【聖書】

イザヤ書 55・1~3

【説教】「聞け、そうすれば生きる」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

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 早や3月も半ばを過ぎました。今年は雪が少なかったとは言え、期待したほどには温度は上がらず、これまでは「春は名のみの」という歌詞そのもののようではなかったでしょうか。でもいよいよ春本番ですね。そして今は卒業式が終わり入学式を待つシーズンです。サクラを待ちながら過ごすこの時期は何となく私たちにも華やいだ気持ちが伝わってきます。しかし今の閉塞感のある世界に乗り出す彼らの前途を思うと、少し複雑ですね。

 今もっぱらマスコミの話題となっている森友学園の教育観は、混乱した世界の日本版といえなくもありません。70年前に克服した、教育勅語の世界観の再教育を目指すことが、この学園の校是のようだと知らされて、愕然とさせられました。ああ未だこのような人が日本にいるのだなという驚きですが、その学校があわや認可寸前であったということは、籠池理事長一人ではなく、これに賛同する似たような人々の存在あってのことなのでしょう。この学園問題をきっかけとして、安倍首相夫人を始め、稲田大臣やそのほか、政権の中枢ともいえる人々があぶり出されました。その思想の中心にいる人こそ安倍首相そのものであることは誰にも周知のことでしょう。このような世界観を持っている人々を自分の下に集めて、先祖帰りのような悲願の憲法改悪を推し進めようとしています。

 森友学園は驚きでしたが、これを契機に改めて安倍首相とその取り巻き、ひいては今の自民党政権の本質が日本中に知らされることになったともいえますから、大きな牽制となることを願わずにはいられません。しかし平気でウソをいい、答弁が破綻していながら、当の大臣が更迭されそうにない今の政権の自信振りを見ると、焼け石に水の感は否めません。つくづく選挙の大勝利と高い支持率を与えている我が国民を恨めしく思います。すでにトランプ氏、そして籠池氏、稲田氏・・・、ありえない変な人が権力を持ち、時代を動かすことも想定外とは言えません。日本の上に真に安心できる政治家が起こされるように、そしてすべての支配の上に更に高くいます主の支配の栄光こそがあがめられますように。
【聖書】

詩篇 23

【説教】「神の愛のミステリー」

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春の小川

 啓蟄を過ぎ3月も半ばを迎えようとしています。冬が確実に終わります。11月の半ばに初めて白鳥を迎えてから4ヶ月になります。最近はあまり白鳥を見かけなくなっていますが、先陣はもう北へ旅立ってもいるのでしょう。今年の冬を共に過ごした仲間たちが知らないうちに旅立ってしまわないで、出来たら雄大な大群を見せて、しっかりと見送らせて欲しいと願っています。

 何回か脱真実の新しいウソの時代が到来する危惧について書いてきましたが、でも一方でウソの問題は人類にとっては歴史の初めからの普遍的な問題であることも改めて確認したいと思います。先回も触れたように、聖書によれば人類の歴史はアダムとエバを誘惑した悪魔のウソから始まりました。以来悪魔は自らは姿を隠しながら、巧妙にうそを真実と見せかけるように騙し続け、人類をウソの奴隷として支配しているというのが、聖書の教える人類の歴史の真相です。聖書を知らなければ、そんな考えこそ荒唐無稽なウソと一蹴されるのが世界の常識であることも承知しています。悪魔や神を持ち出すことこそもう頭がおかしい人というのが、今日にあっては圧倒的な支持を受けている真理ということになっています。ですからことは深刻ですね。クリスチャンの観点から言えば、最大のウソとは神なんかいないということであり、そこから当然の如く発生している世界観の代表が進化論ということになります。どちらが真実なのか。どちらかであるとするなら、人類はもう土台から大多数がウソの上に乗っかっていることになります。

 今世界が問題にしているのは、圧倒的な情報氾濫の時代にあって、それらの真偽をどうやって見極めるかということですが、最も肝心な始まりのところでウソに騙されているなら、今日の泡くずのような情報の真偽などどれだけの問題かといえなくもありません。いずれにしても古来人類は、何がウソで何が真実かの戦いの前に立たされていることは確かです。元をたどれば、それは神からか悪魔からのどちらかに発するのです。いのちのみことばである聖書こそ、リテラシー(吟味能力)を訓練するものであることを覚えましょう。
【聖書】

Iコリント 12.12~27

【説教】「聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず」

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梅2

 3月に入りました。今年の冬はあまり冬らしくなかったとも言えますが、やはり3月はうれしい響きですね。名実共に春の始まりです。先日、初めて凍み渡りをしました。一年振りの感触でしたし、今年に入って初めての野原の散歩でした。松山の梅は日当たりの良いところではもう5部咲きになっていました。もちろんサクラの木は未だしっかりと小さなつぼみのままでしたが、その体内では忙しく一ヵ月後の爆発に備えているのでしょう。

 社会ではこのところずっと大きなニュースが続いています。マスコミは張り切り、そして私たちもニュースに釘付けにされます。一体こういう状態がいいのか?と考えなくもありません。聖書には2000年前のアテネの町の状態が興味深く記されています。アテネは全盛期を過ぎたとは言え、1世紀のローマ帝国にあって依然として学問の都であり、インテリたちが集まっていました。この町の人々について「彼らはみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた」と聖書は報告しています。新規な空想話にうつつを抜かす怠惰な奴らと軽蔑したくなりますが、このアテネの町の状況は、2000年以上を経た現代においてこそ、ぴったりと言えなくもありません。

 何か耳新しいことを聞きたい、ということは人間の性(さが)とでも言えるものではないでしょうか。今日の百花の如く発達したマスコミ文化はそれに答えようとしたものであり、この人間の性が生み出したものとも言えるでしょう。更に今はインターネットを通じての情報文化が、従来のマスコミ文化を超える勢いで広がっています。まさに情報の洪水の中に人間と社会全体が溺れかけていると警告されています。これを手段としてフェイクニュースが所かまわず発信されるのです。そして人間の性がこれを面白がって歓迎するという有様です。「偽りの父」である悪魔にとってまことに好都合な社会が現出していることになります。教会は「真理の柱、また土台」と定義されています。ウソの洪水の中でしっかり立って、揺るがず、「道、真理、いのち」そのものであるイエス・キリストを証したいものです。