春の小川

 啓蟄を過ぎ3月も半ばを迎えようとしています。冬が確実に終わります。11月の半ばに初めて白鳥を迎えてから4ヶ月になります。最近はあまり白鳥を見かけなくなっていますが、先陣はもう北へ旅立ってもいるのでしょう。今年の冬を共に過ごした仲間たちが知らないうちに旅立ってしまわないで、出来たら雄大な大群を見せて、しっかりと見送らせて欲しいと願っています。

 何回か脱真実の新しいウソの時代が到来する危惧について書いてきましたが、でも一方でウソの問題は人類にとっては歴史の初めからの普遍的な問題であることも改めて確認したいと思います。先回も触れたように、聖書によれば人類の歴史はアダムとエバを誘惑した悪魔のウソから始まりました。以来悪魔は自らは姿を隠しながら、巧妙にうそを真実と見せかけるように騙し続け、人類をウソの奴隷として支配しているというのが、聖書の教える人類の歴史の真相です。聖書を知らなければ、そんな考えこそ荒唐無稽なウソと一蹴されるのが世界の常識であることも承知しています。悪魔や神を持ち出すことこそもう頭がおかしい人というのが、今日にあっては圧倒的な支持を受けている真理ということになっています。ですからことは深刻ですね。クリスチャンの観点から言えば、最大のウソとは神なんかいないということであり、そこから当然の如く発生している世界観の代表が進化論ということになります。どちらが真実なのか。どちらかであるとするなら、人類はもう土台から大多数がウソの上に乗っかっていることになります。

 今世界が問題にしているのは、圧倒的な情報氾濫の時代にあって、それらの真偽をどうやって見極めるかということですが、最も肝心な始まりのところでウソに騙されているなら、今日の泡くずのような情報の真偽などどれだけの問題かといえなくもありません。いずれにしても古来人類は、何がウソで何が真実かの戦いの前に立たされていることは確かです。元をたどれば、それは神からか悪魔からのどちらかに発するのです。いのちのみことばである聖書こそ、リテラシー(吟味能力)を訓練するものであることを覚えましょう。
梅2

 3月に入りました。今年の冬はあまり冬らしくなかったとも言えますが、やはり3月はうれしい響きですね。名実共に春の始まりです。先日、初めて凍み渡りをしました。一年振りの感触でしたし、今年に入って初めての野原の散歩でした。松山の梅は日当たりの良いところではもう5部咲きになっていました。もちろんサクラの木は未だしっかりと小さなつぼみのままでしたが、その体内では忙しく一ヵ月後の爆発に備えているのでしょう。

 社会ではこのところずっと大きなニュースが続いています。マスコミは張り切り、そして私たちもニュースに釘付けにされます。一体こういう状態がいいのか?と考えなくもありません。聖書には2000年前のアテネの町の状態が興味深く記されています。アテネは全盛期を過ぎたとは言え、1世紀のローマ帝国にあって依然として学問の都であり、インテリたちが集まっていました。この町の人々について「彼らはみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた」と聖書は報告しています。新規な空想話にうつつを抜かす怠惰な奴らと軽蔑したくなりますが、このアテネの町の状況は、2000年以上を経た現代においてこそ、ぴったりと言えなくもありません。

 何か耳新しいことを聞きたい、ということは人間の性(さが)とでも言えるものではないでしょうか。今日の百花の如く発達したマスコミ文化はそれに答えようとしたものであり、この人間の性が生み出したものとも言えるでしょう。更に今はインターネットを通じての情報文化が、従来のマスコミ文化を超える勢いで広がっています。まさに情報の洪水の中に人間と社会全体が溺れかけていると警告されています。これを手段としてフェイクニュースが所かまわず発信されるのです。そして人間の性がこれを面白がって歓迎するという有様です。「偽りの父」である悪魔にとってまことに好都合な社会が現出していることになります。教会は「真理の柱、また土台」と定義されています。ウソの洪水の中でしっかり立って、揺るがず、「道、真理、いのち」そのものであるイエス・キリストを証したいものです。
フキノトウ

 今年の「春一番」はその強風ぶりが話題になりました。この言葉はことに雪国にとっては、うれしい大歓迎のことばですが、確かにこのところは大風が周期的に襲来する感じですね。大雪は大変だと言っても、まだ時間的余裕を持って迫ってくる分、優しい自然とも思えますが、大風は瞬間的な暴力のようですから、厄介者ですね。日本語の風という言葉も、本来はそよ風に代表されるような爽やか慕わしいものというイメージではないかと思いますがすが、これからは少し変わっていくかもしれません。日本列島がいつまでもそよ風の島であって欲しいと思ってしまいます。

 トランプ政権が誕生して1ヶ月が過ぎました。依然としてトランプ旋風が吹き続けています。大統領に就任すれば、選挙期間中のような言動はさすがに沈静化して、良識的な運営になっていくだろうとの大方の予想に反して、その厚顔ぶりは衰えません。多くの人にとっては新しい人種を見るような思いではないでしょうか。アメリカのトップはある意味で世界のトップでもありますから、その影響は甚大です。いつまで強権ぶりが許されるのでしょうか。新しい人種と言いましたがまさにそんな人間の出現のようですね。平気でうそを言う、それを指摘されても開き直り、そのうそを撤回しないばかりか、それを更に正当化するような論理で押しまくります。有り得ないだろうと思ってしまいますが、洗剤の宣伝の如く有り得ているのですね。有り得ないだろう、そのうち変わるに違いないという予想こそ修正しなければならないのかもしれません。

 この新しい人種を象徴することばが、ポスト・トゥルース、フェイク、アルタナティブファクト等でした。その中心にあるのが戦略的にうそを多用していることです。聖書によると、アダムとエバが堕落したのは、悪魔のうそに耳を傾けてしまったからでした。悪魔は真っ赤なウソを何のためらいもなく自信たっぷりにささやいたのです。悪魔は「偽りの父」とも定義されています。今、悪魔はまたあからさまに、うそによって人類を堕落させ、偽りの子ら、新しい人種?を造り出そうとしているのでしょうか。
雪解けjpg

 今年もとうとう「雨水」を迎えます。温暖化の影響でしょうか、あるいは克雪文化の進歩によって、雪国の冬も昔ほど大変なものとはならなくなりました。そのためこの季節の感動もまたそれほどではなくなっています。3、40年前の頃は、2月の方が大雪に見舞われたような記憶があります。その2月が20日頃を境に天気が急激にゆるみ出し、雪が溶け出して冬が終わるのを身をもって実感したことを思い出します。昔の人たちが24節季で表現した味わいは今日では、だんだん遠くなってしまっているようです。

 技術の進歩による自然との分断は、便利さと引き換えに様々な負の影響も与えています。今日の大きな問題である長時間労働もその一つでしょう。その弊害が深刻となり、ようやく法規制に乗り出そうとしています。昔だったら夜は光が消えて、自然と休むものであったものが、今は24時間煌々と灯りが灯っています。まるで夜が明るいことが先進国の証しかのように、また人類は夜を征服したかのように活動をやめません。コンビニが時間的便利さを提供することで成功し、更にその成功を追い求めてセブン・イレブンだったものが24時間営業となりました。そして大型商業施設は、競って元旦から営業するようにもなりました。行き過ぎだと思いながらも、私たちはその便利さを受け入れてきたのではないでしょうか。

 人間はおかしいと思うことでも、慣れてしまうものですね。便利さの方が、私たちの自然的な感覚を少しづつ麻痺させてしまうかのようです。今の経済は便利さをお金で買って、便利さを生み出す経済活動のために長時間労働を強いられているともいえないでしょうか。でもそのツケを人類は今、まとめて払う時期に来ているのかもしれません。聖書によれば休むことは神の命令です。その代表が七日のうちの一日を休めという安息日の定めです。それはただ肉体を休ませるためではなく、人間の欲望の節度あるコントロールを定めたもので、まさに今日的で予言的な永遠の知恵と言えないでしょうか。人間と社会が、この慰めに満ちた神の命令に耳を傾け、少しでも安息の時間を取り戻せますように。
雪の足跡

 朝晩の冷え込みは強いですが、日中は春の雪が舞うような風情となってきています。大風が周期的に吹きまくるのはありがたくないですが、これもまた季節が移り変わっている証拠なのでしょう。もう少し忍耐しつつ、「雨水」を指折り数えたいと思います。

 世界ではトランプ台風が依然として吹きまくって、当分収まる気配が見えません。マスコミにとっては視聴率向上の格好の材料となり、私たちの関心もどうしてもそこに行ってしまいますね。世界中を自分に注目させていることこそ、彼が成功している戦略なのかもしれません。踊りたくなくても皆が踊らされている状況でしょうか。今は日米首脳会談を目前にして、特に日本では緊張が高まっています。今まで相手にしたこともないような無頼の大統領とどう接したらいいのか頭を悩ませています。

 しかしこれまでの短期間で見えてきたことは、日本としてはますますアメリカ依存を強めることに変わりはないようです。異色の大統領が誕生したことで、日米関係が何か根本的に見直される好機かとも思いましたが、政権は現状維持と事なかれ主義を露骨に推し進めようとしているようです。必死で先ず、強い大統領の機嫌を損ねまいとしています。朝貢外交なる語がマスコミに頻繁に登場しています。アメリカへのポチ化は残念ながら強化されるようです。その例が、沖縄の民意の必死の抵抗にもかかわらず、辺野古沖の埋め立てがあっけなく再開されてしまったことです。アメリカの政権交代は、善き変化の好機と淡い期待をしましたが、政府にとっては強行の好機としか考えなかったのでしょう。本音は強い日本復活を悲願とする自民党とその中心にいる安倍首相にとって、全く矛盾した恥ずかしい二重構造と見えてしまいます。この世界は強い圧力を持つものが有利にことを進めるようです。強い者勝ちという現実が横行するとは言え、弱い者の権利を守ることこそ神の視点です。強さに取り入り、おもねる誘惑は強力ですが、弱さにつく謙遜と強さをこそ訓練されたいものです。