↓ヤマボウシ
2017-06-06 ヤマボウシ

 最高の5月が終わり、6月に入ります。梅雨の足音がすぐそこですが、田植えが終わった水田はこの雨を待っていることでしょう。先週は教会にとって大きな行事であるバザーが無事終了できました。始まりは強風で心配しましたが、少し曇がかかった空のせいでそれほど暑くもなく屋外も快適でした。なんと言っても、いつもながら搗き立てのもちが大人気でした。今年は今までの木製の臼に替わって、濁川兄が頂いて来た昭和13年製の石臼が活躍しました。もう80年も経ているのに完璧な状態であるのには驚かされます。これから先何年もこの臼で美味しいもちを味わえるでしょう。

 国会では森友学園問題に続いて、加計学園問題が追及されています。これほど疑問がもたれているのに、何ら問題ないと言い切る強弁を繰り返す政府の傲慢振りにストレスが増すばかりですが、その傲慢を許してしまっている一強の選挙結果が恨めし限りです。更にこのような傲慢な運営振りを見ながら依然として支持率が下がらないことに一層のやるせなさが募ります。民意の頼りなさと不思議さを思わされますが、この分では戦後70年の民主主義もどこへ行ってしまうのか分からない不安を感じてしまいます。白を黒と平気で言うようなトランプ大統領が、民主主義の元祖のようなアメリカで誕生するのですから、民主主義も常に危うさをはらんでいるのであり、一人ひとりの良心と理性が問われているということでしょう。

 幸いアメリカでは権力へのチェック機能が今のところ良く機能していることが救いですが、日本は心もとないですね。神ならぬお上の亡霊がまた日本で復活することがないように目を凝らさなければなりません。一人ひとりの良心と理性が問われていると言いましたが、人間の良心と理性こそ悪の砦として与えられている貴重なものですが、心の中心に何が据えられているかによって、そのレベルは劣化もしてしまいます。今週はペンテコステです。神の御霊が心の中心に宿って下さることによってのみ、私たちの良心は洗われ、真に神の声となり得るのです。内に住まう御霊様の声をいつも敏感に聞きつつ生活したいものです。
↓エゴの木
2017-06-06エゴの木


 平場ではほぼ田植えが終了し、一面が水田風景となりました。近付く梅雨と共に日本全体が多湿になるような気がしてしまいますが、季節は確実に初夏ですね。先日のテレビで静岡の茶摘の様子が紹介さてていましたが、静岡ではこの時季、茶摘休みが一週間あったとのことでした。こちらでも田植え休みが一週間ほどあったことを思い出し、昔は今よりも自然との結びつきが強かったのだなと改めて思わされました。昨今の農業事情の変化を考えると、日本の水田風景も将来どうなるんだろうとも考えさせられますが、初夏へと移り行くこの季節に上手に適応しながら、神の造られた自然を楽しみたいと思います。

 国会では共謀罪法案が難なく衆院を通過してしまいました。機密保護法や安保法に続き、国民レベルでこれだけ多くの反対が表明されているにもかかわらず次々と強権的な法が通過してしまう自民一強政治が恨めしく、虚しさも覚えてしまいますが、あきらめて眠ってしまえば、国はまたブレーキ無しに誤った方向に向かってしまうかもしれませんから、目を覚まして祈らなければなりませんね。自然の規則正しい変化に比して、人間世界の変化はずっと早く、また予測不能なほどではないでしょうか。特に昨今の世界の変化には誰も何か意外感を覚えているのではないでしょうか。その意外感とは、良い方向というよりも何か悪い方向に向かっているように感じるからです。20世紀の合言葉は進歩と調和だったように思いますが、ここへ来てそれががたがたと崩れるような不気味さを覚えます。人間は教育の進歩とともに、ますます洗練されて理想的な人間世界になるのではないかという楽観的なヒューマニズム信仰が大きく挑戦されています。ポスト・トゥルース現象やフェイクニュースの横行はその象徴でもあるでしょう。偽りが真実になるなんて、有り得ないまさかの時代ですが、楽観できないとの警告です。不気味な闇の王が見え隠れしているようですが、正義と善と真実の神こそがこの世界のまことの王として支配しておられるということこそが私たちの希望です。
↓ウワミズザクラ(妙高市松山周辺)
2017-05-10ウワミズザクラ

 南葉山からだんだん残雪が後退し、頂上まで緑が駆け上るようになりました。緑一色にもならんとする力強くすばらしい若葉の季節です。草や葉の色が基本的に緑色であるのはどのような神の知恵なのでしょうか。あまりにも慣れ親しんでいる木々や草の色ですが、神の完全な知恵が込められているのでしょう。普段厄介に思ってしまうありふれた草も、これまたこの地球においてどれだけなくてはならない存在なのかと思わされます。そうであれば草一つ一つにも隠れた意味があるようで何か暖かい気持ちにさせられるのではにでしょうか。

 注目されたフランスと韓国の大統領選が終わりました。両国とも課題山積で、選挙の熱狂はすぐ厳しい現実の試練へと移行していくことになるでしょう。これはもちろん今世界中のどの国も例外ではありません。その意味で指導者たちには大きな責任が託されることになりますから、彼らに神の助けがあるように祈らなければなりません。その指導者たちに求められていることは、高度な知恵であることはまちがいありませんが、それ以上に必要なことは国民を代表してその任に当たっているという謙遜さともいうべき知恵ではないでしょうか。ソロモンが即位した時、神に祈った第一の求めとは、民のために正しく治めることができるようにというこの謙遜な知恵でした。神はこの祈りを喜ばれ、ソロモンを大いに祝福し、助けられました。しかしいつの間にか権力は自己益、自己保存、自己主張へと変質してしまう危険をはらんでいます。良き出発が大きな幻滅の道を辿ってしまうのです。

 韓国の歴代大統領の多くもこの権力の誘惑に足をすくわれたといわれます。今気になっているのは日本の自民党政治と、その中心にいる安倍首相の姿です。支持率と安定多数を背景に憲法改正の持論を厚顔に主張し始めました。国会において丁寧に答えず、新聞を読めば分かると答える傲慢ぶりは、自己主張の政治をしているとしか思えません。日本は安倍国ではないと断固声を上げ、横暴な権力にいつの間にか引っ張られることのないように祈りたいものです。
↓キクザキイチゲ(妙高市松山周辺)
2017-05-03キクザキイチゲ2

 5月を迎えます。高緯度地方では6月かもしれませんが、平均的な日本にあってはどれだけ賛美しても足らないようなベストシーズンではないでしょうか。柔らかい新緑、爽やかな風、次々と咲き出す花々、どれもみな心地よいものです。自然は時に厳しく怒るよな顔も見せますが、5月はどれもみな神の暖かい恵みを示すかのようです。このすばらしい季節、心ゆくばかりこの自然を抱きしめるべく、あるいは自然の懐に抱かれるべく味わい過ごしたいものです。

 聖書には、自然を題材にした教説が沢山です。そういう意味では自然界は人間にとっては偉大な教師としての役割を持って私たちを取り巻いていることになります。その様々な教えを集約している結論とは、詩篇19・1にある「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」という有名な宣言です。先に自然は偉大な教師といいましたが、もちろん自然自体が教師であるというのではなく、これを造られた背後にいらっしゃる創造者なる神こそ、この自然界を通して豊かに語っておられるのです。古来人間は、自然を畏敬し、この自然を母なる自然として宗教的な礼拝の対象としてきました。また自然と人間との一体に理想を求める汎神論と呼ばれる哲学思想も多くの人々から支持されてきました。それだけ皆、自然の美と神秘、そしてその力におのずと驚異と賛美をささげずにはおられなかったのです。

 しかし惜しむべきことは、このすばらしい自然の背後に、驚くべき知性とそして恵みと善に満ちた圧倒的な人格者を見ようとしないことです。聖書の論理は創造者なる神の存在はあまりにも明白ではないかというものですが、ここで人間はその明白さから目をそらそうとしてしまうのです。神なんかとても分かるもんじゃないという理屈を採用して、その結果、木や石や動物、そして自然自体を神として内なる宗教性を満たそうとします。しかしどんなに自然がすばらしいといっても、それはペットが与える慰め程度とも言えないでしょうか。人間の高度な宗教性が、人格なる神と出会うことが出来ますように。
↓国道18号、道の駅あらい付近の八重桜
2017-04-30八重桜

 ピクニックを予定していた先週の日曜日、気になる天気はほぼ快晴ながらかなりの低温との予報でした。晴れても寒いのはピクニックにはいかにも興醒めですので、何とか1度でも2度でも温度が上がりますように、できれば南風が吹きますようにとひたすらそのことを祈っていましたが、当日の明け方、南風どころかけっこうな大雨の音に耳を疑いながら起こされました。南風どころか逆の答えに気分は恨めしく沈みました。でも朝から雨なら返って迷わされずに屋内と決められるではないかと、気持ちを切り替えて慰めました。ところが天気は意外と回復し、前向きな何人かの兄姉にも考えは修正され、礼拝の終わる頃には野外ピクニックを決断していました。結果的には気温も思ったほど寒くなく、無事ピクニックを終えることができました。神様これがあなたの導きですか、と釈然としない思いながら、神様のあわれみを覚えながら感謝の帰途となりました。天気相手は一筋縄には行かないものですが、神様相手もお前の思い通りではないよ、と改めて考えさせられた一日でもありました。

 今朝の新聞に、沖縄の埋め立て工事再開が大きく報じられていました。有無を言わさずの政府の姿勢が露骨に回り始めました。沖縄の人々に寄り添いなどとは単なる時間稼ぎだったのかと怒りを覚えますが、沖縄の人たちは何度裏切られてきたことでしょうか。天気には温かみがありますが、政府にはただ粛々といった冷たさしか感じられないでしょう。期せずして今村大臣の「東北でよかった」発言が、今度ばかりは政府としてもかばいようがなく辞任に追い込まれたことが報じられていましたが、首相や官房長官のただ一辺倒に繰り返す辺野古移設最善発言は「沖縄でよかった」と言っているに等しく、辞任の抗議も起きないのが寂しいですね。沖縄と対話しないで米国とばかり対話している政府はまた日本全体の醜い姿でもあります。日本全体が「沖縄でよかった」と無責任に追随してきた歴史、仕方ないと言ってきたあまりにも大きな山が、少しでも逆方向に動き出すように祈りたいものです。