりも時の流れを選んだことは大きな幻滅です。出来ないものを出来るように弄することは白を黒とするような知性の放棄です。反知性とは、真理よりも都合によってウソを信じ煽動することです。それが今、時代の精神になりつつあります。官僚や政治家だけの話ではなく、悲しいかな人間は、流されて、簡単にトランプ氏に喝采を送るような人間になってしまうのですね。
【聖書】

ルツ記 1・1~22

【説教】
「ナオミ家の物語」

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↓高田城三重櫓
2016-02-25極楽橋

 雪国にとって決定的な転換点である「雨水」を通過しました。今年は暖冬で既に1月から雨が降るという冬でしたから、あまり感動はありませんが、それでも冬の終わりを画するこの季節はうれしいですね。雪が降っても春の雪となります。とは言え三寒四温といわれるように春はゆっくりです。それでももう安心して、ゆっくり進む春を楽しめるのは幸いです。

 春を待つ喜ばしい季節を迎える北半球は、しかし依然として冬のような試練の中にあります。中東のシリアの混乱が収まらないからです。460万人にも及ぶ難民の人たちが過酷な生活を強いられ、更になお増大しようとしています。これだけの犠牲を出しながら権力闘争に明け暮れている各勢力の悲しさと愚かしさを覚えますが、まさに剣を鞘に収める難しさを例証しています。私には特に今までのアサド政権の責任の方が大のように思えます。アサド政権のひずみが爆発して、これだけの犠牲と混乱をもたらしたのですから、どれだけの言い分があろうと、時を悟り、いさぎよく権力を手放し、国の未来のために潔く身を引くことこそ王たる者の責任だと思うからです。しかし現実はいっそう強権的に人々を圧っしているようです。これにこれまた露骨な国益のためにロシアが加担し、引くに引けない状況になっています。第三者が見れば、お互いの意地と面子の張り合いで、子どものようなけんかが展開されているといったらあまりにも単純すぎる見解でしょうか。

 国は大義名分を主張しますが、その陰で今まで平和であった多く国民の命が奪われています。本来なら空爆で関係のない一人の命を犠牲にしてしまったなら、その時点で、その罪の重大さのゆえに、深刻な謝罪と方向転換をすべきなのに、競って他者への責任転嫁と自己の正当声明を出す始末です。国や権力者の誘惑は、国のためにという大義名分であり、一人の素朴な倫理観が狂ってしまうことですね。国に限らず、一個人にとってもいわゆる大義名分は曲者です。それは自らを正当化する隠れ蓑になるからです。大義とは最も素朴な小さな義を犠牲にしないものであることを肝に銘じたいと思います。
【聖書】

創世記 45・1~15

【説教】
「それは、あなたがたではなく、実に、神なのです」

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↓霧に煙る山々(2月14日)
2016-02-14霧

 2月に入ってまだ寒さは厳しいですが、19日の楽しみな「雨水」をもう指折り数えるようになりました。昔は2月10日ごろが大雪のピークだったようにも思いますが、今は昔の感がします。それでも雪国にとっては雪は貴重な財産でもありますから、雪を嫌わず、雪とともに、神の恵みのもとにある雪国が続いて欲しいですね。

 清原選手の麻薬報道が続いています。スーパースターの大スキャンダルということで大きな注目を集めていますが、皆さんもいろんなことを感じておられるでしょう。私は先ず恐ろしい闇の世界の存在に、相も変わらない人間世界の悲しさを覚えました。麻薬を流布させ、売り買いする世界、人生と社会を破滅させることが分かっているのに、それによって富を得ようとする闇の世界。多分悲しいかな、このような世界はなくならないのですね。

 「蛇の道は蛇」の世界と言ったらいいでしょうか。これもまた罪に落ちた人間世界の一面でしょう。このような世界がある限り、あるいは悪が人間性に染み付いているともいえる限り、それから身を守ることがどうしても必要です。蛇の道に勝る知恵が必要です。清原選手のことはよく分かりませんが、野球選手として一流でしたが、人生の知恵ということでは子どものような姿をさらしたということでしょうか。でもこれは他人事ではありません。人間はいかに無力で無防備なものでしょうか。へりくだってこれを先ず認めることが知恵ですね。

 主イエスは弟子たちをこの世界に遣わすとき、“狼の中に羊を送り出すようなものだから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおであれ”(マタイ10・16)と教えられました。子どものようなすなおさとともに、蛇の道にまさって更にさとくあれと、大人の知恵の備えを説かれたのでしょう。旧約聖書の「箴言」は特にこの大人の知恵の結晶です。私たち人間はある意味でいつまで経っても、悪と罪と戯れるような愚かな子どもです。繰り返し親や大人から戒められなければならに者です。もう分かったと高慢な者にならず、繰り返し神のみことばに耳を傾け、良い意味で蛇の賢さを身に付けたいものです。
【聖書】

ルカ10・38~42

【説教】
「どうしても必要なことは一つだけです」

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説教:どうしても必要なことは一つだけです by Heavens Gate on Mixcloud


2016-02-08新井総合公園

 2月を迎えました。雪国の2月は冬から春に移り変わる希望の月です。3月こそそうではないかと言えそうですが、3月はどちらかといえば、すでにもう名実ともに春ということになるでしょうから、3月党の人には申し訳ありませんが、春がわずかに感じ始められる2月の方が味わい深いように思えます。ちょうど立春を迎えました。昔の人たちは実に季節感覚が敏感だったのだと言われますが、またこの2月の初めに春という言葉を冠するセンスにも感心してしまいます。先回も言葉の力に触れましたが、厳寒の真ん中にありながら、立春という言葉を聞けば、春がもうここにあるように感じるのではないでしょうか。

 二十四節気はちょうど季節の変わり目の標準点を表現しているということですが、私たちの実際の感覚としては季節を先取りしているように感じるのではないでしょうか。先取りするということは私たちの人生に通ずる肯定的な態度のようにも思えます。現実より一歩先を見る態度といったらいいでしょうか。もちろん現実は無視するべきではなく、そこにまた隠れた恵みがあることも事実ですが、特に困難な現実の中にある時は、それを踏み越えて一歩先を見ることができるなら幸いです。

 聖書が招く信仰はまさにこのような本質を持っているといえるでしょう。聖書にはこれを示唆する多くのみことばがあります。主イエスは弟子のトマスに「あなたは見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」と言われ、また弟子たち全体にも「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい」とチャレンジされました。そして「ただ、おことばを下さい」と言って、その主からいただいたことばを信じて帰った百人隊長の信仰を称賛されました。これらは普通の常識的感覚からは狂信そのもののようですが、神のことばは現実を一歩も二歩もいや永遠の先まで先取りしているものです。信仰とは神のことばを信じて現実を先取りすることなのですね。この年、主がご自身の力あるみことばによって、それぞれの現実を踏み越えさせてくださいますように。