【聖書】

詩篇 119・89~105

【説教】「みことばは私を生かします」

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2016-07-30ハスまつり

 梅雨明けが宣言されたにもかかわらず、ここ数日は激しい雨が降って驚きました。それでも夏の雨は暑さをやわらげてくれるのでどこか心地よい風情があるのではないでしょうか。でもこの後は夏本番となるのでしょう。夏が苦手な人には申し訳ありませんが、私には夏は雪国にあっては貴重な貴重な時と思えますので、あっという間に飛び去らないように、いつもながら今年も長い夏であるようにと願っています。

 驚くべき悲劇的な大量殺人事件が報じられました。自爆テロではありませんが、どこかそれと似た事件ではないでしょうか。まさか最も平和な国日本でこのような事件が起きようとはと、海外メディアも報じているとのことですが、大げさではない衝撃でしょう。詳細は分かりませんが、普通の常識では考えられない殺人行動のゆえに、怒りを超えて不能感とでもいうものを感じてしまいます。どうしてそんなことをしてしまうのかといった不可解さの故です。これはまたISのような凶悪なテロ事件に接して感じる思いとも共通します。常識が通じない、普通の道徳感覚が通じないというもどかしさです。

 これは確かに人間ゆえの複雑さだともいえるものでしょう。多分動物行動にはこのような割り切れなさはないのではないでしょうか。このような事例に接すると、確かに人間は脳で動いているのだと思わされます。脳で動いているとは思想で動いているという意味です。そこに何を入れるかということが決定的に重要だということになります。聖書は人はパンのみに生きるにあらず、天よりのまことのパンによってこそ生きると教えています。そしてそのまことのパンこそ、神の口から出る神のことばだと定義します。まことに意味深長です。広く一般化すれば、人はことばによって生きているということです。普段は意識しませんが、日頃どんなことばによって養われているかということが、その人を生かしもするし、また殺してもしまうということです。そのことばの中のことばこそ、いのちのことばなる神のことば、聖書です。改めてこのいのちのことばをこそ我が足のともしびとしたいものです。
【聖書】

申命記 8・1~5

【説教】「三つの誘惑」

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梅雨明け

 梅雨明けが宣言されました。今年も梅雨の季節が災害に至るケースがあちこちに起こりましたから、どんな年になるんだろうかと思いましたが、梅雨明けは平年通りだと知らされて意外な感じもしましたが、一方で狂いのない自然の営みに安堵しました。いつもながら自然の恒常性は、私たちの生活と精神にとって、計り知れない安心の土台であると思わされます。朝起きたらいつもの山が無くなっていたというような事態が日常的になったら、一体人間の精神はどうなってしまうでしょうか。動かないものがあるということは幸いです。

 自然に比して人間社会は激しく動いています。そして近年はそのスピードがますます速くなっています。特に技術と産業の分野は日進月歩などという表現はもう古典的になるほどの状況ではないでしょうか。携帯も持たない私にとってはまるで別世界です。しかし社会の変化の圧力は誰をも一人の別世界に平和には置いてはくれません。変化のスピードが現代人に及ぼしている負の影響は相当なものといえるのではないでしょうか。「のどかでゆっくり」などという言葉はやがて時代にそぐわない場違いな禁句になってしまうかもしれません。

 今、特に世界各地で起こっている暴動や内乱、そしてISのような破壊活動も、激しい変化のグローバル化がもたらした鬼子といえるかもしれません。私のイメージでは中東やアフリカは、平和で穏やかに時間がゆっくり流れる世界でしたが、変化のグローバル化がそのゆっくりな時間を奪ってしまって、それゆえの不適応現象があちこちで起こっているのかもしれません。ですからのどかさを取り戻すことは時代錯誤のようですが人間を守ることでもあるでしょう。聖書は私たちに決して動かない永遠の神に目を留めて、動くことをやめて静かにするように招きます。安息日の定めは、何千年前の古代東方世界のものではなく、きわめて現代的な永遠の知恵です。静まって神を待ち望むなどというあり方は、この時代にあってはたわ言のように非難されても、こんな贅沢な生き方を努めて守りたいものです。
【聖書】

マタイ 4・1~11

【説教】「三つの誘惑」

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投票所

 参院選が終わりました。厳しい事前調査が覆って欲しいと期待して臨みましたが、結果的にはほぼ事前調査通りの結果となりました。こうなると選挙をする前からもうほぼ結果がわかってしまうほどで興醒めですが、その正確性には驚きです。私としては三分の二阻止など当然で、自公の議席が今度こそは減じて、彼らに民意の圧力が加えられ、自省がもたらされることこそが必ず起こるのではないかと期待していましたから、何と自公がともに逆に議席を伸ばし、自民党があと一歩で単独過半数に至る勢いであったことに、全く驚き幻滅してしまいました。自省どころかますますの自信と高揚を与えることになったのではないでしょうか。一体国民は何を考えているのか?との思いですが、でもこれが現実なので、考え方を再構築しなければなりません。わずかの救いは、沖縄と福島において自民の現職大臣が敗れたことであり、我が新潟をはじめ、信越と東北の選挙区において野党統一候補が自民を抑えたことです。いずれにしても既に報じ始められているように、改憲に向かう動きは新しい段階に入ろうとしています。ある意味で本当の戦いがこれから始まるということでもありますから、私たちは失望感情に意気消沈し、たたずんでいるわけにはいきません。いよいよ本性を現す闇の力を見定め、神の武具で身を備えなければなりません。

 なかなか民意は動かずという失望ともどかしさは、逆から見れば私たちに上なる方をいっそう意識させる好機ではないでしょうか。人間の力によらず、上なる主こそこの世界と歴史の主であり、この方こそすべての鍵を握っておられます。選挙の喧騒はともすると私たちを政治の勝ち負けという地上的なレベルで熱狂させます。しかし政治の愛憎劇が私たちの関心ではありません。あくまでもこの地上に神の義と栄光が現されることこそ目標です。大統領や首相が主役ではありません。思うように動かずの今こそ、もっともっとわたしを見上げよと警告されているのではないでしょうか。上なる主が喜んでくださる霊的な戦いこそ、私たちの召された戦場であることを覚えましょう。
【聖書】

ルカ 15・1~24

【説教】「捜し出された羊」

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 参院選を迎えます。思えばちょうど一年前、安保法制反対のため日本中に大きなうねりが巻き起こりました。参院において政治家たちの良識が働くかと思いましたが、結局は身も蓋もないほどの与党の強行採決で終わりました。70年守ってきた憲法9条を、あっという間に覆した瞬間でした。大きな虚脱感が残りました。このような与党勢力がいつまでも続くはずがない、彼らに歴史の審判が下るようにとの思いでその推移を見守ってきましたが、与党の支持率が下がらないままこの参院選を迎えています。

 今度こそきっと動きがあるに違いないと当然期待してきましたが、事前調査は改憲勢力が三分の二を獲得する勢いだというのです。どうしたことかと気持ちが沈んでしまします。原発のなし崩し的再稼働、沖縄問題への不誠実、限界のアベノミクスと消費税の欺瞞、そして先日は森元首相のオリンピック選手団への強圧的発言等、数の横暴が目に余るのに…ああ、国は動かずとの思いです。

 しかしあきらめて泣き言を言っているわけにいきません。見えるところはなかなか動かずのようであっても、70年間の我が国民の潜在能力を信じたいと思います。悲惨な戦争の罪悪を経験し、その犠牲と不名誉と引き換えに単に売り渡してしまう馬鹿ではないことを。そしてこの憲法を盾にとってアメリカの圧力に屈しないことを。そうでなければ何十万にも及ぶ同胞の死が無意味となってしまいます。

 それと同時に私たちは日本国民である以上に神の国の国民として、この時代にあっての私たちの戦いはどうあるべきなのかと問われます。聖書時代の聖徒たちは今よりももっと難しい政治状況の中で生きました。ダニエルはバビロン帝国で、そしてパウロはローマ帝国の住人でした。共に民主国家などとは程遠い専制国家でした。彼らは政治形態を指示してはいません。しかし神の民の生き方は明確に指示されています。“地の塩、世の光たれ”とは、政治を変える以上に私たちの召された戦いですね。
【聖書】

イザヤ 40・21~31

【説教】
「鷲のように翼をかって」

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梅雨

 6月が終わり、今年もちょうど前半期が終了します。時はいつもながら過ぎてみればあっという間ですね。しかしその中にはいろいろな出来事や物語があります。その渦中にあっていろんな戦いや葛藤を経験しつつの私たちの旅路です。しかし過ぎてみて総括する時、それらの一つ一つや全体は、自分が支配していたとはとても思えないのではないでしょうか。大きな御手に守られてここまできていると思えるのではないでしょうか。もちろんこの世界の常識はこの御手のことは認めようとしませんが、私たちは聖書を知る者として、ますますこの方の御手を意識して歩んでいきたいものです。

この世界は今様々な問題で飽和状態にあるかのごとくです。イギリスとヨーロッパの問題がまた新しい大問題として世界中に不安 を与えています。21世紀になって、人類はますます落ち着いた成熟と平和の時代を迎えるはずではないかという私たちの予想に反して、次々と新しい問題が発生し、地球という船は嵐に翻弄されて沈没に向かっているのではないかと本当に思えてしまいます。この地球丸の舵取りは一体誰ができるのでしょうか。進歩の合言葉であるようなグローバル化が今では恨めしいようですね。我関せずと、自分の家と庭に閉じこもって、廻りの騒ぎと無関係に自分だけの平和を守れる時代ではありません。日本の江戸末期を襲った開国か鎖国かの大嵐が世界中を席巻するようになりました。今となっては鎖国時代の平和と後進性が良かったのではと思えるのも一理あるかもしれません。イギリスも何かそんな郷愁を持ったのでしょうか。遅れていても自給自足の平和と、経済発展の衝突とどちらがいいのかと思えなくもありません。もちろん世界の逆戻りができるはずもありません。でも開国もグローバル化もその一番の動機は露骨な経済原理によって動かされているのではないでしょうか。今は、国も人間もいっそう経済の奴隷の如く縛られて身動きできなくなっているように思えます。不安な時代はますますお金を崇拝させるようです。こんな時代だからこそ、“空の鳥を見よ”と言われた主をこそ求め、信頼して歩みたいものです。