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【聖書】

創世記 16・1~16

【説教】「信仰の父アブラハムの失敗」

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2018-01-22 八王子大雪

 東京の大雪のニュースが報じられました。未だ1月に東京に雪が降るのは通常の季節の動きではないようですが、いずれにしても東京の雪は春のしるしのように思えますから、雪国の冬は峠を越えたと見れるのではないでしょうか。そのせいか今週は大寒波とのことですが、あまり深刻感はありませんね。

 トランプ大統領就任から一年を迎え、新聞、テレビ等でこの一年のことが様々に論評され特集されています。総じての評価は今までにあり得なかった、全く大統領の資質に欠けているとの厳しい評価が並びます。でも本人は、どこ吹く風のように気にも留めず、あきれられるような言動を続けています。この辺が本当に天才なのかと思わせるような、何か怖いもの見たさの魅力にもなっているのでしょうか。いずれにしても斯くあきれられながら、一定の固い支持層を得ていることが、いわゆるトランプ現象の不気味さとでも言えるのでしょうか。社会の価値感、人間の価値観が変化していること、あるいは大きく揺れていることを示しているように思えます。

 アメリカだけではなく、今まで世界をリードしてきたヨーロッパでも今までの価値観に背を向けるような混乱が起こっています。自国第一主義ということばに象徴されるように、皆がみな自分第一の方向にあからさまに舵を切り出したように思えないでしょうか。一昔前ならとてもはばかられたことが、皆が軌を一にするように主張し始めているようです。それだけ他をかえりみる余裕の無い時代になっているのでしょう。皆がそう言うならそれに抗することは馬鹿を見ることだとしてそれが共通の倫理になってしまいます。この動きが高じる先は自分第一を求めながら、皮肉にも自分の首を絞めることになるのではないでしょうか。聖書は私たちに自分だけではなく、他の人のことをかえりみなさい、自分を愛するように隣人を愛しなさいと、不動の祝福の原理を教えます。流れが逆であればあるほど、聖書とそれを信ずる者たちの真価が試されます。それぞれは小さくてもこの時代にあって世の光でありえますように。
【聖書】

ローマ 12・1~21

【説教】「主に仕える道」

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↓雪の妙高山
2018-01-15 妙高山

 1月ももう20日を迎えます。暦の上では大寒ということで、まさに冬の頂点に当たると思いますが、ある意味でこれからは山を越えて冬が下り始める時でもありますから何となく山を越えたほっと感がするのではないでしょうか。まだまだ雪と寒さが続くでしょうが、春に向かって少しずつ下っていくこの季節をも楽しみたいものです。

 でも昨今は自然の速度よりも人間社会の営みのスピードがどんどん速さを増して自然感は置き去りにされがちです。どこへ向かうのか誰も予測が出来ないような不気味さを感じるのではないでしょうか。人間も社会もこのスピードに巻き込まれ否が応でもこれに順応せざるを得ない力に追いかけられているようです。ITやAIに代表される科学技術の進歩がこのスピードの主役でしょうか。改めて人間の知能のすばらしさとその可能性について目を見張らざるを得ません。でもこの進歩のスピードがただただ経済的動機によって引っ張られているように見えることが不安感の原因ではないでしょうか。
 
 また一方で政治的な世界も近年は大きな変化が起こって、安定よりも変化と混乱の時代に入っているように感じます。しばらく前ならば、世界は何となく安定的に良い方向に変化していくのではと楽観していたように思いますが、今は何かまちがったことが起こるのではないかという不安感が大きくなっています。科学技術の世界もまた政治の世界も今ほど人類の叡智が求められている時はないでしょう。特にリーダーたちの安定と健全に向かう知恵のために祈らなければなりません。
人類の叡智と言いましたが、聖書的には叡智とは優れた人間の知恵ではありません。神を知り神の下でへりくだるところから生まれる知恵です。ますます人間の知恵の万能感が謳歌されるような時代にあって、立ち止まって考えることは重要です。このスピードの時代にあって、私たち個人も、乗り遅れる不安感に踊らされることなく、いつでも立ち止まって神のことばから知恵を学び、自分を見失わないようにしたいものです。
【聖書】

イザヤ 43・10~21

【説教】「主に新しい事を期待して」

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冬景色

 正月を過ぎて冬本番という候に入っていますが、先日は雨模様が続いたりして温度も上がり春の陽気を感じさせました。冬が短縮されたような得をした気分です。でも今週は大型寒波ということですので、楽観をしないでまだまだ本気の冬に備えなければなりませんね。いずれにしても暦の上では冬は既に、後正味1ヶ月余りですのでそれを指折り数えたいと思います。

 冬はもうじき去り行きますが、新しい年2018年は未だ始まったばかりです。ですのでこちらは去り行くのを指折り数えてというわけにはいきません。むしろ今は、いたずらに早く時が流れすぎ去らないうちに、今年成すべきことや目標を設定したいものです。神様がそれぞれを刺激して有益な目標や課題を示してくださるように祈りましょう。やはり私たちの人生にとっては惰性やマンネリ化は生気を奪ってしまうものではないでしょうか。でもうっかりしているとこれらはすぐ侵入してきてしまいます。それで新年の新鮮感は元の木阿弥的に惰性に取って代わられてしまいます。

 昨年95歳で召された故日野原氏は、年をとっても人生を若々しく生きるための多くの刺激的なことばを残されましたが、その中で私の記憶に残っているのは、「人は何歳になっても変わることができる」ということばです。果たして本当でしょうか。わたしたちの現実の経験はむしろ、年を取るにつれて、マンネリ化の方が早く進行し、新しいことをしたり、何かを期待する感覚は薄らいでいってしまうのが現状です。これは一方の確かな現実と言えますが、でも生きるということはこれに抗することなのでしょう。聖書の思想もまた「人は死の瞬間まで変わることができる」と言っているといえるでしょう。人間と人生に対して何という肯定的な態度でしょうか。これが人間を造られた真の医者の見立てなのです。ここに救いの希望もあるのですね。私たちは自分で勝手に限界を定めて、マンネリ化を招いてしまいがちです。今までと変わらないと決めつけてしまうことは罪とも言えるでしょう。神様に向かって更に大きく、新しいことを期待することによって、過ぎた年以上に生かされたいものです。
【聖書】

ヘブル 11・1~16

【説教】「どこに行くのかを知らないで」

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2018-01-07 新年

 新年明けましておめでとうございます。2018年も主の支配の年であることを確認してスタートできることは幸いです。この世界は、主による天地と万物の創造をもって始まりました。すべてのものはこの方によって造られ成り、そしてずっと支えられ生かされています。この方こそそれ以来、そしてこれからもずっと永遠に、この世界と万物の主の主であり王の王です。たといこの世がそのことを知らず、認めずとも、この事実以上にこの世界とまたそれぞれの人生の確かさと慰めの土台はありません。ですので、この新しい年をもまた、主が設計され、主に導かれる、主より賜る年として、感謝と恐れをもって押し頂くように受け取りたいものです。

 内憂外患ということばがあります。内にも外にも問題や心配事を抱えているという意味ですが、年末にも触れましたが、世界の政治的社会的状況は、どの国にとってもまさにこの言葉のごとくではないでしょうか。20世紀の合言葉であった平和と共存は、21世紀に入っての特に近年は、分断と敵意に変わろうとするかのような様相を呈していると危ぶまれています。明るい未来よりも予測不能な危機的混乱に至るのではないかと心配されています。ですので人間の愚かな罪が、この世界に悲劇的混乱を招くことがないように、いよいよこの世界の真の王なる方のみこころにかなうように恐れを持って歩まなければならないと思わされます。

 内憂外患は、こと国だけの問題ではありません。それぞれの人生もまた、内に外に様々な憂いを抱えているものではないでしょうか。それらの問題の故に、新年のスタートが重苦しい気分に覆われているかもしれません。でも私たちにとってそのような時ほど希望を必要としている時はありません。どんな中にあっても真の希望は、この世界と人生の設計者なる方の善なるみこころ一つです。それぞれの歩みが主のみこころにかなうこと、そこから希望の泉は尽きることなく流れ出て、何も恐れるものはありません。そんな2018年でありますように、主を求めつつ歩みたいものです。