暑い

 早や8月中旬です。暑い暑いと言うのも後わずかではないでしょうか。8月が過ぎると、今度は坂を転げ落ちるように冬に向かっていくように感じてしまいますので、この時季はいつも8月がずっと長く続きますようにと思います。残り少ない今年の夏を大切にしたいですね。

 72回目の終戦記念を迎えます。20世紀の世界にとって、そして何よりも日本にとっては決して忘れてはならない歴史の教訓です。多分日本の歴史が始まってからの最大の教訓とも言うべきものではないでしょうか。日本史が全部ここに集約したと言っても言い過ぎではないかもしれません。人間の愚かさと狂気、そして何よりも国家というものの恐ろしい性格があぶりだされた結果となりました。完全な敗北と無条件降伏は、日本を打ちのめすことになりましたが、これなくしては決して日本は曲りなりにも再生できなかったのではないでしょうか。

 神話がらみの天皇制国家、そしてそれを至上のものとして祭り上げ、利用する権力構造の危うさと欺瞞性に、初めて徹底的なメスが入れられることになりました。新憲法の制定と共に真の意味の民主主義が産声を上げ、よちよち歩きを始めたのです。それから70年、日本は奇跡的な経済復興によって国際社会に復帰し、敗北の屈辱を塗り替えることになりました。戦後の繁栄の中で日本は自信を取り戻しましたが、繁栄の陰で、戦争の教訓と戦争責任の問題は何となくうやむやのままにされ、もう自分たちはこの負の教訓を乗り越えたのだと思うようにもなったのではないでしょうか。新生日本と言いましたが、自分たちが戦争責任をうやむやにしたままなので、過去との決別が出来ず、それがずっと並存してきているのでしょう。そして今は揺り返しの動きが市民権を得て、歴史修正主義者たちが公然と発言をするようになりました。自分たちには義があったのだ、悪くなかったんだという動きです。もはや戦後ではないどころか、戦後は全く終わっていないのであり、戦前の亡霊が歩き続けているのです。国も国民も、戦争責任にしっかり向き合い続けることが、戦争を忘れないことですね。
アジサイ6

 未だこちらは梅雨明け宣言が出ないようですが、7月が終わろうとしています。暑い暑いと言って過ごすのも後一ヶ月足らずでしょうから、夏好きな私としてはこの暑さを惜しむように過ごしたいと思います。子どもたちも夏休みに入りました。それぞれにとってこの夏、何か良い思い出が出来れば幸いです。

 国会は閉会中審査がなされ、こちらも暑い二日間となりましたが、大方の予想通りとても爽やかな暑さとは言い難いものだったでしょう。結局二日間、言った、言わない、記憶にない、の押し問答に終始した観ですが、それでも現政権の苦しい事情が国民の目にさらされたことは意義があったのではないでしょうか。今までのおごった政権運営に対して厳しい国民の目が向けられました。少なくても現政権は、今までのように1強多数にあぐらをかくような自信は風前の灯のように不安定なものだと知らされていることでしょう。それにしても、一方の指摘に対して、記憶にない、覚えがない、と言う答弁が繰り返され、それがまかり通る国会とは何なんだろう、思わずにはいられません。はっきり分かっていることをそのまま言えないから、覚えがないと逃げているのでしょうが、しかし繰り返し語気を強めてさえ覚えがないという心理はどこから来るのだろうかと思ってしまいます。

 悲しいことに人間は明らかにおかしいことにも、だんだん慣れていってしまうものですね。そうなると一体何が正しいのか、同じ土俵で議論ができなくなってしまいます。今世界ではフェイクニュースの横行が問題になっています。もしかしてこれからの世界は、自分にとって都合のいいものが真実なのだという常識になっていってしまうのかとの危惧がよぎります。まさかと思いますが、悲しい人間の本性は楽観できないと肝に銘じたいと思います。ガンジーのモットーは、「世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないために」でした。彼のチャレンジは、今の時代にあってますます新鮮です。回りが基準ではなく、良心が基準、そんな生き方を訓練されたいものです。
鋳物で洲に憧れますね。
梅雨5

 先週のお楽しみ会で子どもたちが水鉄砲ゲームに熱中し、びしょびしょになりながら楽しんでいる様子を見ました。気兼ねなく水に濡れるということもまた今日では貴重な自然体験ではないかと思えました。だんだん屋内化する現代にあってどんな形であれ、自然に触れる機会はますます貴重なことではないでしょうか。

 中国の人権活動家、劉氏のことを改めて知りました。拘束され人権を奪われた61歳の早過ぎる死が悼まれます。巨大なモンスターのような中国で、自由と人権、そして民主化を求めて一人戦い続けた巨星のごとき存在でした。中国の宝、いや人類の宝と言うべき人を中国は抹殺し、その記憶まで消し去ろうとしています。両者の対比は光と闇そのもののようです。朝日の天声人語に、「私には敵がいない」「最大の善意をもって政権の敵意に向き合い、愛によって憎しみを消し去ることができるように望んでいる」との劉氏のモットーとも言うべきことばが紹介されていましたが、信じがたいその志に全く打ちのめされる思いでした。全く理不尽なモンスターに一体どうしてそのような心境になれるのかと驚きですが、彼とてもたやすくこの精神を手に入れたのではないでしょう。でも苦しい戦いの中で、この境地に至った彼は人類に恒星の如く決して消えない確かな道筋を示し、そして今は勝利者としてこの世界を見つめています。中国の闇はこの大きな光の前にやがて退散していくことを信じたいと思います。

 方や私たち日本の状態はというと、生ぬるい湯にずっと浸かっているような恥ずかしい気持ちがしてしまいます。幸いにも70年間平和と繁栄を享受してきたわけですが、戦争という大きな試練を経たとは言え、人権や民主化は勝ち取ったと言うよりも上から与えられたものだと言われます。それゆえ真の意味で人権や平和が受肉せず、安倍政権に代表されるような先祖帰りの復古思想が気味悪く生き続けているというべきではないでしょうか。愛と平和と正義をわが身に受肉させることこそを求めて生きたいものです。
梅雨4

 早や30度を越す夏日が続くようになり、この分では梅雨明けからはどうなるのかと危ぶまれますが、でも夕方はそれでも涼しくなります。先日は暗くなってから教会後ろの小さな江川をのぞいて見ました。そうしたら期待通り10ほどのホタルの光を見ることができ、得をした気分になりました。暑さゆえに閉じこもってしまう誘惑と戦って、日の長い朝夕を生かせればと思います。

 国会の参考人質疑を見ました。記憶にありません等の相変わらずの歯がゆさですが、それでも国民の前に答弁の様子が放映されることは意義があることでしょう。これより格上の証人喚問の国会が実現することを祈りたいと思います。大方の見方は落ち着いた前川元次官に対して、何かを隠しているようなあやふやで不十分な政府答弁という印象ではなかったかと思います。答弁の様子を見ながら改めて「正しい者は力強い」と言う聖書のことばを考えさせられました。この思想は様々な表現によって特に旧約の箴言において繰り返されています。「正しい者はいつまでも語る」「正しい者は決して恥を見ない」「正しい者は死の中にものがれ場がある」等々です。

 これは聖書がが言うまでもなく、私たちの良心が納得し、また社会生活の経験が証することでもあります。それに対し偽りと不正は隠れてこそこそと歩まなければならない悲しい運命であることもよく知っています。しかし悲しいかな、私たち人間は、時に心ならずも正しい道からはずれて、弱々しく下を向いて歩いているような時があります。そんな時、更に悪いことに、その偽りや不正の正当化を図って、ぐずぐずと居直る悪循環に陥ってしまいます。もとより不完全な罪人である人間にとって、一点の曇りもない完全な正しい人などいません。ですから聖書で言う正しさとは現実的には、間違いや失敗を隠さず、できるだけ早くそれを改める生き方、すなわちいつも神の前に正直であろうとする態度に尽きます。正直は時に犠牲を伴います。しかし神と人の前でいつも顔を上げて歩めるように、嘘、偽りをこそ最大の敵として訓練したいものです。
梅雨

 空梅雨かと楽観しましたが、梅雨前線が停滞し強い長雨が続きました。激しい雨音は汚れを洗い流すような爽快感がありますが、これがある時間を過ぎると恐怖感に変わります。竜巻のような大風に比べれば、大雨は未だ時間的余裕の伴った自然現象のようですが、今回の九州地方はそんな楽観を打ち消す災害となってしまい心が痛みます。復旧と回復のために、またなお続く雨の季節の無事を祈りましょう。

 この時季と重なった都議選は久々の大雨となりました。でもこちらのほうは明らかに恵みの雨と言うべきではないでしょうか。自民党にとっては予想外の洪水に大わらわということでしょうが、でも心ある党員は「雨降って地固まる」と受け取ってくれるのではないかと期待したいと思います。

 安倍政権になってからのこれまでの4年間、全く不思議なほどに次々と選挙で圧勝し、その数の力による横暴が目にあまるほどに露骨になってきたというのは、とても個人的な好き嫌いの評ではなく、ここに来て明らかに国民の多数に共有されてきたということではないでしょうか。それが今までの圧勝の勢いと自信を初めて粉々に打ち砕くことになりました。ようやくとの感でもありますが、この動きがさらに健全なものになっていくように祈りたいと思います。選挙前日の安倍首相の街頭演説でのやじの様子が繰り返し放映されますが、「安倍帰れ」「安倍辞めろ」との露骨な大コールが演説を妨害しました。今まででは有り得ない、予想もしなかった事態に首相は狼狽したことでしょう。

 この光景を見ながら、内心ほっとし喝采を送りました。日本にはこの自由があると思ったからです。中国では出来ませんね。でも今の政権のおごりに、このような自由さえ押さえつけかねない危うさを感じていました。政策云々ではなく、首相を中心とするその中枢の人たちの人間性が問われているのです。「できる政府」ではなく「正直で誠実な政府」をこそ戴きたいと思います。人間として信任されなかったら何も出来ませんね。果たして未だ政府は逃げようとしているようですが・・、当たり前の教訓を肝に銘じたいと思います。