2017-12-18 雪景色3

 今週は大型寒波の予報です。この時季としては少し早いようですが、今冬は、聞き慣れないラニーニヤ現象とかの故に寒くなるとの予報です。どうなるのでしょうか。どちらにしても冬は避け得ないのですから、私たちの心のギアを上げなさいということでしょう。いずれにしても冬を造られたのは神様ですから、冬の主人に信頼して、冬もまた楽し、と歩みたいものです。

 ノーベル平和賞の授賞式の模様が報じられました。講演者の一人であったサーロ節子さんが「核兵器は必要悪ではなく絶対悪」と断固言い切り、またもう一人の講演者である、ICANのフィン事務局長も、核兵器は戦争回避どころか、戦争への危機を高めていると論じました。特段の主張ではなく、普通の感覚から誰もが納得するこのごく普通の主張が、ノーベル賞の舞台でわざわざ主張されなければならないということ事態が、この世界が陥っている異常性を映し出しているともいえるでしょう。20世紀の悲劇的な大戦で、もう戦争は二度と・・・との教訓を刻み、平和を合言葉に出発したかに見えた世界はしかし、陰で兵器開発競争を繰り広げ、今は貯まった膨大な核爆弾の重荷にうめいているのです。互いに削減処理をすれば済むことなのにそれが出来ません。更に新たに核保有を目指す国々が自己主張を続けています。

 そんな中で長く平和憲法を掲げ、軍備抑制をもって世界の範として歩んできた我が日本も、積極的平和主義という詭弁の下、北朝鮮状況をいいことに軍拡の方向に舵を切り、防衛予算が従来の枠をはみ出してしまいました。どんなに体裁を繕ったとしても、日本はもうご都合主義の詭弁国家と見られてしまうでしょう。「非人道的で非合理な絶対悪」と誰が見ても答えが決まっているのに、止めようとしないのは、政治家一人ではなく人間全体が問われています。クリスマスの主イエスは、赤ちゃんとなってこの地上に来られました。そのお姿は、武器や力の衣をかなぐり捨て、力を誇らず、競争せず、喜んで小さなものとなって相手に近づくという平和を象徴しています。このクリスマスシーズン、この平和の君イエスのお姿に、人類が学ぶことが出来ますように。
【聖書】

ルカ 2・1~20

【説教】「神は幼子となって」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます
↓火打山と大毛無山
2017-12-07 大毛無山

 今朝はこの冬初めての雪景色となりました。まだ水っぽい雪なので、やわらかい新雪のような美しさはありませんが、それでも冬が十分目の前に現れました。未だ少しの雪とは言え、雪に覆われた外を見ると、気分が落ち着くように思います。すべてが雪に覆われ自然界が休みに入ったような感じが、私たちの気持ちをも落ち着かせるのでしょう。冬の恵みの一つではないでしょうか。あまりにも変化が急で忙しくなった現代、しばらくの冬の季節が、私たちに休みと癒しをもたらしてくれるならば幸いです。

 この12月、先回からクリスマスに思いを寄せています。東洋の端にある日本は、明治になるまでの約1900年もクリスマスとは無縁でした。この歴史の重大ニュースが届かなかったのです。真の光から見捨てられたような島国の日本と、恨めしい思いもしなくはありませんが、しかし逆に1900年もかかってこのニュースが届けられたと考えるなら、このニュースの息の長さに驚かされるのではないでしょうか。

 ニュースとは新しさがいのちです。それが一年も経ってしまえばもうニュースではなくなってしまいます。ところがこのニュースは1900年どころか21世紀の現代も世界中に届けられているのです。このニュースが生き続けている理由は、これを過去のものと切り捨てず゙、現在の自分にとっての生きたニュースとして受け取る人々がいるからです。その人々によって2000年前のニュースが、今のニュースとして繰り返し再生され転送されているからではないでしょうか。この再生し、転送している媒体が私たちクリスチャン一人ひとりです。2000年も前の出来事を、私たちは過去のものではなく、私へのニュースとして聞いたのです。実に不思議なことですね。まさにこのニュースにいのちがあることの証拠です。ですからこれからもニュース性を失うことはないのです。大げさのようですが、私たちは2000年前の出来事の歴史の証人となりました。歴史は証言者が命でもあります。証言者がいなくなれば歴史は風化の危機にさらされます。地上最大の出来事の証人として、生ける歴史を語り続けたいものです。
【聖書】

マタイ 1・18~23

【説教】「その名はインマヌエル」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

2017初雪

 いよいよ12月です。毎年一日でも長く秋が続いて、冬の来るのが遅れて欲しいと念じて過ごしますが、ここまで来ると否が応でも冬モードに切り替わりますね。そして白いものが降り出すのをどこかで待っているような期待感さえ生じるようになるのが不思議です。春夏秋は外の景色が私たちを楽しませてくれた季節ですが、冬はそれに変わって自然との戦いの季節となります。何となく気分がしゃんとするのではないでしょうか。自然との関わりが減ってしまっている現代にあって、自然と直接格闘できるのは雪国の恵みとこそ言うべきかもしれません。これからの季節、我が雪国を恵みの賜物とも覚えつつ過ごしたいものです。

 12月はまた教会にとってはクリスマスを記念するという点で特別な月でもあります。年末と重なって何かとあわただしく感じてしまいますが、この記念を大事にしたいものです。この世界に様々な伝統的行事が、それぞれのところで文化として残っていますが、クリスマスほど世界中で市民権を得ている記念文化はないのではないでしょうか。

 もちろん現実は既に宗教性はほとんど剥ぎ取られ商業的文化となっていることに、クリスチャンとしては複雑な思いもしますが、これは世の中の常ですので抵抗することは出来ないでしょう。でも2000年前のイエス・キリストの誕生が、たとい中身が抜けて形骸化しているとしても、少なくても名前だけはこのように世界中で認知され、保存されてきたことを私たちとしては大いに喜んでいいのではないでしょうか。

 少なくてもイエス・キリストという名前はこの月何らかの形で人々の頭の中で行きかうことでしょう。名前があれば訪ねる人がいるからです。残念ながら偉人たちの名前はどんどん歴史から忘れられ小さくなっていきます。名前が残されているというだけでも奇跡的と言うべきです。聖書には「主の御名だけがあがめられよ」と繰り返し賛美がささげられています。先人たちが記念したこの御名が世界中でいつまでも永遠にあがめられるように、この時代を託された私たちも改めてこの御名を熱く記念したいものです。
【聖書】

ルカ 15・11~24

【説教】「一番上等の着物を着せなさい」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

↓とんび
とんび

 一日ごとに木の葉が少なくなって遠くを見通せる冬景色になりつつあります。普段は当たり前のように注目もされにくかった常緑樹が、殺風景な世界をそれでもわずかに彩り、この季節の主役になるようです。そしてまた特に草たちは冬の寒さをものともせず青々としています。当たり前のような緑色の生命力のありがたさをこの季節には感じさせられるのではないでしょうか。

 神が初めに天地創造をされたとき、動物や人類より先に植物を創造されます。そしてその後に造られた鳥や動物と人類たちに、食物として緑の草を与えると言われました。これによるならば、緑の草こそは万物を養う命の根源ともされています。本当に緑の草をあなどるべからずですね。普段は踏みつけている草もまたこの地球の大事な構成員ということになります。聖書に、「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません」(Ⅰテモテ4・4)とありますが、雑草さえもみな良き物と保証してくださる神様あってこそ、この地球のすべてのものが生かされるのですね。

 冬を前にしていつも思うことは、春夏秋冬の四季ではなくて、冬が無くて、春夏秋の三季だけが繰り返されるなら何とこの世界は穏やかでどんなに過ごしやすいものだろうかということです。春良し、夏良し、秋良しと、この三季節はみなすばらしいと誰も納得してくれるのではないでしょうか。しかし冬は厄介者だと思ってしまいます。特に雪国の冬は白い世界の趣があるとは言え、寒くて不便です。どんよりとした曇り空の灰色の世界となり、気分を晴れやかにする太陽と青空の世界から遠ざけられます。どう見ても良い物とは思いかねます。

 しかし神様は春夏秋冬を定められました。神の永遠の知恵によって、冬もまた、先の聖書のことばが保証しているごとく、良き物として与えられていることになります。その良さとは、春夏秋とは違った種類の良さであることは想像できるでしょう。過ごしにくい試練の季節が、主の与えられる良き物と関わっています。主のことばに励まされて、冬の良さ、雪国の恵みを積極的に探し味わうべく、今年の冬に向かいたいものです。
【聖書】

ローマ 7・24~8・11、28~39

【説教】「ただキリストのみ、ただキリストのゆえに」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます
↓雪で白くなった南葉山(11月10日)
2017-11-17 南葉山

 11月の半ばを過ぎます。木々がだんだん葉を落とし、美しい紅葉の世界が残念ながら少しづつ無色の世界に変わっていってしまいます。確実に冬が近付いていますね。今週は雪の可能性も報じられています。殺風景になるこの季節ですが、小鳥たちは葉を落とした木々で盛んに動き回っています。葉に変わって今度は小鳥たちが主役のようで、寂しい冬を励ます存在ではないでしょうか。

 横綱の暴行事件が報じられて角界が揺れています。角界ばかりではなく日本中の相撲フアンにとっても大きな衝撃でしょう。個人的には私も日馬富士のフアンなのでとても残念です。詳細は良く分からないので軽率に評せられませんが、進退問題は避けられないでしょう。改めて一人の人間が善く人生を全うすることの難しさを思わされます。特に有名人であれば、普通の人以上に一挙手一投足さえ注目されるのですから、その難しさは倍加されます。その中でフアンの期待に答え続けることは至難の業でもありますね。過ちは過ちとして、今まで努力して築いてきた名誉にふさわしく、善き終わりであって欲しいと願います。

 いつもわが身に重ねて度々心に留めている警告が次の聖書のみことばです。「正しい人が悪者の前に屈服するのは、きたなくされた泉、荒らされた井戸のようだ」(箴言25・26)。きれいな泉のような正しい人生が、どこかで汚く濁ってしまう幻滅としてこれを受け止めています。悪者に屈服するとは、私たちの人生の前に待ち構えている罪の誘惑に足を取られてしまうことと解釈しています。本当に身につまされる危険ではないでしょうか。誰もの人生に、私たちを打ち負かそうとして、罪が隙を伺っているというのが聖書の警告です。誰もこの人生の危険から自由ではありません。「好事魔多し」とのことわざにもある如く、順調な時や大丈夫と思う時こそ気をつけなければならないでしょう。先回も聖徒ダビデの祈りを紹介しましたが、謙遜に弱さを認め、罪を恐れて神の助けを油断せずに祈ることなしには誰も善き人生を全うできないことを肝に銘じたいものです。
【説教】「律法から福音へ、そして新しい律法へ」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます


2017-11-13 高田城

 平地の紅葉が今最盛期です。先日は20度ほどもあり、気持ちのいい小春日和でした。時間が許せばこんな日はずっとすばらしい紅葉の中にいたいものですね。春の新緑と共に秋の紅葉はいつまで見ていても飽きないすばらしいものです。美においても完全である神様が、この世界に究極の絵を描いて私たちを喜ばせておられるようです。

 自然界の美とはアンバランスなように残念ながら人間世界には醜いことが沢山あります。国や民族間の紛争や相次ぐテロ事件と共に、人間個人に関わる様々な罪の姿が報じられます。最近は全く驚がく的な連続殺人の実態が連日報じられています。とても人間業とは思えない所業に、言いようのない衝撃を誰もが感じていることでしょう。しかも犯人は事件の様子を淡々と語っているということです。確かにこのような事件は特別中の特別なものでしょう。そうでなければなりません。しかし全くの別次元として無視してしまうことは出来ません。

 と言うのも誰もが人間として、このような特別な人間とも感じてしまうその人間性を共有しているからです。600百万ものユダヤ人をガス室に送り込んだナチスドイツの中枢人物も、その裁判での印象はごく普通の人間であったとも報じられていました。私たちと変わらない同じ人間がこのような悪魔的ともいえる大罪の当事者ともなるのです。この同じ人間であるということが、後味の悪い不安や恐怖を覚えさせるのではないでしょうか。人間の良心をも食い殺してしまうな何か強大な悪の力が存在しているのですね。この事実の前に私たちは先ず真の恐れを持って人生に備えなければなりません。聖書の中で聖徒中の聖徒と言われるダビデさえ、どうか神の霊がいつも心を守り、罪を恐れる謙遜な魂としてください、そうすれば大きな罪を免れるでしょう、と神に祈りました。聖書は強大な悪の力に対抗し得るものは、自分の力ではなく、絶えず聖なる神につながって、その御言葉を心に宿す以外にはないと言います。神とその御言葉につながることだけがいのちであり、安全です。ダビデの祈りを共に日々の祈りとしたいものです。
2017.11.11 賛美のつどい
11月11日に「賛美のつどい」が開かれました。天候不順の中でしたが、楽しく恵のひと時となりましたことを感謝します。

特に集われた新しい方々の上に続いて主の祝福と働きがありますように。またそれぞれの生活でさらに主への賛美が捧げられますように。

2017-11-17 賛美1

2017-11-17 賛美3

2017-11-17 賛美5

2017-11-17 賛美2
 2017年11月11日(土)、午後1時30分から、新井聖書教会で「賛美のつどい」を開催します。

 ポピュラーな讃美歌、ゴスペル、ピアノ、フルート、オカリナの演奏などです。入場は無料です。秋のひととき、讃美歌や楽器演奏などで心を休めませんか。

20171105ちらし
【聖書】

マタイ 19・16~22

【説教】「人はいかにしたら神の前に喜ばれるのか」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます


西脇好子姉が77歳の誕生日を迎えました。おめでとうございます。

2017-11-06 西脇好子さん77歳


↓桜の紅葉
2017-11-03 桜の紅葉2

 先日31日、牧師会のために柏崎に向かいました。柿崎線で今年初めて、約30羽ほどの白鳥の群れを確認しました。今年はこちらは暖かなので飛来は遅れるのかなと思いましたが、私が目にするのは例年よりもむしろ早いように思います。いよいよ冬の到来と、心を決めなければなりませんね。これから約5ヶ月、殺風景なこちらの冬を共に過ごしてくれるうれしい仲間として歓迎したいと思います。

 31日はちょうど宗教改革記念日でした。この日の牧師会では聖書の新翻訳出版を記念して、翻訳責任者から新しい訳の特徴を講演していただきました。近代自国語聖書の翻訳は、宗教改革時代になされたルターのドイツ語訳聖書から始まります。我が日本では江戸時代の鎖国が終わって、キリスト教宣教が始まってから約150年を数えます。そして明治時代に初めて聖書が日本語に翻訳されました。それは何と記念すべき歴史であったことかと思います。一世紀にイエス・キリストによってキリスト教と聖書がもたらされてから約1900年後に、初めて東洋の我が日本に聖書の光が届くことになったのです。

 ヨーロッパでは既に当然の光であった聖書が、私たちの日本ではおよそ2000年間もそれを知らずに過ごしてきたのです。もちろんその間も歴史は進行し、文化も発達してきたわけですが、しかし聖書を知らない闇が2000年間も覆っていたことを思うと複雑な気持ちになります。日本の精神的遺産に聖書が欠けていたことは、日本人と国家の形成にやはり大きな影響があったと思わざるを得ません。天皇制の精神的な核として国家神道的なものが厳然とて生き続けていることを、ことに宮中祭祀の様子などを見るにつけ、クリスチャンの立場としては深い闇を見ざるを得ません。でも今は少なくても誰でも聖書を手に持つことが出来ます。たといクリスチャン人口が1パーセントにも満たないとは言え、聖書という書物が日本で自由に流布する限り、必ずやこの「本の中の本、バイブル」に出会う人がいるでしょう。2000年間の闇を償って余りある光となって、これからの歴史を変えていくことを祈りましょう。
【聖書】

ガラテヤ 1・1~17

【説教】「福音は、人間によるものではありません」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます

↓燕温泉、惣滝
2017-10-28惣滝1

 ちょうど10月が終わり、これからは晩秋そのものの11月を迎えます。冬を前にした雪国にとって真に貴重なこれからの一ヶ月ではないでしょうか。今のところ気温は未だそれほど下がらず暖かく感じます。南葉山はようやく上の方が色づいてきました。これからはいよいよ一気に下に降りて来るのでしょう。冬を前に穏やかで美しい11月となりますようと願います。

 先週は超大型台風の北上と衆院選挙が重なり、10月末はまさに嵐の中の日本列島となりました。台風は予想通り日本各地に爪あとを刻みましたが、選挙の方は終わってみれば、拍子抜けしたような自民の圧勝となりました。結果だけを見れば大荒れどころか今までの体制が少しも変わらず、むしろそれが強化されたような順風無風の選挙のようだったともいえるでしょう。しかしその実は水面下では激しい大嵐が吹いていたとこそ言うべきではないでしょうか。

 ある識者が今回の選挙は関が原だと評していましたが、これからの日本にとって分け目ともなる歴史的選挙だったと見ることは大げさではないでしょう。私には安倍首相の表情がそれを象徴しているように思えます。大勝にも関わらず彼に笑顔はありません。それは自分自身への批判票によって、必ずや議席減に見舞われることは避けられず、それを最小限に食い止めるための選挙と覚悟して臨んだのに、結果は実質的には前回よりも議席を伸ばすことになったからです。気持ち悪い不安が彼を捕らえているのではないでしょうか。そうあって欲しいと思います。決して信任されるはずはないのに、数だけ見れば手放しで信任されているような不安。この不安を感じてこそ正常であり、この不安と向き合いつつ恐れつつ、謙虚な政治をして欲しいと願うからです。このギャップを見誤れば、それこそ予想していた正常な転落が厳しく彼を待つことになるでしょう。いずれにしても私たち国民は天下分け目ともなる重大な選挙結果を与えました。最も危惧するのは憲法改悪です。特に権力の側にある首相と為政者たちが、数には現れない国民の声にも謙虚に耳を傾け、謙遜で良心的な政治を行なうように祈らなければなりません。
【聖書】

ローマ 13・1~10

【説教】「王とこの国のために祈りなさい」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます
2017-10-27 午後3時20分

 朝の温度が15度を切るようになり、ストーブを使い始めるようになったのではないでしょうか。でも未だ日中は時に半袖でも良さそうな時もあり、弱くなりかけている太陽の暖かさが身にしみる季節でもあります。また気温の1度、2度の変動の価値が実感される季節でもないでしょうか。地球温暖化議論で、よく気温の1度、2度の変化が重大な地球変動になると言われますが、そのことになかなか実感が伴わず、想像力を働かせずにいますが、この時季に重ねれば、1度の大きさが少し想像できるようにも思います。

 いよいよ衆院選挙の投票日を迎えます。既に大方の予想が自民の圧勝と報じられていることに、全くの驚きと失望と共に興覚めを禁じえませんが、しらけ、あきらめてしまう誘惑に屈することなく、しっかりと行く末を見守らなくてはなりませんね。先の気温の1、2度の価値以上に、一票の価値など無いに等しいと誰でも思ってしまいます。しかし道は遠くても一票の積み重ねが、それでもかろうじて民主主義を守っているという価値を失わないようにしたいものです。

 というのも隣の中国では今もこの一票さえ国民には与えられていません。共産党の一党独裁体制が70年も続いているのです。ちょうど今は5年に一度の共産党大会が開催されて、その行く末にマスコミの注目が集まってもいます。一党独裁体制は揺るがず、それがますます強化され、更に習主席への権力集中と絶対化が進むであろうということが大方の予想です。

 この時代に何という時代錯誤かと思ってしまいますが、時代の鬼子とでもいうべき体制がしぶとく生き続けて、自由にものを言えない息苦しさがこの大国を覆っています。その原因こそ権力の絶対化にあるでしょう。これを書いたのは権力の恐ろしさと危うさを何としても回避しなければならないからです。この5年間、私には全く不思議ですが、自民党に異常なほどの数の力が与えられました。その結果目に余る国会運営によって、危惧すべき重要法案が強行採決されてきました。経済の好調よりも権力の墜落と横暴が抑制され、謙虚な政治が行われることこそが国の土台ではないでしょうか。
【聖書】

Iペテロ 2・9~17

【説教】「王として召された者たち」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます