【聖書】

ルカ 1・26~33、46~55

【説教】 「その国は終わることがありません」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます


スポンサーサイト
妙高1

 日ごとに木々の落葉が進み、里もまた少しずつ色を失いつつあります。裸になった木々は、見えるところは寂しそうですが、すっかり冬支度を整えて、厳しい冬にも動じないたくましい冬の友ですね。昨日の柿崎線では、もう一人の冬の友である白鳥たちが、清里地区の境の田んぼまで足を伸ばして飛来して来ていました。いつか我が妙高市でも発見できるようになればうれしいですね。

 クリスマスを前に、隣の韓国では大統領のスキャンダルで収拾がつかないほど混乱振りが連日報道されています。現代のキリスト教国とも言えるほどの韓国ですが、今年のクリスマスは残念ながら依然としての喧騒の中になってしまうのでしょうか。このような事件のたびに指導者の重責とまた身の処し方の難しさを考えさせられます。地位も立場も全く違ったとしても、それぞれは我が身に重ねて考えさせられもするのではないでしょうか。

 聖書にも有名な大スキャンダル事件が記されています。ダビデ王の不倫と姦淫、そしてそれを抹殺しようとしての殺人事件です。この事件とその展開については、クリスチャンにはもう説明するまでもないでしょう。この事件の衝撃は、この罪の当事者であるダビデ王が、国民の尊敬を一身に集めていた名君であったことです。さらに、彼は人々から尊敬されていただけではなく、品性、信仰共に神の目にかない、理想の王のモデルとなるべく選ばれた、神の特選の器でもありました。その人物がありえないような大スキャンダルにまみれたのです。報道によれば朴大統領も韓国民にとっては、特別な存在とのこと、それゆえにこその衝撃と幻滅と解説されています。ダビデ事件を通して聖書が描きたいのは、人間の悲しいほどの罪への弱さと無力と共に、しかしそれからの回復にこそ強調があることです。ダビデは一切の弁解と保身を捨てて、ただ神の正義の前に自分をゆだねました。それは社会的な死を意味することでしたが、そうした時、神の妥協の無い厳しい絶対的な正義は、何と、愛とあわれみの顔に変貌し、ダビデを包み、許し、生かすことになったのです。
【聖書】

I ヨハネ 3・16

【説教】「互いに足を洗い合いなさい」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

↓高田公園
2016-11-11 高田公園S

 11月下旬を迎えます。晩秋の真ん中でしょうか。南葉山にも雪が降りてくるようになりました。山の上半分は色を失い灰色の世界になりつつあります。どんなに抵抗しても季節を後戻りさせることは出来ませんね。しかし里はあらゆるものが色づいて、まだまだ里の秋は本番ではないでしょうか。雪国にあってはことのほか貴重なこの季節に祝福を送りたいと思います。

 今アメリカはトランプショックに揺れています。そして隣の韓国も大統領のスキャンダルが、日を追うごとに収拾がつかないほどの動揺となっています。多分大統領の退陣は時間の問題なのではないでしょうか。こちらはどちらにしても大統領は期限切れとなって徐々に収束していくのではないかと思いますが、アメリカの方はある意味でもっと予測不能な深刻さがあるのではないでしょうか。トランプ氏はこれから大統領になろうとしているからです。

 前にトランプ氏について、人物、言動、共にクエスチョンマークと書きましたが、問題外との大方の予想を覆して、選挙結果だけを見るなら、圧勝の勢いで大統領に選出されてしまいました。ショックは当然だし、それは選挙結果を認めないというデモにもよく現れているのでしょう。トランプ大統領誕生の重大さは、その立場は一国の大統領に留まらず、世界のトップにつくような立場であるからです。これまでアメリカはその功罪はあったにしても、世界の安定のために指導的役割を果たしてきました。歴代の大統領はその大きな責任と自負を自分に課していたことでしょう。しかしトランプ氏はその重しをはずそうとしているのではないか、少なくとも今までとは変わるだろうと不安視されています。それはアメリカ自体が国家観で動揺し出していることの表れでもあります。ということは世界中がこの動揺に巻き込まれるということでもあります。でもある意味で今は再考のよき機会です。特にひたすらアメリカべったりに歩んできた我が日本にとっては、本気で日本国憲法と向き合い、世界をリードできるような平和国家として、真に信頼される国作りをするためのよき試練の時として生かせればと願わずにいられません。
2016-11-13説教

2016-11-13教会

【聖書】

ルカ 10・23~37

【説教】「私の隣人とはだれのことですか」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます


↓妙高市文化ホール周辺の紅葉
2016-11-09文化ホールの紅葉

 ことしは天候不順のせいでしょうか。紅葉が今ひとつの感がありますが、しかしここに来てようやく平地もあちこちで色づき始めました。落葉と競いながらの短い時、精一杯それぞれの木々が輝いて秋を燃焼して欲しいと思います。

 今の時季、総合運動公園に行くのが楽しみです。グランドを取り巻くケヤキたちがけっこう早くから色づいて、黄色と赤の見事なグラデーションとなっています。普段はウドの大木のように思えてしまいますが、この季節、その不名誉を見事に挽回しています。ケヤキの他この公園では、ポプラ、カツラ、モミジ、トウカエデ等の黄葉が楽しめます。そして特筆しなければならないのはニシキギです。普段目にするこの樹は、低木で生垣としてよく利用されて、美しく紅葉しますが、あそこでは高木仕立てで、何本も植えられて、深い紅葉を見せています。いつもこの樹の前に立ち止まって見入ってしまいます。ありふれた平凡な樹がこんなに見事になるなんてと、何かうれしく感動させられます。興味があったらこの一押しのニシキギを見に行ってみてください。

 このところ、電通の過労死事件がよく報じられています。若い女性が、将来を夢見ながら勇んで就職したその職場が、幻滅を超えて、いのちまで奪われることになりました。彼女は就職してから、散歩のひと時さえなかったのではないでしょうか。無念で心が痛みます。代表的な大手企業のこのブラックぶりを見れば、今、日本の職場を侵食しているブラック化とでもいう現象は押して知るべしではないでしょうか。それはまた今世界はどこも経済の激しい競争にさらされて、立ち止まる余裕もないほど追いつめられているからなのでしょう。この大きな波に、一体誰が立ち向かうことができるでしょうか。この波から出ることは社会的な死を意味することとしか思われませんから、必死にそこに捕まらざるを得ません。本来人生を生かすべき仕事が、逆に人生を殺してしまうこの時代、自分のいのちを守るために何が一番大事なのか、そのために何を捨てるべきなのか、と問われているように思います。

【聖書】

ルカ 10・21~37

【説教】「福音を生きる」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

2016-11-08 紅葉S

 先日、妙高の初冠雪を記念しましたが、それ以来数日冠雪が続いて、今日は大毛無山にまで降りてきました。いよいよ雪のシーズンが間近かと覚悟を迫られるようですが、見上げる南葉山は山肌が赤くなり、未だちょうど紅葉のピークのようです。行く秋を楽しむ長い11月となりますようにと願っています。

この11月の初めはまたアメリカの大統領選を迎えます。今までの候補者ではありえないような、人格、経歴ともに大きくクエスチョンマークがつくようなトランプ候補が、クリントン候補といまだ接戦を続けており、もしかしてとさえ言われかねない状況です。低レベルなスキャンダル合戦とも言うべきまるで興醒めな大統領選となっています。アメリカの劣化と言うべきか、政治の劣化と言うべきでしょうか。そして隣の韓国もまた朴大統領をめぐっての大スキャンダルに揺れています。アメリカも韓国も、大統領は強大な権力を持つと言われます。その権力をめぐっていろんな人々が群がり、その強大な権力はまたその座にある人を試し、足元をすくいます。まさに権力や力は、御しにくいものの代表ですね。

方や日本も総裁の任期延長案が自民党内で何の抵抗もなくすんなり決まり、安倍首相の権力構造をますます磐石化しようとしているようです。圧倒的多数を得ている自民党は、今はまさに我が世の春と、これを更に長引かせることにあの手、この手の観があります。為政者の側の圧倒的多数と権力の安泰化は、しかし国民にとっては油断のならない危険な時です。人間の常として、力のおごりと劣化は避けられないからです。今最も危惧するのは、この自民党が進めようとしている憲法改正論議です。自民党の改憲案は、憲法を国民のためというよりも為政者のために縛りをなくしたいのでしょう。聖書は、力は押さえつけるためではなく、弱いところに仕えるためにあると教えます。個人生活においても政治においても襟を正される教訓ではないでしょうか。政治の質もまた国民全体の責任と質が問われているのですね。