【聖書】

創世記 32.3~31

【説教】「ヤボクの渡し」

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↓金谷山からの遠望(米山ほか)
金谷山からの眺め

 2月を迎えました。まだまだ厳寒期ですが、何と言っても2月は希望の月ですね。季節が冬から春に入れ替わるからです。春を実感するのは確かに3月というべきかもしれませんが、しかし小さいわずかな春を告げるこの季節は、より味わい深いといえるのではないでしょうか。どんなに冬が猛威を振るっても、春の勝利が確実に近付いていることが明らかなこの月の味わいは、死と悪魔に対する信仰の勝利の確実性を喜ばしく告げている聖書の世界とも重なります。

 この喜ばしい春に向かう世界にとって、アメリカのトランプ大統領は春の嵐ならぬ冬の吹雪の如くと言ったらいいでしょうか。春の嵐は春を告げる喜ばしいものですが、彼の言動は冬へと逆戻りさせるような混乱をもたらしているからです。連日大統領令に振り回される世界の状況が報道されています。ほとんどの人にとって、彼の言動は、一体何を考えているのか、正気なのかと思われているのではないでしょうか。それが今世界のトップに立っているのですから影響は甚大ですね。フィクション映画を視ているようですが、フィクションではなく正気だとなると、この物語の結末はどうなるのでしょうか。

 彼にまつわって、また耳慣れない「アルタナティブ・ファクト」なる語が登場してきました。先に紹介した「ポスト・トゥルース」なる語と連なるものでしょう。どう訳したらいいのかその概念が今一つはっきりしませんが、「もう一方の事実」というふうに紹介されていました。一つの事実があるとしても見方によって逆に取れるというような意味でしょうか。確かにこれは物事の一般論ともいえますが、問題はどこから見るかということです。トランプ氏とその取り巻きは、自分達の独特の視点を採用して、その厚顔振りをはばからないようです。人は誰も自分の視点は避けられないものですが、それが高じれば、自分に都合のいい事実だけを作り出すことになります。アルタナティブ・ファクトが横行する世界、それは空恐ろしいですね。基準なくさ迷う世界にあって、神がご覧になるように見る視点を心して訓練したいものです。

【聖書】

コロサイ 3.17~24

【説教】「日々の生活を祭司として」

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2017-01-29妙高山々

 大寒を過ぎて今が一番の厳寒期でしょうか。東日本だけではなく西日本まで寒波が襲来して雪をもたらしています。でも回りは雪国らしい白銀の世界で、何となく落ち着いた気分にさせられます。考えてみれば、一年の中で風景が真っ白に変貌するこの季節は、どの季節以上に神秘的で、神の奇蹟の御手を覚えることができるのではないでしょうか。この貴重な神秘の世界を見れる雪国を幸いと考えましょう。

 今週は、多少相撲に興味のある人にとっては大きな歓喜の週となりました。稀勢の里の優勝と横綱昇進です。大げさかもしれませんが日本中が興奮したのではないでしょうか。私もテレビの前で感動の涙に浸り、幸せな夜となりました。くどくど解説する必要は無いでしょう。この人こそと期待され、何度もチャンスを手繰り寄せながら、しかしそのたびに何度も跳ね返され、悔しさと不評をなめてきました。その心中を誰も自分と重ねて応援してきたことでしょう。悲劇の主人公になるのかと思われた向きもありましたが、とうとう満願の成就となったのです。19年振りの日本人横綱の誕生でした。彼一人の願いではなく、国民全体の悲願でもありました。

 考えてみればこれほど応援された彼は、その分辛くもありましたが幸せ者ですね。長く辛い時期、気分が萎える時もあったでしょう。しかし彼は腐らず黙々と練習を積んだというのです。そんな彼に相撲の神様が微笑みました。もちろん相撲の神様は間違った表現ですが、言わんとするところを良しとしましょう。あるべき正当な報いだと、誰でも納得する結末を皆が喜んだのです。長々と書きましたが、この人生の物語に誰でも共感と励ましを覚えるでしょう。私たちもまたそれぞれ取り組んでいるものは異なりますが、何か何かと一人相撲を取っている者ではないでしょうか。それを見ていてくださる神がおられるということは大きな慰めです。もちろん見ているだけではなく正当に報いてくださるということが聖書の約束です。ですから辛い時も腐らず忍耐して、それぞの土俵で、神を見上げて忠実に日々のわざに励みたいものです。
【聖書】

ローマ 12.1~12

【説教】「私には何ができるのだろうか」

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雪

 先週の寒波は予報通りの大雪となりました。少しあわてましたが、昨年から、雪国にありながらまとまった雪を見ていなかったので、何か安心したような気分にもなりました。しかし今回は南の西日本でも同時に大雪になったということですから、やはり近年は冬も変調しているのでしょうか。そうとは言え、雪国の雪はごく自然な神の支配の証でもありますから、冬を嫌わず雪国を愛したいものですね。

 自然の変調以上に気になるのは、昨今の人間世界の変調とも言える姿ではないでしょうか。特にトランプ大統領の誕生は台風の目のようです。先ずどんな就任演説となるのかと世界は固唾を呑んで見つめています。何か怖いもの見たさといった興味もあいまって、今全世界の注目を集めています。アメリカの大統領は確かに世界で最も影響力のある重要人物ですが、一人の人物があまりにも注目を集めるのは、世界にとってはあまり穏やかな状況とは言えないのではないでしょうか。大げさかもしれませんが、ヒトラーの再来にならないように、アメリカの良識と世界のために祈らなければなりません。

 方や日本も今、天皇の退位をめぐって改めて天皇家に関心が寄せられています。日本の根幹でもある天皇制のあり方が注目されて、開かれた議論の場となるならば良い機会ではないでしょうか。現天皇は誠実な人柄であることがうかがえますが、宮中祭儀が連綿と盛んに行なわれている伝統のことを知らされると、私たちクリスチャンとしては複雑な気持ちですね。日本の根幹部分で得体の知れない偶像祭儀が依然として重んじられているということをどう考えたらいいのでしょうか。まったく日本の国の深い闇と言わなければなりません。この巨大な闇にどうやって対峙できるのかと考えてしまいますが、聖書においてはクリスチャン一人ひとりは王である祭司と定義されています。一体一人が何ができると考えてしまいますが、まことの神をこそ真の王として戴く者として、自分の置かれた場であくまでも正義と誠実を追求する者となり、まことの王、まことの光を証する者でありたいものです。
【聖書】

詩篇 37

【説教】「人生の隠れた土台」

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2017-01-18妙高山

 ちょうど1月の半ばを迎えます。ここまでほぼ雪の無い?冬となったことは意外ですが、大分得をした気分ですね。2月も半ばを過ぎればもう春に向かいますから、冬も後正味一ヶ月ということになります。もう先が見えてわずかな期間ならば、それを楽しみに、厳しい冬も歓迎したいと思います。

先回はポスト・トゥルースなる語に触れましたが、今回はまたその同類のフェイクについてです。この耳慣れないことばがマスコミに登場するようになりました。辞書によればこの意味は「偽造品」「作り事」「虚報」「でっち上げ」となっています。両語は共に、トランプ氏の登場と深く関っています。トランプ氏の大統領就任までカウントダウンとなり、今世界の関心はもっぱら彼の言説に集まっています。既に大統領選の時から彼はフェイクを平気で多用し、アメリカ社会を巻き込み、それが彼の命取りになるどころか、かえって人々を惹きつけ、何と勝利を手にしてしまったのです。そして今もまさにそのスタイルで盛んに発信し、回りはそれに振り回され、戦々恐々としているとさえいえる状況です。国民には相手にされないだろう、簡単に失脚するだろうとの大方の予想に反して、熱狂的支持者を集め、大統領に就任しようとしています。あってはならないことが現実となったということが多くの人の思いではないでしょうか。

 このトランプ氏が聖書に手を置いて、大統領就任の宣誓をするなんて、悪い冗談と思えてしまいます。聖書は言うまでもなく、うそを言うことを十戒において最大の道徳的罪として禁じています。もちろん人間は誰でも、ついうそをついてしまうことは避けられないほどの弱さを持つものですが、平気で、何か戦略的にうそを言うとなると、それは別問題です。神に対する大きな挑戦として必ず災いを刈り取ることになるでしょう。でもトランプ大統領の誕生をアメリカ社会が容認したことは、時代があえて神に挑戦しようとさえしているのかもしれません。どんな状況であろうと、フェイクに耳を傾けたり、市民権を与えることなく、神を恐れて、フェイス(真実)をこそ自らに養うようにしたいものです。
【聖書】

Ⅰ列王記 3.1~15

【説教】 「あなたに何をあたえようか。願え」

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すずめ

 穏やかな新年となりました。陽光の中、スズメをはじめ何種類かの鳥たちが同じ木の枝で仲良く動き回っていました。大きな鳥が追い払うわけでもなく、スズメたちも別に恐れている様子もなく共存していました。のどかで平和な新年の絵のようでした。

 一方で元旦の新聞には、ポスト・トゥルースなることばが取り上げられていました。特に昨年、ヨーロッパやアメリカを覆った、時間を逆戻しするような分断と排斥の風潮と、その現象を生み出した一つの要因でもある、偽情報が飛び交い、それが多くの人々の支持を受けて広がっていく様を表現したものと思われますが、世界は今やポスト・トウルース、すなわち「真理後」の時代に入ったのではないかという危惧を表現しています。真理後とは抽象的ですが、真理の後に来るものとは当然、真理以外ということになるでしょう。

 私たちが向かおうとしている世界が真理後の時代に突入していくとするなら、それは何と恐ろしいことでしょうか。その意味していることは人々が真理への尊重や信頼を行動規範とするのではなく、別にそんなことは重要ではなく、偽りをも都合によって受け入れるということでしょうか。もしそうならこの世界は、大きな混乱と退廃を招くことになるでしょう。でも一体そんなことが有り得るのでしょうか。一昔前なら有り得ないと断言できたかもしれませんが、昨今の世界の状況は、決してこのことばが大げさではなく、時代を預言した真理かもしれないと思わせます。

 私たちクリスチャンにとっては、すぐ聖書の預言を連想させるものです。特に使徒パウロは、終わりの時代には、人々は、真理よりも、自分と金、また欲望を愛し、健全なものより空想話にそれていく困難な時代になると警告しています。ここを読みながら果たしてそうだろうか、悲観的過ぎはしないかとの疑問が共存していたものですが、まさにポスト・トゥルースと重なります。でも人間はいつの時代も都合のいい偽真理だけを選択してきたとも言えるのです。漂流の時代に流されず、真理とは何かと問い続け、その真理に謙遜に従う者でありたいものです。
【聖書】

詩篇 ヘブル 11.1~27

【説教】「祝福の契約に入る」

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初日の出

 2017年の新しい一日が始まります。明けましておめでとうございます。新年に当り、それぞれ思いを新たにさせられるときだと思いますが、神様からのメッセージがそれぞれの心に届けられるように祈ります。ご自分が造られたこの地球という国のまことの王として、この国とそこに住まう国民の一人ひとりに何を語られるのでしょうか。それを知りたい、それを聞きたいということが私たちの切実な願いですね。この新年の時に限らず、2017年のすべての日において、その主の細き御声を求め、聞き分けることが私たちの務めでもあります。

 先回も書いたことですが、過ぎた一年はことに激動の年であったと誰もが感じたのではないでしょうか。その激動は、希望的な好ましいものというよりは、否定的な負の方向に激しく揺れ動くものだったと思えます。このことは、21世紀に生きる私たち現代人にとっては意外でもあります。文明の進歩は、政治も社会もそして人間たちをも、過去の暴力や搾取、そして戦争という失敗と負の教訓を乗り越え克服して、民主的で平和的な、成熟した社会と人間たちをもたらすはずだと誰もがどこかで楽観していたのではないでしょうか。進歩の恩恵はもちろん、いろんなところで見ることができる一方で、しかし新しくかたちを変えた搾取や不公平が生まれ、そして争いや戦争はむしろ世界各地に飛び火しています。ソビエトが崩壊し、冷戦が終わった時、さあこれからは平和的世界が実現するに違いないと思いましたが、現実は何と私たちの予想を裏切ったことでしょうか。その楽観の前に立ちはだかるものこそ、人間の罪と欲望ではないでしょうか。

 ああ、真の王なる神が直接この世界に、神政政治を行なってくださればいいのにと思いますが、もしそうなったら、どれだけの人が生き伸びることができるでしょうか。神政政治を行なわないのは、むしろ愛と忍耐の故ですね。2017年も王なる方の愛と忍耐によって刻まれます。この愛に答えて、それぞれの歩みが内なる罪と社会の罪と戦い、愛と平和と正義の主に倣う者でありたいと思わされます。
2016-12-25説教

【聖書】

詩篇 116

【説教】「主がことごとく良くしてくださったことについて、私は何を」

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 2016年最後の礼拝です。一年のすべての歩みと礼拝が守られたことを感謝しましょう。

 礼拝に引き続いて、岩崎拓也兄と岩崎雅子姉の洗礼式がもたれました。

2016-12-25洗礼式S
↓岩崎拓也兄
2016-12-25岩崎拓也1S

2016-12-25岩崎拓也洗礼式S

↓岩崎雅子姉
2016-12-25岩崎雅子洗礼式1S

 その後、行われた祝会(食事会)は、1年の感謝と喜びの時となりました。
2016-12-25食事会S

 新年礼拝は2017年1月1日(日)に行います。皆そろって、まず主への礼拝をもって新しい年を祝福しましょう。時間は通常通り午前10時30分です。
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クリスマス

 このところ気温も上がり穏やかな日が続いています。この時季の青空はことのほかうれしいものですね。こちらは初雪もすっかり解けて、公園も未だ自由に歩き回ることができるのも、うれしいプレゼントです。例年教会でのクリスマス集会が終わると私にとっては最も静かな時間が訪れます。過ぎた一年のことをいろいろと思いめぐらします。考えてみれば貴重な一年ですね。もう二度と繰り返されることがありません。でもかといって今年がどれだけ特別だったかとはいえない平凡な日々の繰り返しではないかと感じることも事実でしょう。しかし私たちクリスチャンにとって、365日のすべてが神が共にいてくださった日と信じれることはなんという慰めでしょうか。神が共にいて、神が導かれた一日ならば、それだけですべての日々は特別なものとなるのではないでしょうか。

 一方、目を世界の状況に転ずれば、大きな変化や問題のあった激動の一年ではなかったでしょうか。シリヤの内戦が泥沼化し、悲しくも何百万もの人々が国を追われ難民とならざるを得ない状況が続いています。ヨーロッパではテロが頻発し、それがまた国々に恐れと混乱を招き、文化的に最も落ち着いて成熟した先進地として世界をリードしてきたこの地域が、自国のことで精一杯のように追いつめられています。中国やロシアの時代錯誤的とも見える露骨な進出政策、そしてアメリカでのトランプ現象と、どれも期を一にしたような共通した世界の傾向でしょうか。調和と文化的成熟に向かうと疑わなかった21世紀の今の姿は、混乱と敵対的雰囲気が高じているようです。

 そして我が日本も、時計の針を戻すような右傾化が気になります。改めて聖書の示す人類の歴史に重ねさせられる思いです。聖書は人類の進歩を楽観視していません。人の悪が増大し、その心に思い計ることが悪いことだけに傾いたと描写されたノアの時代を、有り得ない過去として葬り去ることは出来ません。このような時代にあって、神の御心を求めて取りなしたノアに倣うべく、ますます主を知る者たちの責任を覚えたいと思います。
2016-1225クリスマス礼拝パンフ

1. 祈り
2. 聖書朗読 ルカ2.1~1.6
3. 賛美 「いざもろとも主を」
4. 賛美 クリスマスソング
 「世界ではじめのクリスマス」
 「インマヌエル 麗しい御名」
 「きよしこの夜」
5. 「からし種」ミニコンサート
6 .クリスマスメッセージ
7. 賛美 「救い主は待っておられる」
  キャンドルサービス
  「諸人こぞりて」
  「きよしこの夜」
  「祝祷」(祈り)

2016-12- 18クリスマス礼拝S


↓クリスマス礼拝




クリスマス

 本日はよくいらっしゃいました。毎年めぐってくるクリスマスですが、改めて皆さんと共に記念したいと思います。クリスマスという言葉はそれこそ世界中津々浦々に知れ渡っているでしょうが、キリストが生まれた日 ? 位は知っているとはいえ、その内容に関してはほとんど知られていないのが実情ではないでしょうか。クリスチャンとしては少し複雑な気持ちです。もっとも、世界中に数ある多くの祝祭日なるものも皆、そのオリジナルな由来は飾り程度に風化してしまうのが実態かもしれません。私も肝心なことは何も知らない一人として、高校2年の12月25日、初めて教会の門をくぐり、礼拝に参加しました。ちょうどその日はクリスマスと重なって、キリストの誕生を祝う喜びの雰囲気の中にあったことを記憶していますが、当然ながら自分と関係づけることが出来ず、傍観者としてそこに座っていました。

 その時の礼拝のお話も全く思い出せません。唯一つ、私が強烈な印象を受けたのは、そこにいるクリスチャンたちの存在でした。この現代に神を信じる人々がいるんだ?ということが、全く不思議でした。今日の誰でもそうであるように、私もいわゆる合理的科学的といわれる無神論教育を受けていた平均的な無神論者でしたから、その人々の存在は、一方で大きな興味をもたらしました。教会とこの人々は、全く、別世界だなと思いました。強烈な、でも爽やかな文化ショックを受けて、帰路につきましたが、私の心には暖かい光が灯っているようでした。それは希望のようなものでした。もしかして神がいるのかもしれない、そうであればどんなにいいだろうか、もっと知りたいとの思いが与えられ、以来、毎週教会に通うようになりました。そして程なくして、隠された宝を発見したように、神を信じる人々の仲間入りをすることになりました。“もし神がいるなら見せて欲しい”という万人の願いに答えるのは、人となられた神なるイエス・キリストです。このクリスマスシーズン、もし本当に神がいるなら知りたい、と求めてくだされば幸いです。そして人生のこの切実な願いに、生けるキリストが答えてくださいますように。
【聖書】

マタイ 13・24~43

【説教】「毒麦の中に蒔かれた種」

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↓妙高文化ホール周辺
2016-12-11 初積雪S

 12月も日一日と進み、白い世界までカウントダウンです。来て欲しくないと思いつつも、何となくそわそわするこの季節ですね。昨日はうれしいニュースが日本中を驚かせました。大分県で2歳の女の子が山間地で行方不明となってしまいましたが、この12月の寒空の下、山中で夜中を過ごしながら、ほぼ無傷で無事に救出されたというのです。自然条件が奇跡的に幸いし、弱い弱い小さないのちが守られれたのだろうと解説されていました。2歳の頭脳と気持ちはどんなふうに夜を過ごしたんだろうと思うと胸が痛みますが、しかし、小さな一羽のスズメさえも見守っている、と言われる神様の御わざを見るようで感動させられました。

 こちらの心温まるニュースとは対照的に、政治的なニュースでは怒りやイライラが募ります。自民党がほとんど審議なしで、好きなように法案を通していくやり方にストップがかけられないからです。数の力にまかせたこの横暴がいつまで続くのでしょうか。正義の鉄槌が下されることを祈るばかりです。

 同じ番組で、日米合同委員会なるものと日米地位協定のことが取り上げられていました。ほとんど国民には知られずに、戦後70年間、依然として日本国憲法の上に君臨している、闇の委員会と法律とでも言うべきものでしょう。鳩山前首相も登場し、その内容は首相にさえ知らされなかったと証言していました。彼はこの闇に挑戦して失脚させられたとも言うべきかもしれません。まさに日本国の喉に突き刺さった大きなトゲといわざるを得ません。それが依然として改善されず、闇の力を振るっていることに大国のエゴを感ぜずにはいられません。公平平等、法の支配を尊ぶなどと良識国家振りを宣伝しても、結局は大国は自国に都合のいいように法律を采配していることになります。法もまた力次第という世界の現実では、国々が力を競うのも無理からぬことでしょう。弱い者たちに光を届け、小さな者たちの国を目差したクリスマスの主イエスの心と何とかけ離れているでしょうか。国だけの問題ではありません。一人ひとりに巣食う、力志向、力崇拝こそ悪魔的ですね。
【聖書】

マタイ 4・1~11

【説教】「33年の愛」

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 冷たい雨が降る日々が続いています。太陽の光が減ずるこの季節、日差しはことのほかありがたいものですね。北海道では、この時季としては何十年ぶりとのことですが、早くも根雪となり、さすがの北海道でも困惑している様子が紹介されていました。冬になると北の地に住む人々のことを考えます。アラスカ、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン等、この地球上には北海道以上の高緯度地方にすむ人々が何と多いことでしょうか。どんなふうに冬を過ごすのでしょうか。気が遠くなるようで、頭が下がります。同時に、こんなとても寒い地方をさえ、人類の住むべき地として与えられた神様の不思議さも思わされます。

 先回に引き続いてまた朴大統領の話題になってしまいますが、辞任の方向で収束していくのでしょうか。時と共にスキャンダルの実態が明らかになりつつあります。今朝の新聞には大統領自身の辞任談話の全文が掲載されていました。それを読みながら身につまされるものがありました。そこには朴大統領自身の、誠実無私に国のために仕えてきたとの自負が吐露されていました。しかしその思いとは裏腹に、結果的には前代未聞のような不様な国民への背信政治となってしまったのです。大統領の孤独に取り入った、狡猾な一人の女性が陰のキーマンとしてクローズアップされていますが、かといって大統領の非が同情されるわけではありません。大統領ともあろう公的な立場の者が、いかがわしい私的な関係を拠り所としたこと自体が、悲しい非常識で、それが墓穴を掘ることになりました。孤独な裸の王様だったことが悲しいほどにさらされました。自分では誠実と思っていても、悲しい独りよがりになってしまったのです。突き詰めれば、彼女の人格と社会性のアンバランスというきわめて個人的な欠陥が国の重大事を招いてしまったことになります。他人事ではありませんね。聖書も、自分を閉ざす孤独は滅びをもたらすと警告します。(箴言18・1) 誰も独りよがりな裸の王様になってしまうものです。心を開いて多くの人に耳を傾けることが、私たちを救うのですね。