【聖書】

ガラテヤ 5・13~16

【説教】
「御霊によって歩みなさい」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

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2016-05-29アジサイつぼみ

 最高の5月が終わります。気になるアジサイは、あちこちでつぼみが膨らんで、今か今かと咲き出す準備をしています。気温も25度くらいで安定するようになりました。半袖生活もまじかです。季節に合わせて私たちの心身もよい適応をしていけますようにと願います。

 社会では相変わらず大きな負のニュースが報じられています。こちらの方は変な適応をしないようにしたいと思わされます。沖縄では米兵による惨禍がまた繰り返され、サミットとオバマ大統領の広島訪問と重なり、日米共に大慌ての状況です。今度こそ悲願の地位協定の改定をとの声は強いですが、両者は腰を上げそうにありません。時間と共に元の木阿弥化してしまう姿は他人事ではない人間の悲しいもどかしさですね。

 三菱、スズキの燃費偽装ニュースも大きな幻滅をもたらしました。フォルクスワーゲンの不祥事を対岸の火事と思っていたら、それに劣らぬお粗末さで日本の足元が振るわれています。少し前には日本を代表する企業、東芝の不正会計事件もありました。世界で名の通った優良企業と目されていたこれらの不正事件を知らされた私たちは、幻滅と共に諦めにも似た後味の悪さを覚えたのではないでしょうか。優良企業がそうなら後は押して知るべしといった幻滅と、調べれば調べるほどボロが出るだろうから、もう他社は調べないでいいといった変な同情さえ覚えてしまいます。

 三菱もフォルクスワーゲンも偽装という小さな? 一事によって何という膨大な損失を招くことになったでしょうか。三菱に至っては会社存続の危機となりました。聖書は、罪は隠れていてもいつか必ず現れ、それを刈り取ることになると警告します。それでも問題は、人間には隠しおおせると思えることですね。事実、三菱は20年隠しおおせていたのです。格言や聖書の通りでもありますが、問題は、事は現れるから気をつけようというレベルではありません。むしろ現れないからこそ自己を吟味しなければならないと襟を正されます。見えないところの正しさこそ求める人間でありますように。
【聖書】

ヨハネ 4・3~15、7・37~39

【説教】
「心の奥底から、生ける水の川が」

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稲

 爽やかな風薫る5月ももう少しで梅雨の季節に入れ替わろうとしています。回りの田んぼもほぼ田植えも終了し、小さな緑色が風に揺れて印象的な日本の景観となっています。そしてこの苗は、私たち人間の憂鬱をあざ笑うように、梅雨入りを楽しみに待っているのではないでしょうか。青空、風、緑、そして梅雨さえも皆、神をほめたたえています。そんな自然をいつも平和な気持ちで眺めれるなら、それはささやかであっても実に大きな幸せと言えるのではないでしょうか。

 清原選手の公判の様子がいっせいにマスコミ各社で報じられました。反省と悔悟に満ちた身につまされる心境が本人の口から伝えらえました。その中で、これからは空や風を普通に感じたいというような言葉がありました。まさに彼の切実な思いが込められているように思えましたし、心からそうなって欲しいとエールを送りました。その言葉の中に、彼の落ち込んだ暗闇の悲惨さと、その中でもがいていた彼の絶望的な姿が浮かび上がってきます。それにしても麻薬はなんという悪であり破壊者でしょうか。それを分かっていながら今も、途切れることなく、これを供給し、富を得ている闇の世界とその人間たちのことを思うと、人間の悪というか、人間性の堕落の深さを思わずにはいられません。

 破壊と悲惨の泥沼の中に人間を奴隷にする薬物は、聖書を知る私たちには、まさに罪とその首領である悪魔の姿そのものの象徴と映ります。人間を破壊し、不幸にすることを本質としているような存在が、この世界を不気味に動き回っていると聖書は告げます。いやそんなことはない、そんなものに捕らえられる者はわずかで、自分は大丈夫だと無視したくなりますが、薬物の奴隷ではなくても、実は人間は皆小さな罪? の奴隷だと聖書は診断します。胸に手を当てればまさにこれが人間の姿ではないでしょうか。ですから誰も楽観することはできません。小さな罪だといって甘く近付いてしまうなら、やがて母屋を取られることにもなるのです。聖なる神により頼みつつ、いつも空や風を普通に楽しめる日々でありますように。
【聖書】

ローマ 8・1~27

【説教】
「御霊の内住」

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↓朴の木と花
ホオノキ

 5月も半ば、すっかり緑が濃くなりました。山では今、朴(ホオ)の木が花盛りで甘酸っぱい香りが降りてきます。今年は半月くらい季節が早く回っているようですから、梅雨が気になります。アジサイもすぐ咲き出すことになるのでしょうか。それでも多少の変動があっても、概して自然は、ゆったりと流れ、変化の激しい社会にあって、大きな癒やしを与えるものですね。

 一方世界は激しく揺れています。今週はオバマ大統領の広島訪問が決まり、歴史的ニュースとして報じられました。たったこれだけのことに大騒ぎをし、訪問実現に長大な時間がかかることに、改めて政治の難しさと複雑さを思わせます。核廃絶に向けた大きなメッセージになるようにと、特に被爆地日本にあっては大きな願いが込められています。しかし世界の現状は前進どころか、後退のような様相を呈しているさなかです。北朝鮮は核保有国を国是として掲げることで国威発揚を目指した党大会を終えました。新興国も国際情勢で優位に立とうと核保有の可能性を探っています。我が日本でも先日、内閣法制局長官が、憲法上は核保有も止められていないなどととんでもない発言をして、まるで核アレルギーを牽制しようとしたのかとさえ思えてしまいます。

 核兵器、これほど矛盾したものはありませんね。これを一たび使用するものなら、世界が破滅することが分かっているのに、核兵器開発と保有を競ってきたのです。そして今度はその本家本元であるアメリカのオバマ大統領が、何とか廃絶をと訴えたことでノーベル平和賞を受賞しました。皮肉な矛盾ですね。でも今は廃絶どころか、削減さえ暗証に乗り上げています。作ってはいけないものを作って、今度はそのために苦しんでいる、その姿は原発ととも重なります。もちろん人間ですから失敗の教訓は避けられません。でも問題は人間はその失敗をきっぱり認めないことですね。何かいいものがあると弁解したり正当化してしまうのです。罪に中に、甘い汁をわずかでも探すことなく、きっぱりと手を切る、それを重い教訓としたいものです。
 
 恒例の「きょうかいバザー」を6月5日に開きます。時間は午後0時30分~3時30分です。

 会場では、つきたての餅、焼鳥、ホットドッグ、韓国チヂミ、焼きそば、手作りケーキやパンなどを販売します。

 ぜひ、おでかけください。

バザー
【聖書】

エペソ 6・1~4

【説教】
「親になる」

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ヒナギク

 先日の聖書学園バザー当日の朝、強風と横殴りの大雨に、一体今日はどうなってしまうんだろうかと暗澹たる気分になってしまいました。前日も雨が降って、天気予報は思わしくありませんでしたが、私の祈りと予想では、夜中雨が降って、翌日には収まり、晴れとは行かずとも、曇り模様まで回復し、バザーには差し障りないようになるだろうというものでした。事実、雨は夜のうちから少し小康状態になり、安心して眠りました。ところが明け方、前述のような大嵐模様で目を覚まされました。あれあれ、神様は一体・・・? と恨みがましい思いで、とても信仰的になることは出来ませんでした。ところが直に青空が見えるほどに明るくなり出し、自分の不信仰を恥じました。やはりな、これが神様の計画なのだ、と意を強くして学院に向かいました。ところが明るくなりかけた空は、柏崎に近付くと、はかばかしくなく、学院に着いたときに小雨まで混じっていました。そして屋外に張られたテントの中のベンチは風混じりの雨のためにすっかり濡れてしまって、無残にも誰も座れない有様でした。しかし私は目の前の光景に驚かされました。

 柏崎に近付きながら、こんな天候では今年のバザーは、例年の半分くらいの人出でも良しとしなければと考えていました。ところが会場は既に満杯の車で埋め尽くされていて、私はやっと一つの駐車スペースを見つけれるほどだったのです。テントのベンチには一人もいませんでしたが、屋内の会場は例年以上かと思われるような盛況でした。ここでまた私は自分の不信仰を恥じることになりました。こんな雨ではだめという当然の予想を覆されたのです。私の祈りと予想は二度裏切られました。何とか晴れ状況になることが私の祈りであり、それこそが御心と思えたのです。神様は時に手の込んだ方ですね。頭では分かっているつもりでも、私たちはできるだけ自分に都合がいいように神様を単純化してしまいます。この神の複雑さと、幸いな裏切りとでもいえる逆転こそ、人生の救いであり励ましです。ですので雨の日も風の日も、怒らず、あわてず、主に信頼したいものです。
*4月24日の説教音源はありません

【聖書】

申命記 8・1~20

【説教】
「荒野の神」

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↓タニウツギ(松山)
タニウツギ

 サクラは終わって、早や、4月も終わります。暖冬だった分、季節も早く回っている感じがします。先日は日当たりのいいところで、もうタニウツギが咲き出しているのに出会い、少し戸惑いました。私の印象では、この花は初夏のイメージです。ですのでこの花が咲き出すと春が終わってしまうようで、残念な気持ちになってしまいます。タニウツギには不当な評価ですね。

 九州では地震から2週間が過ぎて少しづつ落ち着きを取り戻しているようです。肉体的な不安から今度は精神的な不安に移るといわれます。普段と違うことを一つ処理するだけでストレスが生じるのに、一気に何倍も不安な変化が加わったのですから、そのストレスはどれほどでしょう。心を造られた神様が、そのストレスの増大に比例するような、普段より何倍もの耐ストレス力?を与えてくださって、この困難を乗り越えさせてくださるようにと思います。

 人間は時にガラスのように繊細でもろいものに思えます。その繊細さともろさは、肉体以上に心の特徴的な姿といえないでしょうか。それだけ心こそ、肉体以上に精巧な高度な本質を与えられているのでしょう。人生において避けられないストレスは、先ずこの心の領域に侵入してきます。この領域がそれをうまく処理し、対処することが出来れば、肉体もまた安全です。それゆえに肉体のケアーと鍛錬はもちろん有益ですが、心のケアーこそ死活の問題です。肉体の鍛錬はある意味で単純で機械的ですらあるかもしれません。しかし心のケアーは単純ではありません。私たちの心を鋼鉄ではなく精巧なガラスのように造られた神様が、何よりも先ず第一に奨めるケアーとは、重荷と心配を神様に全くゆだねて、上手に休むことです。重荷と心配を感じるとしたらそれは、過重ストレスのサインです。手に負えないものを神様にゆだねることは責任放棄でも恥ずかしいことでもありません。ガラスは神の手の中にいつも置かれていなければならないのです。肉体の鍛錬以上に有益な、このゆだねる技術を繰り返し練習したいものです。