↓まだ残っていた松山の桜
2016-04松山の桜

 サクラは終わりましたが、柔らかい新緑のまぶしい季節となりました。暖かい春の野は、神様が両手を広げて招いているようです。先週は大風の中の墓前礼拝となってしまいましたが、その後は風も幾分和らいだので、せっかくでしたので、有志で松山を一時間ほど散歩しました。たったそれだけでしたが気持ちのいい満ち足りた午後になりました。

 この最高の季節、熊本地方では大きな地震が発生し、予想以上の被害が増大化しつつあります。私にとっては一度も行ったことのない九州ですが、暖かくのどかな憧れの地、としてイメージしていました。今回はその中心にある熊本に、激しい地震変動が襲いました。のどかな九州にも、その地下はありがたくない活断層が張り巡らされていることを知りました。改めて活断層に注意を向けさせられましたが、九州だけでなく、日本は全体が活断層列島であるといわれます。新聞に、作家の小松左京氏が、活断層の全国分布図を初めて見た時、「これじゃわれわれは、『ひび焼き』の陶器の上に住んでいるようなものじゃないか!」と驚いた言葉が紹介されていましたが、ひび焼きの陶器とは決して大げさでないのかもしれません。改めて日常の平穏が得がたい奇蹟のようにも思えました。同じ欄で、「レジリエンス」という言葉も初めて知りました。被災後に元の生活を速やかに取り戻す力のことだそうです。九州では厳しい戦いが続きますが、一日でも早く平穏な日常が取り戻されることと共に、しばらく続く不自由な日常の中を、励ましと希望、また上よりの力を与えられてたくましく乗り越えて欲しいと祈ります。

 自然災害は、しかもその被害が大きいほど、私たちの信仰は窮地に立たされます。一体神は何をしているのかと、その愛と善が厳しく問われるからです。軽率に答えることは出来ません。しかし私たちの答えと信仰は、いかなる中にあっても神の完全な善を信じることです。被害が大きければ大きいほど、それをあがなう善をこそ神は隠されているに違いないと信じたいと思います。九州がまたその証しの地となるように祈りましょう。
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【聖書】

ピリピ 3・1~14

【説教】
「いっさいのものを損と思っています」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます
↓松ヶ峯の夜桜ライトアップ
2016-04-14松ヶ峯桜1

 平地のサクラは残念ながら葉ザクラとなりつつあります。それと共に今度は春がどんどん進む感じです。いつもながら出来るだけゆっくりと、この最高の季節が長く続きますようにと念じますが、これもまた人間の勝手なのでしょう。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道3・11)とあるように、神の時間に合わせてすべてが進行していることに慰めと平安を覚えたいと思います。

 自然の時間に比して、人間社会の時間の推移は、何か神様も思うようには支配なさっていないようにも思えてしまいます。もちろん神様はすべてのものの上にいまして完全な支配者であることに変わりはありませんが、人間社会の場合は、神の支配の下に、人間の自由という領域を広く設けておられるゆえに、神の支配は自然界よりも間接的な構造になっているゆえでしょう。このことは人間の自由を保証することによって、人間に最大限の尊重を払っていることでもあります。でも人間はこの自由をなかなかあるべきようには効率的に使えないものですね。回り道をしたり、逆戻りしたり・・・と、多分神様も気をもんでおられるのではないでしょうか。


 普天間飛行場の返還合意がなされて、ちょうど20年を経たと今週は大きく報じられました。当初は5、6年で実現するだろうと、特に沖縄では大きな高揚感に包まれたということですが、その期待は裏切られ、今はいっそう先の見えない泥沼状態に沈んでいます。神様が介入して、有無を言わさず正義の針を早く回してくださいという思いです。政府が相も変わらず「辺野古移設が唯一の解決策」ということばを聞く度に、全くうんざりしてしまいます。自主憲法制定などと余計な勇ましさを演じているくらいなら、アメリカと刺し違えてでも普天間を除去する勇ましさをこそ示せと言いたいですね・・・。オバマ大統領にも、あなたが決断すれば出来るのではないかと言いたいです。他人事ではありません。人の振り見て我が振りを・・。どうか言うべき時に言い、立つべき時に立つ、真の勇を訓練したいものです。
【聖書】

ヘブル 11・6~26

【説教】
「地上にあっては訓練の旅路」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

↓高田城三重櫓と内堀の桜
高田の観桜会

 先日、上越地方は夏日になったということで、サクラの満開化が一気に進みました。一日どころか時間単位で開花が進行してしまうようで、あまりの速さに少し残念な気もします。約10日間ほどの花期で、過ぎ去り、これで一年の見納めとなってしまいますから、やはりサクラの季節は複雑ですね。楽しみと寂しさが交錯しています。ずっと続けばいいのにと思いますが、もし変わらずにずっと続くなら、サクラの風情は半減してしまうのでしょう。人間の勝手を越えて、植物たちはより完全に神の栄光をあらわしているということでしょうか。自然界は人間の勝手を許さないのですね。それはもどかしくもありますが、神の永遠の知恵なのでしょう。

 自然界に比して人間社会はやっかいです。人間の勝手が横行しやすいということです。ある意味で文明とは、人間の支配化が進むことでもあります。これは多くの恩恵をもたらしてきたことも事実ですが、文明化の極致にあるような現代、人間の勝手と横暴という負の部分が顕著に現れるようになっていることも事実です。

 先日の説教で、ウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏について触れましたが、ちょうどその夜、民法の番組で、氏が国連で行なって話題となった歴史的な演説が、ノーカットで放映されていました。それを聞きながら改めて、氏の知恵と生き方に敬意を覚えました。氏が指摘し、警告したことは、進歩と経済力によって世界のリーダーになっている大国の、自由競争と大量消費文化という価値原理によって、地球資源の争奪化が進み、それによって人類が窒息しかかっているのではないかということでした。ほとんど注目されない、負け犬のような小国からやって来た年老いた大統領の演説に、初めは不注意にざわついていた会場が静まり返ったようでした。私には氏の姿は真理を体現している天の声のように思えました。小さな国の最も貧しい大統領が、大国のリーダーが見失い、決して言うことの出来ない真理を鮮烈に表現したのです。時代の精神は偶像でもあります。いつもそれを吟味し、静かな真理の声を聞き分けるものでありたいと思います。

【聖書】

マルコ 8・31~38

【説教】
「まことのいのちの訓練」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます
つぼみ

 温度が上がってサクラも目前でしょうか。これからは変化が早いですね。うっかりするとその変化に置いていかれてしまいます。できるだけゆっくりすばらしい春が長く続くようにといつもながら思います。4月に入り、年度も代わって、社会もまた新しい出発の時です。自然界だけではなく、今日は社会の変化のスピードもまたそれ以上の感があります。ゆっくりな穏やかさがだんだん狭められていくように感じます。これからの子どもたちは一体どんな世界に生きることになるのでしょうか。誰も想像することができないのではないでしょうか。

 方や日本では安保法が施行されました。戦後70年間一貫して守られてきたものがくずれて、こちらもまたこれからはガラガラと反対方向に早く回り出すような不気味さがあります。昨年夏の失望が尾を引いて、国民全体があきらめムードの中、事がそれこそ粛々と進んでいかないようにと念じますが、いったん動き出したものを逆方向に戻すことは倍のエネルギーが必要ですね。でも今このエネルギー結集されて、政府に二匹目のどじょうを許さないように祈らなければなりません。報道番組のキャスターも相次いで交代するということですが、今後どのような報道が成されるのかも注視していかなければなりません。なんとなくマスコミ界に物申す雰囲気が萎縮して、長いものに巻かれろ式の事なかれ主義の空気が強くなりつつあるとのことですが、マスコミ界がそうならこれがまた国民全体に伝染してしまうのもいっそう容易でしょう。日本人の国民性とも言われる「お上任せ」の体質と、それぞれが今厳しく向き合わなければならない時ですね。自分には関係ないと思っていた先にとんでもない悲劇がやってきたことを歴史は例証しています。

 人間と社会にとっての最強の偶像は国家です。権力を持った国家がどんな恐ろしい魔物的な偶像として人々の忠誠と信仰を要求するかは証明済みです。悪魔はいつも国を自分の味方にすべく隙をうかがっているのです。そういう意味で国家と為政者は当然厳しく監視されなければならないのですね。