【聖書】

マタイ 4・1~11

【説教】「33年の愛」

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 冷たい雨が降る日々が続いています。太陽の光が減ずるこの季節、日差しはことのほかありがたいものですね。北海道では、この時季としては何十年ぶりとのことですが、早くも根雪となり、さすがの北海道でも困惑している様子が紹介されていました。冬になると北の地に住む人々のことを考えます。アラスカ、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン等、この地球上には北海道以上の高緯度地方にすむ人々が何と多いことでしょうか。どんなふうに冬を過ごすのでしょうか。気が遠くなるようで、頭が下がります。同時に、こんなとても寒い地方をさえ、人類の住むべき地として与えられた神様の不思議さも思わされます。

 先回に引き続いてまた朴大統領の話題になってしまいますが、辞任の方向で収束していくのでしょうか。時と共にスキャンダルの実態が明らかになりつつあります。今朝の新聞には大統領自身の辞任談話の全文が掲載されていました。それを読みながら身につまされるものがありました。そこには朴大統領自身の、誠実無私に国のために仕えてきたとの自負が吐露されていました。しかしその思いとは裏腹に、結果的には前代未聞のような不様な国民への背信政治となってしまったのです。大統領の孤独に取り入った、狡猾な一人の女性が陰のキーマンとしてクローズアップされていますが、かといって大統領の非が同情されるわけではありません。大統領ともあろう公的な立場の者が、いかがわしい私的な関係を拠り所としたこと自体が、悲しい非常識で、それが墓穴を掘ることになりました。孤独な裸の王様だったことが悲しいほどにさらされました。自分では誠実と思っていても、悲しい独りよがりになってしまったのです。突き詰めれば、彼女の人格と社会性のアンバランスというきわめて個人的な欠陥が国の重大事を招いてしまったことになります。他人事ではありませんね。聖書も、自分を閉ざす孤独は滅びをもたらすと警告します。(箴言18・1) 誰も独りよがりな裸の王様になってしまうものです。心を開いて多くの人に耳を傾けることが、私たちを救うのですね。
【聖書】

ルカ 1・26~33、46~55

【説教】 「その国は終わることがありません」

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妙高1

 日ごとに木々の落葉が進み、里もまた少しずつ色を失いつつあります。裸になった木々は、見えるところは寂しそうですが、すっかり冬支度を整えて、厳しい冬にも動じないたくましい冬の友ですね。昨日の柿崎線では、もう一人の冬の友である白鳥たちが、清里地区の境の田んぼまで足を伸ばして飛来して来ていました。いつか我が妙高市でも発見できるようになればうれしいですね。

 クリスマスを前に、隣の韓国では大統領のスキャンダルで収拾がつかないほど混乱振りが連日報道されています。現代のキリスト教国とも言えるほどの韓国ですが、今年のクリスマスは残念ながら依然としての喧騒の中になってしまうのでしょうか。このような事件のたびに指導者の重責とまた身の処し方の難しさを考えさせられます。地位も立場も全く違ったとしても、それぞれは我が身に重ねて考えさせられもするのではないでしょうか。

 聖書にも有名な大スキャンダル事件が記されています。ダビデ王の不倫と姦淫、そしてそれを抹殺しようとしての殺人事件です。この事件とその展開については、クリスチャンにはもう説明するまでもないでしょう。この事件の衝撃は、この罪の当事者であるダビデ王が、国民の尊敬を一身に集めていた名君であったことです。さらに、彼は人々から尊敬されていただけではなく、品性、信仰共に神の目にかない、理想の王のモデルとなるべく選ばれた、神の特選の器でもありました。その人物がありえないような大スキャンダルにまみれたのです。報道によれば朴大統領も韓国民にとっては、特別な存在とのこと、それゆえにこその衝撃と幻滅と解説されています。ダビデ事件を通して聖書が描きたいのは、人間の悲しいほどの罪への弱さと無力と共に、しかしそれからの回復にこそ強調があることです。ダビデは一切の弁解と保身を捨てて、ただ神の正義の前に自分をゆだねました。それは社会的な死を意味することでしたが、そうした時、神の妥協の無い厳しい絶対的な正義は、何と、愛とあわれみの顔に変貌し、ダビデを包み、許し、生かすことになったのです。
【聖書】

I ヨハネ 3・16

【説教】「互いに足を洗い合いなさい」

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↓高田公園
2016-11-11 高田公園S

 11月下旬を迎えます。晩秋の真ん中でしょうか。南葉山にも雪が降りてくるようになりました。山の上半分は色を失い灰色の世界になりつつあります。どんなに抵抗しても季節を後戻りさせることは出来ませんね。しかし里はあらゆるものが色づいて、まだまだ里の秋は本番ではないでしょうか。雪国にあってはことのほか貴重なこの季節に祝福を送りたいと思います。

 今アメリカはトランプショックに揺れています。そして隣の韓国も大統領のスキャンダルが、日を追うごとに収拾がつかないほどの動揺となっています。多分大統領の退陣は時間の問題なのではないでしょうか。こちらはどちらにしても大統領は期限切れとなって徐々に収束していくのではないかと思いますが、アメリカの方はある意味でもっと予測不能な深刻さがあるのではないでしょうか。トランプ氏はこれから大統領になろうとしているからです。

 前にトランプ氏について、人物、言動、共にクエスチョンマークと書きましたが、問題外との大方の予想を覆して、選挙結果だけを見るなら、圧勝の勢いで大統領に選出されてしまいました。ショックは当然だし、それは選挙結果を認めないというデモにもよく現れているのでしょう。トランプ大統領誕生の重大さは、その立場は一国の大統領に留まらず、世界のトップにつくような立場であるからです。これまでアメリカはその功罪はあったにしても、世界の安定のために指導的役割を果たしてきました。歴代の大統領はその大きな責任と自負を自分に課していたことでしょう。しかしトランプ氏はその重しをはずそうとしているのではないか、少なくとも今までとは変わるだろうと不安視されています。それはアメリカ自体が国家観で動揺し出していることの表れでもあります。ということは世界中がこの動揺に巻き込まれるということでもあります。でもある意味で今は再考のよき機会です。特にひたすらアメリカべったりに歩んできた我が日本にとっては、本気で日本国憲法と向き合い、世界をリードできるような平和国家として、真に信頼される国作りをするためのよき試練の時として生かせればと願わずにいられません。
2016-11-13説教

2016-11-13教会

【聖書】

ルカ 10・23~37

【説教】「私の隣人とはだれのことですか」

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↓妙高市文化ホール周辺の紅葉
2016-11-09文化ホールの紅葉

 ことしは天候不順のせいでしょうか。紅葉が今ひとつの感がありますが、しかしここに来てようやく平地もあちこちで色づき始めました。落葉と競いながらの短い時、精一杯それぞれの木々が輝いて秋を燃焼して欲しいと思います。

 今の時季、総合運動公園に行くのが楽しみです。グランドを取り巻くケヤキたちがけっこう早くから色づいて、黄色と赤の見事なグラデーションとなっています。普段はウドの大木のように思えてしまいますが、この季節、その不名誉を見事に挽回しています。ケヤキの他この公園では、ポプラ、カツラ、モミジ、トウカエデ等の黄葉が楽しめます。そして特筆しなければならないのはニシキギです。普段目にするこの樹は、低木で生垣としてよく利用されて、美しく紅葉しますが、あそこでは高木仕立てで、何本も植えられて、深い紅葉を見せています。いつもこの樹の前に立ち止まって見入ってしまいます。ありふれた平凡な樹がこんなに見事になるなんてと、何かうれしく感動させられます。興味があったらこの一押しのニシキギを見に行ってみてください。

 このところ、電通の過労死事件がよく報じられています。若い女性が、将来を夢見ながら勇んで就職したその職場が、幻滅を超えて、いのちまで奪われることになりました。彼女は就職してから、散歩のひと時さえなかったのではないでしょうか。無念で心が痛みます。代表的な大手企業のこのブラックぶりを見れば、今、日本の職場を侵食しているブラック化とでもいう現象は押して知るべしではないでしょうか。それはまた今世界はどこも経済の激しい競争にさらされて、立ち止まる余裕もないほど追いつめられているからなのでしょう。この大きな波に、一体誰が立ち向かうことができるでしょうか。この波から出ることは社会的な死を意味することとしか思われませんから、必死にそこに捕まらざるを得ません。本来人生を生かすべき仕事が、逆に人生を殺してしまうこの時代、自分のいのちを守るために何が一番大事なのか、そのために何を捨てるべきなのか、と問われているように思います。

【聖書】

ルカ 10・21~37

【説教】「福音を生きる」

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2016-11-08 紅葉S

 先日、妙高の初冠雪を記念しましたが、それ以来数日冠雪が続いて、今日は大毛無山にまで降りてきました。いよいよ雪のシーズンが間近かと覚悟を迫られるようですが、見上げる南葉山は山肌が赤くなり、未だちょうど紅葉のピークのようです。行く秋を楽しむ長い11月となりますようにと願っています。

この11月の初めはまたアメリカの大統領選を迎えます。今までの候補者ではありえないような、人格、経歴ともに大きくクエスチョンマークがつくようなトランプ候補が、クリントン候補といまだ接戦を続けており、もしかしてとさえ言われかねない状況です。低レベルなスキャンダル合戦とも言うべきまるで興醒めな大統領選となっています。アメリカの劣化と言うべきか、政治の劣化と言うべきでしょうか。そして隣の韓国もまた朴大統領をめぐっての大スキャンダルに揺れています。アメリカも韓国も、大統領は強大な権力を持つと言われます。その権力をめぐっていろんな人々が群がり、その強大な権力はまたその座にある人を試し、足元をすくいます。まさに権力や力は、御しにくいものの代表ですね。

方や日本も総裁の任期延長案が自民党内で何の抵抗もなくすんなり決まり、安倍首相の権力構造をますます磐石化しようとしているようです。圧倒的多数を得ている自民党は、今はまさに我が世の春と、これを更に長引かせることにあの手、この手の観があります。為政者の側の圧倒的多数と権力の安泰化は、しかし国民にとっては油断のならない危険な時です。人間の常として、力のおごりと劣化は避けられないからです。今最も危惧するのは、この自民党が進めようとしている憲法改正論議です。自民党の改憲案は、憲法を国民のためというよりも為政者のために縛りをなくしたいのでしょう。聖書は、力は押さえつけるためではなく、弱いところに仕えるためにあると教えます。個人生活においても政治においても襟を正される教訓ではないでしょうか。政治の質もまた国民全体の責任と質が問われているのですね。
 ウガンダの親を失った子供たちが贈る大切なあなたへのメッセージ「ワトト コンサートツアー2013」が、11月8日(火)、午後7時から、柏崎市民プラザで開かれます。

 前売り券は大人1500円、小中高校生が1000年で、当時は500増しです。

 チケットの問い合わせは、070-6465-7192。

ちらし

【聖書】

ローマ 1・1~18

【説教】「福音を恥とせず」

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20161025ゴンドラ

 先週(10月20日)に、柿崎線沿線の田んぼに、今年初めて白鳥の群れを確認しました。50羽ほどの大群が、長旅を終えて、嬉々として羽根を休めているようでした。これから3月中旬頃までの約5ヶ月、我が雪国で共に過ごすと思うと、心強い冬の友を迎えて、今年も良くやって来たとうれしい気持ちになりました。でも一方で、もう冬の使者か、少し早いぞという気持ちがしないでもありません。

 10月31日は毎年めぐってくる宗教改革記念日です。1517年10月31日に、マルチン・ルターが、当時の教会に、公開質問状を提示したことを記念しています。来年2017年はちょうど500年目を迎えますので、プロテスタント教会にとっては意義深いビッグイヤーということになります。以来教会が、カトリックとプロテスタントに分かれてしまったことには、功罪両面が論じられますが、神の摂理のしからしめた重要な歴史的出来事であったと言わなければなりません。その中心的意義は聖書の再発見であり、聖書の中心的使信である福音の再発見でした。聖書が脇に置かれたり、その中心的教えがうやむやになったりすることがあるのか? と思ってしまいますが、当時の状況は目を覆うほどであり、歴史が示す負の大きな教訓となっています。

 16世紀のこの事件は、約1500年の歴史を刻んできたキリスト教会に大きく軌道修正を迫ることになりました。軌道修正といっても、それは斬新なものに変化したというのではなく、初代教会に帰れ、元に戻れ、という改革でした。教会は1500年の間に、元の道から徐々にそれてしまったのです。この改革は、ある意味で1500年の歴史を逆戻りさせたのです。世の中の常識では、歴史の逆戻りなど、進歩を阻む頑迷な時代錯誤、とのレッテルを貼られるものですが、キリスト教信仰は2000年前の聖書に帰らなければならないのですね。人間と社会、時代は変わります。変化は進歩であり、それこそ良いもので真理だという圧力にさらされています。この変化の時代に、聖書こそいのちと、発見し続けることが、私たちの責任であり、絶えざる宗教改革です。
【聖書】

エステル記 4・1~17

【説教】「もしかすると、この時のために」

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さつまいも

 早や10月下旬です。紅葉の本番を楽しみにしつつ、しかし晩秋の足音が聞こえてくるようで複雑です。この秋、私には二つの出会いがありました。一つは林道で大きな二頭のイノシシと間近に遭遇したことです。私の車の前を別にあわてもせず悠然とゆっくり歩いて林の中へ入っていきました。もう一つは稲刈りの終わった田んぼに沢山のサルがエサをあさっていた姿です。こちらの方も、日向ぼっこをするようにまるで我物顔で田んぼの中でくつろいでいるようでした。今まで山の中で大群に遭遇したことはありますが、田んぼで大きな群れを見たのは初めてでした。困った害獣と見なされていますが、私には記念すべき自然との遭遇でした。

 先日の新潟知事選の結果もまた大きなプレゼントで興奮しました。皆さんも同じではなかったでしょうか。米山候補が追い上げたとしても、森氏優位は磐石で決して覆されないだろうとほとんどあきらめていたのに、出口調査で米山氏若干リードと伝えられた時には目を疑いました。もしかして?と、にわかに期待が膨らみました。そして結果は何と接戦どころか米山氏の圧勝となったのです。バンザイと叫びました。今でも信じられない気持ちです。今まで何回もの衆参選挙で惨敗を繰り返してきただけに、久しぶりに溜飲を下げました。我が県民はすばらしいぞと誇らしい気持ちになりました。沖縄と同じ構図ですね。政権の圧倒的圧力に対してノーと言ったのです。事故を忘れたかのように原発再稼動に簡単に舵を切り、基地移転と同じように、法律にのっとって、粛々と進めますと繰り返す政府の厚顔振りに、多少の打撃を与えることが出来たのではないでしょうか。衆参で圧勝した政府は、今度は、まるで憲法改正が選挙公約の規定路線であるかのように、牙を隠しながら国民を懐柔しようとしています。こちらもまた、ある程度の時を稼いだなら、「粛々と」という得意のことばを使い出すのではないでしょうか。今日本は大事な危機の時ですね。一人ひとりが何が正義なのか、何が神の前に善なのかを求め、ことばだけではなくそれを生きる覚悟が問われています。
【聖書】

エステル記 4・1~17

【説教】「神の時は確実に回って」

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サルナシ

 10月半ばを迎えます。天気も続くようになり、ようやく秋らしい日が戻ってきたようです。今年の紅葉は遅れているようですが、その分ゆっくりと紅葉が楽しめれば幸いです。先日今年の柿を初めて味わいました。また磯部姉からの珍しいサルナシも頂きました。また先週は聖書学院の学生たちと笹ヶ峰の遊歩道を散歩しましたが、途中でズミの実をほおばりました。学生たちはまずいと言っていましたが、私には貴重な秋の記念となりました。紅葉と実り、神からのプレゼントですね。

 先日は聖書学園で持たれた聖会に参加し、講師として来られた懐かしい下川友也師に再会し、また懐かしい語り口のメッセージを聞きました。何度か紹介していますが、私が聖書通読のチャレンジを受けた先生でもあります。信じがたいことかもしれませんが、先生は当時既に、月2回のペースを目指していて、少なくとも年間20回は確実に通読する計算でした。そのためには一日80章のペースになります。旧約のモーセ五書や大預言書は大体50章位ですので、一日一書以上になります。聞くところによると、師は現在までに通読800回を超えたとのことです。皆が一様に真似すべきことではなく、この読み方が必ずしも最善とは思いませんが、大胆なチャレンジであることは確かですね。東京の神学校の校長を定年退職されて、北海道の小さな教会に赴任されたので、静かになって枯れかかっているかも?と思いきや、相変わらず元気で聖書への情熱は衰えていませんでした。メッセージそのものよりも、その姿に改めてチャレンジを受けて帰ってきました。私たちクリスチャンは人生のどこかで聖書に出会いました。バイブル、本の中の本と言われますが、それでも足りません。単なる活字ではなく天地万物を創造し、すべてのものを生かしておられる神からのいのちのことばそのものです。人はこれを食せば必ず豊かに生きると保証されています。この約束を握って、どんな健康食にもまさって、これをこそ食べて、この幸いな実験に私たちも情熱を燃やしたいものです。
ジャガイモ

 先月は記録的な日照不足となっていたことが報じられていました。それは誰もが実感したことだったのではないでしょうか。そして日照不足は人間の心身にも負の影響をもたらし、正式な病名まであることを知りました。ギラギラの夏の太陽からは身を隠したいと思ってしまいますが、太陽あっての贅沢な悩みですね。太陽はなんという恵みをこの地球にもたらしていることでしょうか。あらゆる生命がこの太陽に依存しているといっても過言ではないのでしょう。古来太陽を神として祭り、あがめてきたことは、偶像崇拝の本末転倒とは言え、自然な営みとして発生したこともうなずけます。すばらしい実りの秋もまた太陽有っての季節です。

 この良き秋の実りにあやかって、人生の実りについても考えさせられます。一年ごとに規則正しく確実に実りを見せる自然界は、まことに力強く羨ましい限りですが、私たちの人生もまた何がしかの実りをつけていくならば幸いです。人生の実りとは何だろうと考えてみると、そう単純ではありません。私たちは一般的には、何か外に現れる仕事上の業績とか、富を成すことといった経済的な成功等を考えるかもしれません。しかし聖書が教える人生の実とは、外的な成功や業績ではなく、品性や人格に関わることです。愛や誠実、寛容や柔和という性質が結ぶべき実として掲げられています。これらはこの社会にあっては、個人的なアクセサリー程度のものとして、あってもなくてもいいものとしてしか評価されませんが、神様がご覧になるのはこのような隠れた資質であることは、大きな慰めでもあります。能力によって競争する実ではなく、外的な業績いかんで測られるものでもありません。どんな仕事に就こうが、どんな立場にあろうが、見られているのは、外側よりも内なる人間性であることは、慰めに満ちた公平な基準であり、また襟を正されることではないでしょうか。そしてこれらの実は、一年ですぐ取り出せるものでもありません。世がもてはやす外的な実に心乱されることなく、また遅々とした歩みに失望することなく、内なる心をこそ耕し続けたいものです。
【聖書】

創世記 22・1~19

【説教】「従順の山を登る」

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アケビ

 このところ雨が続き、すっきりした秋がどこへ行ってしまったんだろうと思わせる天候が続いています。大型台風も続いて、近年の異常気象化の一端なのでしょうか。10月が今までを取り戻すような爽やかな秋になりますように、そしてそれぞれにとって、今年の秋を記念するような恵みが与えられますようにと願います。

 米大統領選が佳境に入り、今年の秋の世界的な関心にもなっています。人格的にも思想的にも、とても有り得ないと思われたトランプ氏が正式に共和党候補に指名され、さらに、せいぜいそこまでだろうとの大方の予想に反して、未だにクリントン氏と接戦を続けています。変だ、おかしいと思われながら、とても有り得ないことがもしかして現実になってしまうかもしれない?・・・ということがトランプ現象の示している教訓でしょうか。

 このような現象は、特別なものではありません。悪魔的なヒトラー政権が誕生したのも、当時のドイツの大衆に絶対的に支持されての、正式な選挙を経た民主的政権でした。同じ時期、イタリヤでも日本でも民衆に支持された全体主義政権が誕生し、戦争へと突き進んでいきました。民主主義は多くの戦いと実験を経て、近代世界がたどり着いた最も健全な政治形態ですが、雰囲気や扇動に流れ易い衆愚的政治になってしまう弱点も併せ持っているといわれます。そのことは20世紀の戦争の歴史が顕著に示すだけではなく、日常的な小さな集まりの中にも時として見られる現象ではないでしょうか。人間には考えることを面倒に思い、思考停止になり、扇動政治家やカリスマ的指導者に前面委任してついていってしまいたい誘惑があるのですね。まさに一方向に集団移動する動物の如くです。特に経済的閉塞感が強い時、それを打開する一人の強い指導者を求め易いといわれます。今世界はアメリカもヨーロッパも、そして日本も閉塞感の中にあります。どこにも危険な一人が誕生する危機の時代です。このような時こそ、安易に全体に流されることなく、時間がかかっても一人ひとりが正義と良心のために考える責任を果たしたいものです。
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