星野公寛師S


 教団の講談交換で、小出教会の星野公寛師を迎えました。星野師は、飢餓対策機構の宣教師として中国で3年間奉仕されました。現在は福音放送県委員として、教団理事として多くの奉仕を担っておられます。

【聖書】

マタイ 14・22~33

【説教】「嵐の中で」
星野公寛師

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2016-06-28アジサイ1

 先回、雨の季節も歓迎したいと書きましたが、この季節に重なる豪雨被害は残念で複雑な思いです。のどかな雨というわけにはいかず、近年の傾向は一方で少雨の旱魃、他方では短期間の集中豪雨とのこと、主の恵みにあふれている優しい母なる自然も、人間社会とその活動の様々な影響を受けているのでしょうか。

 そして確かに人間世界は、以前よりもいっそうめまぐるしく変化し、変調の振幅も増大しているように思えます。グローバル化ということでしょうか。アメリカの大統領選も、イギリスとヨーロッパの問題も、そしてシリヤ内戦も一国の問題では収まりません。今は一つの揺れが世界中に大きく広く波及するようです。

 そして我が日本も参院選が不安です。再三触れていますが、今度こそ三度目の正直で与党勢力が大きく牽制されるように願うものです。しかし過去二回は、思いに反して予想外の自民の圧勝でした。一体国民は何を考えているのかと失望し、まさに衆愚だと恨みがましい思いが募りましたが、でもこれがまた一面の現実ですから、今回も楽観はできませんね。巨大与党によって報道圧力まで遠慮なくなされる状況ですから、野党にとっては大きな不利を跳ね返さなければなりません。残念ながら今の自民党には良識をもって抗するような姿は見られません。みな右へ倣えの数の力の悪い面ばかりが見えてしまいます。少しは期待した公明党も安保法制を境にすっかり変節し、今はただ目障りな金魚の糞の如くで、アベノミクスと安保法制を宣伝している党首の姿にはあきれるばかりです。

 今日の厳しい低成長の時代に、経済の課題はある意味で誰がやっても特効薬はないのでしょう。ですから経済が争点とは全く思えません。何といっても改憲の本音を巧みに隠し、画策している闇の勢力こそ相手です。改憲の先にあるのは国家という恐ろしい偶像の復活です。人権と平和を守る戦いは、偶像の復活を阻止する霊的な戦いであることを覚えて祈りましょう。
【聖書】

マタイ 5・1~16

【説教】「塩が塩けをなくしたら」

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 先日13日がこちらの梅雨入りと発表されました。意外と例年通りでした。梅雨入りを別に待っているわけではありませんが、何となくそわそわしていたものが気分的に区切りがついて落ち着くように思えます。心を決めて雨の季節も歓迎したいと思います。

 このところずっと続いた舛添審議の方もようやく区切りを迎えそうです。本人は何となくやり過ごせると当初は楽観したかもしれません。それがどんどん堀が埋められるようになり、四面楚歌の万事休すとなっての仕舞いです。その顛末を全国民が注視しました。ある意味でいつも繰り返される政治家の辞任劇ですが、今回はあまりにもわかりやすいお粗末さで衆目を集めることになってしまいました。都知事という大きな責任と立場にある者への弾劾でしたが、誰も無関係な他人事としてではなく、反面教師として身につまされる思いで見たのではないでしょうか。

 知事は当初、事の重大性を思わなかったでしょう。こんな大きな問題に発展し、命取りになるなどとは全く予想もしなかったのではないでしょうか。それが思いに反してどんどん大きな反響となっていき、見逃すことの出来ない罪として弾劾されるようになりました。しかし本人の中にはずっと事の大きさの認識はなかったのでしょう。だからあの手この手と反省と改善策を提示し続け、事ここに至っても、場違いな延命願いの駄目だしとなってしまったのでしょう。他人事ではない反面教師と言いましたが、私たちも自分に関しては甘くなるものです。罪や悪に対しても、それほどのものではないという過小認識を許しがちです。自分では全く気付かず、他人の目から困ったものだと見られているとしたら、そんなに悲しく恥ずかしいことはありません。でもありえますね。だからへりくだった感受性を養い、いつも恐れを持って、ダビデの如く、次の祈りを日々の友としたいものです。「神よ。私を探り、・・・ 私のうちに傷ついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇139・23-24)
【聖書】

Ⅱ歴代誌 15・16~16・14

【説教】
「終わりまで試される真価」

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 先週の教会バザーは、梅雨入り前の微妙な時季かと危ぶみましたが、好天に恵まれ、楽しい午後となりました。来会してくださった大勢の方々に続いて主の祝福がありますように祈りましょう。春の教会行事もひと段落して、安心して 梅雨を待つばかり?となりました。でも7月10日の参院選を控えて、これからの一ヶ月は、梅雨以上にこちらが大きな関心事ですね。日本の進路が試される時でもあります。負の方向に曲がることのないように祈らなければなりません。

 参院選の前哨戦のように都議会では知事の弾劾?審議が続いています。7月10日に少なからずの影響があるのではないでしょうか。甘利大臣復帰への厳しい風当たりと共に自公にとっては頭の痛いところでしょう。

 それにしても全国民の前で醜態をさらしている東京都知事の姿に、笑えない悲哀を感じます。いったん終わりかけた政治生命が、漁夫の利を得るように都知事に滑り込むチャンスに恵まれ、降って沸いたように逆転したその絶大な権力と地位に踊らされてしまったのでしょうか。聖書の箴言が言うごとく、富や地位はまさに人を試すのですね。見る影もなく晩節を汚しているその姿は、知事にならなければ現れないで済んだかもしれないその人柄をあぶり出してしまいました。でも他人事ではありません。見るからに小さく縮んでいくような一人の人間を、誰も高みの見物は出来ないのではないでしょうか。私たちは皆いつも何かにつけて試されているのですね。そしてそれは小さなほころびが原因するという教訓でしょうか。政治家としては有能であるのかもしれませんが、それを人間としてのごく小さな基本的な倫理観や道徳性のほころびによって台無しにしてしまうことになりました。そういう意味では人生は厳しくもありますが、ある意味で公平でもありますね。能力の有る無しを試されているのではなく、人間としての小さな資質だからです。そして神様はこれをこそご覧になっているのでしょう。見えない小事と小さな汚れに、清く潔くあるように自らの襟を正したいものです。
【聖書】

申命記 8・1~5

【説教】
「主が歩ませられた全行程を覚えよ」

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2016-06-15アジサイS

 6月と共にあちこちで色づいたアジサイが顔を出し始めました。天の雨を全部吸い込むような旺盛な生命力を示して、雨の中で嬉々としているこの植物に倣って、私たちもこれからの雨の季節をも喜びたいと思います。

 消費税引き上げ再延期が発表されました。やはりなと皆が予想していたことでしょう。そのような中で2年前の約束通り、引き上げを実施しますと発表するとしたら、どうでしょう。その政策の功罪はともかくとして、私には少なくても、安倍首相の姿勢にある種の感動を覚えただろうと思います。幹事長や財務相が今回ばかりは、しっかり異を唱えて議論しそうだと期待して楽しみにもしましたが、何とほぼ一日で「首相が決めたことだから」と旗を降ろしてしまったことにはそれ以上の幻滅です。冷や飯を食っても、一言申すという志のある人は自民党には皆無のようですね。もちろんこれは他人事ではありません。そういう生き方は何と難しいことでしょうか。そのまま自分に返ってきます。首相が2年前、「もう再延期は断じてありません」と日本中に向かって宣言した約束について、どう折り合いをつけるのでしょうか。今日の公式発表の席で、この件を最重要な釈明事項として取り上げて、先ず誠実に謝罪をするなら、好感を持つでしょう。しかし状況の正当化を並べるなら、残念ながら思った通りの人だということになってしまいます。安保法制の時も「日本が戦争に巻き込まれるなんて断じてありません」と言ったのです。言葉の軽さは否めません。それはまたそのまま私たち人間の言葉に返ってきます。悲しいかな、私たちはご都合主義と言い逃れに満ちています。言葉とはそんなものだと了解さえしています。

 しかし一転して聖書を見ると、言葉は人格そのものという位置が与えられています。人間に比して神のことばは神の人格そのものであり、一たび発せられるなら、とこしえに変わることがないと保証されています。聖書のことばの一つ一つを人間の言葉のように割り引きすることなく、改めてその一言一句に全幅の信頼をささげて歩めることを感謝したいと思います。