2016-12-25説教

【聖書】

詩篇 116

【説教】「主がことごとく良くしてくださったことについて、私は何を」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます


 2016年最後の礼拝です。一年のすべての歩みと礼拝が守られたことを感謝しましょう。

 礼拝に引き続いて、岩崎拓也兄と岩崎雅子姉の洗礼式がもたれました。

2016-12-25洗礼式S
↓岩崎拓也兄
2016-12-25岩崎拓也1S

2016-12-25岩崎拓也洗礼式S

↓岩崎雅子姉
2016-12-25岩崎雅子洗礼式1S

 その後、行われた祝会(食事会)は、1年の感謝と喜びの時となりました。
2016-12-25食事会S

 新年礼拝は2017年1月1日(日)に行います。皆そろって、まず主への礼拝をもって新しい年を祝福しましょう。時間は通常通り午前10時30分です。
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クリスマス

 このところ気温も上がり穏やかな日が続いています。この時季の青空はことのほかうれしいものですね。こちらは初雪もすっかり解けて、公園も未だ自由に歩き回ることができるのも、うれしいプレゼントです。例年教会でのクリスマス集会が終わると私にとっては最も静かな時間が訪れます。過ぎた一年のことをいろいろと思いめぐらします。考えてみれば貴重な一年ですね。もう二度と繰り返されることがありません。でもかといって今年がどれだけ特別だったかとはいえない平凡な日々の繰り返しではないかと感じることも事実でしょう。しかし私たちクリスチャンにとって、365日のすべてが神が共にいてくださった日と信じれることはなんという慰めでしょうか。神が共にいて、神が導かれた一日ならば、それだけですべての日々は特別なものとなるのではないでしょうか。

 一方、目を世界の状況に転ずれば、大きな変化や問題のあった激動の一年ではなかったでしょうか。シリヤの内戦が泥沼化し、悲しくも何百万もの人々が国を追われ難民とならざるを得ない状況が続いています。ヨーロッパではテロが頻発し、それがまた国々に恐れと混乱を招き、文化的に最も落ち着いて成熟した先進地として世界をリードしてきたこの地域が、自国のことで精一杯のように追いつめられています。中国やロシアの時代錯誤的とも見える露骨な進出政策、そしてアメリカでのトランプ現象と、どれも期を一にしたような共通した世界の傾向でしょうか。調和と文化的成熟に向かうと疑わなかった21世紀の今の姿は、混乱と敵対的雰囲気が高じているようです。

 そして我が日本も、時計の針を戻すような右傾化が気になります。改めて聖書の示す人類の歴史に重ねさせられる思いです。聖書は人類の進歩を楽観視していません。人の悪が増大し、その心に思い計ることが悪いことだけに傾いたと描写されたノアの時代を、有り得ない過去として葬り去ることは出来ません。このような時代にあって、神の御心を求めて取りなしたノアに倣うべく、ますます主を知る者たちの責任を覚えたいと思います。
2016-1225クリスマス礼拝パンフ

1. 祈り
2. 聖書朗読 ルカ2.1~1.6
3. 賛美 「いざもろとも主を」
4. 賛美 クリスマスソング
 「世界ではじめのクリスマス」
 「インマヌエル 麗しい御名」
 「きよしこの夜」
5. 「からし種」ミニコンサート
6 .クリスマスメッセージ
7. 賛美 「救い主は待っておられる」
  キャンドルサービス
  「諸人こぞりて」
  「きよしこの夜」
  「祝祷」(祈り)

2016-12- 18クリスマス礼拝S


↓クリスマス礼拝




クリスマス

 本日はよくいらっしゃいました。毎年めぐってくるクリスマスですが、改めて皆さんと共に記念したいと思います。クリスマスという言葉はそれこそ世界中津々浦々に知れ渡っているでしょうが、キリストが生まれた日 ? 位は知っているとはいえ、その内容に関してはほとんど知られていないのが実情ではないでしょうか。クリスチャンとしては少し複雑な気持ちです。もっとも、世界中に数ある多くの祝祭日なるものも皆、そのオリジナルな由来は飾り程度に風化してしまうのが実態かもしれません。私も肝心なことは何も知らない一人として、高校2年の12月25日、初めて教会の門をくぐり、礼拝に参加しました。ちょうどその日はクリスマスと重なって、キリストの誕生を祝う喜びの雰囲気の中にあったことを記憶していますが、当然ながら自分と関係づけることが出来ず、傍観者としてそこに座っていました。

 その時の礼拝のお話も全く思い出せません。唯一つ、私が強烈な印象を受けたのは、そこにいるクリスチャンたちの存在でした。この現代に神を信じる人々がいるんだ?ということが、全く不思議でした。今日の誰でもそうであるように、私もいわゆる合理的科学的といわれる無神論教育を受けていた平均的な無神論者でしたから、その人々の存在は、一方で大きな興味をもたらしました。教会とこの人々は、全く、別世界だなと思いました。強烈な、でも爽やかな文化ショックを受けて、帰路につきましたが、私の心には暖かい光が灯っているようでした。それは希望のようなものでした。もしかして神がいるのかもしれない、そうであればどんなにいいだろうか、もっと知りたいとの思いが与えられ、以来、毎週教会に通うようになりました。そして程なくして、隠された宝を発見したように、神を信じる人々の仲間入りをすることになりました。“もし神がいるなら見せて欲しい”という万人の願いに答えるのは、人となられた神なるイエス・キリストです。このクリスマスシーズン、もし本当に神がいるなら知りたい、と求めてくだされば幸いです。そして人生のこの切実な願いに、生けるキリストが答えてくださいますように。
【聖書】

マタイ 13・24~43

【説教】「毒麦の中に蒔かれた種」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます



↓妙高文化ホール周辺
2016-12-11 初積雪S

 12月も日一日と進み、白い世界までカウントダウンです。来て欲しくないと思いつつも、何となくそわそわするこの季節ですね。昨日はうれしいニュースが日本中を驚かせました。大分県で2歳の女の子が山間地で行方不明となってしまいましたが、この12月の寒空の下、山中で夜中を過ごしながら、ほぼ無傷で無事に救出されたというのです。自然条件が奇跡的に幸いし、弱い弱い小さないのちが守られれたのだろうと解説されていました。2歳の頭脳と気持ちはどんなふうに夜を過ごしたんだろうと思うと胸が痛みますが、しかし、小さな一羽のスズメさえも見守っている、と言われる神様の御わざを見るようで感動させられました。

 こちらの心温まるニュースとは対照的に、政治的なニュースでは怒りやイライラが募ります。自民党がほとんど審議なしで、好きなように法案を通していくやり方にストップがかけられないからです。数の力にまかせたこの横暴がいつまで続くのでしょうか。正義の鉄槌が下されることを祈るばかりです。

 同じ番組で、日米合同委員会なるものと日米地位協定のことが取り上げられていました。ほとんど国民には知られずに、戦後70年間、依然として日本国憲法の上に君臨している、闇の委員会と法律とでも言うべきものでしょう。鳩山前首相も登場し、その内容は首相にさえ知らされなかったと証言していました。彼はこの闇に挑戦して失脚させられたとも言うべきかもしれません。まさに日本国の喉に突き刺さった大きなトゲといわざるを得ません。それが依然として改善されず、闇の力を振るっていることに大国のエゴを感ぜずにはいられません。公平平等、法の支配を尊ぶなどと良識国家振りを宣伝しても、結局は大国は自国に都合のいいように法律を采配していることになります。法もまた力次第という世界の現実では、国々が力を競うのも無理からぬことでしょう。弱い者たちに光を届け、小さな者たちの国を目差したクリスマスの主イエスの心と何とかけ離れているでしょうか。国だけの問題ではありません。一人ひとりに巣食う、力志向、力崇拝こそ悪魔的ですね。
【聖書】

マタイ 4・1~11

【説教】「33年の愛」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

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 冷たい雨が降る日々が続いています。太陽の光が減ずるこの季節、日差しはことのほかありがたいものですね。北海道では、この時季としては何十年ぶりとのことですが、早くも根雪となり、さすがの北海道でも困惑している様子が紹介されていました。冬になると北の地に住む人々のことを考えます。アラスカ、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン等、この地球上には北海道以上の高緯度地方にすむ人々が何と多いことでしょうか。どんなふうに冬を過ごすのでしょうか。気が遠くなるようで、頭が下がります。同時に、こんなとても寒い地方をさえ、人類の住むべき地として与えられた神様の不思議さも思わされます。

 先回に引き続いてまた朴大統領の話題になってしまいますが、辞任の方向で収束していくのでしょうか。時と共にスキャンダルの実態が明らかになりつつあります。今朝の新聞には大統領自身の辞任談話の全文が掲載されていました。それを読みながら身につまされるものがありました。そこには朴大統領自身の、誠実無私に国のために仕えてきたとの自負が吐露されていました。しかしその思いとは裏腹に、結果的には前代未聞のような不様な国民への背信政治となってしまったのです。大統領の孤独に取り入った、狡猾な一人の女性が陰のキーマンとしてクローズアップされていますが、かといって大統領の非が同情されるわけではありません。大統領ともあろう公的な立場の者が、いかがわしい私的な関係を拠り所としたこと自体が、悲しい非常識で、それが墓穴を掘ることになりました。孤独な裸の王様だったことが悲しいほどにさらされました。自分では誠実と思っていても、悲しい独りよがりになってしまったのです。突き詰めれば、彼女の人格と社会性のアンバランスというきわめて個人的な欠陥が国の重大事を招いてしまったことになります。他人事ではありませんね。聖書も、自分を閉ざす孤独は滅びをもたらすと警告します。(箴言18・1) 誰も独りよがりな裸の王様になってしまうものです。心を開いて多くの人に耳を傾けることが、私たちを救うのですね。