すずめ

 穏やかな新年となりました。陽光の中、スズメをはじめ何種類かの鳥たちが同じ木の枝で仲良く動き回っていました。大きな鳥が追い払うわけでもなく、スズメたちも別に恐れている様子もなく共存していました。のどかで平和な新年の絵のようでした。

 一方で元旦の新聞には、ポスト・トゥルースなることばが取り上げられていました。特に昨年、ヨーロッパやアメリカを覆った、時間を逆戻しするような分断と排斥の風潮と、その現象を生み出した一つの要因でもある、偽情報が飛び交い、それが多くの人々の支持を受けて広がっていく様を表現したものと思われますが、世界は今やポスト・トウルース、すなわち「真理後」の時代に入ったのではないかという危惧を表現しています。真理後とは抽象的ですが、真理の後に来るものとは当然、真理以外ということになるでしょう。

 私たちが向かおうとしている世界が真理後の時代に突入していくとするなら、それは何と恐ろしいことでしょうか。その意味していることは人々が真理への尊重や信頼を行動規範とするのではなく、別にそんなことは重要ではなく、偽りをも都合によって受け入れるということでしょうか。もしそうならこの世界は、大きな混乱と退廃を招くことになるでしょう。でも一体そんなことが有り得るのでしょうか。一昔前なら有り得ないと断言できたかもしれませんが、昨今の世界の状況は、決してこのことばが大げさではなく、時代を預言した真理かもしれないと思わせます。

 私たちクリスチャンにとっては、すぐ聖書の預言を連想させるものです。特に使徒パウロは、終わりの時代には、人々は、真理よりも、自分と金、また欲望を愛し、健全なものより空想話にそれていく困難な時代になると警告しています。ここを読みながら果たしてそうだろうか、悲観的過ぎはしないかとの疑問が共存していたものですが、まさにポスト・トゥルースと重なります。でも人間はいつの時代も都合のいい偽真理だけを選択してきたとも言えるのです。漂流の時代に流されず、真理とは何かと問い続け、その真理に謙遜に従う者でありたいものです。
初日の出

 2017年の新しい一日が始まります。明けましておめでとうございます。新年に当り、それぞれ思いを新たにさせられるときだと思いますが、神様からのメッセージがそれぞれの心に届けられるように祈ります。ご自分が造られたこの地球という国のまことの王として、この国とそこに住まう国民の一人ひとりに何を語られるのでしょうか。それを知りたい、それを聞きたいということが私たちの切実な願いですね。この新年の時に限らず、2017年のすべての日において、その主の細き御声を求め、聞き分けることが私たちの務めでもあります。

 先回も書いたことですが、過ぎた一年はことに激動の年であったと誰もが感じたのではないでしょうか。その激動は、希望的な好ましいものというよりは、否定的な負の方向に激しく揺れ動くものだったと思えます。このことは、21世紀に生きる私たち現代人にとっては意外でもあります。文明の進歩は、政治も社会もそして人間たちをも、過去の暴力や搾取、そして戦争という失敗と負の教訓を乗り越え克服して、民主的で平和的な、成熟した社会と人間たちをもたらすはずだと誰もがどこかで楽観していたのではないでしょうか。進歩の恩恵はもちろん、いろんなところで見ることができる一方で、しかし新しくかたちを変えた搾取や不公平が生まれ、そして争いや戦争はむしろ世界各地に飛び火しています。ソビエトが崩壊し、冷戦が終わった時、さあこれからは平和的世界が実現するに違いないと思いましたが、現実は何と私たちの予想を裏切ったことでしょうか。その楽観の前に立ちはだかるものこそ、人間の罪と欲望ではないでしょうか。

 ああ、真の王なる神が直接この世界に、神政政治を行なってくださればいいのにと思いますが、もしそうなったら、どれだけの人が生き伸びることができるでしょうか。神政政治を行なわないのは、むしろ愛と忍耐の故ですね。2017年も王なる方の愛と忍耐によって刻まれます。この愛に答えて、それぞれの歩みが内なる罪と社会の罪と戦い、愛と平和と正義の主に倣う者でありたいと思わされます。

クリスマス

 このところ気温も上がり穏やかな日が続いています。この時季の青空はことのほかうれしいものですね。こちらは初雪もすっかり解けて、公園も未だ自由に歩き回ることができるのも、うれしいプレゼントです。例年教会でのクリスマス集会が終わると私にとっては最も静かな時間が訪れます。過ぎた一年のことをいろいろと思いめぐらします。考えてみれば貴重な一年ですね。もう二度と繰り返されることがありません。でもかといって今年がどれだけ特別だったかとはいえない平凡な日々の繰り返しではないかと感じることも事実でしょう。しかし私たちクリスチャンにとって、365日のすべてが神が共にいてくださった日と信じれることはなんという慰めでしょうか。神が共にいて、神が導かれた一日ならば、それだけですべての日々は特別なものとなるのではないでしょうか。

 一方、目を世界の状況に転ずれば、大きな変化や問題のあった激動の一年ではなかったでしょうか。シリヤの内戦が泥沼化し、悲しくも何百万もの人々が国を追われ難民とならざるを得ない状況が続いています。ヨーロッパではテロが頻発し、それがまた国々に恐れと混乱を招き、文化的に最も落ち着いて成熟した先進地として世界をリードしてきたこの地域が、自国のことで精一杯のように追いつめられています。中国やロシアの時代錯誤的とも見える露骨な進出政策、そしてアメリカでのトランプ現象と、どれも期を一にしたような共通した世界の傾向でしょうか。調和と文化的成熟に向かうと疑わなかった21世紀の今の姿は、混乱と敵対的雰囲気が高じているようです。

 そして我が日本も、時計の針を戻すような右傾化が気になります。改めて聖書の示す人類の歴史に重ねさせられる思いです。聖書は人類の進歩を楽観視していません。人の悪が増大し、その心に思い計ることが悪いことだけに傾いたと描写されたノアの時代を、有り得ない過去として葬り去ることは出来ません。このような時代にあって、神の御心を求めて取りなしたノアに倣うべく、ますます主を知る者たちの責任を覚えたいと思います。
クリスマス

 本日はよくいらっしゃいました。毎年めぐってくるクリスマスですが、改めて皆さんと共に記念したいと思います。クリスマスという言葉はそれこそ世界中津々浦々に知れ渡っているでしょうが、キリストが生まれた日 ? 位は知っているとはいえ、その内容に関してはほとんど知られていないのが実情ではないでしょうか。クリスチャンとしては少し複雑な気持ちです。もっとも、世界中に数ある多くの祝祭日なるものも皆、そのオリジナルな由来は飾り程度に風化してしまうのが実態かもしれません。私も肝心なことは何も知らない一人として、高校2年の12月25日、初めて教会の門をくぐり、礼拝に参加しました。ちょうどその日はクリスマスと重なって、キリストの誕生を祝う喜びの雰囲気の中にあったことを記憶していますが、当然ながら自分と関係づけることが出来ず、傍観者としてそこに座っていました。

 その時の礼拝のお話も全く思い出せません。唯一つ、私が強烈な印象を受けたのは、そこにいるクリスチャンたちの存在でした。この現代に神を信じる人々がいるんだ?ということが、全く不思議でした。今日の誰でもそうであるように、私もいわゆる合理的科学的といわれる無神論教育を受けていた平均的な無神論者でしたから、その人々の存在は、一方で大きな興味をもたらしました。教会とこの人々は、全く、別世界だなと思いました。強烈な、でも爽やかな文化ショックを受けて、帰路につきましたが、私の心には暖かい光が灯っているようでした。それは希望のようなものでした。もしかして神がいるのかもしれない、そうであればどんなにいいだろうか、もっと知りたいとの思いが与えられ、以来、毎週教会に通うようになりました。そして程なくして、隠された宝を発見したように、神を信じる人々の仲間入りをすることになりました。“もし神がいるなら見せて欲しい”という万人の願いに答えるのは、人となられた神なるイエス・キリストです。このクリスマスシーズン、もし本当に神がいるなら知りたい、と求めてくだされば幸いです。そして人生のこの切実な願いに、生けるキリストが答えてくださいますように。
↓妙高文化ホール周辺
2016-12-11 初積雪S

 12月も日一日と進み、白い世界までカウントダウンです。来て欲しくないと思いつつも、何となくそわそわするこの季節ですね。昨日はうれしいニュースが日本中を驚かせました。大分県で2歳の女の子が山間地で行方不明となってしまいましたが、この12月の寒空の下、山中で夜中を過ごしながら、ほぼ無傷で無事に救出されたというのです。自然条件が奇跡的に幸いし、弱い弱い小さないのちが守られれたのだろうと解説されていました。2歳の頭脳と気持ちはどんなふうに夜を過ごしたんだろうと思うと胸が痛みますが、しかし、小さな一羽のスズメさえも見守っている、と言われる神様の御わざを見るようで感動させられました。

 こちらの心温まるニュースとは対照的に、政治的なニュースでは怒りやイライラが募ります。自民党がほとんど審議なしで、好きなように法案を通していくやり方にストップがかけられないからです。数の力にまかせたこの横暴がいつまで続くのでしょうか。正義の鉄槌が下されることを祈るばかりです。

 同じ番組で、日米合同委員会なるものと日米地位協定のことが取り上げられていました。ほとんど国民には知られずに、戦後70年間、依然として日本国憲法の上に君臨している、闇の委員会と法律とでも言うべきものでしょう。鳩山前首相も登場し、その内容は首相にさえ知らされなかったと証言していました。彼はこの闇に挑戦して失脚させられたとも言うべきかもしれません。まさに日本国の喉に突き刺さった大きなトゲといわざるを得ません。それが依然として改善されず、闇の力を振るっていることに大国のエゴを感ぜずにはいられません。公平平等、法の支配を尊ぶなどと良識国家振りを宣伝しても、結局は大国は自国に都合のいいように法律を采配していることになります。法もまた力次第という世界の現実では、国々が力を競うのも無理からぬことでしょう。弱い者たちに光を届け、小さな者たちの国を目差したクリスマスの主イエスの心と何とかけ離れているでしょうか。国だけの問題ではありません。一人ひとりに巣食う、力志向、力崇拝こそ悪魔的ですね。