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 9月に入りましたが、不安定な夏の気候の遺物でしょうか、大きな竜巻発生のニュースに驚かされました。他国のものと思っていた竜巻が近年、日本でも頻発するようになりました。あちこちに起こる自然災害の報を聞きながら、改めて災害と隣り合わせの現実を考えさせられます。近年の国や行政を挙げての防災意識の高まりもこのような自然状況を反映しているのでしょう。「備えあれば憂いなし」と言われるように、人間が出来ることは限られているとは言え、自然と共存しながら危機意識は眠らせてしまわないようにしなければと思います。また同時に「明日はわが身」と、被災された方々を覚えたいと思います。

 自然災害に対する防災感覚以上に、聖書は人生に対する防災をテーマにしているともいえます。自然災害は私たちの人生を揺り動かします。災害は招かざる負たるものですが、そこに何がしかの正の意義があるとしたら、それは私たちに、人生は昨日も今日も同じではないと警告することではないでしょうか。太陽がいつものように変わりなく、毎日上って沈む恒常的な繰り返しの中で、私たちの感覚も、終わりを意識することが難しくなります。昨日も今日も同じだと、ただ日常生活を安穏と繰り返しがちです。

 ある意味でこの繰り返される恒常性は恵みでもありますが、聖書は私たちに、いつも終わりがあることを意識するように警告します。そしてその終わりとは、やがて神にお会いする日に備えよということです。聖書は、あなたの人生は岩の上に建てられた家か、それとも砂の上に建てられた家かと問いかけます。やがて必ず洪水がやってくる、その時、両者の運命は明らかであると。岩の上に家を建てるとは、神を認めて神のことばを土台にすること、すなわち神の御心を愛して生きることです。自分の欲のために生きることは砂上の家なのです。しかし何と簡単に砂の上に移ってしまい易いことでしょうか。自然に対する防災はどこまでいってもきりがないでしょう。しかし神の御心ははっきり聖書に啓示されていて、誰でもこの上に家を建てることができるのです。
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