山井姉宅で7月9日、毎年恒例のラベンダークラフト作りをしました。今年も素敵な作品ができました。

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【聖書】

詩編 51・1~17


【説教】「ああ、あなたは心の真実を喜ばれます」

↓早津牧師の説教 *三角印をクリックすると声が流れます
梅雨

 空梅雨かと楽観しましたが、梅雨前線が停滞し強い長雨が続きました。激しい雨音は汚れを洗い流すような爽快感がありますが、これがある時間を過ぎると恐怖感に変わります。竜巻のような大風に比べれば、大雨は未だ時間的余裕の伴った自然現象のようですが、今回の九州地方はそんな楽観を打ち消す災害となってしまい心が痛みます。復旧と回復のために、またなお続く雨の季節の無事を祈りましょう。

 この時季と重なった都議選は久々の大雨となりました。でもこちらのほうは明らかに恵みの雨と言うべきではないでしょうか。自民党にとっては予想外の洪水に大わらわということでしょうが、でも心ある党員は「雨降って地固まる」と受け取ってくれるのではないかと期待したいと思います。

 安倍政権になってからのこれまでの4年間、全く不思議なほどに次々と選挙で圧勝し、その数の力による横暴が目にあまるほどに露骨になってきたというのは、とても個人的な好き嫌いの評ではなく、ここに来て明らかに国民の多数に共有されてきたということではないでしょうか。それが今までの圧勝の勢いと自信を初めて粉々に打ち砕くことになりました。ようやくとの感でもありますが、この動きがさらに健全なものになっていくように祈りたいと思います。選挙前日の安倍首相の街頭演説でのやじの様子が繰り返し放映されますが、「安倍帰れ」「安倍辞めろ」との露骨な大コールが演説を妨害しました。今まででは有り得ない、予想もしなかった事態に首相は狼狽したことでしょう。

 この光景を見ながら、内心ほっとし喝采を送りました。日本にはこの自由があると思ったからです。中国では出来ませんね。でも今の政権のおごりに、このような自由さえ押さえつけかねない危うさを感じていました。政策云々ではなく、首相を中心とするその中枢の人たちの人間性が問われているのです。「できる政府」ではなく「正直で誠実な政府」をこそ戴きたいと思います。人間として信任されなかったら何も出来ませんね。果たして未だ政府は逃げようとしているようですが・・、当たり前の教訓を肝に銘じたいと思います。

【聖書】

ヨハネ 13・1~17


【説教】「洗足の愛に習って」

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↓教会にあるエゴの木の実です
2017-07-07 エゴの実

 7月に入ります。過ぎてみれば時はあっという間ですね。今年も早や下半期に入ります。いつもながらもう少しゆっくりであって欲しいと思いますが・・・。早速急に暑くなるとの予報ですが、夏が暑くなるのは自然なことなので、寒くなると言われるよりも、ほっとした気持ちです。しかし、ヨーロッパは異常高温とのことですので、近年は、何も心配せずに自然任せという有り方が不安にさらされてもいます。任せるべきことと、人間がすべきことの両方が問われているということでしょうか。

 社会的、政治的領域はこの両者のバランスが更に難しいといえるのではないでしょうか。為政者に任せるべき姿勢と、抗議と監視の声を上げるべきという両者です。為政者にすべて任せているなら何も波風は立たず、国は安泰のようですが、権力の独裁化が大きな悲劇を招くことは、今も続いている歴史の教訓です。

 人間の歴史は支配と被支配の関係の歴史、ことばを替えれば、国と民の歴史ともいえると思います。国は統治のための大きな権力を与えられています。それがいつの時代も民との間で悩ましい問題を引き起こします。為政者がどういう資質の人かによって幸、不幸が分かれます。為政者の誘惑の一つは、その権力を用いて自分の正義や信条を実現しようとすることです。トランプ氏、プーチン氏、そして習氏と、共に強い自己主張型のリーダーのようです。そして安倍首相もそんな政治家を自負しているのでしょう。国民もそんなリーダーを求めやすいかもしれませんが、でも多分これは国にとっては不幸です。というのもどんなに優れた人でも、その人の正義や信条は、一個人の独りよがりを免れえず、全体を代表するなどと言える人はいないからです。安倍首相の言動に安倍国を目差しているような迷惑と危うさを覚えるのは私だけでしょうか。彼の姿は私たちへの教訓です。ことに真面目で理想主義的な人ほど、謙遜に自らの限界と独善性をわきまえなければなりません。どんなにすぐれた人でも、またその正義をどんなに絶対的に確信していようと、それは神の正義には変わり得ないことを肝に銘じたいものです。
 教団教会全体の講壇交換で、富山教会の大内正先生を迎えての礼拝です。

 大内師は上越市出身で、昨年まで教団理事長として長く労されました。

2017-06-25大内正S

【聖書】

ローマ 12・1~2

【説教】 「捧げる祝福」 大内正師

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梅雨2

 続いた晴れが一転して梅雨らしい曇り空が続いています。この季節を一番喜んでいるのはアジサイでしょうか。あちこちで今こそわが季節と存在感たっぷりです。ボリューム豊かな花と葉は多くの水があってこそなのでしょう。アジサイだけではなく、人類とこの地球にとって、雨もまたなくてはならないものですね。太陽の圧倒的な恵みとともに、雨の静かな恵みをも備えられた神様の知恵を思いながら、雨の季節をもまた喜び過ごしたいものです。今はまたちょうど一年の折り返し点です。前半の歩みを振り返り吟味しつつ、後半に備えたいと思います。

 紛糾した国会が閉幕しましたが、今の政権も折り返し地点にいるようですね。良い意味の折り返し点であるようにと願わずにはいられません。というのも現政権のこれまでの数年間は、国民の半分が危惧し、何度も立ち止まって慎重に審議してきた問題法案を次々と数の力によって成立させてきたからです。政権の圧倒的多数はいかんともしがたく、心配する民意はことごとく踏みにじられてきた感があります。しかしここに来て権力のおごりが招いた、無視できない問題が明るみに出て、圧倒的支持に揺らぎが出始めたからです。幸いな墓穴とでも言うべきですね。最初はいつものように、強権的に無視し、ひねりつぶせると思っていたようですが、今回の問題は首相自身の身辺に関わる失政ともいえる事態なので、注目度は日増しに大きくなり、政権にとってはシナリオ通りには行かず大きな打撃になりつつあるようです。あわてた政権は一転して今までになく殊勝とも言える反省会見を開き、事態を乗り切ろうと考えたようですが、多分見え透いた宣伝会見としか思われなかったのではないでしょうか。

 “信なくば立たず”と言われます。政治の中心にウソがあるならば人々はそれを見抜き信任されなくなるでしょう。これはまた私たちの人生に対する教訓です。人には見えなくとも隠れた心の真実こそ主は喜ばれると聖書は告げます。小さなウソに妥協しがちな自分を甘やかすことなく、人前ではなく、主の前での隠れた心の真実をこそ訓練したいものです。
【聖書】

ハバクク 1・1~17


【説教】「もし遅くなっても、主を待て」

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↓エゴの花
2017-06-24ガクアジサイ

 こちらの梅雨入りの発表は未だのようですが、しばらくは晴れが続くようですから、過ごしやすい梅雨になるのでしょうか。今年も早や、冬から春へ、そして初夏へと移り変わっています。季節の流れを穏やかな気持ちで眺め、味わうことができるということは、人間にとっては最も基本的で素朴な幸せと思わされます。我が日本では戦後70年、このような平穏が続いて当たり前のようになっていますが、世界の状況を見れば、このような素朴な幸せさえ決して当たり前ではないのだと考えさせられます。

 先日北朝鮮宣教セミナーに参加しました。過激なミサイル発射で今世界の注目を集めていますが、私たちにとっては近くにあっても全くベールに包まれた遠い国と言わざるを得ないのが実情でしょう。このセミナーで、二人の脱北者の生々しい証を聞きましたが、それを聞きながら、信じられないような独裁国家がこの21世紀に厳然と存在していることが不思議でもあり、同時にこのような闇を打ち払えない世界と人間の無力がもどかしく、なかなか光が見えない状況に暗澹たる気持ちにさせられました。ISと言い、北朝鮮と言い、共にとても国とは言えない悪魔的国家が現出していることは、歴史の間違いとしか思えませんが、それが現実であることが空恐ろしいですね。人間も国も、このように成れるんだなという警告です。北朝鮮の状況を聞きながら、頭をたびたびよぎったことは我が日本の姿です。

 先に戦後70年、平和で穏やかだったと書きましたが、果たしてそれは確かで安泰なことだろうかとの不安と警告が重なりました。絶対揺るぐことはないと安心していた憲法、その改正を熱望している人々が相当数いることが不気味です。近年次々と国家強権化法案が通され、今また共謀罪法案が強行採決されようとしています。今国会では二学園の不透明問題の追及に対して、政府が権力を傘に平気でうそを言い、また圧力かけている姿を目の当たりにしています。他人事ではありませんね。人間も国も悪魔化することを空言としないで、目を覚まして、闇と悪との戦いに備えなければと思います。
【聖書】

エペソ 5・1~21


【説教】「主イエス・キリストを着なさい」

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アジサイ6

 九州が梅雨入りし、こちらももう時間の問題です。この季節の主役であるアジサイのつぼみがあちこちで顔を出し、ちらほらと色づき始めました。サクラに変わって今度は日本中がアジサイ一色になります。少し憂鬱なこの季節ですが、花期の長いアジサイは梅雨が終わるまでこの季節を慰めてくれるなくてはならない植物ですね。

 一方国会の方は、晴れない憂鬱が続いています。明白な権力の横暴を責めきれない少数野党に、気分は重く晴れません。一方の与党は、恐れ気もなく強弁を繰り返しています。何とかこの状況が打開できないものかとイライラが募りますが、決定打が打てません。しかしわずかの慰めは、与党の大臣たちにも生気が感じられないことです。首相や官房長官はいかにも虚勢を張ったような強弁ぶりですが、文科大臣などはまるで人格がないようなうつろな答弁を下を向いて繰り返しています。明らかに真実を言えない立場のゆえに心ならずもうそを言っているのだろうなあと感じさせます。この表情に未だ人間味と希望を感じます。真実が言える、感じたことを自由に言えるということは人間にとってまさに基本的人権ですね。それが今いえない圧力が与党全体と行政組織全体を重く覆っているのでしょう。上に逆らえないという組織内人間の負っている宿命的な弱さとは言え、しかし特に自民党内の何百人という議員たちの責任は重大です。もちろん公明党は更に言うに及ばずですが。今こそ意見を言うべき時なのに、何も言わないなんて、何のために国民を代表しているのでしょうか。いや彼らには与党の一員であることが大事なのでしょう。内閣どころか与党全体が総辞職に値するのではないでしょうか。

 さてこのことはまた私たち一人ひとりに帰ってきます。聖書も言うように私たちは他人の目のちりには厳しく敏感です。しかし自分の目の中の丸太には甘く鈍感です。だから世界は他人をあげつらって変わらないのでしょう。言うべき時に言う人間であるか、更にそれ以上に、その何倍も他の人に耳を傾ける謙遜な人間であるべきことを肝に銘じたいと思います。
【聖書】

エペソ 1・1~14


【説教】「神を宿す神秘」

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↓ヤマボウシ
2017-06-06 ヤマボウシ

 最高の5月が終わり、6月に入ります。梅雨の足音がすぐそこですが、田植えが終わった水田はこの雨を待っていることでしょう。先週は教会にとって大きな行事であるバザーが無事終了できました。始まりは強風で心配しましたが、少し曇がかかった空のせいでそれほど暑くもなく屋外も快適でした。なんと言っても、いつもながら搗き立てのもちが大人気でした。今年は今までの木製の臼に替わって、濁川兄が頂いて来た昭和13年製の石臼が活躍しました。もう80年も経ているのに完璧な状態であるのには驚かされます。これから先何年もこの臼で美味しいもちを味わえるでしょう。

 国会では森友学園問題に続いて、加計学園問題が追及されています。これほど疑問がもたれているのに、何ら問題ないと言い切る強弁を繰り返す政府の傲慢振りにストレスが増すばかりですが、その傲慢を許してしまっている一強の選挙結果が恨めし限りです。更にこのような傲慢な運営振りを見ながら依然として支持率が下がらないことに一層のやるせなさが募ります。民意の頼りなさと不思議さを思わされますが、この分では戦後70年の民主主義もどこへ行ってしまうのか分からない不安を感じてしまいます。白を黒と平気で言うようなトランプ大統領が、民主主義の元祖のようなアメリカで誕生するのですから、民主主義も常に危うさをはらんでいるのであり、一人ひとりの良心と理性が問われているということでしょう。

 幸いアメリカでは権力へのチェック機能が今のところ良く機能していることが救いですが、日本は心もとないですね。神ならぬお上の亡霊がまた日本で復活することがないように目を凝らさなければなりません。一人ひとりの良心と理性が問われていると言いましたが、人間の良心と理性こそ悪の砦として与えられている貴重なものですが、心の中心に何が据えられているかによって、そのレベルは劣化もしてしまいます。今週はペンテコステです。神の御霊が心の中心に宿って下さることによってのみ、私たちの良心は洗われ、真に神の声となり得るのです。内に住まう御霊様の声をいつも敏感に聞きつつ生活したいものです。
 5月28日に恒例の教会バザーが行われました。

2017-06-06バザー1

2017-06-06 バザー2

2017-06-06 バザー3
【聖書】

詩編46

【説教】「たとい地は替わり、揺れ動くとも」

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↓エゴの木
2017-06-06エゴの木


 平場ではほぼ田植えが終了し、一面が水田風景となりました。近付く梅雨と共に日本全体が多湿になるような気がしてしまいますが、季節は確実に初夏ですね。先日のテレビで静岡の茶摘の様子が紹介さてていましたが、静岡ではこの時季、茶摘休みが一週間あったとのことでした。こちらでも田植え休みが一週間ほどあったことを思い出し、昔は今よりも自然との結びつきが強かったのだなと改めて思わされました。昨今の農業事情の変化を考えると、日本の水田風景も将来どうなるんだろうとも考えさせられますが、初夏へと移り行くこの季節に上手に適応しながら、神の造られた自然を楽しみたいと思います。

 国会では共謀罪法案が難なく衆院を通過してしまいました。機密保護法や安保法に続き、国民レベルでこれだけ多くの反対が表明されているにもかかわらず次々と強権的な法が通過してしまう自民一強政治が恨めしく、虚しさも覚えてしまいますが、あきらめて眠ってしまえば、国はまたブレーキ無しに誤った方向に向かってしまうかもしれませんから、目を覚まして祈らなければなりませんね。自然の規則正しい変化に比して、人間世界の変化はずっと早く、また予測不能なほどではないでしょうか。特に昨今の世界の変化には誰も何か意外感を覚えているのではないでしょうか。その意外感とは、良い方向というよりも何か悪い方向に向かっているように感じるからです。20世紀の合言葉は進歩と調和だったように思いますが、ここへ来てそれががたがたと崩れるような不気味さを覚えます。人間は教育の進歩とともに、ますます洗練されて理想的な人間世界になるのではないかという楽観的なヒューマニズム信仰が大きく挑戦されています。ポスト・トゥルース現象やフェイクニュースの横行はその象徴でもあるでしょう。偽りが真実になるなんて、有り得ないまさかの時代ですが、楽観できないとの警告です。不気味な闇の王が見え隠れしているようですが、正義と善と真実の神こそがこの世界のまことの王として支配しておられるということこそが私たちの希望です。
【聖書】

IIコリント 12・1~10

【説教】 「大いに喜んで弱さを」

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↓タニウツギ
2017-05-10タニウツギ

 日当たりのいいところではもうすっかりタニウツギが満開状態となりました。私にはこの植物が咲き出すと、それは夏の始まりを告げると同時に、最高の新緑の季節が終わってしまうようで、恨めしい存在に思えてしまうのですが、花の一つ一つをよく見ると美しいものですね。サクラと共にどこででも目にするありふれた植物ですが、一方のサクラは大いにめでられながら、こちらは私のような感想で遇されるとしてら何か申し訳ないようです。でも先日、この花が好きだと言う人たちの存在を知らされて、ほっとして救われたような気持ちにもなりました。確かに皆、称賛すべき神の作品ですね。

 さて国会では政府は今週にも共謀罪法案を可決しようとしています。ほとんどの国民にとってよく分からない法案であることは、肝心の法務大臣自身さえ、答弁できない姿を見れば明らかです。それなのにその成立を急ぐとは、一体その真の狙いは何なのかと怒りを覚えます。ただ一つ分かっていることは権力の介入が強化されるだろうということで、皆漠然とした不安を感じています。安保法の時もそうでしたが、いや問題ない、心配ないと、政府は安請け合い的な答弁しますが、その当事者自身も、権力の側から下りて一個人となった時に自らの首を締められるだろうという怖さを想像できていないのでしょう。国民全体が、いや大丈夫だろうと軽く受け止め、結果的に少しづつ権力の強化に寄与してしまうことが恐ろしいですね。国の力、そして権力というものは厄介なものです。権力はだんだん自己目的化して、都合の悪いものは排除しようする本質を持っています。だからこそ国といえども、いや国だからこそ、力は出来るだけ制限されるべきだと思えます。力がなければ手っ取り早く事が進められませんが、時間がかかってもその方が安心ではないでしょうか。これは国に限らず私たち一人ひとりをも吟味させます。

 聖書は、力は自分のためではなく、弱者に仕えるために与えられていることを心得よと教えます。利己的な罪人である人間一人ひとりにとって、まことに力は御しがたい魔物です。国も個人もその怖さを肝に銘じ続けたいものです。
 下記の日程で、恒例の「きょうかいバザー」を開きます。

 手作りのケーキ、パン、チヂミ、餅、焼きそば、ホットドックなども販売します。

 どなたでも来場できます。お気軽においでください。

バザー
 朴先生と韓国からのアルタイ宣教会の皆さんを迎えての礼拝となりました。

2017-05-14アルタイ1

2017-05-14アルタイ2

【聖書】

マタイ28・16~19

【説教】「“大宣教命令” 朴チャンス師」

↓朴先生とアルタイ宣教会のみなさんを迎えて *三角印をクリックすると声が流れます