【聖書】

マタイ 26・30~46

【説教】「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころが」

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2018-02-14 快晴

 立春を過ぎての今回の寒波は、こちらは予報に反して平穏でしたが、北陸地方、特に福井県に37年振り以上の大雪をもたらしたとのニュースには驚きました。普段20、30センチのところがその6倍程も積もってしまったのですからお手上げであり、もう休むしかありませんね。でも大雪の休みなんて何か自然への敬意を示すようでうるわしいことのようにさえ思えてしまいます。改めて自然は人間の手の内に無い生き物だと思わされました。もちろん自然が生きているのではなく、雪を降らせ、すべてを動かしているお方こそ私たちの礼拝の対象です。

 名護市長選は残念ながら、政府の力に抗するが出来ませんでした。と言うよりも、何をしても結局は変わらないのだ、民意の抵抗は中央の都合のままに跳ね返されるのだとの、今までの長期戦の疲弊の結果でしょう。政府は結局、何も善処しようとしないで時間稼ぎの兵糧攻めで城を落としたのです。何ともやりきれない気持ちですが、沖縄の地が疲れと無力感からから癒されて、真に笑える時が来るために今こそ連帯しなければなりませんね。

 同じやりきれなさは、アメリカが新しく発表した、核兵器を小型化して使い易くするといった内容の「核戦略見直し指針」に対しての、河野外相の「高く評価する」との談話にも感じました。自民党内にあって一言居士のような彼には期待していましたが、さすがにこの発言には空いた口が塞がらない失望を感じました。内閣として難しい立場にあるとはいえ、決して口にしてはならないことばだったのではないでしょうか。今までも核政策に対して日和見的な日本が世界にあってどれだけ信用されていたかは怪しいですが、それでもこの発言は日本の信用をがた落ちにするに十分ではないでしょうか。当のアメリカにさえまた、ますますポチとして軽く見られる言質を与えたことでしょう。大国の傘、これこそ日本が選択している矛盾の正体です。大国の傘に寄りかかろうとするイスラエルに神はいつも警告を発しました。聖書の警告を、ただ聖書の中だけの理想の物語としない日本を夢見たいですね。
【聖書】

創世記 22・1~19

【説教】「主の山の上には備えあり」

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冬の木

 先週は大寒を過ぎて冬も峠を越えたと書きましたが、今回は予報通りの大寒波となり、今までの分をまとめて放出したような雪となりました。歴史的な低温も続いています。冬が自分を忘れるなと釘を刺したようですね。でも2月に入り立春を迎えます。一進一退とは言え、春の力が勝っていくのを見るこれからが楽しみです。

 通常国会の様子が報じられています。一強与党の型どおりの答弁が繰り返される様子にすっかり興醒めですが、しかし全く興味と関心をを失ってしまってはそれこそ思うつぼですね。自民党の副大臣の沖縄軽視のやじには全く驚かされました。自民党の本質とおごりが集約したような醜さですが、辞任幕切れでそれ以上の打撃を受けず、後は淡々と進行して行ってしまう現状に、やりきれない怒りを覚えますが、それ以上追い込めないのが更に情けないですね。全く議員辞職に値することのように思いますが、このような人々が依然として選挙で票を得て、議員として生き続けていることが政治の世界の劣化を象徴しているのでしょう。

 一番の問題の根幹である「日米地位協定」の改定には取り組む気概などさらさらなく、家主のアメリカには何も言えず、間借り人のようになって苦しんでいる沖縄の味方になるどころか、弱い者いじめをしているような姿は、強い者に媚、弱い者に強くという人間の醜さそのものです。でもこれはそのまま日本人全体にも返ってくる問題です。

 今週は名護市長選挙です。何としても、事なかれ政府に代って、大きな家主に抵抗しようと孤軍奮闘している人々の励ましを祈らなければなりません。第一にも取り組むべき基地問題には全く冷淡で、安倍首相は持論の憲法改悪に異常な熱心を傾けています。その中身は結局、家主翼賛憲法になるのではないでしょうか。一体どれだけの国民が本当に憲法の改変を望んでいるでしょうか。国民にとっては全く迷惑な話で、日本は安倍国ではないと叫ばざるを得ません。でも今年が勝負の年として突き進もうとしています。日本国民にとっても正念場ですね。主よ、私たちの国を正しく守り導いてください!
【聖書】

創世記 16・1~16

【説教】「信仰の父アブラハムの失敗」

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2018-01-22 八王子大雪

 東京の大雪のニュースが報じられました。未だ1月に東京に雪が降るのは通常の季節の動きではないようですが、いずれにしても東京の雪は春のしるしのように思えますから、雪国の冬は峠を越えたと見れるのではないでしょうか。そのせいか今週は大寒波とのことですが、あまり深刻感はありませんね。

 トランプ大統領就任から一年を迎え、新聞、テレビ等でこの一年のことが様々に論評され特集されています。総じての評価は今までにあり得なかった、全く大統領の資質に欠けているとの厳しい評価が並びます。でも本人は、どこ吹く風のように気にも留めず、あきれられるような言動を続けています。この辺が本当に天才なのかと思わせるような、何か怖いもの見たさの魅力にもなっているのでしょうか。いずれにしても斯くあきれられながら、一定の固い支持層を得ていることが、いわゆるトランプ現象の不気味さとでも言えるのでしょうか。社会の価値感、人間の価値観が変化していること、あるいは大きく揺れていることを示しているように思えます。

 アメリカだけではなく、今まで世界をリードしてきたヨーロッパでも今までの価値観に背を向けるような混乱が起こっています。自国第一主義ということばに象徴されるように、皆がみな自分第一の方向にあからさまに舵を切り出したように思えないでしょうか。一昔前ならとてもはばかられたことが、皆が軌を一にするように主張し始めているようです。それだけ他をかえりみる余裕の無い時代になっているのでしょう。皆がそう言うならそれに抗することは馬鹿を見ることだとしてそれが共通の倫理になってしまいます。この動きが高じる先は自分第一を求めながら、皮肉にも自分の首を絞めることになるのではないでしょうか。聖書は私たちに自分だけではなく、他の人のことをかえりみなさい、自分を愛するように隣人を愛しなさいと、不動の祝福の原理を教えます。流れが逆であればあるほど、聖書とそれを信ずる者たちの真価が試されます。それぞれは小さくてもこの時代にあって世の光でありえますように。
【聖書】

ローマ 12・1~21

【説教】「主に仕える道」

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↓雪の妙高山
2018-01-15 妙高山

 1月ももう20日を迎えます。暦の上では大寒ということで、まさに冬の頂点に当たると思いますが、ある意味でこれからは山を越えて冬が下り始める時でもありますから何となく山を越えたほっと感がするのではないでしょうか。まだまだ雪と寒さが続くでしょうが、春に向かって少しずつ下っていくこの季節をも楽しみたいものです。

 でも昨今は自然の速度よりも人間社会の営みのスピードがどんどん速さを増して自然感は置き去りにされがちです。どこへ向かうのか誰も予測が出来ないような不気味さを感じるのではないでしょうか。人間も社会もこのスピードに巻き込まれ否が応でもこれに順応せざるを得ない力に追いかけられているようです。ITやAIに代表される科学技術の進歩がこのスピードの主役でしょうか。改めて人間の知能のすばらしさとその可能性について目を見張らざるを得ません。でもこの進歩のスピードがただただ経済的動機によって引っ張られているように見えることが不安感の原因ではないでしょうか。
 
 また一方で政治的な世界も近年は大きな変化が起こって、安定よりも変化と混乱の時代に入っているように感じます。しばらく前ならば、世界は何となく安定的に良い方向に変化していくのではと楽観していたように思いますが、今は何かまちがったことが起こるのではないかという不安感が大きくなっています。科学技術の世界もまた政治の世界も今ほど人類の叡智が求められている時はないでしょう。特にリーダーたちの安定と健全に向かう知恵のために祈らなければなりません。
人類の叡智と言いましたが、聖書的には叡智とは優れた人間の知恵ではありません。神を知り神の下でへりくだるところから生まれる知恵です。ますます人間の知恵の万能感が謳歌されるような時代にあって、立ち止まって考えることは重要です。このスピードの時代にあって、私たち個人も、乗り遅れる不安感に踊らされることなく、いつでも立ち止まって神のことばから知恵を学び、自分を見失わないようにしたいものです。
【聖書】

イザヤ 43・10~21

【説教】「主に新しい事を期待して」

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冬景色

 正月を過ぎて冬本番という候に入っていますが、先日は雨模様が続いたりして温度も上がり春の陽気を感じさせました。冬が短縮されたような得をした気分です。でも今週は大型寒波ということですので、楽観をしないでまだまだ本気の冬に備えなければなりませんね。いずれにしても暦の上では冬は既に、後正味1ヶ月余りですのでそれを指折り数えたいと思います。

 冬はもうじき去り行きますが、新しい年2018年は未だ始まったばかりです。ですのでこちらは去り行くのを指折り数えてというわけにはいきません。むしろ今は、いたずらに早く時が流れすぎ去らないうちに、今年成すべきことや目標を設定したいものです。神様がそれぞれを刺激して有益な目標や課題を示してくださるように祈りましょう。やはり私たちの人生にとっては惰性やマンネリ化は生気を奪ってしまうものではないでしょうか。でもうっかりしているとこれらはすぐ侵入してきてしまいます。それで新年の新鮮感は元の木阿弥的に惰性に取って代わられてしまいます。

 昨年95歳で召された故日野原氏は、年をとっても人生を若々しく生きるための多くの刺激的なことばを残されましたが、その中で私の記憶に残っているのは、「人は何歳になっても変わることができる」ということばです。果たして本当でしょうか。わたしたちの現実の経験はむしろ、年を取るにつれて、マンネリ化の方が早く進行し、新しいことをしたり、何かを期待する感覚は薄らいでいってしまうのが現状です。これは一方の確かな現実と言えますが、でも生きるということはこれに抗することなのでしょう。聖書の思想もまた「人は死の瞬間まで変わることができる」と言っているといえるでしょう。人間と人生に対して何という肯定的な態度でしょうか。これが人間を造られた真の医者の見立てなのです。ここに救いの希望もあるのですね。私たちは自分で勝手に限界を定めて、マンネリ化を招いてしまいがちです。今までと変わらないと決めつけてしまうことは罪とも言えるでしょう。神様に向かって更に大きく、新しいことを期待することによって、過ぎた年以上に生かされたいものです。
【聖書】

ヘブル 11・1~16

【説教】「どこに行くのかを知らないで」

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2018-01-07 新年

 新年明けましておめでとうございます。2018年も主の支配の年であることを確認してスタートできることは幸いです。この世界は、主による天地と万物の創造をもって始まりました。すべてのものはこの方によって造られ成り、そしてずっと支えられ生かされています。この方こそそれ以来、そしてこれからもずっと永遠に、この世界と万物の主の主であり王の王です。たといこの世がそのことを知らず、認めずとも、この事実以上にこの世界とまたそれぞれの人生の確かさと慰めの土台はありません。ですので、この新しい年をもまた、主が設計され、主に導かれる、主より賜る年として、感謝と恐れをもって押し頂くように受け取りたいものです。

 内憂外患ということばがあります。内にも外にも問題や心配事を抱えているという意味ですが、年末にも触れましたが、世界の政治的社会的状況は、どの国にとってもまさにこの言葉のごとくではないでしょうか。20世紀の合言葉であった平和と共存は、21世紀に入っての特に近年は、分断と敵意に変わろうとするかのような様相を呈していると危ぶまれています。明るい未来よりも予測不能な危機的混乱に至るのではないかと心配されています。ですので人間の愚かな罪が、この世界に悲劇的混乱を招くことがないように、いよいよこの世界の真の王なる方のみこころにかなうように恐れを持って歩まなければならないと思わされます。

 内憂外患は、こと国だけの問題ではありません。それぞれの人生もまた、内に外に様々な憂いを抱えているものではないでしょうか。それらの問題の故に、新年のスタートが重苦しい気分に覆われているかもしれません。でも私たちにとってそのような時ほど希望を必要としている時はありません。どんな中にあっても真の希望は、この世界と人生の設計者なる方の善なるみこころ一つです。それぞれの歩みが主のみこころにかなうこと、そこから希望の泉は尽きることなく流れ出て、何も恐れるものはありません。そんな2018年でありますように、主を求めつつ歩みたいものです。
【聖書】

詩編 91・1~16

【説教】「あなたの真実は、とりでです」

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↓火打山と大毛無山
2017-12-07 大毛無山

 先週のクリスマスは幸いにも穏やかな天気が数日続き、天候を心配することなく記念の礼拝を守れたことを感謝しました。今週はまた早速寒波が襲来していますが、もうここまで来ると冬本番と覚悟が出来ていますので、2月の雨水まで、約一ヵ月半の雪国の冬の趣を楽しみたいとも思います。幸いなことに既に冬至を過ぎましたので、未だ実感されにくいとは言え、これから少しづつ明るくなるのもうれしいことですね。

 2017年の年末を迎えます。何となくせわしく感じる年末でもありますが、一週間位は静まって、一年の恵みと主のみわざに思いを寄せたいものです。政治的社会的には世界も日本も、平和というよりも混迷が深まっているような印象ではなかったでしょうか。中東やアフリカ地域での相変わらずの紛争、北朝鮮に象徴されるアジア地域の危機、そして何よりも政治的社会的先進国であるヨーロッパに、今までの価値観に逆効するような右傾化傾向と民族分断が加速していること、更に予想外のトランプ出現によるアメリカの混乱が挙げられます。方や日本にあっては自民一強支配による政権のおごりにイライラが募った年ではなかったでしょうか。残念ながらこの状況が更に続きそうですので、イライラを越えて諦めとしらけ気分に覆われかねません。改めて人間の歴史と未来が楽観できないこと、何よりも聖書が警告する如く罪の現実があなどれないことを考えさせられます。

 人間の力によってはユートピアが実現できないことを冷静に見つめながら、それゆえにこそ今の時代と出来事すべての上にいます神の支配とその栄光を一層仰ぎ望み、その現われを信じ待ち望みたいと思います。危機と混乱は信仰のテストでもあります。このことはまた一人ひとりの個人的な一年の日々にも適用されなければなりません。私たちの日々もまた目に見えて順境のユートピアに向かっているわけではありません。失望や混乱やイライラに襲われます。そんな時こそ、すべてのものの上にいます力と恵みの主を見失わないようにしなければなりません。そしてどんな中にあっても主の栄光をこそ求めたいものです。
2017年のクリスマス礼拝を12月24日に取り行いました。



◇プログラム

1.聖書朗読

2.賛美

3.祈り

4.賛美(クリスマスソング)
 荒野の果てに
 インマヌエル 麗しい御名
 きよしこの夜

5.ミニコンサート
 幼子イエス
 鳥の歌
 馬ぶねのかたえに
 み使いのたたえ歌う
 O Holy Night

6.クリスマスメッセージ
 あなたの神となるために

7.賛美
 いつくしみ深き」 
~キャンドルサービス~
 諸人こぞりて
 きよしこの夜
 祝祷

2017-12-25 礼拝1

2017-12-25 礼拝3

2017-12-25 礼拝2
クリスマス

 本日はよくいらっしゃいました。毎年も持たれるクリスマスの記念ですが、クリスマスのよき知らせが皆さんお一人お一人に届けられますようにと心から願っています。形だけのようでもありますが、全世界でこんなにも記念されている人はいないでしょう。何よりも西暦の年号にこの人のことが刻まれている限り、クリスマスがこれからもずっと保存され続けるのではないでしょうか。日本では元号が未だ主流ですが、その不便さが論じられるようになっています。やがて西暦が統一的に採用されるようになるかもしれません。いずれにしても今年の西暦2017年は、世界中で通用します。そしてこれは、キリスト誕生から2017年を意味しています。2000年も前の出来事を毎年記念していることになります。そんな大昔の遠い土地の出来事と一体何の関係があろうかと思われるかもしれませんが、お一人お一人と深く関っていることを知っていただけたら幸いです。

 何も知らず、全く無縁と思っていた私にも、最初のクリスマスから約1960年後に、そして地理的には何万キロと離れている新潟県新井市(現妙高市)に住んでいたこの者に、このニュースが届けられました。初めてこのニュースが私にとって意味を持った時でした。今も改めてこのことを振り返ると不思議な感動を覚えずにいられません。2000年前のニュースでありながら、2000年も生き続けて私のところに届いたからです。ですのでこのニュースは、世界のどんな隅々にも、この2017年に、そして更にこれから生まれるであろう人々にも届けられ続けることでしょう。すべてのニュースは時間的に新しいことがいのちです。時が経過するとニュース性はなくなってしまうからです。でも不思議なことにクリスマスのニュースは今も生き続けているのです。その如く、この2017年のクリスマス、まさに生けるニュースとして皆さんに届けられますように。心の耳を澄ませて・・・・このニュースが真のクリスマスプレゼントとなりますようにと祈ります。
 新井聖書教会は12月24日午前10時30分から、クリスマス礼拝を行います。新来者、求道者の方々とともに、クリスマスを記念し、主を伝える時となりますようお祈り、お誘いください。

 昼食はクリスマス祝会、食事会となります。

ちらし

【聖書】

ルカ 1・26~55

【説教】「神の子イエスの母と父」

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2017-12-18 雪景色3

 今週は大型寒波の予報です。この時季としては少し早いようですが、今冬は、聞き慣れないラニーニヤ現象とかの故に寒くなるとの予報です。どうなるのでしょうか。どちらにしても冬は避け得ないのですから、私たちの心のギアを上げなさいということでしょう。いずれにしても冬を造られたのは神様ですから、冬の主人に信頼して、冬もまた楽し、と歩みたいものです。

 ノーベル平和賞の授賞式の模様が報じられました。講演者の一人であったサーロ節子さんが「核兵器は必要悪ではなく絶対悪」と断固言い切り、またもう一人の講演者である、ICANのフィン事務局長も、核兵器は戦争回避どころか、戦争への危機を高めていると論じました。特段の主張ではなく、普通の感覚から誰もが納得するこのごく普通の主張が、ノーベル賞の舞台でわざわざ主張されなければならないということ事態が、この世界が陥っている異常性を映し出しているともいえるでしょう。20世紀の悲劇的な大戦で、もう戦争は二度と・・・との教訓を刻み、平和を合言葉に出発したかに見えた世界はしかし、陰で兵器開発競争を繰り広げ、今は貯まった膨大な核爆弾の重荷にうめいているのです。互いに削減処理をすれば済むことなのにそれが出来ません。更に新たに核保有を目指す国々が自己主張を続けています。

 そんな中で長く平和憲法を掲げ、軍備抑制をもって世界の範として歩んできた我が日本も、積極的平和主義という詭弁の下、北朝鮮状況をいいことに軍拡の方向に舵を切り、防衛予算が従来の枠をはみ出してしまいました。どんなに体裁を繕ったとしても、日本はもうご都合主義の詭弁国家と見られてしまうでしょう。「非人道的で非合理な絶対悪」と誰が見ても答えが決まっているのに、止めようとしないのは、政治家一人ではなく人間全体が問われています。クリスマスの主イエスは、赤ちゃんとなってこの地上に来られました。そのお姿は、武器や力の衣をかなぐり捨て、力を誇らず、競争せず、喜んで小さなものとなって相手に近づくという平和を象徴しています。このクリスマスシーズン、この平和の君イエスのお姿に、人類が学ぶことが出来ますように。
【聖書】

ルカ 2・1~20

【説教】「神は幼子となって」

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