【聖書】

Ⅰ列王記 3.1~15

【説教】 「あなたに何をあたえようか。願え」

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すずめ

 穏やかな新年となりました。陽光の中、スズメをはじめ何種類かの鳥たちが同じ木の枝で仲良く動き回っていました。大きな鳥が追い払うわけでもなく、スズメたちも別に恐れている様子もなく共存していました。のどかで平和な新年の絵のようでした。

 一方で元旦の新聞には、ポスト・トゥルースなることばが取り上げられていました。特に昨年、ヨーロッパやアメリカを覆った、時間を逆戻しするような分断と排斥の風潮と、その現象を生み出した一つの要因でもある、偽情報が飛び交い、それが多くの人々の支持を受けて広がっていく様を表現したものと思われますが、世界は今やポスト・トウルース、すなわち「真理後」の時代に入ったのではないかという危惧を表現しています。真理後とは抽象的ですが、真理の後に来るものとは当然、真理以外ということになるでしょう。

 私たちが向かおうとしている世界が真理後の時代に突入していくとするなら、それは何と恐ろしいことでしょうか。その意味していることは人々が真理への尊重や信頼を行動規範とするのではなく、別にそんなことは重要ではなく、偽りをも都合によって受け入れるということでしょうか。もしそうならこの世界は、大きな混乱と退廃を招くことになるでしょう。でも一体そんなことが有り得るのでしょうか。一昔前なら有り得ないと断言できたかもしれませんが、昨今の世界の状況は、決してこのことばが大げさではなく、時代を預言した真理かもしれないと思わせます。

 私たちクリスチャンにとっては、すぐ聖書の預言を連想させるものです。特に使徒パウロは、終わりの時代には、人々は、真理よりも、自分と金、また欲望を愛し、健全なものより空想話にそれていく困難な時代になると警告しています。ここを読みながら果たしてそうだろうか、悲観的過ぎはしないかとの疑問が共存していたものですが、まさにポスト・トゥルースと重なります。でも人間はいつの時代も都合のいい偽真理だけを選択してきたとも言えるのです。漂流の時代に流されず、真理とは何かと問い続け、その真理に謙遜に従う者でありたいものです。
【聖書】

詩篇 ヘブル 11.1~27

【説教】「祝福の契約に入る」

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初日の出

 2017年の新しい一日が始まります。明けましておめでとうございます。新年に当り、それぞれ思いを新たにさせられるときだと思いますが、神様からのメッセージがそれぞれの心に届けられるように祈ります。ご自分が造られたこの地球という国のまことの王として、この国とそこに住まう国民の一人ひとりに何を語られるのでしょうか。それを知りたい、それを聞きたいということが私たちの切実な願いですね。この新年の時に限らず、2017年のすべての日において、その主の細き御声を求め、聞き分けることが私たちの務めでもあります。

 先回も書いたことですが、過ぎた一年はことに激動の年であったと誰もが感じたのではないでしょうか。その激動は、希望的な好ましいものというよりは、否定的な負の方向に激しく揺れ動くものだったと思えます。このことは、21世紀に生きる私たち現代人にとっては意外でもあります。文明の進歩は、政治も社会もそして人間たちをも、過去の暴力や搾取、そして戦争という失敗と負の教訓を乗り越え克服して、民主的で平和的な、成熟した社会と人間たちをもたらすはずだと誰もがどこかで楽観していたのではないでしょうか。進歩の恩恵はもちろん、いろんなところで見ることができる一方で、しかし新しくかたちを変えた搾取や不公平が生まれ、そして争いや戦争はむしろ世界各地に飛び火しています。ソビエトが崩壊し、冷戦が終わった時、さあこれからは平和的世界が実現するに違いないと思いましたが、現実は何と私たちの予想を裏切ったことでしょうか。その楽観の前に立ちはだかるものこそ、人間の罪と欲望ではないでしょうか。

 ああ、真の王なる神が直接この世界に、神政政治を行なってくださればいいのにと思いますが、もしそうなったら、どれだけの人が生き伸びることができるでしょうか。神政政治を行なわないのは、むしろ愛と忍耐の故ですね。2017年も王なる方の愛と忍耐によって刻まれます。この愛に答えて、それぞれの歩みが内なる罪と社会の罪と戦い、愛と平和と正義の主に倣う者でありたいと思わされます。
2016-12-25説教

【聖書】

詩篇 116

【説教】「主がことごとく良くしてくださったことについて、私は何を」

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 2016年最後の礼拝です。一年のすべての歩みと礼拝が守られたことを感謝しましょう。

 礼拝に引き続いて、岩崎拓也兄と岩崎雅子姉の洗礼式がもたれました。

2016-12-25洗礼式S
↓岩崎拓也兄
2016-12-25岩崎拓也1S

2016-12-25岩崎拓也洗礼式S

↓岩崎雅子姉
2016-12-25岩崎雅子洗礼式1S

 その後、行われた祝会(食事会)は、1年の感謝と喜びの時となりました。
2016-12-25食事会S

 新年礼拝は2017年1月1日(日)に行います。皆そろって、まず主への礼拝をもって新しい年を祝福しましょう。時間は通常通り午前10時30分です。
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クリスマス

 このところ気温も上がり穏やかな日が続いています。この時季の青空はことのほかうれしいものですね。こちらは初雪もすっかり解けて、公園も未だ自由に歩き回ることができるのも、うれしいプレゼントです。例年教会でのクリスマス集会が終わると私にとっては最も静かな時間が訪れます。過ぎた一年のことをいろいろと思いめぐらします。考えてみれば貴重な一年ですね。もう二度と繰り返されることがありません。でもかといって今年がどれだけ特別だったかとはいえない平凡な日々の繰り返しではないかと感じることも事実でしょう。しかし私たちクリスチャンにとって、365日のすべてが神が共にいてくださった日と信じれることはなんという慰めでしょうか。神が共にいて、神が導かれた一日ならば、それだけですべての日々は特別なものとなるのではないでしょうか。

 一方、目を世界の状況に転ずれば、大きな変化や問題のあった激動の一年ではなかったでしょうか。シリヤの内戦が泥沼化し、悲しくも何百万もの人々が国を追われ難民とならざるを得ない状況が続いています。ヨーロッパではテロが頻発し、それがまた国々に恐れと混乱を招き、文化的に最も落ち着いて成熟した先進地として世界をリードしてきたこの地域が、自国のことで精一杯のように追いつめられています。中国やロシアの時代錯誤的とも見える露骨な進出政策、そしてアメリカでのトランプ現象と、どれも期を一にしたような共通した世界の傾向でしょうか。調和と文化的成熟に向かうと疑わなかった21世紀の今の姿は、混乱と敵対的雰囲気が高じているようです。

 そして我が日本も、時計の針を戻すような右傾化が気になります。改めて聖書の示す人類の歴史に重ねさせられる思いです。聖書は人類の進歩を楽観視していません。人の悪が増大し、その心に思い計ることが悪いことだけに傾いたと描写されたノアの時代を、有り得ない過去として葬り去ることは出来ません。このような時代にあって、神の御心を求めて取りなしたノアに倣うべく、ますます主を知る者たちの責任を覚えたいと思います。
2016-1225クリスマス礼拝パンフ

1. 祈り
2. 聖書朗読 ルカ2.1~1.6
3. 賛美 「いざもろとも主を」
4. 賛美 クリスマスソング
 「世界ではじめのクリスマス」
 「インマヌエル 麗しい御名」
 「きよしこの夜」
5. 「からし種」ミニコンサート
6 .クリスマスメッセージ
7. 賛美 「救い主は待っておられる」
  キャンドルサービス
  「諸人こぞりて」
  「きよしこの夜」
  「祝祷」(祈り)

2016-12- 18クリスマス礼拝S


↓クリスマス礼拝




クリスマス

 本日はよくいらっしゃいました。毎年めぐってくるクリスマスですが、改めて皆さんと共に記念したいと思います。クリスマスという言葉はそれこそ世界中津々浦々に知れ渡っているでしょうが、キリストが生まれた日 ? 位は知っているとはいえ、その内容に関してはほとんど知られていないのが実情ではないでしょうか。クリスチャンとしては少し複雑な気持ちです。もっとも、世界中に数ある多くの祝祭日なるものも皆、そのオリジナルな由来は飾り程度に風化してしまうのが実態かもしれません。私も肝心なことは何も知らない一人として、高校2年の12月25日、初めて教会の門をくぐり、礼拝に参加しました。ちょうどその日はクリスマスと重なって、キリストの誕生を祝う喜びの雰囲気の中にあったことを記憶していますが、当然ながら自分と関係づけることが出来ず、傍観者としてそこに座っていました。

 その時の礼拝のお話も全く思い出せません。唯一つ、私が強烈な印象を受けたのは、そこにいるクリスチャンたちの存在でした。この現代に神を信じる人々がいるんだ?ということが、全く不思議でした。今日の誰でもそうであるように、私もいわゆる合理的科学的といわれる無神論教育を受けていた平均的な無神論者でしたから、その人々の存在は、一方で大きな興味をもたらしました。教会とこの人々は、全く、別世界だなと思いました。強烈な、でも爽やかな文化ショックを受けて、帰路につきましたが、私の心には暖かい光が灯っているようでした。それは希望のようなものでした。もしかして神がいるのかもしれない、そうであればどんなにいいだろうか、もっと知りたいとの思いが与えられ、以来、毎週教会に通うようになりました。そして程なくして、隠された宝を発見したように、神を信じる人々の仲間入りをすることになりました。“もし神がいるなら見せて欲しい”という万人の願いに答えるのは、人となられた神なるイエス・キリストです。このクリスマスシーズン、もし本当に神がいるなら知りたい、と求めてくだされば幸いです。そして人生のこの切実な願いに、生けるキリストが答えてくださいますように。
【聖書】

マタイ 13・24~43

【説教】「毒麦の中に蒔かれた種」

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↓妙高文化ホール周辺
2016-12-11 初積雪S

 12月も日一日と進み、白い世界までカウントダウンです。来て欲しくないと思いつつも、何となくそわそわするこの季節ですね。昨日はうれしいニュースが日本中を驚かせました。大分県で2歳の女の子が山間地で行方不明となってしまいましたが、この12月の寒空の下、山中で夜中を過ごしながら、ほぼ無傷で無事に救出されたというのです。自然条件が奇跡的に幸いし、弱い弱い小さないのちが守られれたのだろうと解説されていました。2歳の頭脳と気持ちはどんなふうに夜を過ごしたんだろうと思うと胸が痛みますが、しかし、小さな一羽のスズメさえも見守っている、と言われる神様の御わざを見るようで感動させられました。

 こちらの心温まるニュースとは対照的に、政治的なニュースでは怒りやイライラが募ります。自民党がほとんど審議なしで、好きなように法案を通していくやり方にストップがかけられないからです。数の力にまかせたこの横暴がいつまで続くのでしょうか。正義の鉄槌が下されることを祈るばかりです。

 同じ番組で、日米合同委員会なるものと日米地位協定のことが取り上げられていました。ほとんど国民には知られずに、戦後70年間、依然として日本国憲法の上に君臨している、闇の委員会と法律とでも言うべきものでしょう。鳩山前首相も登場し、その内容は首相にさえ知らされなかったと証言していました。彼はこの闇に挑戦して失脚させられたとも言うべきかもしれません。まさに日本国の喉に突き刺さった大きなトゲといわざるを得ません。それが依然として改善されず、闇の力を振るっていることに大国のエゴを感ぜずにはいられません。公平平等、法の支配を尊ぶなどと良識国家振りを宣伝しても、結局は大国は自国に都合のいいように法律を采配していることになります。法もまた力次第という世界の現実では、国々が力を競うのも無理からぬことでしょう。弱い者たちに光を届け、小さな者たちの国を目差したクリスマスの主イエスの心と何とかけ離れているでしょうか。国だけの問題ではありません。一人ひとりに巣食う、力志向、力崇拝こそ悪魔的ですね。
【聖書】

マタイ 4・1~11

【説教】「33年の愛」

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 冷たい雨が降る日々が続いています。太陽の光が減ずるこの季節、日差しはことのほかありがたいものですね。北海道では、この時季としては何十年ぶりとのことですが、早くも根雪となり、さすがの北海道でも困惑している様子が紹介されていました。冬になると北の地に住む人々のことを考えます。アラスカ、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン等、この地球上には北海道以上の高緯度地方にすむ人々が何と多いことでしょうか。どんなふうに冬を過ごすのでしょうか。気が遠くなるようで、頭が下がります。同時に、こんなとても寒い地方をさえ、人類の住むべき地として与えられた神様の不思議さも思わされます。

 先回に引き続いてまた朴大統領の話題になってしまいますが、辞任の方向で収束していくのでしょうか。時と共にスキャンダルの実態が明らかになりつつあります。今朝の新聞には大統領自身の辞任談話の全文が掲載されていました。それを読みながら身につまされるものがありました。そこには朴大統領自身の、誠実無私に国のために仕えてきたとの自負が吐露されていました。しかしその思いとは裏腹に、結果的には前代未聞のような不様な国民への背信政治となってしまったのです。大統領の孤独に取り入った、狡猾な一人の女性が陰のキーマンとしてクローズアップされていますが、かといって大統領の非が同情されるわけではありません。大統領ともあろう公的な立場の者が、いかがわしい私的な関係を拠り所としたこと自体が、悲しい非常識で、それが墓穴を掘ることになりました。孤独な裸の王様だったことが悲しいほどにさらされました。自分では誠実と思っていても、悲しい独りよがりになってしまったのです。突き詰めれば、彼女の人格と社会性のアンバランスというきわめて個人的な欠陥が国の重大事を招いてしまったことになります。他人事ではありませんね。聖書も、自分を閉ざす孤独は滅びをもたらすと警告します。(箴言18・1) 誰も独りよがりな裸の王様になってしまうものです。心を開いて多くの人に耳を傾けることが、私たちを救うのですね。
【聖書】

ルカ 1・26~33、46~55

【説教】 「その国は終わることがありません」

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妙高1

 日ごとに木々の落葉が進み、里もまた少しずつ色を失いつつあります。裸になった木々は、見えるところは寂しそうですが、すっかり冬支度を整えて、厳しい冬にも動じないたくましい冬の友ですね。昨日の柿崎線では、もう一人の冬の友である白鳥たちが、清里地区の境の田んぼまで足を伸ばして飛来して来ていました。いつか我が妙高市でも発見できるようになればうれしいですね。

 クリスマスを前に、隣の韓国では大統領のスキャンダルで収拾がつかないほど混乱振りが連日報道されています。現代のキリスト教国とも言えるほどの韓国ですが、今年のクリスマスは残念ながら依然としての喧騒の中になってしまうのでしょうか。このような事件のたびに指導者の重責とまた身の処し方の難しさを考えさせられます。地位も立場も全く違ったとしても、それぞれは我が身に重ねて考えさせられもするのではないでしょうか。

 聖書にも有名な大スキャンダル事件が記されています。ダビデ王の不倫と姦淫、そしてそれを抹殺しようとしての殺人事件です。この事件とその展開については、クリスチャンにはもう説明するまでもないでしょう。この事件の衝撃は、この罪の当事者であるダビデ王が、国民の尊敬を一身に集めていた名君であったことです。さらに、彼は人々から尊敬されていただけではなく、品性、信仰共に神の目にかない、理想の王のモデルとなるべく選ばれた、神の特選の器でもありました。その人物がありえないような大スキャンダルにまみれたのです。報道によれば朴大統領も韓国民にとっては、特別な存在とのこと、それゆえにこその衝撃と幻滅と解説されています。ダビデ事件を通して聖書が描きたいのは、人間の悲しいほどの罪への弱さと無力と共に、しかしそれからの回復にこそ強調があることです。ダビデは一切の弁解と保身を捨てて、ただ神の正義の前に自分をゆだねました。それは社会的な死を意味することでしたが、そうした時、神の妥協の無い厳しい絶対的な正義は、何と、愛とあわれみの顔に変貌し、ダビデを包み、許し、生かすことになったのです。
【聖書】

I ヨハネ 3・16

【説教】「互いに足を洗い合いなさい」

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↓高田公園
2016-11-11 高田公園S

 11月下旬を迎えます。晩秋の真ん中でしょうか。南葉山にも雪が降りてくるようになりました。山の上半分は色を失い灰色の世界になりつつあります。どんなに抵抗しても季節を後戻りさせることは出来ませんね。しかし里はあらゆるものが色づいて、まだまだ里の秋は本番ではないでしょうか。雪国にあってはことのほか貴重なこの季節に祝福を送りたいと思います。

 今アメリカはトランプショックに揺れています。そして隣の韓国も大統領のスキャンダルが、日を追うごとに収拾がつかないほどの動揺となっています。多分大統領の退陣は時間の問題なのではないでしょうか。こちらはどちらにしても大統領は期限切れとなって徐々に収束していくのではないかと思いますが、アメリカの方はある意味でもっと予測不能な深刻さがあるのではないでしょうか。トランプ氏はこれから大統領になろうとしているからです。

 前にトランプ氏について、人物、言動、共にクエスチョンマークと書きましたが、問題外との大方の予想を覆して、選挙結果だけを見るなら、圧勝の勢いで大統領に選出されてしまいました。ショックは当然だし、それは選挙結果を認めないというデモにもよく現れているのでしょう。トランプ大統領誕生の重大さは、その立場は一国の大統領に留まらず、世界のトップにつくような立場であるからです。これまでアメリカはその功罪はあったにしても、世界の安定のために指導的役割を果たしてきました。歴代の大統領はその大きな責任と自負を自分に課していたことでしょう。しかしトランプ氏はその重しをはずそうとしているのではないか、少なくとも今までとは変わるだろうと不安視されています。それはアメリカ自体が国家観で動揺し出していることの表れでもあります。ということは世界中がこの動揺に巻き込まれるということでもあります。でもある意味で今は再考のよき機会です。特にひたすらアメリカべったりに歩んできた我が日本にとっては、本気で日本国憲法と向き合い、世界をリードできるような平和国家として、真に信頼される国作りをするためのよき試練の時として生かせればと願わずにいられません。
2016-11-13説教

2016-11-13教会

【聖書】

ルカ 10・23~37

【説教】「私の隣人とはだれのことですか」

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↓妙高市文化ホール周辺の紅葉
2016-11-09文化ホールの紅葉

 ことしは天候不順のせいでしょうか。紅葉が今ひとつの感がありますが、しかしここに来てようやく平地もあちこちで色づき始めました。落葉と競いながらの短い時、精一杯それぞれの木々が輝いて秋を燃焼して欲しいと思います。

 今の時季、総合運動公園に行くのが楽しみです。グランドを取り巻くケヤキたちがけっこう早くから色づいて、黄色と赤の見事なグラデーションとなっています。普段はウドの大木のように思えてしまいますが、この季節、その不名誉を見事に挽回しています。ケヤキの他この公園では、ポプラ、カツラ、モミジ、トウカエデ等の黄葉が楽しめます。そして特筆しなければならないのはニシキギです。普段目にするこの樹は、低木で生垣としてよく利用されて、美しく紅葉しますが、あそこでは高木仕立てで、何本も植えられて、深い紅葉を見せています。いつもこの樹の前に立ち止まって見入ってしまいます。ありふれた平凡な樹がこんなに見事になるなんてと、何かうれしく感動させられます。興味があったらこの一押しのニシキギを見に行ってみてください。

 このところ、電通の過労死事件がよく報じられています。若い女性が、将来を夢見ながら勇んで就職したその職場が、幻滅を超えて、いのちまで奪われることになりました。彼女は就職してから、散歩のひと時さえなかったのではないでしょうか。無念で心が痛みます。代表的な大手企業のこのブラックぶりを見れば、今、日本の職場を侵食しているブラック化とでもいう現象は押して知るべしではないでしょうか。それはまた今世界はどこも経済の激しい競争にさらされて、立ち止まる余裕もないほど追いつめられているからなのでしょう。この大きな波に、一体誰が立ち向かうことができるでしょうか。この波から出ることは社会的な死を意味することとしか思われませんから、必死にそこに捕まらざるを得ません。本来人生を生かすべき仕事が、逆に人生を殺してしまうこの時代、自分のいのちを守るために何が一番大事なのか、そのために何を捨てるべきなのか、と問われているように思います。

【聖書】

ルカ 10・21~37

【説教】「福音を生きる」

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2016-11-08 紅葉S

 先日、妙高の初冠雪を記念しましたが、それ以来数日冠雪が続いて、今日は大毛無山にまで降りてきました。いよいよ雪のシーズンが間近かと覚悟を迫られるようですが、見上げる南葉山は山肌が赤くなり、未だちょうど紅葉のピークのようです。行く秋を楽しむ長い11月となりますようにと願っています。

この11月の初めはまたアメリカの大統領選を迎えます。今までの候補者ではありえないような、人格、経歴ともに大きくクエスチョンマークがつくようなトランプ候補が、クリントン候補といまだ接戦を続けており、もしかしてとさえ言われかねない状況です。低レベルなスキャンダル合戦とも言うべきまるで興醒めな大統領選となっています。アメリカの劣化と言うべきか、政治の劣化と言うべきでしょうか。そして隣の韓国もまた朴大統領をめぐっての大スキャンダルに揺れています。アメリカも韓国も、大統領は強大な権力を持つと言われます。その権力をめぐっていろんな人々が群がり、その強大な権力はまたその座にある人を試し、足元をすくいます。まさに権力や力は、御しにくいものの代表ですね。

方や日本も総裁の任期延長案が自民党内で何の抵抗もなくすんなり決まり、安倍首相の権力構造をますます磐石化しようとしているようです。圧倒的多数を得ている自民党は、今はまさに我が世の春と、これを更に長引かせることにあの手、この手の観があります。為政者の側の圧倒的多数と権力の安泰化は、しかし国民にとっては油断のならない危険な時です。人間の常として、力のおごりと劣化は避けられないからです。今最も危惧するのは、この自民党が進めようとしている憲法改正論議です。自民党の改憲案は、憲法を国民のためというよりも為政者のために縛りをなくしたいのでしょう。聖書は、力は押さえつけるためではなく、弱いところに仕えるためにあると教えます。個人生活においても政治においても襟を正される教訓ではないでしょうか。政治の質もまた国民全体の責任と質が問われているのですね。