2018-04-10イースターエッグ

 寒かった今年の冬を挽回するような20度にもなる陽気が続きました。サクラはすでに開花を過ぎて満開のニュースもすでにあちこちから届き始めました。こちらのサクラもこの分では異常な速さになるのではないでしょうか。教会のコブシの花芽も急に膨らんで、今にも咲き出しそうな勢いです。どちらにしてもすばらしい楽しみな春が一気に全開になろうとしています。春を讃えずにいられません。

 今週はイースターです。主イエスの復活の記念がちょうど自然界の春と重なりますので、私たちにはその意味が一層捕らえやすいのではないでしょうか。春は自然界の全面をいのちの輝きが覆います。冬の冷たい世界が一変して、一気に暖かいいのちの世界によみがえるようです。

 確かに自然界をも造られた神様はこの春を通しても重要な真理を告げておられるのでしょう。そのメッセージとはもちろんいのちの力強さです。私たちは聖書と出会うことによって初めて主イエスの復活という出来事を知らされました。初め私はこれを無視していました。とても本気で相手にすることではないと思えたからです。それどころかこんなことを書いているようでは聖書の信頼性が損なわれてしまうからできるだけ人々の目に触れないように、聖書の片隅追いやろうとしていました。ところが聖書とキリスト教を知るにつれ、イエスの死と復活こそ聖書の中心であると知るようになりました。文化ショックを越えた大きな衝撃でした。でも目からうろこの転換をもたらすことになりました。それまでは誰も当然の如く真理と考えているように、結局は皆死ぬのだ、死こそ一番確かな結末だと思っていました。ところが聖書のメガネを与えられて世界を眺めたとき、この世界はまるで違って見えるようになりました。もしかしたら死で終わりではないのではないか。本当はいのちの方が強いのではないかと。そして見れば見るほどそうに違いないと確信するようになりました。なんという幸いな転換をもたらしてくれたことでしょうか。死におびえる世界から、死を超えた希望の世界へと生まれ変わったようだからです。
【聖書】

 ルカ 23・13~48

【説教】「父よ、彼らをお赦しください」

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↓桜のつぼみはまだ固い
桜のつぼみS

 春分の日を迎えます。これから少しずつ日が長くなるのが楽しみです。教会の庭ではサンシュユが満開です。日本名は「春黄金花・ハルコガネバナ」とも呼ぶそうですが、その如く他に先立って春を告げる春一番の樹木に思えます。サクラのように若葉に先立って木全体が花だらけとなります。黄色の小さな花なので目立ちませんが、近付いて見れば見事です。サクラのように愛でられないのが少し可愛そうでもありますので、しっかり見てあげなくてはと思います。
 
 今週は教会暦では受難週です。主イエスが、全世界・全人類のすべての罪を背負って十字架の上で身代わりの死を遂げられたことを記念しています。このイエス様が自らを犠牲として成し遂げ、買い取ってくださった赦しの上に、世界と人類は乗っかって生かされています。しかし当時のゴルゴタの丘では、多くの群集はこの厳粛な死を物見遊山的に見物し、さらにこの聖なる方に向かってののしり、嘲笑し、動物をなぶり殺すような異常な興奮に満たされていました。これは一人ユダヤ人の姿ではなく、聖なる神と人類が十字架を隔てて全く対照的な姿を示している縮図です。罪を悲しみその罪を何とか清算しなければと心砕いておられる神の心と、そんなことにはまるで無頓着に、むしろ罪を責められることなど余計なお世話と、聖なる神を抹殺しようとする人類の心が衝突していたのです。この構図は残念ながら天地創造以来の神と人間の変わらない物語です。

 今世界の風潮は、きよいことや正しいことよりも、自分の利益本位の露骨な権利主張が大声で叫ばれているように思えます。人類をリードする政治家たちがそれを主導しています。人類の道徳性は大きな揺り戻しを見せているようです。2000年前の主の十字架の大事業は、当時と変わらず依然として踏みにじられ続けていると言わなければなりません。でも主は今も変わらず、「父よ。彼らをお赦し下さい」と取り成し続けておられます。十字架の心を知った私たちは、罪を離れ義のために生きる姿をもって、この世界にあって少しでも光と塩の役割を果たしたいものです。
【聖書】

 詩編 37

【説教】「まことに、さばく神が地におられる」

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↓道の駅あらい「ひだなん」 フキノトウ並ぶ
2018-03-18 フキノトウ

 寒さから一転して急に暖かい春の陽気が続きました。暖かさは大歓迎ですが、自然界も少し戸惑っているかもしれません。今年はサクラの開花を予想するのが難しいかもしれませんね。自然界がいっせいにいのちに輝くこの季節、それ以上のいのちが一人ひとりに与えられることを覚えて、自然をほめたたえると共に、いのちの源である神と我が身の幸いを賛美したいものです。

 森友問題が再燃し、国会が急に慌しくなりました。森友・加計疑惑を何とか押さえ込んだと思いつつあった政府にとっては今、春を楽しむ余裕はないでしょう。約一年前、国会で疑惑を否定して全く自信に満ちてと言えるほどの強弁を繰り返していた佐川長官がとうとう辞任に追い込まれました。この日が来るとは誰も思っていなかったのではないでしょうか。氏の昇進人事を主導し、全く適材適所と強弁し続けた政府もここに来て弁明に負われています。そして今度は我が身を守るためにその佐川氏一人に罪を擦りつけ、氏を厳しく罰することで自らの正当性を演出しようとしています。その見苦しさはもう国民の目に覆うようもないでしょう。

 ところがこの政権の厚顔さは依然として頭を下げようとせず、また逃げの一手で何とか延命を図ろうとしている姿です。これがこのまま許されたら本当に国民をバカにした私物化政治を許すことになってしまいます。でも気がかりなのはあまり支持率が下がっていないことですね。大きなブレーキがかかってこのような政権が延命できない国のレベルになるべく国民全体が問われていますね。

 しかし今回、うやむやな幕引きにならず、嘘と悪が明るみの出てきたことは救いです。一部の人々の地味な努力の賜物でしょう。佐川氏の答弁に代表されるような真っ赤なウソが国会の場で大胆に主張されるなんてとても納得できないし、あってはならないことだからです。ここでブレーキがかかったことは、真実と良心が生きていることの証拠であり、また私たちにとっては、正義の神が黙ってはおられない確かな証拠として励まされます。現実がどんなに灰色で混乱させられても、さばく神がおられるという確信こそ正しく人生を歩む拠り所です。
【聖書】

 ルカ 14・25~35

【説教】「あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい」

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 春らしい天気が続き、雪が見る見る消えていきます。こうなるとあまり早く消えないでもう少しゆっくりと雪の名残を楽しみたいとも思ってしまいます。でも散歩できる空間が広がっていくのは楽しみです。日当たりのいい川べりなどはもう十分歩けるのではないでしょうか。ほとんど歩けなかった冬の日々を、これからは少しずつ挽回したいと思います。

 教会総会が終わり、私たちも新しい歩み出しをしようとしています。キリスト教会は特に我が日本にあっては1パーセントにも満たない人々の群れです。そのような状況の中で一体私たちが何ができるのだろうかと考えてしまいますが、全天地の主であり、すべてのものを動かしておられる主キリストが、教会のかしらとして導いておられることに繰り返し思いと信仰を寄せて、この壮大ともいえる教会の姿に励まされ、見失いがちになりやすい使命を確認したいものです。

 教会は「地の塩、世の光」と定義されていることを確認しました。ことに塩という比喩はその役割を分かりやすく伝えます。塩はごく少量でも料理の味をつけるには十分です。ですから量の多少はこの役割には関係がなく、塩が塩である限り、十分にその役割を果たすのだと励まされます。要は、塩気を失わないことに教会の命があるということになります。

 この塩気について、聖書はいろんな表現で定義していますが、「神の国とその義を第一に求めること」という説明はその代表的なものです。この世界がとかく人間の欲望を第一に求め、それが大河のようにすべてを飲み込むように流れても、その中で神の御心を第一に求める人々こそ社会の良心足り得るでしょう。今、世界はことに国々の権力者たちが自分こそ世界を動かす者とならんとするが如く、権力の集中を図っています。ことに中国、ロシアそして米国の露骨な動きは世界を不安にさせています。国はその内に持つ獣性を露骨に現し、自分の色に染めようとしているかのようです。

 義と平和がおびやかされようとしているこの時代に、私たちは真の王なる方の御心こそが成りますように、神の国の民として自らの内に塩気を保ちたいものです。
【聖書】

 マタイ 5・1~16、43~48

【説教】「聖なる教会、地の塩、世の光」

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↓宮尾さんの特別賛美
2018-03-04 賛美S




うめ

 3月を迎えます。ずっと続いた低温ですが、ようやく温度も上がり始めました。今朝は春の嵐が吹き荒れるから注意との予報でした。最近のゲリラ豪雨のように、風も暴風化して風のイメージが悪化していますが、でも古来、雪国にとって春の嵐は、待ちに待った良い訪れであり、心踊るような響きがあるのではないでしょうか。願わくは災害ではなく、春を運ぶうれしい恵みの大風となりますように。

 教会総会を迎えますので、改めてまた教会に思いを寄せましょう。私たちは不思議な導きによりキリスト教会の門をくぐりました。私がそこに見た第一印象は別世界でした。もちろんこの世界にだんだん慣れるにつれて、その鮮烈な印象は色あせて来もしましたが、しかし今度は聖書からその第一印象を越えるような教会の真の姿を学ぶようになりました。神が教える教会の定義とは本当に驚くべきものです。「キリストの花嫁」「キリストのからだ」「神の神殿」「天の御国」・・・。およそこの世のものとは思えない定義が並びます。ですから私が初めて門をくぐったときに感じた第一印象はまちがってはいなかったのであり、幸いにもその教会は聖書の説く真理の一斑を反映していたのです。ハレルヤ。

 上に上げた定義の一つ一つはみな目を見張るものですが、今日は「天の御国」というイメージに注目したいと思います。平たく言えばこれは、教会は地上に於ける天国であって、天国が地上に舞い降り、天国を映し出すところということですから、何と恐れ多い姿でしょうか。でも幸いですね。そうありたいと願わされます。それがこの世にある教会の大きな使命です。でも聖書では天国の定義が味わい深いものです。すなわち、罪人たちの天国、罪人たちによって造られる天国なのです。それはどんな国でしょうか。不完全な罪人たちが集まっていながらそこに天国が造り出されるのです。それが可能であるとすれば、それを造り出すものとは、赦しと愛ですね。自分も赦されているという神の愛と恵みを知った者同士の世界だからです。罪を飲み込む大きな恵みに生かされている世界、それこそ地上の天国です。

【聖書】

 ルカ 18・1~8
 ローマ 5・2~5

【説教】「希望の訓練」

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 雨水を過ぎました。雪は、ぼた雪、あわ雪の春の雪に変わってきました。それでも未だ天気予報ではしっかりと雪マークもついていますし、気温も依然として低いので、今年は暦の進みは一回りも遅いのかもしれません。ちょうど先週の招詞箇所だった詩篇147篇には、「主がみことばを送って、雪と氷を溶かし、ご自分の風を吹かせると、水は流れる」とありましたが、主が吹かせる暖かい春の風が待ち遠しいですね。

2018-02-16 羽生11


 また冬季オリンピックの話題になってしまいますが、熱戦が続いて勝者と敗者のドラマが繰り広げられています。先週も書きましたが、それはまた普遍的な人生のドラマを見るようですね。人生にはいろんなところで勝者と敗者が生み出され、勝ち負けが織り合わされて進むドラマのようだからです。そこではやはり勝者への賞賛と栄誉が大きく報じられ、敗者は静かに退場し、あまり光が当てられることはありません。当然と言えば当然ですが、その対照にやはり人生の悲哀、あるいは不条理とでもいうものを感じてしまうことも多いのではないでしょうか。

 勝者の喜びとその報われた感とでも言うものに私たちは共感し、祝福を送りたいと思いますが、しかし敗者の悲しみにもまたそれ以上の共感とエールを送りたい気持ちにもさせられます。と言うのも、一人の勝者に対して、それに届かなかった多くの敗者がいるからです。そうであるなら、この地球上には勝者よりも敗者の方が当然ながら圧倒的な割合となります。それにまたどんなに強い勝者といえども、その人の競技人生においては、多分その何倍も敗北を経験しているのではないでしょうか。良いバッターでも3割打者と言われるように、7割はヒットを打てない日々を過ごすのです。ですので勝利という大きなプレゼントは数少ない一瞬であり、他は失意の7割ともいえるのが人生の現実です。としたならこの7割の日々にこそ恵みの光が当てられ励まされなければなりません。神様はこのことをよくご存知です。私たちが敗北の日として沈んでしまう日々こそ、人生を造る価値ある日々として、近付き、寄り添い、励ましてくださるのです。
【聖書】

 IIテモテ 3・1~17

【説教】「終わりの日には困難な時代が」

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高田城

 今週が冬の最後の寒波になるのでしょうか。今回も里雪型で平地に思いのほか多くの雪をもたらしました。最近のゲリラ豪雨の傾向のように、雪の降り方もまた変化しつつあるのかもしれません。でもいよいよ雨水を迎えます。異常低温が続いた厳しい冬も、もう春の力の前に退場せざるを得なくなる季節の分かれ目です。近付く春を喜びつつ、過ぎ行く冬もまた名残惜しみたいと思います。

 韓国のピョンチャンでは極寒の中、冬季オリンピックが開幕し、その強風と低温が競技の大きな敵となっていることも報じられています。そんな中、注目を集めた女子のジャンプとスケートでメダルが取れたことで日本中がほっとしているのではないでしょうか。中でもずっと世界の王者として君臨してきた高梨選手のプレーには日本中が一喜一憂しました。金メダル本命の絶対王者として臨んだ4年前のソチオリンピックでは、まさかの4位に沈みました。勝負の無常さを日本中が共有しましたが、本人の衝撃はどれほど大きかったことでしょうか。トラウマのようになって4年間ずっと苦しめてきたことでしょう。今回は銅でしたが、それでも今までの傷と苦しみが癒されたであろうことを共に喜びたいと思います。それにしてもオリンピックのような大きな大会での勝ち負けの悲喜劇は、人生の難しさが凝縮されているようなドラマですね。それは結果が必ずしも順当で合理的であるとはいえない現実を見せられるからでもあります。それが勝負の面白さであると第三者的には達観できるかもしれませんが、実際に身を置く時には大きなストレスをもたらします。

 私たちの人生もまた誰しもこのようなストレスと無縁ではありません。このストレスに対処するには、やはり結果がすべてではないという価値観を学び続けることでしょうか。聖書は結果は神のものであるとはっきり告げます。それは結果だけで判断しないようにとの神の警告と励ましです。神様は結果よりもむしろその途中を、人生の全体をご覧になってくださるのです。結果はゆだねつつ、途中の歩み方をこそ励まされたいものです。
【聖書】

マタイ 26・30~46

【説教】「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころが」

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2018-02-14 快晴

 立春を過ぎての今回の寒波は、こちらは予報に反して平穏でしたが、北陸地方、特に福井県に37年振り以上の大雪をもたらしたとのニュースには驚きました。普段20、30センチのところがその6倍程も積もってしまったのですからお手上げであり、もう休むしかありませんね。でも大雪の休みなんて何か自然への敬意を示すようでうるわしいことのようにさえ思えてしまいます。改めて自然は人間の手の内に無い生き物だと思わされました。もちろん自然が生きているのではなく、雪を降らせ、すべてを動かしているお方こそ私たちの礼拝の対象です。

 名護市長選は残念ながら、政府の力に抗するが出来ませんでした。と言うよりも、何をしても結局は変わらないのだ、民意の抵抗は中央の都合のままに跳ね返されるのだとの、今までの長期戦の疲弊の結果でしょう。政府は結局、何も善処しようとしないで時間稼ぎの兵糧攻めで城を落としたのです。何ともやりきれない気持ちですが、沖縄の地が疲れと無力感からから癒されて、真に笑える時が来るために今こそ連帯しなければなりませんね。

 同じやりきれなさは、アメリカが新しく発表した、核兵器を小型化して使い易くするといった内容の「核戦略見直し指針」に対しての、河野外相の「高く評価する」との談話にも感じました。自民党内にあって一言居士のような彼には期待していましたが、さすがにこの発言には空いた口が塞がらない失望を感じました。内閣として難しい立場にあるとはいえ、決して口にしてはならないことばだったのではないでしょうか。今までも核政策に対して日和見的な日本が世界にあってどれだけ信用されていたかは怪しいですが、それでもこの発言は日本の信用をがた落ちにするに十分ではないでしょうか。当のアメリカにさえまた、ますますポチとして軽く見られる言質を与えたことでしょう。大国の傘、これこそ日本が選択している矛盾の正体です。大国の傘に寄りかかろうとするイスラエルに神はいつも警告を発しました。聖書の警告を、ただ聖書の中だけの理想の物語としない日本を夢見たいですね。
【聖書】

創世記 22・1~19

【説教】「主の山の上には備えあり」

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冬の木

 先週は大寒を過ぎて冬も峠を越えたと書きましたが、今回は予報通りの大寒波となり、今までの分をまとめて放出したような雪となりました。歴史的な低温も続いています。冬が自分を忘れるなと釘を刺したようですね。でも2月に入り立春を迎えます。一進一退とは言え、春の力が勝っていくのを見るこれからが楽しみです。

 通常国会の様子が報じられています。一強与党の型どおりの答弁が繰り返される様子にすっかり興醒めですが、しかし全く興味と関心をを失ってしまってはそれこそ思うつぼですね。自民党の副大臣の沖縄軽視のやじには全く驚かされました。自民党の本質とおごりが集約したような醜さですが、辞任幕切れでそれ以上の打撃を受けず、後は淡々と進行して行ってしまう現状に、やりきれない怒りを覚えますが、それ以上追い込めないのが更に情けないですね。全く議員辞職に値することのように思いますが、このような人々が依然として選挙で票を得て、議員として生き続けていることが政治の世界の劣化を象徴しているのでしょう。

 一番の問題の根幹である「日米地位協定」の改定には取り組む気概などさらさらなく、家主のアメリカには何も言えず、間借り人のようになって苦しんでいる沖縄の味方になるどころか、弱い者いじめをしているような姿は、強い者に媚、弱い者に強くという人間の醜さそのものです。でもこれはそのまま日本人全体にも返ってくる問題です。

 今週は名護市長選挙です。何としても、事なかれ政府に代って、大きな家主に抵抗しようと孤軍奮闘している人々の励ましを祈らなければなりません。第一にも取り組むべき基地問題には全く冷淡で、安倍首相は持論の憲法改悪に異常な熱心を傾けています。その中身は結局、家主翼賛憲法になるのではないでしょうか。一体どれだけの国民が本当に憲法の改変を望んでいるでしょうか。国民にとっては全く迷惑な話で、日本は安倍国ではないと叫ばざるを得ません。でも今年が勝負の年として突き進もうとしています。日本国民にとっても正念場ですね。主よ、私たちの国を正しく守り導いてください!
【聖書】

創世記 16・1~16

【説教】「信仰の父アブラハムの失敗」

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2018-01-22 八王子大雪

 東京の大雪のニュースが報じられました。未だ1月に東京に雪が降るのは通常の季節の動きではないようですが、いずれにしても東京の雪は春のしるしのように思えますから、雪国の冬は峠を越えたと見れるのではないでしょうか。そのせいか今週は大寒波とのことですが、あまり深刻感はありませんね。

 トランプ大統領就任から一年を迎え、新聞、テレビ等でこの一年のことが様々に論評され特集されています。総じての評価は今までにあり得なかった、全く大統領の資質に欠けているとの厳しい評価が並びます。でも本人は、どこ吹く風のように気にも留めず、あきれられるような言動を続けています。この辺が本当に天才なのかと思わせるような、何か怖いもの見たさの魅力にもなっているのでしょうか。いずれにしても斯くあきれられながら、一定の固い支持層を得ていることが、いわゆるトランプ現象の不気味さとでも言えるのでしょうか。社会の価値感、人間の価値観が変化していること、あるいは大きく揺れていることを示しているように思えます。

 アメリカだけではなく、今まで世界をリードしてきたヨーロッパでも今までの価値観に背を向けるような混乱が起こっています。自国第一主義ということばに象徴されるように、皆がみな自分第一の方向にあからさまに舵を切り出したように思えないでしょうか。一昔前ならとてもはばかられたことが、皆が軌を一にするように主張し始めているようです。それだけ他をかえりみる余裕の無い時代になっているのでしょう。皆がそう言うならそれに抗することは馬鹿を見ることだとしてそれが共通の倫理になってしまいます。この動きが高じる先は自分第一を求めながら、皮肉にも自分の首を絞めることになるのではないでしょうか。聖書は私たちに自分だけではなく、他の人のことをかえりみなさい、自分を愛するように隣人を愛しなさいと、不動の祝福の原理を教えます。流れが逆であればあるほど、聖書とそれを信ずる者たちの真価が試されます。それぞれは小さくてもこの時代にあって世の光でありえますように。
【聖書】

ローマ 12・1~21

【説教】「主に仕える道」

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